57話:フィットネスクラブへ行こう2
秋山が通っているフィットネスクラブは駅ビルの中にあった。
十二階建ての大型商業ビルの五階から十階までを網羅した施設で、一目では使い方も分からない筋トレマシンがズラリと並ぶトレーニングルームの他、温水プールやダンス・スタジオ、ヨガ教室、風呂やサウナ、レストラン等が詰め込まれている。
胸を張って言える事ではないが、ザ・インドアな俺には未知の空間も甚だしい。受付ロビーから男女別のロッカールームに来るまで見かけた利用客のハツラツとした雰囲気に圧倒されてしまった。
場違い感が加速して、謎の罪悪感に囚われてしまう。借りてきた猫とはこの事か。
「ここは俺が来ていい場所ではない」
水着に着替えながら、恨み言のような呟きが出てしまった。
だが、これも秋山の為だ。俺の精神的ダメージなどどうでもいい。
「…………」
と思いつつ、他の利用客を視線で追ってしまう。
いずれも実に逞しい筋肉美と誇る屈強な男達だった。無駄な脂肪は無く、張り出した大胸筋とシックスパックが眩しい。
なんとはなしに自分の身体を見下ろしてみた。
「…………」
まぁ普通だ。身長の割には体重が少ない方なので、はみ出た贅肉が無い分、まだマシだと自分に言い聞かせる。
それでも更衣室にひしめくマッスル健康男児達と比較せざるを得ない。
「せめて家で筋トレをするか」
俺にだって男のプライドの一つや二つはあるのだ。
いや、これは彩姉と一緒に筋トレがしたいと言い出すまたと無い機会なのではないか?
秋山と出掛けた後から本格的に運動不足を自覚した彩姉は、エアロバイク等を買って、室内でもできる簡単なトレーニングを始めている。動画サイトにその手の指導動画がいくらでも転がっているので、それをトレーナー代わりにやっているのだ。
そんなトレーニングを、時々俺の部屋でやる時があった。聞けば、『ここならサボろうとする自堕落な自分が黙ってくれるから』らしい。正直、その理屈は分からないが、だったら毎日俺の部屋で俺と一緒にやれば、彩姉は面倒臭がりな自分と逐一戦う必要が無くなるのではないか?
「俺も運動できるし、いい考えだ」
その上で家でのトレーニングに満足できなくなったら、こういう場所を利用すればいい。彩姉の出歩く習慣にも繋がる。
「決まりだな」
シャワールームに入って身体を綺麗にした俺は、屋内プール場に足を踏み入れた。
「おぉ……」
ここが駅ビルの中だと忘れてしまいそうになるほどの広大な空間だった。
事前に秋山から聞かされていたが、縦二十五メートル、横幅十二メートルのプールは思っていた以上に大きく感じられた。それに眼を見張る透明度だ。清潔感もあって、田舎の小学校にあったプールとは雲泥の差と言わざるを得ない。そして空調で適温に維持された室内の居心地の良さ。水着でもまったく肌寒く感じない。
ちょっとした高級感すら覚える場所だった。これで会費はフィットネスクラブの中でも安いらしい。
「世界は広いな」
「たかだかフィットネスクラブのプールに来ただけでなに壮大な事言ってんのよ、あんた」
呆れた声音に後ろを振り返ると、水着姿の秋山が立っていた。
秋山楓は、こう言えば怒れるかもしれないが、スレンダーである。だが断じて華奢ではない。そのような評価は小学生の頃から今に至るまでひたむきに競泳という過酷なスポーツに打ち込んできた彼女の努力を否定するに他ならない。
それは引き締まったしなやかな肉体美だ。水を蹴り立てる足は美しい曲線を描いていて、鍛えられながらも女性特有の丸みを失っていない太ももは天井の照明を瑞々しく反射している。尻は太ももと同様にきゅっと小ぶりにまとまっていて無駄が無い。
そして腰。芸術性が極めて高い彫刻めいたくびれは競泳水着の艶めいた黒に隠されつつ、しかし、その輪郭は明るみに晒されている。俺が更衣室ですれ違った男性達の肉体と同様に無駄な脂肪なんて一つも無い。
その上にある胸の膨らみはささやかなものだ。それ故に秋山楓という少女のスマートさを際立たせているが、決して無い訳ではない。水の抵抗を減らす為に質実剛健の機能性を求めた競泳水着の特殊素材を少しながらも押し上げるほどのボリュームはあるし、これをして彼女を貧乳と評価する人間がいるのなら、そいつの発想こそ貧相極まりない下劣なものだと俺はこれまで培ったすべての語彙力を導入して徹底的に糾弾しよう──!
