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58話:フィットネスクラブへ行こう3


 その後、俺達は軽い準備運動をする事になったのだが──。


「ちょっと律。あんた身体硬過ぎじゃない? 昔はもうちょっと柔らかかったでしょ?」


 屈伸運動で指先が膝下辺りまでしか届かなかった事を、彩姉に絶句されてしまった。


「六年も昔の事だ。男子、三日会わざれば刮目して見よと言うだろう?」

「それ意味全然違う!」


 駄目だ、誤魔化せなかった。さすが小説を書いているだけの事はある。

 横で同じように屈伸運動をしていた秋山が──こちらは掌を地面にべたりとつけられるほど柔軟だ──苦笑した。


「体育の時もいじられてるもんね、あんた」

「屈伸で指先が足の甲につかなかったからと言って死ぬ訳じゃない」

「子供みたいな屁理屈言わない」

「俺も君も社会的にはまだ子供だぞ」

「はいはい減らず口言わないのー。はい息吸ってー吐いてー」

「ぐぅ!? ぐぬぬぬぬぬぬぅ~~~!」


 秋山が背中を擦るように押してくる。太ももと膝の裏がピーンと張って、筋が伸びているムズ痒い感覚に襲われた。痛気持ちいいというヤツだった。


「彩音さん、ご自宅で自重トレーニングやストレッチをしてるそうですけど、ストレッチの時だけでいいので高浪も誘っていただけませんか? これ、歳取ると身体がもっと硬くなるヤツだと思うので」

「……それって、身体をくっつけてやっていいヤツ?」

「一気に邪な気配がした。あれですよ? 長座の体勢から屈伸する時、身体をくっつけて押す必要なんて一ピクトもありませんからね? いいですね? こうやって手で優しく押してあげるだけでいいですからね? 分かりましたか?」

「ごめんなさいちょっとでもそういう想像した私がダメオブダメ女でした許してください」

「何もそこまで言ってません! あぁもう、どうして彩音さんも高浪もこう極端なの~!」

「秋山! も、もう大丈夫だ! 足がヤバい!」

「あぁ、ごめん!」


 そんなこんなで準備運動を終わったところで、秋山は改めて彩姉と俺に頭を下げた。


「彩音さん、高浪。今日はよろしくお願いします」

「まぁ、今の私にできる事はやらせてもらうわ。でも、あんまり期待はしないでね?」

「俺なんてただの付き人だ」


 彩姉が秋山の泳ぎを見る条件として、俺に同伴を求めた。だから来た訳だが、今こうしていても俺がいる意味が見出せない。運動部でもなければ、準備運動ですら苦労している俺は凄まじく場違いだ。

 中学の頃、俺が秋山に告げた言葉が彼女をスランプから救う手助けになった──らしいが、その自覚も無いし、仮にあったとしても、やはりここにいる意味が無いと思う。


「雑用ならいくらでもやるが、それもここでは──」

「はいはい。律はそういう事しなくていいから」

「それでは俺は一体何をすればいい?」

「その辺りのベンチで座って、楓ちゃんをガン見してて」


 まるで意味が分からなかった。

 だが、彩姉に冗談を言っている気配は無い。秋山が俺と同じように戸惑っていても素知らぬ顔だ。


「それで秋山の調子が戻るのならそうするが、それに何の意味が?」

「いいからいいから。ベンチに座ってるのが暇になったら泳いでてもいいわよ。でも、その時は楓ちゃんの隣のレーンで泳いで。身体は硬くなってても、泳ぎ方は忘れてないわよね?」

「多分。小学生の頃に彩姉に教わったから」


 夏になると小学校のプールが開放されるので、その時に散々仕込まれたのだ。

 あの頃の感覚があれば、俺も何かしら秋山の役に立てるんだが、と自発的に水泳をやらなかった事が悔やまれる。


「よろしい。じゃ楓ちゃん、軽く泳ぐ前に一応記録の確認ね? 五十メートル自由形の最高記録は──」

「二十六秒三一。中学三年最後の県大会の記録だ。高校生女子の平均タイムを上回る速度に脱帽したものだ。だが、その時は相手が──」

「なんで律がそこまで知ってんの!?」

「ファンだからな」


 中学の時は学校の方針もあって、秋山が出場する大会にはすべて応援に行っている。その時、記録の基準が分からないと一喜一憂さえする事ができないので、ネットで予習をしておいたのだ。

