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短編集(短編及び短め連載完結)

次期王妃に選ばれなかったのはもう別にいいのだけれど、ではこの国の全てを頂きますね

作者: と。/橘叶和

 エトランジェ王国には現在、王宮に未来の王妃候補が三人滞在している。後宮の更に奥まった所にある【試練の塔】で三年間の教育の末、彼女たちの中から一人が王妃として選ばれる為に日々努力をしていた。


 三年間の教育と競い合いは、この国で歴代続く伝統であり、どんな高位貴族のご令嬢でも他国の王女でも変わらない。つまり、エトランジェ王国の王妃となる為には必ず受けなければならない試練である。


 その試練も後数日で終わろうとしていた頃、教師の一人であったルイス・タンドレスが王妃候補の三人を一つの部屋に呼び、お茶を振る舞った。彼が全員を呼ぶこと自体は、特に珍しいことではない。法務大臣でもあるタンドレス侯爵家の三男で勉学に秀でたルイスは、王妃候補の三人にとってとてもよい教師でお茶会をしながらの講義なども行っていた。


 しかし本日、そんなルイスが言葉を選びつつ三人に告げた話は、彼女たちには受け入れがたい内容のものだった。



「ごめんなさい、ルイス先生。少し、話の刺激が強すぎて……。もう一度、最初から話して頂けるかしら」



 紅茶を一口含み、ゆっくりと息を吐いた後にそう言ったのは、レベッカ・テンペストだった。レベッカは隣国テンペスト帝国の皇女であり、三人の中では最も王妃に近い人とされている。……いや、されていた。


 動揺など微塵も感じさせない洗練された優美さは、場の空気をほんの少し正常なものに戻した。



「ええ、勿論。お二方はよろしいでしょうか」

「はい、お願い致します」

「あたくしからもお願いしますわ」



 後の二人の王妃候補であるサマンサ・シュペール公爵令嬢とトリー・エタンセル侯爵令嬢も、レベッカを見て落ち着きを取り戻し、ルイスに話の続きを促した。続きといっても彼が先程話した内容をもう一度皆で確認するだけだが、それが今現在最も重要なのである。



「まず、ライオネル殿下のご婚約が決まりました。お相手は、ザラ・オワゾー様です。お三方には――」



 そこまで聞いて、レベッカが手でルイスの話を遮った。マナー違反ではあるかもしれないが、仕方がないだろう。レベッカは微笑みを崩さずに口を開いた。



「話の腰を折って申し訳ないのだけど【ザラ・オワゾー様】とは、平民でありながら浄化魔法が使えるという、あのザラ様で間違いないかしら?」



 ザラは浄化魔法が使える、という触れ込みで急遽王宮に招かれた娘だった。平民で魔法が使える者は少なく、しかも特に珍しい浄化魔法使いである。だが、たったそれだけの娘だった筈だ。



「その通りでございます」

「そのザラ様は、わたくしたちのように王妃教育を受けていなかったように思うのですが、どうして彼女が殿下の婚約者に選ばれたのか、お聞きしても?」

「……はい」



 それは、至極当然の問いだった。エトランジェ王国の王妃となる為には、三年間、この【試練の塔】での教育を受けなければならない。それが、エトランジェ王国の伝統であり、王妃となる者の最初の試練と義務である。だからこそ国としては格上であるテンペスト帝国の皇女レベッカでさえも、その伝統を重んじて【試練の塔】に入ったのだ。


 そもそも、ザラ・オワゾーとは平民の娘だ。その時点で本来、王妃候補にすら挙がることはない。平民を差別している訳ではない。平民には平民の自由があり、貴族には貴族の責務がある。その反対も勿論あるが、しかし、生まれた場での生き方というものがある。平民の娘が、いきなりに王族に仲間入りをしたところで、政の一つだって理解できないだろう。


 特別に聡明な娘であれば或いは、となるかもしれない。けれどザラは、浄化魔法が使えること以外は普通のどこにでもいるような平凡な娘のように見えた。浄化魔法は特殊な魔法で、魔法が使える家系の貴族の中でも使える者は確かに少ない。しかし、いるにはいる。


 魔物に汚染された土地や川を浄化できる彼らは貴重だが、たった数名だけ、という訳でもない。エトランジェ王国内だけでも五十人程はいた筈だ。エトランジェ王国よりも規模の大きいテンペスト帝国には、勿論もっと多くの浄化魔法使いがいる。たかが浄化魔法が使える程度のザラが王妃となるだなんて、レベッカにも他の二人にも信じ難いことだった。


 レベッカの問いに委縮してしまったルイスに、サマンサとトリーが話しかける。



「あら、ルイス先生。わたくしたちは誰も貴方を責めたりなんて致しませんわ。ただお聞きしたいだけですの」

「そうですわ、先生。あたくしたちは、ほら、何と言いましょうか。苦楽を共にした仲ではないですか」

「……申し訳ございません」



 二人の励ましで更に頭を下げるルイスに、またレベッカが微笑みかけた。



「謝らないで、ルイス先生。話を続けてくださいな」



 優しげなレベッカの声色に、ルイスは漸く顔を上げた。彼の眉間にはびっしりと皺が刻まれており、その苦悩がよく見て取れる。教え子である彼女らに、常日頃から『感情を読み取らせることは、最も恥ずべき行為です』と伝えていたルイスのその表情はいっそのこと痛ましかった。



「ザラ様が王宮にいらっしゃってから、殿下はよくザラ様を気にかけていらっしゃいました」

「ええ、わたくしたちにも『よくしてあげるように』と仰っていましたわ」

「『彼女は慣れない王宮で苦労しているだろうから』と……。あたくしたちはまだしも、王宮に慣れないどころか国を離れていらっしゃるレベッカ様のいる前で、確かにそう仰っていましたわね」