「た、高浪」
秋山が頬を赤めて俺を呼ぶ。
どこか批難するような、でも、それほど嫌でもないような、そんな眼でこちらを見詰めながら。
「なんだ?」
「そ、そんなに、ジ、ジロジロ見ないで、くれる? これ、別に、その。遊びに行く用の水着じゃ、ないから」
「ああ、すまない」
確かに不躾極まりなかった。これは猛省すべきところだ。
だが、秋山も俺をやたらチラチラと見すぎでは? なんだろうか、こう、盗み見されている感覚というか。いや、ただの自意識過剰だ。
絞りに絞った細マッチョな男の肉体ならまだしも、俺のような貧相な身体なんて何の面白味も無い。まったく、解放的な気分に当てられたか?
「だ、大体、ま、前から見てるでしょ? 今更そ、そんなに見なく、ても」
「だが似合っている。君の魅力を余すところ無く表現している最高の水着と言っても過言ではない」
「……高浪ってさ。なんかこう、フェチ的にはホントおじさんだよね……」
「? 今の君を見て何も思わない方がおかしいのでは?」
「……素直に……喜べない……」
肩を落としてしまう秋山。どうやら俺はまた失言をしてしまったようだ。人の感情とは本当に難しい。
「そういえば彩姉は? まだ着替え中か?」
「うん。もうちょっとで──」
「ご、ごめん。お待たせ」
彩姉の声に、俺は胸の高鳴りを抑え切れなかった。
秋山が愛用している競泳水着を着てきたのだ。となれば、これはまさかと期待をしてしまう。俺もいわゆる多感な男子高校生というヤツなのだから。
ペタペタと足音を鳴らして、秋山の後ろから彩姉が現れる。彼女の水着姿は小学生以来で──。
「うぅ、やっぱり律がいるぅ……! し、しかもは、裸、裸裸裸裸裸裸裸……!」
「当たり前じゃないですか。そもそも彩音さんが高浪を連れてきたというか裸じゃないですよ水着着てますからね!?」
「でも、でもでも……うは」
「にへらって擬音が聞こえそうな感じで笑うのやめてください。ぶっちゃけ気持ち悪いです」
「だ、だって……うへぇ」
「ほーら、恥ずかしがってないで来て下さい。大丈夫ですよ、似合ってますから」
「ほ、ほんと? ほんとにほんと? ね、ねぇ、律。どう、かな?」
「…………」
秋山の肩に縋りつくように身を寄せながら、彩姉が聞いてくる。
彼女は当然水着を着ていた。しかし、秋山のような競泳水着ではなかった。いわゆるラッシュガードである。伸縮性に優れた薄手の素材でできていて、マリンスポーツでアンダーウェアとして着用する水着の『上着』のような衣服だ。
上はグレーの半袖のシャツのような装いで、下は丈の短いショートパンツ。機能性を追及しつつもファッション性を失っていないデザインは実に彩姉に似合っている。いつも着ているルームウェアと大差が無い。
そう──大差が無い。豊満な胸も、その胸をより強調してしまう細い腰も、その腰と繋がっているとは思えない大きな尻も、隠されてしまっていた。
「ああ、似合っている。彩姉らしくていいと思う」
「……声に抑揚が無いんだけど」
「本音と言うと残念に感じている部分はある。けれど、ここは公共の場だ。そして彩姉は過去にジムのプールで酷い目に合っている。であれば、その水着は正しい。俺も彩姉がそんな眼で見られるのは我慢ならない」
「う、うん……ごめん、ね。で、でも、ほら。前にも言ったけど、学生時代に着てた水着はある、から。だから」
「ここでそういう話しなぁいっ!」
秋山が突然キレた。
「高浪! あんたこそ彩音さんをそういう眼で見ないのっ! このムッツリおじさん性癖めっ!!!」
「そういう眼で見なければ彩姉は女性的な魅力が無いと暗に語るようなものだ。俺にはそんな事はできない」
「ひゃー」
「ああぁあぁぁぁぁぁもうぉおおおおおおおおこの人達はぁぁああああああああ!!!」
『ごめんなさいすいません』
地団駄を踏む秋山に、俺と彩姉は揃って頭を下げたのだった。
お読みいただきありがとうございます。競泳水着はすべてを解決します。
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