49話:昔みたいに一緒に昼寝をしよう
ここから新しい章となります。
彩姉が秋山と買い物に行った、数日後の夜。
「ねぇ律。肉じゃがのニンジン減らして?」
夕食を食べながら、彩姉が上目遣いでそんな事を言い出した。
想像もしていなかった提案に、俺は言葉を詰まらせてしまう。
半共同生活をはじめてから──いや、再会してから、彩姉がこの手のワガママを言った事が無かったのだ。
「……ニンジンは貴重なビタミンAを摂取できる野菜だぞ?」
聞き入れるかどうか一瞬逡巡して。否定はせずにニンジンの有用性を説いてみる。
すると、彩姉はははんと何やら自慢げに鼻を鳴らした。
「完全無添加食塩未使用の野菜ジュースで補う」
「野菜ジュースはあくまで補助だ。作られる過程で加熱処理されていて、その時に熱でビタミンの多くが破壊される。パッケージに書かれている栄養量は理論値に過ぎないぞ?」
「はいはいその手のウンチクは聞いた聞いた。代わりにカボチャの煮物食べるからさ。それで大丈夫よ。βカロチンも取れていい事尽くめ。どう?」
「……確かにそうかもしれないが……」
「律だってタマネギは避け気味じゃない」
それを言われると弱い。
「……分かった。じゃあカボチャの煮物を多く作って──」
「安心して、自分で作るわ。あ、もちろん律の分もね」
「なに?」
「作り方覚えたの。次スーパーに買い物行く時は一玉まるごと買いましょ」
「……いつの間に?」
彩姉が料理をしていたなんて痕跡はどこにも無かったはずだ。キッチンは綺麗なままだったし、ゴミ箱にもそれらしいものは無かった。
「これでも勉強してるのよ? 簡単な物くらい作れないと格好悪いし?」
「…………」
「なによ、意外そうな顔して。私が料理なんて一生しないとでも思った?」
「…………」
気取らない態度。
どこか卑屈にも思える表情。
諸々の感情を隠そうとしない口調。
ああ、そうだ。そうだった。これこそが──!
「……ちょ、ちょっと。何とか言ってよ。うぅ、や、やっぱり生意気だった……? ご、ごめん、調子に乗った。忘れ──」
「まったくこれっぽっちも調子に乗っていない」
テーブルに身を乗り出して、彩姉の手を握る。ひゃあーと悲鳴を上げられた。
気持ち悪いと思われたに違いない。けれど、今の俺にはそんな彼女の心中を配慮する余裕は無かった。
「その調子だ、彩姉。どんどんワガママになってくれ。昔のような無茶振りをしてくれて構わない」
田んぼしかない田舎で、夜暗くなるまで俺の手を引いて遊び歩いてくれた森村彩音。
今、あの頃の気配を彩姉から感じるのだ。一度は吹けばどこかへ飛んで行ってしまいそうなほど弱々しく、自信を失ってしまっていたのに。
「例の限定プリンも食べたくないか? どうだ?」
「あ、ああああ、あれはいい! 美味しいけどマジで脂質ヤバいからい、いい! 一週間に一回だけの楽しみって割り切ってる……!」
「他には? 我慢しているワガママはないか? 昔みたいに一緒に眠ろうとか──」
「んなぁ!? んな事い、言えるわきゃないでしょっ!?」
「という事は、やはり我慢していると? そうそう、昨日更新された『年下スウェット』の最新話では、今まで『リオ』の純粋さで手玉を取られていた『愛衣』が少しずつ素直になる事でこの関係値を逆転させる事にはじめて成功して、『リオ』に対してイニチタティブを握る展開が──」
「だだだだだだだから私にも同じ事しろって事!? じ、じゃあ、一緒に、せ、せめて昼寝したいってお願いしたら──!」
「駄目だ」
「なんでよっ!? 散々煽っといて!!! 眼の前にニンジンぶら下げた馬みたいにさせといて!!! あんた鬼畜か!? 鬼畜素直とかどういう属性!?」
「すまない、何を言っているのかまるで分からない。ワガママは言って欲しいと言ったが、それを聞き入れるとは一言も言っていない」
「でもニンジンは減らすって言ったじゃない! い~~~~たぁぁぁっじゃぁぁぁぁなぁぁぁぁぁぁいっ!!!」