 サマンサとトリーが当時のことを思い出し、笑みの中に怒りを滲ませる。【試練の塔】は一度入った者は、その試練が終わるまで外界との接触を極力避けなければならなかった。例えば身内の死の間際でさえも、外に出ることは禁じられている。そのような理由であっても、もし出てしまえば、その者はもう王妃となる資格を剝奪されてしまう程に厳しいものだ。


 当たり前のように【試練の塔】へ近づける者も限られており、専属の使用人や教師たちも王妃候補たちよりは随分ましではあるが、三年間の試練が終わるまではあまり外出をしない。教師たちは【試練の塔】では寝泊まりせず、王宮に部屋を与えられるが基本的には塔と王宮を行き来するだけだ。


 そんなある種の聖域でもある【試練の塔】に、ザラはやって来たのだ。それも、この国の王子であるライオネル・エトランジェが連れて来た。皆が思わず眉を顰めていたことも気にせずに、さぞ楽しそうに。



「まあ、わたくしのことはいいのよ。ごめんなさい、先生、続けて?」

「……初めは確かに親愛の情でいらっしゃったようですが、共に過ごされる時間が増えるにつれ、お二人は、その、男女の仲に」

「まあ」

「……はしたない」

「婚約すらまだですのに……」



 言いながら、けれど彼女たちはある程度の覚悟は持っていた。それ程に、ザラを連れて来たライオネルの様子はおかしかったのだ。けれど彼女たちは、『ザラを愛妾にする』と宣言された時の切り返しはいくつか用意していたものの、『ザラを王妃にする』とまでは考えがついていなかった。さすがにあり得ないことすぎて、考える必要性すら見いだせていなかったのが悔やまれる。



「これも初めは期間限定の恋とお二人で取り決めをしていたようでしたが、それが結果として起爆剤となってしまったようで、王と王妃にお二人で直談判をなさいました」

「……」

「……」

「言葉もありませんわ」

「王と王妃も、初めは許さないと仰っていましたが、二人が本気だと熱心に訴えるので絆されたようでして。先日、許可を」



 もう一度、ルイスは首を垂れた。彼にはもう、そうすることしかできなかった。


 ルイスだけでなく、他の教師たちもこの一連の流れを早くから把握していた。初めは若気の至りだろうと皆で笑い飛ばしていたものを、わざわざ王妃候補たちに伝えるべきではないと見て見ぬふりをした。けれど、状況はどんどんとおかしな方向へ行く。


 そこで教師たちはこぞって、王妃候補たちがどんなに素晴らしい成績を修めているか、どんなに努力をしているかを国王夫妻や王子に伝えた。古い伝統に則って、健気に励む彼女たちが蔑ろにされることなどないように、と懸命に訴えた。


 しかし、結果は変わらなかった。教師たちも皆、嫡子ではないものの良家の出身であったから実家に助けを求めようとしたが、【試練の塔】の教師に選ばれた以上は常に監視が付く。監視たちにも協力を求めようとしたが、彼らは彼らで職務を全うする為の魔法がかけられており、失敗は彼らの死を意味していた。協力してくれる者はいなかった。監視たちの内情を知った以上は、責める訳にもいかない。協力を仰いだことを密告しなかっただけ彼らにも良心はあったが、結局は八方塞がりのままだった。


 過去を悔やみながら沈痛な面持ちで頭を下げたままのルイスに、レベッカはいつも通りに話しかけた。その声には、怒りも悲しみも憎しみも感じられなかった。



「ザラ様が、王宮に連れて来られて、約二年半ですわね。わたくしたちが王妃教育の為に集められたのが三年前で、その半年後くらいだったから。……殿下とそういう仲になられたのはいつ?」

「……」

「ルイス先生」

「……二年程、前です」

「王と王妃に直談判とやらをしたのは?」

「一年半前です」

「では、お二人がそれを認めたのは?」

「許可を出したのは先日でしたが、一年前にはもう、明確に反対をしているようには見えませんでした」

「……ふう」



 追及をするつもりはなかったが、結果的にそうなってしまった問答を終え、レベッカはため息を吐いた。彼女が本当に久しぶりに見せた、疲れの表情だった。しかしレベッカはすぐに顔を取り繕い、にこりと微笑んで口を開く。



「【試練の塔】に入る者として、家の者との連絡を絶たれ、家から使用人も連れて来られなかったとはいえ、一つの情報も得ることができなかっただなんて、戻ったら怒られますわね……」



 レベッカに頷きながら、今度はトリーが不満を露わにする。



「そうですね。前情報さえあれば、もう少し、やりようがあったかもしれませんわ」



 トリーの言い分を聞いたサマンサは、口元に手をやりながら笑った。



「悔やまれますわ。お二方との切磋琢磨が楽しすぎて、殿下のことなんて眼中になかったのです、と正直に言ったら叱られるかしら」

「あら、うふふ、そうね」

「そうですわね、楽しかったなあ」



 すっかりいつも通りのお茶会の雰囲気で、三人は紅茶や菓子を楽しみだした。ある種の現実逃避であったかもしれないが、もうどうにもならない状況であることを理解し、ここで騒いでも意味がないと判断しての行動だった。


 そんな彼女らの聡明さに、ルイスは唇を噛んだ。王族の傲慢さに血がぐらぐらと煮え立つくらいの怒りを感じながら、慎重に説明を再開した。



「……お三方は、皆様、ご優秀でいらっしゃいました。当然の如く、瑕疵などございません。この件に関して、王宮の者は、特に後宮に出入りする者は口封じの魔法をかけられており、口外できず……。大変、申し訳なく、存じます」

「いやだわ、ルイス先生」

「顔を上げてくださいな、先生」

「貴方が謝ることなんて、一つもないのですから」



 優秀な教え子たちの健気な励ましにも、ルイスは今度こそ顔を上げられない。辛い思いをしているのは彼女たちであるのに、どうして自身が励まされているのだろうとただただ情けなさを感じた。



