52話:ワガママと義務と笑顔と
彩姉と一緒に作った親子丼を一緒に食べ、日課になっている海外ドラマを視聴して。
彩姉が眠そうに欠伸をしたところでお開きといういつもの流れ。
ホットミルクを用意して彩姉に飲ませれば、一日が終わる。
いや、ベッドに潜り込んでYANEAさんの活動更新を読むという締めの儀式が残されているのだが──。
「今日は……こっちで、寝る」
ソファで膝を抱えた彩姉が、憮然とした表情でそんな事を言い出した。
「何を言い出すんだ。駄目だ」
「……朝、寝るって言ったじゃん」
膝小僧で顔の半分を隠しながら、ジロリと睨んでくる。
「昼寝だ。それも週末」
「ワガママ言えって、言ったじゃん。昔みたいに無茶振りしてもいいって、言ったじゃん」
「では俺も繰り返そう。聞き入れるとは言っていない」
「けーちーけちけちけちけちけちー」
彩姉がコケシのように身体を左右に揺らす。
「暴れないでくれ。週末は、その。一緒に昼寝をするから」
「制服着てあげるからー」
「彩姉が俺の部屋に泊まるのは親父達が認めていない」
それが今回の半共同生活をバックアップしてくれている両親や大家さんとの約束だった。
だが、あくまでも口約束だ。何かしら契約書を結んだ訳でもないし、監視されている訳でもない。当然だが、盗聴器が仕掛けられている事も無い。
黙っていれば知られないだろう。咎められるはずもない。
何があっても、馬鹿正直に報告しなければ何も無かった事になる。
そんなのは百も承知だ。
だからこそ俺はこう告げるのだ。
「馬鹿な事を言っていないで、早く自分の部屋に戻ってくれ」
「……やっぱり馬鹿なコト?」
「ああ、馬鹿な事だ。分かってるなら前言撤回を」
「……ふん」
そっぽを向かれてしまう。なんだ、今日は妙に強硬だぞ。
「昨日も今日の夜ゴハン作ってる時も、あんな隙見せつけといてさ。ばーかばーかばーか」
唇を尖らせて、恨みがましく呟かれる。
隙と言われると──まぁ、色々とボロが出たというかなんというか。己の歪んだ性癖を尊敬する人に知られてしまって本気で死にたくもなったが──。
「……あんた。私の事、どう思ってんの?」
不平をぼやくような、何かを願うような、許しを請うような、そんな不思議な声音で、彩姉が言った。
彼女を見るが、顔は膝に隠してしまっていて、表情は分からない。
「尊敬している」
「……生意気言っていい?」
「九歳年上で生意気も何も無いだろう」
「いいから。言っていい?」
「ああ」
彩姉がちょっとだけ顔を動かす。前髪と膝の間に薄い隙間ができて、濡れた瞳が見えた。
「そう言うと思った」
嬉しそうな、けれど、どこか悲しそうな声だった。
「不満だったか?」
「……ちょっと。でも安心もした」
「どうして?」
「……私、あんたが尊敬してくれてる森村彩音でいられたんだなって、実感できたから」
意味が分からなかった。
彩姉がゆっくりと身体を起こす。
明らかになった顔は、朝日でも浴びたかのようにスッキリとしていた。
「ごめん、変な事言って困らせた。大人しく帰って寝るわ」
「……朝も言っただろう、昔みたいなワガママや無茶振りはしてもらっても構わないって」
「でも聞くとは限らないんでしょ? 卑怯者め」
「なんとでも言ってくれ。さぁ、早く牛乳を飲んで。温くなる」
テーブルに置いていたマグカップを手渡すと、彼女はは~いと明るく返事をして、ぐびぐびとホットミルクを嚥下した。
「ごちそうさま。じゃあ見送ってくれる?」
「はいはい」
「はいは一回」
「はーい」
廊下を歩いてゆく彩姉の後ろを追う。
彼女の足取りは本当にゆっくりだった。これが牛歩かと感心してしまった。
味わうように短い廊下を歩き切って、終点である玄関に辿り着く。
スリッパを脱いでサンダルにつま先を引っ掛けて、踵を返した。
少し眠そうな彩姉の顔が、すぐそこにある。
