46話:ご褒美タイム2
一旦自分の部屋に戻って、必要な道具を持ってくる。
どかっ、とテーブルに置かれた『装備品』を、律は興味深そうに観察してきた。
「彩姉の綺麗な髪はこれで維持されているのか」
「は、恥ずかしい事、い、言わないでよもう……」
「恥ずかしい? 何が?」
「だ……だから、その。き、綺麗な髪とか、そういうの」
「世辞じゃない。秋山も憧れると散々言っていた。つまるところ客観的な事実という事だ」
「…………」
「怒らないでくれ。嫌なら、もう言わないから」
違う、嫌じゃない。嫌なはずがない。
ただ、本当に恥ずかしいだけなのだ。
それを隠す為、脊髄反射で憮然としてしまう自分が本当に腹立たしい。
素直になれば、もっと律とも近づけると思うのに──。
「……すまない。そんなに怒るとは思わなくて」
ほら。見栄っ張りの子供のような態度を取ってしまうから、こんなに良くしてくれている男の子を傷つけている。
このままじゃダメだ。楓を見習うべきだ。彼に甘え続けてはダメなのだ。
「怒ってない。全然、怒ってない」
「本当に?」
「本当に。単純に、ホントに恥ずかしくて。それで、照れ隠しというか、なんというか。ごめん」
「ふむ。秋山が言っていたが、彩姉はツンツンなのか?」
「ツンツン?」
「デレが無いツンデレの意味らしい」
それはただのキレキャラでは? え、可愛いと思うとこ無くない? 楓ちゃん?
「さぁ、彩姉。髪の手入れについて教えてくれ」
「う、うん。まずは軽くブラッシングしてくれる?」
椅子に座って、頭に巻いていたタオルを取ると、黒髪がカーテンのように広がった。
風呂上がりの際に払ったり軽く絞ったりしているが、やはりまだまだ水気が残っている。
「クシでとかせばいいのか? しかし、こんなに長いのに軽くで大丈夫か?」
「料理の仕込みたいなものよ。毛束を分けるくらいでいいわ。ブラシはこれね?」
「分かった。では失礼」
彩音の後ろに回った律がホテルのボーイか何かのようにそう告げて、彼女の後ろ髪にヘアブラシを通す。
そして、ゆっくりと時間をかけてブラッシングを始める。
「…………」
熟練の美容師でもなければ、彩音の髪質を理解していた大学時代の女友達でもない。
恐らくきっと、はじめて異性の髪に触った少年だ。その手付きは正直ちょっと危なっかしい。物腰はメチャクチャ慎重で、時限爆弾を解体する特殊部隊員のようだった。
それがおかしくて。
でも、大切に思ってくれている事が伝わってくる。
「彩姉はプリンでも食べててくれ。時間がかかる」
「う、うん。ありがと」
テーブルに置かれていた限定商品プリンを手にとって封を空けた。
クリームの甘い香りを楽しみながら、添えられていたスプーンで一口分すくい、口の中へ。
「あーしあわせー」
「それは良かった。だが一週間に一個にしておいてくれ。カロリーも脂質も凄いぞ、それ」
「はいはい」
「はいは一回」
「はーい」
ほどなくブラッシングは終わった。絡まっている髪を解くための軽いものなので、そう長くはかからない。
「次はタオルドライね」
「タオルドライ? タオルで髪を拭けばいいのか?」
「そうよ。でも、髪を擦らないように」
「……摩擦で髪が痛むのか?」
「そういう事。面倒なんだけど、タオルで包んで優しくプレスするような感じで水分を取ると、キューティクルへの刺激も減らせるの」
「分かった。タオルは……彩姉が巻いてたのは駄目だな。他にはないのか?」
「えっと。あんたの家にあるの貸してもらえばいいかなって」
「それは駄目だろう」
「え。なんで?」
「……男子高校生が日頃使っているタオルだぞ? 洗濯は入念にしているつもりだが、気持ち悪くないか?」
「ぜんぜん? ぜんぜんぜんぜんぜんぜんぜんぜんぜんぜん?」
壊れた人形よろしく、彩音は首を横に振り回す。
気にしないのは本当だ。そもそも子供の頃に年単位で同じタオルを使っていたので、今更気にするほどのものでもない。
「……分かった。じゃあ用意する」
律は何やら腑に落ちない様子だったが、タオルを二、三枚持ってくる。
「じゃあやるぞー」
「んーおねがーい」
再び律が彩音の背後に回って、手に持ったタオルで髪を包み込んだ。
そのままゆっくりとした手付きで揉み始める。
「はぅ」
「なに?」
「な、なんでもにゃ、い……」
自分でもドン引くほど艶のある声が出てしまった。
でも、言い知れぬ気持ちの良さがあったのだから仕方ないじゃないか──!
上から下へ。下から上へ。後ろ髪が終わったら横髪を。じっくりと時間をかけて髪に残っていた水分を取り除いてゆく。
その間、彩音は──。
「あー……はっ! ジュルリ!」
口の端から垂れそうになる涎をギリギリのところで飲み込んでいた。プリンの味を楽しんでいられる余裕なんてあろうはずもない。
というか眠気がヤバい。ブラッシングされている最中に眠ってしまう犬の気持ちが痛いほど分かった。
「よし、こんなものか。彩姉、ドライタオルが終わったぞ。次はなんだ?」
「ぼー」
「……彩姉?」
突然、視界が律の顔で埋まった。
声にならない悲鳴。危うくプリンを容器ごと握り潰してしまうところだった。
「な、なになに!?」
「ドライタオルが終わった。次の指示を頼む」
「そ、そう! あ、あり、ありありありがと! つ、次はドライヤー! ここここからが本番だから頼むわね!?」
「もちろんだ。今人生で一番緊張しているが、上手くやってみせるさ」
などと一切の照れた素振りも無く、むしろドヤ顔で言ってくる。
ああ、もう。まったくもう──!
(楓ちゃん……! 私、あんたみたいに自分に厳しくするの無理みたいぃ……!)
今日という日は、一体何度自分を尊死させる気なのだろうか?
お読みいただきありがとうございます。評価とかいただけると鍋の底でびちゃびちゃして喜びます。ホントです。
もう2話ほどで次の章に移ると思います。
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