51話:オ、オジサン趣味
その日。俺は帰宅して夕食の用意をしながら、彩姉に秋山の俺の家訪問が延期になった事を報告した。
「う~ざんね~ん……私の部屋にも来てもらうつもりだったのに~……」
「部活の練習が優先されるのは当然の事だ。彼女は前途ある優秀な競泳選手なのだから」
「なにその『将来有望な選手を自分より優秀な指導者の元へ送り出す平凡なコーチ』みたいなコメント」
「何故彩姉の例えはいつも具体的なんだ? あぁ、彩姉、みりんを入れすぎだ。スプーンを使って量を確かめた方がいいぞ」
本日の夕食は親子丼だ。電子レンジでも簡単にふわふわ半熟に仕上げられるので重宝している。
今日は彩姉が作り方を教えて欲しいと言い出したので、こうして肩を並べてキッチンに立っているが、彼女の調理はぶっちゃけ雑だった。
「えースプーンの何杯とかって少なくない? これ絶対味薄いわよ?」
「見た目にはな。でも俺達が思っている以上に和風調味料とは大体が濃くできている。塩分が強いんだ」
「あぁ。だから律の家にあるショーユって減塩なんだ──って、あんたそういうところも高校生っぽくないわね。健康診断気にするオジサンじゃないんだから」
「俺だって味は濃い方が好みだ。だが、彩姉の健康を考えると塩分は控えめにしたい」
「……ち、ちなみに、さ。私、あんたと一緒にく、くくく、暮らすようになってから、体重減ってんのよ」
耐熱ボウルを抱えたまま、もじもじと肩を揺らす彩姉。
中身が飛び出るからやめて欲しいと思いつつ、一歩後ろに引いて、彩姉の長身を一望する。
「……確かに。少し変わったな」
「そ、そんなジロジロ見ないでよ、は、恥ずかしい……」
「すまない。彩姉にはやはりエプロンが似合うなと思ってしまって」
サイズの大きい無地の白シャツ──相変わらず俺のお下がりを着ている──と、丈の短いショートパンツというラフなルームウェアにエプロンを引っ掛けている彩姉の身形は実に新鮮だった。
ただ、白シャツのサイズが細身の彩姉に合っていなくて、裾がショートパンツをスッポリと隠してしまっているのは酷く眼に毒である。下に何も穿いていないように見えてしまうのだ。
その絶妙に卑猥な身形が、エプロンで上手い具合に隠されている事に安堵感を覚えてしまう。
「昔は学校の制服にエプロンをかけていたな。あれも良く似合っていた」
「……律ってさ。制服好きなの?」
心臓をワシ掴みされたかのような衝撃が走る。
たちまちの内に口の中の水分が消えていった。
「……突然どうした?」
「楓ちゃんが言ってた」
「…………」
「わ、私、さ。実はまだ、の、残してる、んだ」
「……何を?」
聞かなくても分かったのに、つい聞いてしまった。
彩姉はぐりぐりと耐熱ボウルの中の鶏のササミと調味料を掻き混ぜながら、俺をチラチラと見てくる。
「こ、高校生の時の、制服。捨てたと思ってたんだけど、探したら、あ、あって、さ」
「…………」
「昨日、た、試しに着たら……ギ、ギリギリ着られた。胸も腰周りもちょっとキツかったから、もう少し痩せないとじ、自信無い、けど……」
彩姉の耐熱ボウル掻き回しが加速する。ぐりぐりぐりぐりぐりぐり。
「あんたが、着て欲しいなら……に、二週間くらい待ってくれれば、ダイエット、頑張って……着て、あげる」
「…………」
「……ど、どう?」
俺は──俺は一体どうすればいい!?
というかなんだこの状況。昨日の夜と同じ過ぎる。なんなんだこれは!? どういう事だ!? ループしているのか!?
こうしてあれこれ言ってくれるようになった彩姉の変化は手放しに喜びたいが、モノには限度がある。今の彼女の提案で得をするのは俺だけだ。彩姉の制服姿には強い、とても強い興味を引かれているのだから。
しかし、そんな事をさせると彩姉を穢してしまう──気がする。
俺は俺の欲望を満たす為に、彩姉にコスプレをさせるのか?