手を振り解く勢いで振り回す彩姉。
でも今は離したくなかったので、彼女が痛みを感じない程度に力を入れる。
「はひゅん」
お。ちょっと大人しくなってくれたぞ。これでご近所迷惑も避けられる。
「カボチャという代打がいる。そもそも好き嫌いを許容する事と、一緒に眠るのを認める事が、同じ次元のワガママとは思えない」
「あんたが例えで上げたんでしょうがっ!!!!!」
確かにそうだった。咄嗟に口に出てしまったのだが、不適切だったと言わざるを得ない。
彩姉が、かつての闊達だった頃の片鱗を見せてくれたから、それに触発されるように昔彼女にしてもらって嬉しかった事を口に出してしまったのだ。
なんて迂闊な。これはドン引きされる。いや、それがバレなければ──。
「あ、あんた……もしかして、昔みたいに私と一緒に寝たかったの?」
「…………」
今この瞬間ほど、頭を働かせた事は無かった。知恵熱が出るという感覚をはじめて味わった。
しかし。それほどまでに思考を巡らせても、この事態を誤解無く誤魔化せる事は不可能だと理解する。
彩姉は、俺に対しては変に勘がいい。何をどう返しても墓穴を掘る未来が見えてしまった。
だから俺は──!
「…………だめか?」
血反吐を吐く思いで白状した。
彩姉に『気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!』と罵倒される事を覚悟する。
今まではその広すぎる寛容な心で見逃してもらっていたけれど、今回ばかりは駄目だ。
男子高校生と一緒に眠るなんて。そんなそんな──。
「はへはひゃひ」
「え? なんだって?」
先日、秋山から『あんたはこの主人公みたいな事しちゃダメだよ?』と言われて押し付けられたライトノベルの主人公の口癖が出てしまった。
いや、だって出てしまうだろう。噛み過ぎなんてレベルじゃない。何語だ?
「もう一度頼む」
「……ひやじゃ、にゃい」
「冷や飯食べる?」
涙眼で睨まれた。本当にそう聞こえたんだから仕方ないじゃないか。
「いやじゃ、な、い」
「いやじゃない?」
「イヤじゃない」
「昔、みたいに……あんたと、一緒に寝るの……イヤじゃ……な、い……」
そっぽを向いて、唇を尖らせて。消え入りそうな声で文句を言うように、彩姉は言った。
言ってしまった。
「好き嫌いとは、ぜ、全然違う次元の、ワガママだろう、けど……で、でも、あんたも、そう……なんで、しょ? な、なら……これも、聞き入れて……よ」
「…………」
「な、何もしない。私は何もしないか、ら……」
「それは俺の台詞では?」
「け、決意表明!」
何の?
「む、昔みたいに無茶振りしろって言ったの、そ、そっちよ! 責任取れ!!!」
「……じゃあ、昼寝から」
「…………え昼寝からってそれってつまりはいつか夜も一緒に眠ってくれるって事かしらそういう事よね?」
メチャクチャ早口でまくし立てられた。
そういう意味で『から』とつけた訳ではないのだが……いや、なら何故『から』と言った俺。この状況で『から』ってつけたら、それは彩姉もそう解釈してしまうに決まっている。
額に脂汗を滲ませて静かに懊悩していると、手の中で彩姉の手がもぞもぞと動いた。
「……りつ……」
彼女の縋るような眼が見えた。
俺は唾を飲み込むと、呻くように答えた。
「……週末、一緒に昼寝をしよう」
彩姉は、今も昔も見せた事の無い喜色満面の笑みで肯いた。
お読みいただきありがとうございます。オネショタ大好きです。びちゃびちゃ。
ブクマに入れていただいた方、ポイント評価いただいた方、本当にありがとうございます。昨日、特に多くのブクマ、ポイントをいただいて、とても嬉しかったです。重ねてお礼申し上げます。
あまりそこに諸々を左右されるのも、と思うのですが、やはり嬉しいですし、書くぞ、という気分が強く補強されます。
またよかったよーと感じられた方、評価いただけますとまた水分撒き散らしてびちゃびちゃトウフがしびれます。