「大丈夫ですわ、ルイス先生。わたくしたち、本当に一欠けらも悲しんではいないのですよ?」

「そうですわ、むしろ、選ばれなくて喜んでいるくらいで」

「あの殿下と王と王妃と……ごめんなさい、この国でしょう? 次期王妃となれば、苦労が約束されていますもの」

「ザラ様におかれましては、頑張って、としか」

「ええ、素敵な恋が実ったのですもの。頑張って頂かなければ」



 次第に弾むような声色で話し続ける教え子たちに、ルイスは静かに困惑した。



「……本当に、怒っていらっしゃらないのですか。三年も、塔に閉じ込められていたというのに」

「この三年は本当に学びが多かったですわ」

「先生方のおかげです」

「三人で勉強会をするのも、順位を競うのも楽しかったですわ。本当ですよ、先生」

「皆様……」



 何という人格者たちなのだろうと、ルイスは感激した。ただそれだけに惜しい。おそらくこの国は未来の繁栄を捨てたのだろうとルイスは確信し、しかしそれがこの国が負った罪であると諦めた。


 何となく場がまとまったような雰囲気の中、レベッカはまるで楽しい世間話をするような声で話を続けた。



「でもね、ルイス先生。全く、怒っていない訳ではないの」



 レベッカのその一言で、彼女以外の全員に緊張が走った。レベッカ・テンペストは、テンペスト帝国の皇女殿下だ。両国の結束と友好の為に、彼女はこの【試練の塔】へやってきた。


 今回のこのふざけた顛末が、両国の外交問題だけで済めばまだいい。けれど、開戦だと宣言されてもおかしくない。それをこの国の王族たちは理解しているのだろうか、判断が難しいところだ。


 しかし、レベッカはやはり楽しそうな声色で話を続ける。



「ところで、ルイス先生。先生は、というか、先生方とお二方って……この国に未練があったりします?」

「……それは、どういう」

「まあ、レベッカ様。わたくし、ございませんわ」

「あたくしもございませんわ、レベッカ様」



 ルイスが困惑している間に、サマンサとトリーはレベッカの言葉を正しく理解してはしゃぎだす。満足のいく答えだったようで、レベッカはにっこりと微笑んだ。



「そう? では、是非、我が国にご招待したいわ。きっと楽しくなるから」

「素敵ですわ」

「ええ、是非、連れて行ってくださいませ。両親もきっと喜びますわ」

「ルイス先生はいかがなさいます?」



 レベッカは念を押すようにもう一度、ルイスに問いかけた。ルイスは逡巡した後、やっと彼女の問いの真意を察し頷いた。



「……是非、私もお連れください。他の信頼できる教師たちにも伝えておきます」

「ええ、ありがとう、先生。レベッカ・テンペストの名に誓って、決して後悔はさせませんわ」


―――


 三人の王妃候補が全員王妃に選ばれなかったことが正式に決まり、更には平民であるザラが王妃になることが国内外に発表された。憶測は波紋を呼び、貴族たちはその対応に誰もが大忙しだ。しかし当事者の家などは特に騒ぎ立てもせず、静観を決め込んでいる。その不気味なまでの静けさを、王族たちは『殊勝に王太子とザラの結婚を認めた』と解釈していた。


 王妃候補たちの退去を明日に控え、教師や使用人たちは【試練の塔】を慌ただしく行きかっている。ルイスもその一人で塔の整理や掃除を手伝っていたが、その彼を廊下でレベッカが呼び止めた。



「ルイス先生」

「レベッカ様、どうなさいましたか?」

「貴方はこの期に及んでも、ご自身だけで納得されていろいろと誤魔化してきそうですから、釘を刺しておかないとと思いまして」

「……レベッカ様」

「よろしくて、ルイス先生」



 レベッカは感情の読み取りにくい笑みを浮かべながら、けれど少しばかり強い口調で話しだす。ルイスは内心冷や汗をかきながら、静かに頷いた。



「わたくしは国に戻ってそのまま何の行動も起こさなければ、きっとすぐに次の婚約者候補をあてがわれるでしょう」

「当然のことでございます。レベッカ様は貴い血筋をお持ちの上に、素晴らしくご優秀でいらっしゃる。まともな貴公子であれば放ってはおかれないでしょう」

「……貴方は?」

「私が、いかがいたしました?」

「貴方は、まともな貴公子ではないの?」



 責めるように、レベッカはそう言った。その資格が自身にあると信じていたからだ。


 【試練の塔】にやって来たばかりの頃、レベッカはきちんと自身の立ち位置と振る舞い方を理解していた。レベッカは両国の友好の為にこの国に嫁ぎ、そして王太子を支えこの国で骨を埋める覚悟を持っていた。それが皇女として生まれた自身の役割であると理解していた。おそらく【試練の塔】の慣例で他の二人も呼ばれたのだろうが、王太子の婚約者の座はレベッカでほぼ本決まりだった。


 しかし、蓋を開けてみればどうだろう。ライオネル・エトランジェは口を開けば絵本の中のおままごとのような綺麗ごとしか話さず、知性の欠片も感じられなかった。いや、頭はもしかすると悪くなかったかもしれない。ただ物事の裏を見ること自体を罪のように詰り、表面の美しさだけを愛しているような程度の浅い人間だった。


 それでもレベッカは仕方がないと思っていた。そういうものであるかもしれない、王太子がそんな風であるなら自身がもっと努力せねば、と。だからこそ、王太子がザラを初めて連れて来た時も、寛容な心で、否、もう既に無関心で迎え入れた。そんなレベッカの唯一の支えは、ルイスだった。


 ルイスは初め、ただの教師の一人だった。しかしこんな閉鎖空間で、真っ当な考えを持ち丁寧に根気強く自身を支えてくれる異性に対して、何も思わないでいることはできなかった。レベッカは生まれながらに権力者であったが、同時にまだあどけない娘でもあったのだから。


