廊下にて
「うぅん…」
とうとう買ってしまった…『山海図経』を。案の定というかなんというか…月英さんや兵たちにはあの店は見えなかったらしく、元放という人物は、とりわけ力の強い方士であろうという見方が強かった。
家に帰る前に政庁に寄って孔明から話を聞こうと思ったけど、なにやら来客対応中らしい…。季節は夏に向けて進んでいるため、いくら河の近くとはいえ蒸し暑い…。だからこそこうして政庁の廊下を歩いてる。石造りでひんやりしていて涼しいんだよねぇ…。
「ん?」
廊下の先から声が聞こえる…。たしかこの先は、父上が誰かと合うための部屋だったかなぁ…。っと!見つかると厄介だから隠れないと!
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「しかし…孝直。劉皇叔はどう感じた?」
「それは、ここで話すべきことではないだろう。ただ、良い方であると思う。それよりも先ずは、益州へと戻り、この話を子喬に伝えたいが…」
「せっかくの誘いを断るわけには参らぬからな」
「せめて文でも出せれば違うのだが、証拠が残ると我々の計画も水の泡となるからな」
「ここは皇叔の歓待を受ける他ないか」
「そうだな。それに、湯浴みができるというのは助かる」
「確かに!」
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今隠れているのは、廊下の横にある小部屋。元来少数の兵たちが詰める場所であるのだが、今は警備に出ているらしく空室だった。それでいいのか?とも思うが、人数が少ないんだから仕方ない!って…それよりも…。
「今の二人は一体…。孝直って人はわかったけど、もう一人は?あと、子喬って誰だ?うぅん…」
「あぁ!こんなところに!」
「あえぇ!って!蛍か」
「なに?その驚き方。なんか釈然としない」
「ごめんごめん。でも、なんでこんなところに?」
「軍議が終わるまでは、母上から織物を習っていたんだけど…」
「大方、退屈してて、蛍の母上が何かで部屋を離れたあと、軍議が終わって、たまたま廊下を通った子龍を捕まえて、手ほどきを受けてたってとこ?それで、抜け出したことを怒られるからこの辺をウロウロしていた…と?」
「…うん」
「はぁ…。一緒に行こうか。謝りに」
「うん…ありがと」
蛍はなぁ…。大胆なんだけど、ちょっと頭が足りないから、こうなっちゃうんだよ。全く世話が焼けるなぁ…。
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「まぁ!阿斗様!ご機嫌麗しゅうございます!」
「こんにちは!」
「生憎と、ウチの娘はどこかに行ってしまったようでして…。まぁ凡そ織物をするのが嫌で、お部屋を抜け出して、趙将軍に剣の稽古が何かをつけてもらっているのだと思うのですが…。私がちょっと目を離した隙に抜け出すのですから…」
「どうして目を離したの?」
「そうそう!丁度休憩にと、お茶とお菓子を持ってこようと思って。昨日、旦那様が買ってきてくれたのですよ!私と娘が好きだからって…。旦那様は大酒飲みでしょう?甘いものはからっきしなのに、私と娘が好きだからって買ってきてくださるの!あのお髭に立派な体格でお店を覗いていたと思うと、もう愛おしくて愛おしくて!…はっ!阿斗様の前でなんてお話を…」
「大丈夫!相変わらず仲いいんだなぁって!そうかぁ…お菓子かぁ…だってよ!」
「お菓子…。ごめんなさい母上。勝手に部屋を抜け出して…」
「あらあらまあまあ!阿斗様が連れてきてくださったのですね!」
「…偶々、廊下で出会ってね。部屋に戻りにくそうだったから、一緒についてきたんだ」
「そうだったのですね!ありがとうございます。そうですわ!阿斗様もご一緒いたしませんか?旦那様が買ってきてくださったお菓子が少々多いもので、食べて行ってくださると助かるのですが…」
「阿斗…一緒に食べよ?」
「様をつけなければなりませんよ?メッ!ですよ!」
「大丈夫!気にしてないから。せっかくだし、ご相伴に預かろうかな!」
廊下での盗み聞きの件は、あとでいっか。それよりも益徳殿がこんなに美味しいお菓子を買ってくるなんて…。なんだかギャップを感じるなぁ…。
次は、父上サイドに