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女たちの同盟

作者: 戸袋荷物

山田雪子は不思議な女だ。

雪子は育ちが良い女だと思う。顔つきは控えめだが、利発そうな鷲鼻と美しい白い肌が上品である。趣味はクラシック音楽鑑賞、休日は美術館巡りをしているという。

しかし、いくら話しても、雪子の好きなものや嫌いなものがわからない。もはや、趣味のクラシックや美術館巡りすら怪しい。まるで宙に浮いているような感じで、実態が掴めないのだ。


「山田さんって、好きな曲とかありますか」

「なんでしょう…ショパンとかですかね」

「へぇ、ショパンのどんな曲ですか」

「特にこれといってないですけど、なんとなく聴いてます」

「美術館好きってことは、絵とか描くんすか」

「まぁ、好きな方ですかね。かなり時間に余裕ある時とか、気が向いたときくらいで、滅多に描かないですけどね」

「へぇ、好きな画家とかいるんですか」

「特には」

「じゃあ、服とか好きなブランドありますか」

「あまり気にしないですね。結構親が買ってくるので

親の買ってきた服着てるんですか」

「まぁ、ブランド物買ってくるので勿体無くて着てますけど、別に誰に見せるわけでもないですしね」

「へぇ、女って服とか好きじゃないすか。山田さん珍しいですよね」

「そうなんですかね」

「好きな食べ物は」

「取り立ててこれってものはないです」

「じゃあ嫌いな食べ物は」

「そんなないです。基本なんでも好きなので」

「そうですか。山田さんって怒ったりするんですか」

「あまりないと思います。怒ったりできなそう、と母にも言われるくらいで。多分私が怒っても気づかれないんだも思います。はは」


こんな調子である。

雪子には何のこだわりも目標も好き嫌いもない。激しい感情と呼べるものが彼女の中に存在しているのかどうか、澤山には疑わしかった。


しかし、ふとした拍子に驚くような事を言うのもまた雪子である。

先日も、職場で雑談していると、雪子が急に

「人を好きになるってどういう意味なんですかね」

と言った。

「その人のことを大事にしたいっていう気持ちが芽生えるみたいなことじゃないんすか」

澤山は適当なことを言った。

「人ってみんな自分が一番大事じゃないですか」

「それ以上に大事だと思うんじゃない、好きになったら

「でも、付き合う時点でそこまでですか」

「いや、それはわからないけど」

「てことは、付き合う時点では好き、ではないんですかね」

「多分その人の全てを手に入れたいみたいな、そういう気持ちなんじゃないすか。てか俺にも分かんないですよ。好きって何なんすかね」

「あはは、ですよね。それなら付き合う前にそういうことしちゃえば済む話ではないですか?私、常々思ってるけど、付き合ってから相性合わないって分かったらそっちのが悲惨じゃないですか」

「その発想やばいっすよ、山田さん」

雪子は、あははと笑った。

雪子の元彼は外国人だったという。どこの国だか知らないが、金髪というので欧米人だろう。性経験はあるらしかった。

澤山は、雪子の話を聞いて驚いた。というのは、初めて自分と同じ考えを持ち、それを隠そうとしない女を見つけたからだった。

大抵の女は、好きって何、とか、先にやっちゃえばいいなどと聞けば、男をクズ扱いし、男女の関係になったことの責任を全て男になすりつける。

雪子は不思議な女だ。

雪子の口からそんな言葉を聞くことになろうとは、夢にも思わなかった。


好きって何なんなんすかね

さぁ。私もよくわからないです


それから澤山と雪子はしょっちゅうそんな話をした。


「付き合ってた時とかどうだったんすか?好きでした?」

「好きだったと思うんですけど、それなりには」

「でも、忘れられるんですか」

「そうですね、じゃあそんなには好きじゃなかったのかも」

「はは、まじか。でもまぁ、別れてしばらくしたら忘れますよね」

「まやかしじゃないですか」

「確かに、いくらでも代わりの相手がいるし。実際恋愛感情って、人間の思い込みらしいですよ」

「なんてロマンのない…それ本当だとしても信じたくないです」

「まぁ、信じたくはないっすよね。山田さんってどんな人がタイプですか?」

「…タイプとかないです。大体、付き合うのって流れで…」


澤山は、雪子への興味を徐々に深めていった。話せば話すほど自分と似ている気がする。

でも、雪子には、好きなものも嫌いなものもなく、何を楽しみにして生きているのか分からない。大体人間には、ちょっとでも野望とか目標とか楽しみがあるものじゃないのか。

例えば、澤山はロックが好きだ。ライブに足繁く通い、自分でも歌ったり、演奏したりする。いつか、自分の作った音楽を誰かに聴いてもらいたい、という密かな願望もある。それが、今の澤山の楽しみであり、生き甲斐である。


「山田さんって、人生生きてて楽しいですか」

「生きててですか?まぁ、普通に楽しいと思いますけど」

「目標とかあるんですか」

「目標…あるにはありますよ」

「あるんですか」


意外だった。

雪子には、目標などないし、考えたこともないのではないかと、てっきり澤山は思い込んでいたのだが、どうやらそうではないらしい。澤山は、やっと雪子の人間らしいところを見つけた気がした。


「目標ってなんですか」

「それは、言っちゃダメなんじゃないですか。達成した後じゃなくちゃ」

「えー、何すか、それ。目標あるんですよね」

「あるけど言いたくないです。まあいいじゃありませんか」


雪子は、頑なに答えるのを拒否した。

澤山は雪子のことが気になって仕方がなくなった。雪子は澤山に似ていて、しかしどこか掴みきれないミステリアスさがある。

雪子のことをもっと知りたい。

澤山はいつの間にか雪子に夢中になっていた。


金曜日の夜に、雪子と飲むことになった。雪子が居酒屋に行くというイメージはまるでなかったが、飲み始めると案外しっくりくる。特に、日本酒を飲む雪子は可愛げがない代わりにやけに大人びて見える。