 当たり前だが、二人は男女の仲ではない。触れず、何も言わず、けれどレベッカはルイスが自身を想っていると確信していた。ルイスは確かに熱を持った目でレベッカを見つめていた。……その筈なのだ。



「……私は、侯爵家の生まれですが三男でございます。皇女殿下のお相手に立候補できる身分ではございません」

「それを、自分だけで納得をしていると言っているのです」

「は……?」

「は、ではありません。こうなった以上は、わたくしは行動を起こします。貴方は、そうね。嫌なのだったら、そのように動いた方がよろしくてよ」

「レベッカ様、それは」

「他のお二人は、もう良いようになったようです」

「なっ、レベッカ様、それはどういう……!?」



 他の二人というのは、サマンサとトリーのことだ。彼女たちにも、教師の中に想い人がいた。皆、この三年間、叶わぬ恋というものに興じていた。


 初めはただ、『あの人がタイプ』だとか『あの先生が格好いい』だとかを言い合っていただけだ。憧れが恋慕に変わるのはひどく早かったが、彼女らは自身の身分と置かれた状況をきちんと理解していたので、それを行動に移すことは最後までなかった。王妃に選ばれなければ、とも考えたがそれは罪で、しかも教師たちは全員嫡子ではない。


 教師に選ばれる者は生まれはいいが嫡子でないという時点で、地位が彼女らに比べて低い。現実的に考えて、王妃候補にまでなった令嬢が結婚できる相手ではなかった。


 しかしサマンサとトリーはこうなった以上は、と想いを伝え、そしてそれが実った。レベッカは皇女として、彼女らの面倒を見るつもりだ。もちろん想い人と共に。



「必然ではなくて? こうなったのなら、もう遠慮はいらないでしょう。皆さん、黙していても想い合っていたのですから。……わたくしも、そうだと思い込んでいたのですが、勘違いだったようですね。恥ずかしい限りですが、先程言った言葉を撤回するのも癪です。わたくしは行動を起こしますが、貴方がそれを拒否し動くのであればそれを止めることは――」



 少しばかり早口になりながら、レベッカは踵を返そうとした。ルイスは真面目で融通が利かないが、けれど、レベッカがここまで言ったのならば喜んでくれると思っていた。喜んで自身の手を取ってくれるのだと、レベッカは信じていたが、もしかするとそうではなかったのかもしれない。全ては自身の勘違いで、ルイスはレベッカのことなど、ただの生徒としか見ていなかったのかもしれない。


 羞恥で目の前が真っ赤に染まりそうなレベッカが、急いでその場を離れようとしたその時、彼女の手を二回りは大きいそれが掴んだ。



「レベッカ様」

「……何かしら、ルイス先生?」



 先日とは逆に、レベッカは俯いたまま声を落としてそう聞いた。涙が滲みそうになったのを悟られる訳にはいかない。権力者として生まれて、皆が望むままに上に立つ者として振る舞ってきたレベッカが、ただの年若い娘のように失恋を嘆くことは許されなかった。



「私は、貴公子ではないかもしれませんが、まともではあります」

「あらそう」

「貴女にそこまで言わせてしまい、不甲斐なく思います。が、私は、まともです」

「……そう」



 ルイスは直接的な言葉を使ってはいないが、おそらくレベッカは失恋をしてはいなかったようだ。レベッカはほんの少し息を吸って、けれど顔は上げないままでルイスの手を握り返した。



「わたくし、まともな方が、いいわ」

「ご期待には、沿えるかと」

「……よかったわ」


―――


 やっと迎えた退去の日、三人は穏やかに談笑しながら馬車に乗り込もうとしていたが、それを止められた。止めたのは、ライオネル王太子殿下だ。常識を考えれば、少しくらい申し訳なさそうにしてもいいと思うのだが、その常識は彼にはない。何故かにこやかに話しかけてきて、三人の談笑に加わろうとするくらいの厚顔さに彼女らはぞっとしたが、それも今日で終わりだと思えば耐えられた。



「皆、巣立ちの時だね。後宮に君たちの笑い声が響かなくなると思うと、少し寂しいよ」

「ええ、ライオネル殿下。わざわざのお見送り、ありがとうございます。とても晴々とした気分ですわ」

「殿下もお元気で」

「ご機嫌よう、殿下」



 表情を変えずに、けれど三人が各々に心の中で口汚くライオネルを罵った。しかし、そんなことも知ろうとしない彼は、やはり朗らかに手を振る。


 やっと解放されるのだと、もう一度馬車に乗り込もうとした彼女らはしかし、またそれを妨害された。



「……待ってください!」



 三人の心は今、一つになっていた。『あーあ』である。本当に『あーあ』だ。


 しかしそんなことも、言っていられない。ここで騒ぎ立てるのは何の利益にもならないのだ。馬車に荷物を載せる作業を手伝っていた教師たちの目が血走りだしているのを視線だけで留めて、三人は完璧な笑顔を浮かべた。



「あら、ザラ様、来てくださったの?」

「こんにちは、ザラ様」

「まあ、そんな息を切らせて、落ち着いてくださいませ」



 晴れやかな場に乱入してきたのは、平凡そうな娘だった。全体的に小柄で愛らしい印象を受けるが、ただそれだけの娘。浄化魔法が使えるだけの王太子の婚約者殿は、はしたなくも息を切らせて高位貴族令嬢の前に立ちふさがった。



「ザラ、どうしたんだい?」

「ライオネル様……! 私、私、謝りたくて!」

「何を?」



 ザラは感情の昂ぶりを抑えることもせずに、わっと泣きながら叫んだ。耳が煩わしいとトリーが口元をひくつかせたが、サマンサがすかさず彼女の手をそっと突いて止めさせた。



「皆様! この度は、大変申し訳ございませんでした!」

「あら、どうしたのザラ様。顔をお上げになって」

「私が、私が! ライオネル様を好きになっちゃったから、だから……! 皆様がお勉強を頑張っていたのに、私、ライオネル様と一緒に各地へ浄化に行って、それで、好きになっちゃって……!」