「私ね。今、ちょっと辛いの」
「何が?」
「昔に戻ってきたって言ってもらえるくらいになったのに、私はあんたに何も返せてない」
「返す必要は無い。むしろ、俺が今返している」
「……権三郎さんの所にいた時の事?」
「そうだ。俺が人並みに喋れるようになったのは彩姉のお陰だ。俺はその時に貰ったモノを返しているだけだ」
「一緒に遊んであげただけじゃない」
「彩姉にはそうかもしれないが、俺は違う。今、彩姉が俺から何かをされていると感じているかもしれないが、俺は何かをしているつもりは無いの同じだ」
すると、彩姉は肩を竦めて苦笑した。
「ホントあんたって卑怯。それ言われちゃうと何も言い返せないでしょ?」
「彩姉がもっと元気になるのなら、俺は卑怯者で構わない」
「……もう充分に元気になってるよ、私。あんたと楓ちゃんのお陰で」
「なら、秋山の部活が落ち着いて家に来てもらった時は、一緒に美味い親子丼を作ってご馳走しよう。きっと喜ぶぞ」
「あーそれ素敵ね。なら、もっと自炊の腕を磨かないと。明日から朝ごはんの支度も手伝うわ」
「無理はしなくていい。朝はあまり得意じゃないだろ?」
「あんたのお陰でちゃんと起きれるようになりましたー。ちなみに明日の朝の献立は何か考えてる?」
「無難にオムレツと脂質カットのウインナー。後は今日の夕食の副菜の残り」
自分一人なら毎日同じメニューでも構わなかった。
けれど、彩姉の分も作るとなるとそうもいかない。
でも、彼女なら毎日同じ食事でも大丈夫だと言うだろう。
だから、これは俺のワガママだ。ささやかでもいいから、彩姉には毎日違う体験をして欲しかった。
その為に料理のレパートリーは開拓し続けている。
最近ではインターネットだけではなく、電子レンジレシピを集めた料理本を買って勉強中だ。
「私に作らせてよ、オムレツ」
「だが」
「いいから。私もあんたにゴハン作りたい」
彩姉の手料理……なるほど、とても興味深い。是非食べてみたいが……。
「無理をしていないか?」
「まさか。安心して、あんたが心配してるような事は何にも無いから」
彩姉と半共同生活を始めた頃から懸念していた事だ。
心身共に上向きになってきた彩姉が、『自分はまた頑張れる』と思って無理を始めないかどうか。
「私は……まぁ、昔からそういうとこあったけど……大丈夫」
彩姉が両手を広げて、俺を抱き締める。
「…………」
鼻先を甘い匂いが掠める。胸のところにむにゅっと柔らかな感触があった。
「私、今あんたを独占できてて、ホントに幸せなの。でも、同時にちょっとだけ辛い」
「……どうして?」
「あんたを独占してるって事は、あんたの時間も取っちゃってる。今の暮らしになって、あんたは自分の為に時間を使えてない。こんなの不公平よ」
「……気にする必要は無い。俺がそうしたいからそうしてるんだ」
「……それは、さっき言った昔私があんたに色々なコトを教えたりしてあげたから? その借りを返したいから?」
身体を離す彩姉。
前髪が触れ合うかどうかという距離に、見慣れたヒトの顔がある。
「それは……あんたが自分に課した義務?」
義務。この衝動が、義務? 分からない。彩姉がどうして突然そんな事を言い出したのかも含めて分からない。
けれど、これだけは言えた。
「俺は彩姉に笑っていて欲しい」
「……それなら」
小さく深呼吸をして、彼女は眼を細めて微笑む。
「もうできてるよ、律」
彩姉が笑っている。
笑っているはずなのに。
なのに、どうして少しだけ寂しそうなのだろうか──。
お読みいただきありがとうございます。なんかちょっとシリアスだなーな雰囲気ですが、ボチボチ終わりに向けてキャラクターの関係値を前に進めないといけない部分がありまして、こんな感じになりました。
このお話はほんわかイチャラブコメディで終わるので、安心してお読みください。