 鼻を鳴らしていると、彩姉が眼を眇めて唇を尖らせた。


「私が学生だった時はそういう事してくれなかった癖に」

「じいさんと一緒に応援に行くと言ったのに、来るなと言ったのは彩姉の方だろう」

「ぐぅっ……! 意地っ張りだったらあの頃が恨めしいぃっ……!」


 それは今も変わらないのでは、と思ったが、口にしないでおく。俺だって最低限の空気くらい読めるぞ。


「ともかく、あの記録が秋山の自由形の自己ベストのはずだ。あの時の泳ぎは特に綺麗だった。俺は声を出す事も忘れて見惚れたよ」

「…………」

「他にも平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの自己ベストも記憶している。自由形の次に背泳ぎが得意だったはずだ。肩の可動範囲の広さが秋山の強さの秘訣のはずだ。そう、水をかき分ける時の腕の動きが完成されている」

「…………」

「半面、バタフライが少し苦手なのでは、と失礼ながらに思っている。もしかすれば持久力が不足しているのかもしれない。となれば食生活と体力向上のトレーニングも入れてみるのは──」


 そこまで喋った後、秋山が無言のままうつむいている事に気付いた。

 くそ、やってしまった。日頃から思っていた事を一気にぶち撒けてしまった。現役女子高生スイマーとその講師役を買って出た元スイマーを前に素人風情が何を知った口を利いているのか。いかん、メチャクチャ恥ずかしいぞ。


「すまない、今のは玄人ぶったズブの素人の戯言だと思って忘れてくれ」

「や、やだ」


 うつむいたまま、秋山が即答した。


「ぜ、ぜったい、わすれないから」

「待て待て。君に体力が不足しているからバタフライが苦手かもしれん、なんて門外漢の俺の分析なんて何の意味も」

「そ、そこじゃ、ない。それに、それ、ちゃんと当たってる、し。バタフライの時の、体力配分が上手くいかないの、ホント、だし」

「そうか。だが、今日は専門家の彩姉がいる。俺の雑な指摘なんて無視した方がいい。今日は俺はずっと黙っている」

「だ、だめ。それは、だめ」

「耳障りなだけだろう?」

「そんな事、無いよ? 彩音さんと、ちゃんと一緒に見て、欲しい……です」

「もちろんそうするつもりだ。彩姉の指示もある」

「そ、それで、も、もし泳ぎがき、ききき、キレイだった、ら……ほめて、くれ、る……?」

「……いや、俺が褒めたところで何にもならない。何様レベルだ。繰り返すが、俺は素人だぞ?」

「し、素人とか経験者とか、か、関係無いから。高浪に……褒められ、たい、の」


 正直迷った。本当に俺のような人間が競泳を──小さな頃から一つの事を頑張り続けてきた秋山の努力を讃えていいのか? その資格があるのか? 賞賛を贈るのとは意味合いも違うはずだ。

 秋山から視線を感じる。顔は軽く伏せられていても、前髪の隙間から彼女の大きな眼は見えている。

 期待に濡れた双眸だった。いくら察しが悪いと言われている俺でも、求められているものが何なのかは分かった。


「何固まってんの。あんたは楓ちゃんを褒める為に来てるのよ? 胸張って褒めなさい」


 憮然と顔をしかめながら、彩姉が言った。

 褒める為? 俺が秋山を? 


「ほら、ちゃんと答える」


 彩姉にぺちんと背中を叩かれた俺は、小さく身じろぎをしている秋山に妙な気まずさを覚えながら咳払いをする。


「分かった。俺で良ければ……今日ちゃんと泳げたら褒める」

「う……うん! ぜ、絶対ね!?」


 俺に向けられた秋山の顔が、不安一色から花開くようにぱぁっと喜色満面に変わった。


お読みいただきありがとうございます。

今朝、朝ゴハンにゆで卵を作ろうとしたら、電子レンジが火花を散らして殉職しました。八年くらい使っていたので十分お役目を果たした訳ですが、昨日まで全く問題無かったのでもービックリです。自炊に大問題なので急いで新しいの買いました…。


ブクマ、ポイント評価ありがとうございます。電子レンジ破壊でテンションだだ下がりですがお陰様で耐えられています。面白かったよーと感じられた方、よろしければブクマ、ポイント評価を何卒宜しくお願い致します。


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