「ザラ、それは違う。僕も、君を愛してしまったんだ。こんな僕に嫁ぐだなんて、彼女たちを不幸にしてしまうところだったんだよ」

「でも……!」



 何を見せられているのだろう、とレベッカの苛立ちはピークを迎えそうになった。ああ、しかし、こんな茶番でもこの三年間は本以外の娯楽がほぼなかったのだから、少しは楽しいかもしれない。そう思い直そうとしたが、無駄だった。レベッカは皇女だ、目も耳も肥えている。三文芝居など見るに堪えなかった。そして、その三文芝居を信じているライオネルのおめでたい頭脳も、いっそのこと気持ちが悪かった。


 意を決し、レベッカは口を開ける。できる限りの優しげな声と表情を意識したが、彼女には珍しく自信はなかった。



「ザラ様」

「っはい! いくらでも、殴られる覚悟だってあります! 皆様の気の済むまで、どうぞ!」

「ザラ! なんてことを言うんだ!」

「ザラ様、わたくしたちは、貴女を打ったりなんてしませんわ」

「ええ、そうですわ。あたくしたちは、致しませんとも」

「ライオネル殿下と、どうぞお幸せに」

「み、皆様……!」

「……皆、本当にありがとう。君たちのようなできた女性たちならば、きっとすぐに良縁が決まるさ」

「ええ、では、ご機嫌よう、皆様」

「ご機嫌よう」

「お元気で」



 そそくさと馬車に乗り込む三人を、ザラとライオネルは感極まったように見つめる。その視線すらも気色が悪いと、レベッカは出発の準備を急がせた。



「……ライオネル様、私、あの人たちに負けない素晴らしい女性になるわ!」

「ああ、ザラ。なんて素晴らしい志を持つ人だろう。君は既に、彼女たちよりもずっと素敵だよ」

「そんなこと……」

「ザラ、愛している」

「ええ、ライオネル様。私も愛しています」



 彼女らの去った後、残された二人は三文芝居を続けていたが、もうどうでもよいことだと誰も後ろを振り返ることはなかった。


―――


 やっと王宮も王都も遠くになった頃、馬車の中はにわかに盛り上がっていた。



「はーい、では、【試練の塔】及び、王宮とさよなら記念にかんぱーい!」

「「かんぱーい!」」



 テンペスト帝国に用意された馬車は広く、中央にテーブルもあった。お祝いだとシャンパンを開けさせて、女性たちは華やかに姦しく楽しむ。その様子を、ただ一人だけが微妙な顔をして見ていた。



「……」

「あら、ルイス先生。女の園だからと気後れなさらないで、いつものことだったでしょう?」



 初めは女性三人だけで乗る予定だったものの、何かがあった時の為に一人くらいは男性を乗せておいた方がよいと言われたのでルイスがその役を買って出た。護衛に相応しい教師や使用人は他にもいたが、生まれ持っての地位はルイスが一番高い。


 国に戻る皇女の為にテンペスト帝国からは多くの護衛が派遣され、馬車列は物々しいくらいに守られているのだから不測の事態もそうそう起きないだろう。であれば、ルイスでも問題はない、という理由で彼が選ばれた。



「でも、やはり男性が誰もいないのは可哀想かしら。ギャレット先生とハロルド先生もこちらの馬車に呼ぶ?」

「いいですね。十分入れる大きさですし」

「お止めください。さすがにあれらを入れたら、皆様に窮屈な思いをさせてしまいます」

「まあ、そう? では、どうかしましたか?」

「いえ、その、切り替えがお早くていらっしゃるな、と……」



 トリーの無邪気な問いに対してルイスは十分に言葉を選ぶ必要があったが、結局はどうにもならなかった。



「だって既に見切りはつけましたから」

「テンペスト帝国に喧嘩を売っちゃうんですもの、庇いようもないというか」

「結局、王と王妃からも、当の殿下からも謝罪の一つもありませんでしたしね」

「やっと当事者が謝ったかと思ったら、彼女の瞳を見ました、皆さん? あんなに嬉しそうな色を乗せておいて、よくあの台詞が吐けましたこと」

「ある意味で女優でしたわね。一生、主演ができないでしょうけど」

「ねー」

「おかしいったら」



 声高にきゃっきゃとはしゃぐ彼女たちは、年相応に幼く見えた。【試練の塔】では、決して見せなかった姿だ。抑圧から解き放たれたことを素直に喜び、それを分かち合っている。ルイスは少しの驚きと安堵の気持ちで、僅かに目元を緩ませた。



「あら」



 黙っているルイスに対してサマンサが詰め寄るが、その口元は笑ったままだった。



「もしかして、ルイス先生。わたくしたちがただただ悲しんで、ハンカチを濡らした方がいいと思っていますの?」

「まさか、そんなことはございません」

「そうですわよね。『貴女たちは選ばれても選ばれなくても、国の中枢にいる人間です。自身の喜怒哀楽で振り回されてはいけません』ってよく仰っていましたものね?」

「その通りです。……教えが守られているようで、安心致しました」

「ふふ、ええ、先生。わたくしたちは貴方たちの教えをきちんと守りますとも」

「これからもきっと必要になるでしょうから」

「むしろこれからが本番ですものね」



 女性陣が「ねー」と小首を傾げ笑い合うのを、ルイスは微笑ましげに眺めた。やっと、あの意味のない試練とやらから解放されたのだ。少しくらい羽目を外しても構わない。まあ、彼女らが正体を失くすような飲み方をする訳がないが、そうであっても今日くらいはいいだろうとルイスは微笑んだ。


