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74話:バレた


 翌日以降もweb小説『年下の幼馴染が私を好きすぎてスウェット姿でビールを買いに行けない』の更新速度は止まらなかった。

 容姿端麗、文武両道、才色兼備、大手IT企業で辣腕を振るう二十代のOL『木村愛衣』と、九歳年下の幼馴染の少年『高津リオ』の関係は終盤に来て目まぐるしく変化してゆく。

 完璧超人である『愛衣』に無邪気に憧れていた『リオ』。

 そんな『リオ』の愛らしさをひたすら溺愛していた『愛衣』。

 しかし、『リオ』の引越しで二人は疎遠になってしまい、『愛衣』は寂しさを埋める為に勉強と部活に励んだ結果、よりその隙の無さと鉄面皮に磨きをかけてしまい、就職してからは私生活さえ投げ捨ててしまった。

 こうして外では完璧鉄面皮美女、家では超絶ズボラ干物女『木村愛衣』は完成したのだ。

 それなのに『リオ』と再会し、ひょんな事から共同生活を送る事になってしまって、『愛衣』の生活は一変する。彼女は『リオ』の憧れである『完璧な木村愛衣』を壊さないように生活でも完璧を演じるのだ。

 しかし、『リオ』はそんな『愛衣』の二面性を知っていた。『愛衣』のズボラさもそうなってしまった理由も理解していたのだ。『リオ』は自分の中にある『完璧な木村愛衣』のイメージを壊さないように必死になる『愛衣』が愛しくて、『無邪気に愛衣に憧れる幼馴染の少年』を演じながら彼女の努力を支えようとする。

 そんな二人のやりとりが面白くておかしくて。実に尊い。

 でも、物語が閉じる話となれば尊さを感じるシチュエーションにも影が落ちる。


「……『リオ』の本性が『愛衣』にバレてしまったのか」


 それが今日更新された最新話の展開だった。

 今までの頑張りが無駄だと分かってしまった『愛衣』。彼女を騙してしまう形になってしまった『リオ』。『リオ』は『愛衣』に嫌われても仕方が無いと観念し、彼女への仄かな恋心を告げる。

 小さい時はただただ憧れるだけだったが、今は違う。歳の差なんて関係無い。服も下着も脱いだら床に放り出すのがデフォルトで、洗濯機のランドリーネットの使い方も知らなくて、冷蔵庫にはビールとツマミしか入っていなくて、掃除機はそもそも無くて、リッチなシステムキッチンの上にはマンガだの何だのが積み上がっていて、下着は上下の色が揃う事も稀で、ルームウェアは『他人の金で食う焼肉は美味い』とか訳の分からない言葉が書かれているクソダサTシャツで、休みの日は一日寝癖を放置する──そんなどうしようもない要介護なところもひっくるめて、『愛衣』を愛していると!


「一世一代の告白だな……俺には縁の無いものだ……」


 ダメなところすら全肯定する凄まじい告白を、しかし、『愛衣』は受けない。『リオ』の言葉を信じたいのに信じられないのだ。なにせ『愛衣』のプライベートは駄目という概念が服を着て歩いているような存在である。そんな自分を今まで何度寝起きや風呂場で襲ったか分からない『リオ』が好きであるはずがないと考えるのだ。


「『木村愛衣』……理性的なのか本能的なのか分からん人だ……」


 二人は悲しい口論を始める。必死に想いを打ち明ける『リオ』と、如何に自分が我慢弱く落ち着きの無い人間であるかと訴える『愛衣』。しかし、リオはそのすべてを受け入れて食い下がる。


「なんて漢なんだ、『リオ』……この度量は見習わなければならないな……」


 二人の口論は『愛衣』が折れる事で決着を見た。

 彼女は『リオ』の想いに──応えなかった。


「何故だ……!?」


 俺は『リオ』と共に驚愕に震える。『愛衣』は言葉を言い直す。『リオ』の思いは、今は受け取れない。彼女は時間が欲しいと続ける。自分が『リオ』に何を与えてあげられるか分からない。それを探すまで時間が欲しいという。


「与えられるだけではない……自らも与える存在になりたいのか……」


 尊い。実に尊い。俺は胸に漂う尊さを味わうべく眼を閉じようとして。

 そこから先の『愛衣』と『リオ』のやりとりが引っ掛かった。


『私、しばらくホテルに籠もる』

『……どうして?』

『リオと会わないわ』

『だ、だからどうして?』

『練習、したいから』

『……え。何の?』

『あなたと上手くする練習。じゃあ、そういう事だから』


 上手くするってなんだ?

