43話:女子二人でお出かけ5
「あの。彩音さん、大丈夫ですか? 凄く具合が悪そうですけど」
「だ、大丈夫、平気平気。久しぶりに沢山歩いたから、ちょっと疲れただけよ。うん」
楓を連れて商店街を歩く。
ここに来るのは引越して以来だ。つい最近まで歩き慣れた場所だったはずなのに、何だかとても久しぶりな気がする。
(こ、これも律との、とととと……! 尊い日々のせいだって言うの……!?)
自覚すると顔がサウナに入った時みたいに熱くなった。現実逃避小説なんて書けなくなって当然だ。
吐きそうになるほどの自己嫌悪を覚えつつ、顔に出ないよう必死に耐える。楓に心配をかけるような真似はしなくなかった。
商店街を横断して、外れにあるお店に着く。テラス付きの小さなレストランだ。
「わ、オシャレ。でもちょっとお値段が高そうな……?」
「ファミレスが安すぎるだーけ。私の奢りだから安心しなさい」
「えぇ!? いや、そんな悪いですよ!」
「いいからいいから」
扉を開けて中を覗く。
店内は彩音が最後に来た時と変わっていなかった。こじんまりとしながらも、暖かい内装の店だ。
これが好きだった。癒されるのだ。パソコンを小脇に抱えて、貴重な休日をここで過ごしたものだ。
経営している夫婦の素朴さも好きだった。両親と疎遠になってしまった反動だろう。
我が子のように歓迎してくれる夫婦に挨拶をしながら、彩音と楓はボックス席に座って、店長オススメのデミグラスソースのオムライスを注文する。楓も同じものを頼んだ。
「はぁ~……疲れた」
「すいません、連れ回しちゃって」
「あぁ、ごめん。そういう意味で言ったんじゃないの。運動にもなったし気にしないで」
「ホントですか? じゃ、今度はボーリング行きましょうよ! 高浪も連れて!」
「お、いいわね。来週末どう?」
「あ……す、すいません。来週は部活の練習入ってまして……大会も近づいてきたので、自分で言っておきながらなんですけど、すぐには厳しいかもしれません……」
申し訳無さそうに肩を小さくしてしまう楓。あ~かわいい~。
「いーえ、気にしないで。私も律も週末は暇してるから。大会が終わって、楓ちゃんの都合のいい日が来たら教えてくれる?」
「はい、もちろんです!」
そういえば、と。彩音は思い出す。
「楓ちゃん。前に律と中学で出会ってなかったら部活を──競泳を辞めてたって言ってたけど、あれってどういう事なの? それに思い違いかもしれないけど、昔、私と会った事が……?」
「はい。小学生の頃、一度だけお会いしました」
「……もしかして、あの交流会?」
思い当たる節を告げると、楓は嬉しそうに肯いた。
彩音は小学から高校までずっと競泳をやっていた。
好きだったから、という前向きな理由ではない。
家にいると、仲の悪い両親の口ケンカを目の当たりにして、嫌な気持ちになるからだった。
長時間拘束されて、集中できて。嫌な事を忘れられるのならなんだって良かった。それが友達に誘われてお試しでやってみた水泳だったというだけの話だ。
でも、競泳が楽しかったのは事実だ。
だから高校生の時、東京に合宿遠征した際に行われた現地小学生との水泳交流会には喜んで参加したし、子供達と一日プールで遊び呆けたのは、今でも良い思い出になっている。
しかしまさか──。
「あの小学生達の中に楓ちゃんがいたなんて。世間ってホント狭いわ……」
「そうですね、あたしも彩音さんに名前を教えてもらった時は同姓同名なだけかと思いました。あの時は本当にお世話になりました」
楓にテーブル越しに頭を下げられて、彩音は慌てる。
「そ、そんな改まってお礼を言われるような事は何もしてないわ。クロールの泳ぎ方を教えたくらいでしょ?」
「あたし、一番好きで一番好きな(得意な?)泳ぎがクロールです」
「……そ、そう? それは、うん。良かったじゃない?」
顔を背ける。もちろん照れ隠しだ。
面と向かってそんな事を言われたら、誰だって恥ずかしいに決まっている。