 何せ、これからは本当に忙しくなる。彼女らだけでなく、付いて来た教師陣も、そしてその家族も。もう、覚悟は決めているのだから。


―――


 テンペスト帝国によるエトランジェ王国への侵攻は、一週間も経たずに終了をした。



「やだ、一瞬でしたわね。お可哀想」



 エトランジェ王国の完全降伏を東屋でのお茶会中に報告されたレベッカは、ため息交じりにそう言った。一緒にお茶を楽しんでいた元王妃候補たちと元教師陣たちもその言葉にうんうんと頷く。あんな王族に税を払っていただなんて、本当に可哀想な国民たちだ。早く然るべき統治をしてやらねばと、レベッカは心の底から哀れんだ。



「本当になんにもお考えがなかったのね」



 テンペスト帝国に戻ったレベッカは、父である皇帝にエトランジェ王国の現状を伝えた。連れ帰って来たサマンサやトリー、教師陣に使用人たち、そしての家族たちが証言を裏付けし、皇帝は侵攻を命じたのだ。『愚かな王族から、哀れな民を救わねばならん』と。


 もとより、レベッカの父母は彼女が王妃に選ばれなかったことに対しても激怒していた。エトランジェ王国がどうしても、と言うので送り出したレベッカが選ばれず、更には他の王妃候補ですらない。百歩譲って『他の王妃候補の方が優れていた』であれば、まだ納得はできる。しかし選ばれたのはただの凡庸な浄化魔法が使えるだけの小娘。


 エトランジェ国王からは、『息子は真実の愛を見つけてしまった』などというふざけた内容の手紙と、テンペスト帝国からすれば鼻で笑ってしまえるような小金が送られてきていた。皇女を、大国であるテンペスト帝国の皇女を三年間も拘束しておいて、である。皇帝夫妻とレベッカの兄弟たちの怒りは、既にテンペスト帝国中に広がっていた。


 さすがにやりすぎぬようレベッカは適度に制止をかけたが、あまり意味をなさなかった。何故なら、エトランジェ王国から連れて来た者たちが『容赦は無用、もっとやれ!』とばかりに侵攻を手助けしていたからだ。


 サマンサの父、シュペール公爵はテンペスト帝国と隣接する広大な領地を早々に明け渡し、トリーの父であり宰相であったエタンセル侯爵は自身でしか知りえない王宮の内情を全て報告した。


 教師陣もその親族も高位貴族ばかりで、各々侵攻の手伝いをし、更にはエトランジェ王国内に残してきた親族に内通までさせていた。……自国民にこれだけ嫌われて、よく今まで王権を維持できたものだとレベッカは逆に感心した。ザラが王妃に選ばれていなくとも、近い内にクーデターは行われたのではないかと疑ってしまうくらいだった。



「まあ、あたくしの父が宰相であり、あの国の頭脳でしたので、その父がいなくなった以上は仕方のないことだったのかもしれませんわ」



 トリーの言い分だと、つまりエタンセル侯爵が国を運営していたように聞こえるが、もしかすると本当にそうだったのかもしれない。そこまで考えて、レベッカはうすら寒さを感じた。



「たった一人しか戦略担当がいない国……。なんて恐ろしいのかしら」

「さすがにそういうことではなかったと思うのですが、トリー様のお父様であるエタンセル侯爵があの国を見限ったことが引き金で、他の方にも見放されたのですわ。わたくしの父も『公爵の身分がなければ、もっと早くに見限っていた』と言っておりますもの」



 少しの間をおいて、女性陣は今更ながら『王妃に選ばれなくてよかった』と心の底からそう思った。ここまでくると、ライオネルがザラを選んだのはもう必然だったのかもしれない。ライオネルはエトランジェ王家の終わりを自身で導いたのだ。


 さて、それにしてもまた忙しくなるとレベッカはため息を吐いた。もう少しは持つと思っていたから、エトランジェ王国の統治に関する仕事を少し後回しにして今のお茶会を開いているのに。また暫く皆で集まることが減ってしまう。それを残念に思いながらレベッカが皆を見回すと、茶会に招いた三人の元教師陣が難しい顔をして黙り込んでいる。



「……」

「……」

「……」



 招かれた元教師陣は、ルイス、ギャレット、ハロルドの三名だ。皆、優秀な教師で、それぞれここにいる女性と懇意にしている。エトランジェ王国内では身分差があったが、レベッカが彼女の父を上手く説得し婚約にまで至った。これは、そこまでの手間を要さなかった。レベッカは父が自身に甘いことを知っているのだ。これからのことを考えても、悪い縁談ではないとサマンサとトリーの父を説き伏せる方が大変だったが。



「あら何ですの、皆さん?」

「言いたいことがあるなら、仰ってくださって結構ですのよ」

「今後はこれよりももっと忙しくなるでしょうし、言うなら今ですよ」



 レベッカ、サマンサ、トリーが各々そう言いたてると、男性たちもようやく口を開いた。



「やはり処分が軽すぎませんか」

「このままでは奴らに十分な反省をさせることはできません」

「もっと苦しみが長引くような筋書きはすぐにでもご用意できますが」



 『あー』とトリーが声に出さず口を開けるので、サマンサは彼女の手の甲を優しく抓んだ。レベッカはもう、元教師たちに呆れるしかない。



「まだそれを言っているの?」



 彼らが言っているのは、エトランジェ王家の処遇のことだ。まず処刑をしないというところで反発があった。血を絶やさせる必要があるのだから、国王夫妻と王太子、そしてエトランジェ王国を混乱に陥れた原因を作ったザラは拷問の後に晒し首にすべきだという声が多く上がっていた。レベッカがエトランジェ王国から連れ帰った者たちの声だ。


 けれど、テンペスト帝国は勝敗が決した後の敗戦国の者に対して、寛容であるべきだという思想がある。特に今回はエトランジェ王国から受けた損害は、レベッカの三年間と屈辱、だけなのだ。それは確かに開戦をする程のものではあったが、拷問の後に晒し首までいくと人道に反するとして皇帝が首を縦に振らなかった。