 文脈的にも理解に苦しむやりとりだったが、この二人の会話は覚えがある。


「……彩姉が部屋に籠もった時……」


 こんな言葉を交わしたはずだ。作者は彩姉なのだからそういう事も──。


「いや……『リオ』が列挙した『愛衣』の欠点は……」


 俺は慎重に記憶を手繰り寄せた。

 彩姉の部屋に入った時、床に服だの下着だのが脱ぎ散らかされているのを見た。

 洗濯機のランドリーネットの使い方を知らなかった。

 引越しを手伝った時、彩姉の部屋の冷蔵庫にはビールとツマミしか入っていなかった。

 引越し前の彩姉の部屋には掃除機が無かった。二口ある立派なガスコンロの上には雑誌だの何だのが山積みされていた。

 時々、『もう無理』とか『倍返しだ!』とか訳の分からない文字がプリントされたTシャツを着ていた。

 上下違う色の下着は知らないし、寝癖も時々寝惚けている時にそのままになっているのを見かけるが、それくらいだ。

『木村愛衣』の行動や言動は、すべて彩姉そのものと断言できる。


「……『愛衣』は、彩姉自身がモデル……なのか?」


 キャラクターとしての造詣にも面影はある。長い黒髪と長身と巨乳な辺りはそのままだ。

 彩姉と再会してから、どことなく『愛衣』に見覚えを覚え始めたのだが、まさか。まさかまさか……!

 しかし、そうなると──。


「……『リオ』のモデルは……俺?」


 途中から『リオ』が料理の腕をメキメキと上げて、仕事を終えて疲れて帰宅する『愛衣』を癒す展開となった。『愛衣』の味の好みを理解して甲斐甲斐しく彼女の好物を作る『リオ』は実に微笑ましく、俺も見習って彩姉の好物を作ったものだ。



「まさか……『年下スウェット』は……」



 彩姉と──俺の物語なのか?



「『愛衣』は『リオ』を襲うほど好き……だから……」



 彩姉も、俺を?



「……いや、そんな都合のいい話が……」



 そんな否定の言葉は、しかし、舌の上で止まる。これまで熟読を重ねてきた『年下スウェット』の記憶が許してくれない。特に俺と彩姉が半共同生活を送るようになってからの『年下スウェット』の内容は──!


「……『愛衣』は『リオ』のベッドで眠っていた……俺のベッドからは彩姉の匂いがした……」


 俺の部屋が彩姉の私物にひっそりと侵略されていったところもそうだ。『リオ』の部屋に『愛衣』が私物を持ち込んで、自分にとって居心地のいい空間にしようとしていた。

 他にも上げればキリが無い。

 彩姉は俺との半共同生活を元ネタに『年下スウェット』を執筆していた。連載開始当事は違っていただろうが、でも内容から察するに──。


「……これは……さすがに、恥ずかしいぞ……」


 まさか自分への好意に溢れた小説を熱心に読んでいたなんて。

 顔から火が出そうになるとはまさにこの事だ。

 だってインターネットで世界配信されてしまっているのだ。

 誰もこのweb小説に元ネタがあって、割とノンフィクションに近いフィクションだとは知らないだろう。

 知っているのは極々一部だ。恥ずかしがったところで誰かに後ろ指を差されて冷やかされる訳じゃない。

 しかし、冷静にそう思えば思うほど羞恥心が猟奇殺人の被害者みたいにズタズタにされてゆく。


「彩姉……」


 顔を手で覆って天井を仰ぐ。

 でも、恨み言の一つも出てこない。

 なんて恥ずかしい事をしてくれるのだ、なんて罵倒の類も浮かばない。

 ただ──嬉しかった。



 ◇ ◇ ◇



「後……後、多分二話くらい……!」


 彩音はバターになりそうな頭でマウスを操作して原稿を保存する。文書量的には残り一万文字前後だろうか。

 正直、指が痛い。このままではマジで腱鞘炎になりそうだ。速筆なラノベ作家やweb小説作家はどんな指をしているのだろう。


「はぁ……シャワー浴びてビール飲んで寝よ……」


 律に会わない宣言をしてから、朝起きてビール飲んで原稿書いてツマミ食べてシャワー浴びてビール飲んで寝る、という不健康の申し子みたいな生活を送っている。すっかり律との半共同生活を始める前に戻ってしまった。落ち着いた後に体重計に乗るのが死ぬほど恐ろしい。