二十五歳の女性に高校生の制服を着てもらって悦に浸るのか!? 十六歳の男子高校生が!?
俺はそんな事をしてもらう為にこうして半共同生活をしている訳ではない。協力してくれた親父達に顔向けが──!
「……い、いや? うぅ、そ、そうよね。二十五歳の女が高校生の制服着るなんて気持ち悪いわよね。ごめんなさい」
「断じて気持ち悪くない。むしろ気持ち悪いのは俺だ。彩姉の制服姿を見たいと思って──」
あ。
「…………」
「…………」
今も崩れてしまいそうだった彩姉の表情に、たちまちの内にニヤニヤとした邪悪な笑みが浮かび上がる。
まさか、これは──!?」
「オ、オジサン趣味」
時々、彩姉や秋山がやたら叫ぶ時があったが、その感覚を痛切に理解した。
ちくしょう。まただ。彩姉の誘導尋問に引っ掛かるのはこれで三回目だ。いい加減学習しろ俺!
「じゃあ、今日から頑張ってダイエットしまーす。隠し味の焼き鳥のタレはちょっとだけにしまーす」
「む、無理なダイエットは身体に毒だ」
「誰も食べる量減らすとか言ってないでしょ? あんたのお陰で健康的に痩せられてるんだし。単純に運動を増やすの。筋トレとか有酸素運動とか。後でエアロバイクポチっとく」
いかん。ぐうの音も出ない。思わずぐぬぬと歯噛みしてしまった。
そんな俺を見た彩姉は、にへらっ、とだらしなく笑った。
「あんたもそういう反応するのね」
「し、失望したか?」
「逆よ。安心した」
「……安心?」
「せ、制服好きなのは驚いたけど……あんた、なんというかさ。ホントに枯れてるから」
枯れている。それは中学の時から秋山や教師からも言われて続けた評価だった。
そう言われる理屈は分からなくはない。
同級生達と比較して趣味らしい趣味が無く、得意なモノも何も無い。
秋山のように夢中になれるモノも無い。
俺には何も無い──その事をこうして改めて実感させられたのが性癖だった事は、妙に癪だった。
「昨日さ。律はあたしに、どんどんワガママになれって言ってくれたけど……あんたもよ?」
「……自分の性癖をつまびらかにするのはダメだろう……」
「そ、そういう事に限定する訳じゃない」
「……一緒に昼寝する事も?」
「だだだだだだからぁっ! そっちに振るなっての! そこからこういう話になっちゃったのはも、申し訳ないと思うけど! そういうのからちょっと離れなさい!」
真っ赤になって怒鳴りつつ、彩姉がラップを耐熱ボウルにかぶせようとする。
「彩姉、ラップをかける前にササミにはフォークで穴を空けるんだ」
「え、なんで?」
「レンジにかけるとササミの中の水分が爆発して、耐熱ボウルの中身をレンジ内に撒き散らすんだ。フォークでいくつか穴を開けておけば、そうなる心配は無くなる。ラップもふんわりかけるようにして、水分が容器の外に逃げるようにしてくれ」
電子レンジ料理は食材の爆発との戦いだ。最初の内は俺もよく爆発させた。タマゴを爆発させるような初歩的な失敗はしていないが、肉類を弾けさせて、レンジ内が凄惨な事態に陥った事が何度もある。
俺の忠告に、彩姉は何度も眼を瞬かせて。やがて感心したように破顔した。
「ホント、すっかり料理が趣味になっちゃったのね、あんた」
「……趣味というほどじゃない」
最初は秋山から進められて、何となくやってみただけだ。
そして今は彩姉に美味くてまともな食事を取ってもらいたいから学んでいる。
ただそれだけの──。
「律はさ。料理してて楽しい?」
はず、なのだったのだが……。
「……まぁ、そこそこは」
──夢中になれるもの、か。
年取ったら制服の良さをなんとはなしに理解できてしまった事もあるトウフです。ホント頑丈ですよね。服として高い機能性もあります。決して変な意味ではありません。
今回もお読みいただきありがとうございます。