 ちなみにこれは、開戦初日に決められた内容だ。この時既に、皇帝はエトランジェ王国が全面降伏することを確信していた。もし、徹底抵抗などがあればその時はまた考えると言ったくらいで、一週間も経たずしての終戦となれば皇帝の決定は覆らないだろう。



「当たり前ですとも、腹立たしい!」

「皆様の努力を踏みにじり、更に国としての思惑すらなく。いや、あったところで思惑ごと潰しましたが」

「ついでに言えば、あのお花畑な頭の中も苛立ちが抑えられません」

「……あの、皆さん、落ち着いて?」



 しかし、何も罰を与えないという訳ではない。エトランジェ王家とザラは、辺境の島へ流されることが決まっていた。つまり、流刑だ。その島はモンスターが大量に出没するので穢れも多く、真っ当な人間が住むには適さない。まあ、定期的に管理者がモンスターの駆除と浄化も行い、食べ物も配るので死にはしないだろう。


 少ないが、島民もいる。同じく犯罪者ばかりだが、島に入る前に暴力行為を禁じる魔法をかけられる。人を殴ろうとしたり魔法で攻撃しようとしたりしても、その瞬間に力が抜け何もできなくなる呪いだ。島民同士で衝突があったとしても、嫌がらせや怒鳴り合いくらいである。やはり死にはしない。ただ、これまで王家として人に仕えられる生活を送っていた人々が耐えられるかまでは知ったことではなかった。


 ちなみに、その流刑地では生殖機能は奪われる。そこで子を残されてはまず子が可哀想であるし、その地での繫栄を許すことはできないからだ。あくまでも、流刑地は終わりの地。そこに今から送ると言っているのだし、流刑地から抜け出てくることなど誰であっても不可能なのだから、そんなに怒らないでほしいとレベッカはため息を吐いた。


―――


 終戦から数か月後、レベッカはまたエトランジェ王国にやって来ていた。ああいや、元エトランジェ王国だ。既にエトランジェ王国という名の国は滅んでいる。


 そして、プティテンペスト大公国という国が新しく生まれたのだ。



「という訳で、わたくしが女大公となった訳ですが、仕事が多くて困りますね」



 エトランジェ王家と王族派の貴族にはご退場いただき、テンペスト帝国の公認を受け、属国という形でプティテンペスト大公国が生まれた。そしてその初代大公として、レベッカが任命されたのだ。


 旧エトランジェ城であり、現在のプティテンペスト城の大公の為の部屋でレベッカは書類に囲まれながら、婚約者ルイスと共に仕事を処理していた。



「ええ、誇らしい限りです」

「それは教師として?」

「……婚約者として、と申し上げても?」

「構いませんわ。わたくしも、貴方という婚約者がいたからこそ頑張れたのですから」



 終戦からの数ヶ月、レベッカはもちろんルイスや元王妃候補、元教師陣を含めた多くの者たちは多忙を極めた。彼らはレベッカの大公就任と共にプティテンペスト大公国へ移り、彼女の手伝いをしてくれている。特に彼らの親族は旧エトランジェ王国の内情をよく知っていたので、レベッカは大変助かった。


 けれど、終戦処理は当然の上に、国を新しくすることは想像よりもはるかに多くのことをせねばならず、皆疲弊していた。そのトップであるレベッカの疲労は言わずもがなだろう。


 そのレベッカを仕事の上でも精神的にも支えているのはルイスだ。レベッカは日々、そのことを実感している。そして自分の見る目は正しかったとも確信していた。父であるテンペスト皇帝に少しごねられたが、推し通して婚約をしておいて本当によかった。



「では、レベッカ様、我々の結婚についてですが」



 ただ一つ、困ったことがあるとすれば、これだろうか。



「……貴方ね」



 レベッカは、書類にサインする手を止めてルイスに向き合った。ルイスはレベッカが大公となってから、ずっとこれを言い続けている。



「いかがされましたか?」

「いかがされましたか、ではないでしょう。エトランジェ王国をプティテンペスト大公国とする諸々の手続きがやっと終わったばかりなんですよ? 様々な問題点がまだ多く残っています。内政も外交もまだまだやることは山積みだというのに、結婚だなんてまだできないでしょう」

「そうでしょうか、私はそうは思いません」

「……どうして?」



 レベッカとて、別に結婚したくない訳ではない。ルイスが婚約者としてではなく、大公の配偶者となれば任せられる仕事も増える。それに何より、結婚すれば同じ部屋での生活が公認されるのだ。今よりももっとルイスと共にいる時間が増えるのは、単純にレベッカにとってもいいことではある。


 解決策があるなら言ってみろと、レベッカは続きを促した。



「私との結婚により、貴女の地盤を固める効果が期待できるからです。旧エトランジェ王国の国民だった者たちの中には、いきなりに頂点だった血筋が入れ替わって混乱している者も少なからずおります。王族の不始末を大々的に公表しておりますが、ずっとあった平穏を崩されたと考える者も多いでしょう。兵を派遣していた家などは顕著です。仕方がなかったこととはいえ、無傷で帰れなかった者も多かったでしょうから、心中は容易に察することができます」

「それで?」

「テンペスト帝国からお借りしている貴族や兵たちと、旧エトランジェ王国の国民だった者たちとの折り合いも悪い。しかし、レベッカ様が私との結婚を早めることにより、お祝いムードの方が勝つ、と私は考えております。また、使い古された手法ではありますが、戦勝国の者と戦敗国の者の結婚によって和平を強く結んだのだと印象付けることもできます」

「安直ではないかしら」



 そんなに簡単に物事が進むのだろうかと、レベッカは懐疑の目をルイスに向けた。しかしルイスはそれをものともせず、少し芝居がかった身振り手振りを加えて話を続ける。



「まさか、旧エトランジェ王国はお祭り好きの人間が多い。そもそも悲嘆にくれるようなことは好まないのです。そのような国民性だったからこそ、葬儀であっても他国のように粛々と行うことはせず、親族が花を撒いて街を練り歩くのですから」