「でも飲まないとやってらんないわ……」


 欠伸を噛み殺しながら立ち上がる。肩と背中がミシミシと軋んだ。

 せめてストレッチして寝るかーと考えていると、ノートPCが電子音を鳴らした。


「……メール?」


 使っているフリーメールで新規メールを受信した。どうせカードの決済メールだろうと無視しようかと思ったものの、大人しくPCの前に戻ってマウスに手を乗せる。

 一昨日通販でビールをダース単位で買っているせいで、今月のカード使用状況が気になっていたのだ。受け取る時、引き篭もり以来チェーンロックを解除した。


「まぁ貯金には余裕があるし、まだまだ大丈夫のはず……」


 カチカチとマウスを操作して受信したメールを確認する。

 送信者は──。


「楓ちゃん?」


 楓とラインを交換した時、何かあった時の為にとスマホのメールアドレスも交換していたのだ。フリーメールにスマホのアドレスを同期させていたので受信したようだ。

 何かあったのか、と警戒しつつメールを開封すると。


『ライン飛ばしても既読がつかなかったのでこっちにしました。お互いに頑張りましょう』


 なんてシンプルな文面だろう。


「……スポーツマンシップに溢れる子ね、ホントに」


 苦笑が込み上げてくる。こんなどうしようもない二十五歳のヘタレ女なんて無視すればいいのに。

 彩音は指の痛みを無視して短文を書く。


『負けない』


 もう少しで『年下スウェット』は終わる。

 告白シミュレーションの進捗も順調。

 自分の覚悟レベルは──。


「わ、分かんない……!」


 逃げるように送信をクリックした彩音は、そそくさと風呂場へ急いだ。



 ◇ ◇ ◇



 その週の金曜日。学校から帰宅して肉じゃがを作っていたら、ポケットに入れていたスマホが鳴った。


「楓からか」


 彼女からのラインの通知だった。内容は日曜日に行われる競泳大会の開催場所と開始時刻である。

 楓とはあの日以来言葉を交わしていない。学校では顔を合わせるが、それだけだ。挨拶も何もしないし、お互いに避けるようにしている。その結果、クラスメイトにはあらぬ噂を立てられてしまった。曰く喧嘩しただの別れただの。俺は別に構わなかったが、楓の事を考えると無責任な話を流すのはやめてもらいたい。


「しかし簡素な文面だ」


 ちょっと距離を覚えてしまう。

 でも、こうして連絡をしてくれる事に喜びを感じる。

 俺と話さない事が、これからの自分に必要だと彼女は言っていた。大会ではその成果が見られるかもしれない。新記録を打ち立てて欲しいが、楓にはとにかく元気に楽しく泳いで欲しかった。

 それに、終わった後に話があると言っていたのも気になる。


「弁当ならまたいくらでも作るさ」


 了解、と打って返信してスマホをポケットに戻そうとするが、手が止まる。


(……楓は彩姉には連絡したのか?)


 今の彩姉はスマホを断っている。徹底して集中力を高めて『年下スウェット』に向き合っていて、最終回に大手をかけている──ようだ。


(読めていない……読めない……)


 あのweb小説の秘密を知ってしまってから、続きが読みたくても読めなくなってしまったのだ。

 恥ずかしい。

 でも気になる。

 あの二人が──彩姉の気持ちを代弁しているような『愛衣』が、『リオ』の想いにどう向き合うのか。


(怖くもある)


 もしも『リオ』の告白に背を向けてしまったら。

 そしたら、俺の気持ちにもそうしてしまうのではないかと。


(彩姉の気持ちが分かった途端にそんな事を考えるとは……浅ましい)


 今まではずっと蓋をしていた。見ないフリもしていた。

 俺なんかに好意を向けられても彩姉は困るだけだと思っていた。

 まぁ、時々漏れてしまったが。幸いにも彩姉には届いている気配は無かった。


(つまるところ、『愛衣』と『リオ』のように両片思いのような状態だった、という訳か)


 あっちは『リオ』が大人びていた分、現実の俺達とは違うけれど。

 でも、似ていると思う。


「……とにかく、彩姉に教えないと」


 スマホを封印している以上、直接伝えるしかない。会わないと宣言されているが、一種の緊急事態である。

 そんな風に自分に言い訳をしながら肉じゃがを完成させると、俺は部屋を出て数歩隣の彩姉の部屋の呼び鈴を鳴らした。


「…………」


 反応が無い。もう一度鳴らす。


「…………」


 やはり反応が無い。さらにもう一度鳴らすが駄目だ。

 留守にしているのか、と思ったが、風呂場の窓からはぼんやりと明かりが見える。


「…………」


 四度目。


「…………」


 嫌な予感がした。なにせ『年下スウェット』の更新速度は尋常ではない。一日に一万文字前後のボリュームの話を投稿し続けている。しかも誤字らしい誤字も無く、しっかりと推敲もされていた。恐るべき集中力による強行軍だ。読者の中には彩姉の体調を気遣う人も少なくない。

 肉体的にも精神的にも相当な負担がかかっているに決まっている。


「…………」


 踵を返して部屋に戻って彩姉の部屋の鍵を引っ掴む。


「チェーンロックはかけていないでくれ」


 そう祈りながら部屋の前へ向かい、扉の鍵を開けてドアノブを捻って慎重に扉を開けた。

 チェーンロックはかかっていなかった。薄暗い玄関でサンダルを脱ぎ、廊下を横断してリビングに踏み込む。


「彩姉!」


 彼女は空き缶だらけの床に突っ伏していた。



お読みいただきありがとうございます。何事も無ければ次で最終回です。長くなりそうなので場合によっては分割しますが、今日更新するかもしれません。

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[一言] 次で最終話なのか、何か淋しいな。
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