「彩音さんがいたから、あたしは今こうしていられます。本当にありがとうございます」
「だ、だから、そんなご大層な事してないって。そ、それに? 中学の時に辞めそうになったんでしょ?」
気恥ずかしくて、この前耳にした話を意地悪をするように言ってしまう。
すると、楓は苦笑いを浮かべた。
「ですね」
「……律がいたから辞めずに済んだって話。そっちもよかったから聞かせてくれる……?」
引越しを手伝ってくれた時、楓は確かにそう言っていた。
楓は出された水で喉を潤すと、顔を少し上に上げる。
その眼には、昔を懐かしむ色が浮かんでいた。
「中学生の頃、記録が全然伸びなくなって、泳ぐのが嫌になった時がありました」
それは、彩音にも覚えがあった。
現実逃避の為にはじめたけれど、やればやるだけ結果の出る競泳に夢中になった。
でも、眼に見える形──記録が伸びなくなった時、楽しかった『泳ぐ事』が苦痛になった。
「どんなに練習しても全然ダメ。なのに同級生はなんでもないって顔で上に行く。それが……嫌でした」
「……分かる。あれ、ホントしんどいわよね」
「……はい。それで、もーやーめたって。サボっちゃったんです。放課後に部活に行かずにずっと教室にいました。そしたら、あいつに声をかけられました」
そう語る楓の頬は、少し上気していた。店内が暖色の照明だから分かりづらいけれど、彩音は見逃さない。
だって、恋する女の顔なのだから。
自分もきっと──あの子の事を話している時、同じ顔をしている──。
「高浪、あたしが水泳部だったの知ってたみたいで。部活に行かないのかって言ってきました」
「あんた達、友達だったの?」
「いえ。その頃はただのクラスメイトです。顔と名前がギリギリ一致するだけの、そんな関係。それなのに、どうしてそんな事を言ってくるのか分かりませんでした。というか、腹が立ちました」
部活で悩んでいる時に、事情を何も知らないクラスの男子がしたり顔でそんな事を言ってきたら苛立つに決まっている。
「それで怒ったんです。何様だって」
「そしたら?」
「……あたしの、ファンだって言いました」
うわ、ドン引きだ。事案発生だ。
でも──。
「あいつらしいわ」
「はい。ホント、高浪らしいです」
彩音と楓が、一緒に肩を使って笑う。
「何かの大会であたしが泳いでるとこ、見たらしいんです。それで、その……き、綺麗だったって、言ってくれました」
嬉しそうに目尻と頬を緩める楓。その視線は、ここにいない誰かに注がれている。
「……それで、楓ちゃんはどうしたの?」
「どうしたもの何も大混乱でしたよ。ドン引きもドン引きです」
「ホントごめんね……私とあいつのおじいさんのせいだわ……」
これは今日帰ったら再教育だ。
「い、いえ。逆にあれくらいストレートに言ってくれて、なんというか、良かったって思ってます」
「どうして?」
「あの時のあたし、色々と態度に出てて……家でも学校でも腫れ物扱いだったんです」
「それをあいつは容赦無く斬り込んだ訳か」
「……お陰で、分かったんです」
楓が彩音を見る。優しい瞳で、まっすぐに。
「タイムが伸びないヘタクソなあたしでも、見てくれてる人がいて、評価してくれてる人がいるんだって」
「……あいつ以外にも沢山いたでしょ?」
「いました。でも、やっぱり記録の話ばかりで──」
楓が言葉を切る。
そして、どこか遠慮をするような、そんな曖昧な浮かべて言った。
「あんな風に、純粋に『あたしの泳ぎ方が奇麗で好きだ』って言ってくれたの、あいつがはじめてだったんです」
「……それで続けられたのね」
「はい。泳ぐ事を嫌いにならずに済みました」
「そっか……」
分かっていた。分かっていたつもりだ。
けれど、改めて実感せざるを得ない。
秋山楓。この子は──強敵だ。
同時に、かけがえの無い戦友だとも感じた。
お読みいただきありがとうございます。のろけ話でした。
そろそろ女子デートも終わりそうです。