「……そうね、そう貴方に習いました。それで?」

「それで、とは?」

「何だか、わたくしにはそれ以外に貴方が急いでいる理由があるのではないかしら? と、思うのだけれど、どうかしら?」



 呆れながら、けれど少し警戒もしながらレベッカはルイスにそう質問した。ルイスが政治的に何か別の思惑があって結婚を早めたいと言っているのなら、レベッカは本来それを言われる前に気付くべきなのだ。けれど、やはりルイスが頑なに結婚を早める理由に見当がつかない。レベッカは、じっとルイスの返答を待った。



「……そうですね、本音を申し上げますと」

「ええ」

「一刻も早く貴女と同じ指輪を着けて、周りの人間に牽制をしたい……!」



 ルイスは唇を噛みながら、悔しそうにそう言った。



「……わあぁ」



 緊張をした自分が馬鹿だったと、レベッカは視線を落とした。そう、ルイスは結構こういうところがある。教師時代も物静かでしゃんとしたイメージの人だと思っていたら、たまに突拍子もないことを言ってレベッカたちを笑わせてくれたものだ。しかもそれが冗談ではなく本気らしいので、少し困る。



「わあ、ではありません! レベッカ様に色目を使う輩が多すぎる! ……許されない行為です」

「『許せない』ではなくて、『許されない』なんですか?」

「そうです。私が許さないのは当然のことながら、レベッカ様に対して邪な目を向ける者は全て神々の怒りに触れるがいい……」

「どうして神々の怒りだなんて壮大な話になるのです……」

「レベッカ様は神々が遣わされた一際に輝く星の子でいらっしゃるのですから、そのような方に横恋慕しようものなら、それ相応の天罰が下るのは必然でございます」

「……貴方って、教師であった時と今、少し、いえ、随分性格が違いませんか?」



 教師であった時もルイスは少しおかしな人だったが、正式にレベッカの婚約者となった今、おかしさのベクトルが違ってきているように思う。少なくとも教師時代にはここまで感情を露わにすることはなかったし、レベッカのことをこんな風に表現はしなかった。



「これが私の本性でございます。……このような私はお嫌いでしょうか?」

「……」

「レベッカ様」



 ルイスはレベッカの前で跪き、彼女の手をとった。三年近く憧れていた人にそんなことをされては、恋愛経験のそうないレベッカでは太刀打ちなどできなかった。



「……いいえ、嫌いではありません」

「では、好ましいと思ってくださっていますか?」

「ええ」

「レベッカ様、旧エトランジェ王国では、直接的な言葉を使うことが好まれました」

「ここはもう、プティテンペスト大公国です。わたくしの国だわ」

「その通りでございます。大公閣下に敬愛を、そして貴女を一番に守り支える私めに、どうか寛大なる御心で慈悲を頂きたく」



 ルイスは、もしかするとレベッカのことを傀儡にしようとしているのかもしれない。レベッカはほん少しだけ、そのことを心配していた。何せこれまで、レベッカはルイスの要求をなんだかんだと全て呑んでいるような気がする。


 けれど、それにしてはルイスの瞳があまりにも雄弁にレベッカへの愛を語っているようで、疑うことすら馬鹿馬鹿しくなってくるのだ。レベッカは苦笑する他なかった。



「……わたくしを、『大公閣下』と呼ぶことを禁じます」

「畏まりました、貴女様の仰せのままに」

「それから、あの、愛しています、貴方のことを……」

「……ありがとうございます、レベッカ様。私の忠誠と愛を、永遠に捧げると誓います」

「……はい」



 ルイスはゆっくりと立ち上がると、レベッカの手を引いて彼女のことも立ち上がらせた。そのままそっと抱き寄せられて、レベッカはルイスの腕の中に納まる。


 【試練の塔】では、決してできなかったことだ。あのすでに壊された忌々しい塔を出るその時まで、二人は手を少し触れることくらいしか叶わなかった。しかし、もうそんな制限はない。二人は正真正銘、婚約者同士であり、近々結婚するのだから。



「時に、レベッカ様」

「はい……?」

「最近、私は全くと言っていい程に名前を呼ばれていないのですが、それについてはどういうお考えでしょうか?」

「……貴方、やっぱり教師をしていた時といろいろ違うわ」

「ええ、慣れてください。ああ、結婚についての準備は私の方で進めさせて頂きますので、レベッカ様は公務に専念してくださって結構ですからね」



 レベッカは一応、まだ結婚を進める許可を出してはいないのだけれど、もうルイスの中では進行することが決まっているようだった。レベッカはやっぱり苦笑しながらルイスの背中に手を回した。



「働きすぎて、倒れないようにね」

「心配には及びません。レベッカ様が私の名を呼んでさえくだされば、どのような難題であっても必ず解決に導きましょう」

「……お願いしますね、ルイス先生」

「……先生、は、いりませんね」



 今度はルイスが苦笑をする番だ。



「ふふ、そうね、ルイス。これからもっともっと忙しくなるでしょうけど、わたくしの為にたくさん働いてくださいね」

「ええ、お任せください」



 微笑み合いながらそっと交わされた口付けは、もう結婚式の誓いのそれのようだった。

読んで頂き、ありがとうございました。


ざまあからの恋愛が書きたかったんですが、恋愛要素をもう少し出したかったのに。こればかりはたくさん書いて慣れるしかないのでしょうか。一人称で書いた方がやっぱり内情を個人的に書きやすい気がするので、次に書く時は一人称で書くかもしれません。精進します。


ちょっとしたスランプで、書いても書いても『これ面白くないかも』『上手く書けない』などあり更には書いている途中で飽きがきて作品を上げるのも久しぶりでした。ネタはあるので、地道に書いていければなと思っております。


大変恐縮ですが、よろしければブックマーク・評価などして頂けるととても嬉しく思います。誤字脱字報告、いつも助かっております、ありがとうございます。今度もよろしくお願い致します。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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