#4 名倉蓮の場合
以前は殴ったり蹴ったりする光景を見ても大丈夫だった。そして殴られたり蹴られたりする光景を見ても平気だった。
むしろ好きな方だった。というか大好きだった。大好きではないとレフリーという職業は選ばない。
子供の頃からプロレスやボクシングを観戦するのが大好きで、親によく連れていってもらっていた。
格闘技の経験はほとんど無く、ボクササイズ程度の格闘技術しか僕にはなかった。
実際に誰かを殴り、誰かに殴られるなんて気が引けた。見ているのが一番楽しかった。
運動が苦手な僕もレフリーになることが出来た。
レフリーは格闘技が好きで、格闘技の知識が元々それなりにあれば、経験なんて関係がない。
日常生活で誰かに殴られることなんて、ほぼ起こらない。僕もそう思っていた。
だが、一度も殴られたことがなかった僕にも殴られるときがきた。
誰にも殴られないほどの優しさを僕は持っている。
いや、それを遥かに越える優しさを僕は今も持っている。
その、度を越える優しさが仇となった。
優しさからは嫉妬が生まれる。嫉妬からは暴力が生まれる。
妻は言葉で僕を殴り、それは拳に変わっていった。殴られる日々のなかで愛の恐ろしさを知った。殴られる痛みも知った。
妻に殴られる痛みを知ったことで、誰にも痛い思いをしてほしくないと、より思うようになった。
身体だけではない、全ての痛みが無くなればいい。
先程、試合で殴り合う選手を見て、確信した。もう無理だ。ツラい。
これからは妻と離れ、格闘技からも離れるつもりだ。
田舎でひっそりと暮らすことを選ぶ。もちろん精一杯、人生を歩む。
過去に何があったとしても今を全力で生きるしかないのだから。
中継で実況していたアナウンサーが不慣れで酷評を受けていたと聞いたが、彼のことはテレビで見たことがなく、全く知らない。