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48話:妄想を受け入れた、その先へ


 部屋に戻った彩音は、改めて髪の状態を確認してみた。

 鏡を覗き、手触りを確かめてブラシを軽く通してみる。


「……あいつ、こんなに器用だったっけ?」


 本当に綺麗に整えられている。はじめて他人の髪──それも背中を覆い尽くして尻まで届くボリュームの長髪──のヘアケアをやったとは思えない。後はヘアオイルで仕上げをするだけだ。

 化粧台の前に座って、今日の髪のコンディションに合うオイルを選ぶ。


「そろそろ新しく買ってこないとダメね」


 髪の長さもボリュームも半端ではない為、手入れには時間も金もかかって、ぶっちゃけ煩わしかった。

 就職を契機に短くしようとも思ったのだが、その就職先がアレだったので、美容院に行く暇も無く。ズルズルと今に至った訳だ。


「でも……切らなくて良かったか」


 だって、短くなっていたら、律に髪を乾かしてもらう事もできなかっただろう。

 これからは毎日彼に髪の手入れをしてもらえる。そう考えると心が躍って──。


「いやいや、こんな面倒事を毎日やらせられる訳ないでしょ。調子に乗るな私」


 ブラシでコツンと頭を小突いて自らを戒める。

 ヘアオイルで髪の手入れを終えると、時間は日付が変わるかどうかというくらいだった。

 いつもなら、明日の律の朝食を食べる為に寝てしまうところだが。


「よっと」


 ミネラルウォーターを手にソファにどかっと座って、横に置かれていたノートPCを掴む。スリープを解除すると、ブラックアウトしていたディスプレイに光が灯った。

 画面に表示されているのは愛用のアウトライン・プロセッサー。書き込まれているのは、『年下スウェット』の続きである。

 新たな『尊いシチュエーション』が浮かばず、二番煎じ的な展開になりつつも、一応は一話分くらいのテキスト量は書いていたのだが──。


「ふん」


 CtrlとAで全選択。そして消去。


「『リオ』は徹底的に『愛衣』を甘やかす事に長けている……その手腕はもはや調教の域。『愛衣』は自らが『リオ』にダメにされてゆくのを理解しながら、しかし、九歳年下の無邪気な笑顔に抗えない。そう、抗えない──!」


 ならば!


「抗おうとしなければいい! いえ、もっと進んでダメになればいいのよ、『愛衣』!」


 曲げた両膝の上にノートPCを置いて、キーボードに両手を添える!


「『リオ』はあなたの本性をすべて理解していて、その上であなたのすべてを受け止めて愛してくれるチャレンジャー海淵みたいな器の深さを持っているのよ! 嫌われる事を恐れる必要なんてないの!」


 指が動き始める。自分でも驚くほどの軽やかさで。

 止まらない。止められない。止める必要も無い。

 一皮向けたとはこの事だろう。

 少しずつでも律に素直になってゆこうと決めた事で、これまで無意識にかけていたブレーキが解放されたのだ。

 ブレーキをかけていた割に半共同生活をはじめてから過激なシチュエーションを書いていたけれど。

 自分なんかが、身も心も立派になった律と妄想であろうとアレやコレやなんて──そんな風に考えていたけれど、それももうやめる。


「溺れろ! 『リオ』に溺れなさい『愛衣』! 私の分まで!!!」


 今日楓と一緒に夕食を食べている時に感じた、あの謎の開放感。

 あれはきっと、自分も捨てたものではない、と自覚できたからだと彩音は思う。

 どんな理由であろうとはじめて夢中になった競泳で、どこかの誰かの人生に大きな影響を与えていた。与える事ができたのだ。

 そして今も、どんな理由であろうと夢中になって書いている妄想だらけのweb小説で、どこかの誰かを楽しませている。律や楓を喜ばせている──それはまぁガチホラーなのだが。

 自分は、森村彩音は存外捨てたものではない、と感じられたのだ。

 なら、せめて想像の中でなら、律ともゴニョゴニョしたっていいはずだ。

 否。現実では沼過ぎるから我慢しているコトを、『愛衣』に存分に代行してもらう!

 だから書く。書ける。ピンクな妄想を活字に変換できる。

 でも、以前のようにちょっとエッチな方向にはならないように注意をする。

 忘れていたが──正確には忘れたかったのだが──律や楓も読んでくれているのだから。

 今日得られた諸々を創作の糧にすれば、今まで思い至らなかった尊みシチュエーションを生み出せるはずだ。


「甘やかし上手の『リオ』の上を行く開き直り方を見せなさい、『愛衣』! 私もいつかやる! もっと素直になれればっ!!!」


 面白いように文字数が積みあがり、シチュエーションが紡がれてゆく!


「あいつにドン引きされてゴミを見る眼を向けられても構わない覚悟ができ──るかぁああああああああ!!!」


 あーこれ明日冷静になって読み返したら全没になるやつだー。

 そんな風に絶望しながらも、妙な爽快感を胸に、彩音はキーボードを叩き続けた。





 彩姉を帰した後、明日の朝食の支度と就寝の用意を済ませた俺はベッドに潜り込んだ。


「さて、彩姉──YANEAさんの活動報告はっと」


 さっきまで隣の部屋から歓声とも怒号とも判然としない奇声が聞こえていた。

 一体何にエキサイティングしているのか分からなかったが、元気が無いよりもずっといいだろう。

 ただ、ご近所に迷惑になる行為なのでやめてもらいたい。明日朝食の時に注意しなければ。


「……更新されているな」


 かつては一度たりとも書かれていなかったYANEAさんの活動報告も、今では更新されない日が珍しいほどだった。

 件名は──『ゴミを見る眼を向けられる覚悟』?


『そんな覚悟を決めたい。決まれば私はきっともっとできる。前へ進める。いつも余裕ぶっている『リオ』をギャフンを言わせられる。『リオ』の手口に溺れながら『リオ』を飲み込むのよ『愛衣』。私もそうするそうなれるそうするのだ!』


 読んでいる側も飲み込む謎のテンションを感じる文書だった。

 いや、何かクスリでもキメて書いているのでは、と心配になる支離滅裂な内容というべきか。


「秋山との買い物で何があったんだ、彩姉……!」


 夜も遅くなので秋山にラインを送る事もできない。

 その日、俺は朝が来るまで、悶々と過ごしたのだった……。


お読みいただきありがとうございます。


一区切りがつくところまで来られました。折り返し地点も過ぎましたので、ボチボチ完結に向けてえっちらほっちら書いて行く方針です。これ以降の話がプロットがだいぶ崩れたので、やや心配ではあるのですが…


面白かったよーという方、ブクマ、ポイント評価等いただけますと、割と本気で飛んで跳ねてびちゃびちゃトウフが水分撒き散らします。ホントです、ホントです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] えっまじ? 律よアンタのせいだよ
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