「二人で飲むことになるとは驚きましたね。他の四人がみんなダメになるなんて」

実際は、澤山がそう仕組んだのだが。

「本当にそうですね」


酔いが良い感じに回ってきたところで、澤山は雪子に飲み足りないから宅飲みにしませんか、と言った。

雪子は、良いですよ、と疑う様子もなくついてきた。

澤山の家に着くと、雪子はもう次に何をするか悟っていた。

二人でベッドに倒れこみ、そのまま沈んだ。


翌朝、澤山は、雪子を帰すのが惜しくなった。


その人の全てを手に入れたいみたいな、そういう気持ちなんじゃないすか。てか俺にも分かんないですよ。好きって何なんすかね。


澤山は、自分が雪子に言った言葉を思い出した。

身体だけでは足りない。雪子の心がほしい。

雪子のことが好きなのかも知れない。否、これが好きということだろう。この先も雪子を手放したくないという想いが澤山の心にフツフツと湧き上がっていた。

きっと雪子も同じ気持ちだろう。

澤山は、雪子が恋愛について意気揚々と持論を語って聞かせるのをいちいち心の中で頷きながら聞いていた。それは、雪子の言うことが毎回、澤山が常々考えていたことと同じで、過去に関係を持った何人もの女たちに話し、こっ酷く否定された話ばかりだったからだった。

澤山は、初めてそんな女に出会った。

雪子もきっと、澤山に何かを感じ取っているに違いない。

澤山は、雪子の頭を撫でながら言った。


「山田さん、俺たち似てると思いません?」

「そうですね。考え方とか」

「ですよね」


澤山は柄にもなく緊張して唾を呑んだ。澤山は自分自身に驚いていた。雪子に拒絶されるのが怖くなっている自分がいる。澤山は、雪子の手を握り、言葉を絞り出した。


「付き合わない?」


雪子は何も言わず、澤山にキスをした。

口元に笑みを浮かべている。

やっぱり君も俺のことをー

と言いかけたところだった。


「ごめんなさい、無理です」

「え?」

「考えられないです、澤山さんと付き合うとか」


澤山は一瞬言葉を失ったが、すぐに切り返した。


「でも、俺と君はこんなに似てるし、俺、初めて君みたいな人に出会ったんだ。君もだろ?」


雪子は、澤山の顔を見つめると堪え切れずに、ぷっと吹き出し、突然ケタケタと笑い始めた。


「ははははは」

涙まで出そうなくらい、まるで可笑しくてたまらないというように笑う。


澤山は瞬きも忘れて目を見張った。


「私が澤山さんみたいなクズと共感できるわけないじゃないですか」

雪子が冷たく言い放った。


「どうして…」

澤山の言葉は掠れて声にならなかった。


「ねぇ、私のこと覚えてませんか?」


雪子が布団の中で甘えた声を出した。


「覚えてないって…山田さん…入社したの今年ですよね?会ったこと…ない…ですよ」


しどろもどろになりながら答える澤山を、雪子は面白そうに眺める。


「本当にそうかしら」


雪子の瞳が澤山を一瞥した。澤山は軽く悪寒が走ったような気がした。澤山は、今抱いたばかりの雪子の身体をまじまじと見た。白い肌。小ぶりだが形の良い胸。へその横のホクロ。

澤山は、雪子の身体を知っていたような気がした。


「君、もしかして前にも…」


澤山は、雪子のうなじの傷を見たとたん、息を呑んだ。それは確証に変わった。

前にも雪子と寝たことがある。

澤山は思い出した。

その星型の傷に見覚えがある。


「前に貴方が私に聞かせたゴミみたいな話をしたんだもの、そりゃ似てるでしょうよ。笑っちゃう。ただやっただけの女なんて名前も覚えないのね。あなたってやっぱりクズ」

「でも、君、顔が…」

「そう、整形したの」


雪子がニタっと笑う。


「どうして…」

「大変だったのよ、貴方を追ってここまで来るのは」


澤山は恐ろしくなった。何なんだ、この女は。


「目的は何だ」

「目的なんてないわ、ただ私の気持ちを知ってもらいたかっただけ。良心的でしょ」


雪子は、かつて澤山と寝ていた。

澤山が学生時代に出会った雪子は、もっと鼻が低く、目も小さかったが、小動物のような可愛げのある女だった。

雪子が男慣れしていないことはすぐに分かった。澤山が酒の席で手を握っただけで、雪子は澤山を目で追うようになり、簡単に体を許した。

澤山は、雪子のことを好きというわけではなく、翌朝真剣な付き合いを求めた雪子を冷たくあしらった。今思えば、雪子はその時バージンだったのだろう。

「付き合う気ある?」

「ない」

「じゃあなんでしたの?好きじゃなくても出来るの?」

「うん。出来る。好きじゃなくても、好きって言えるし、かわいいとかも普通に言える。でもぼく、人好きになったことないし、付き合うのとか多分無理だわ。ごめん」

「それは…」

「ほんとクズだよね。まじで誰かに矯正してほしいくらいだわ。でも、君も同類だろ」

「付き合ってみたら好きになるかも」

「しつこいな。蒸し返すなよ」

「そうね」

雪子は笑った。

でも、そんなのはよくある話で、澤山は何の罪悪感も覚えていなかったし、それでも澤山とセックスをすることを拒否するような女はいなかった。


「残念ね」

目の前の雪子が言った。

「君がそんなに執念深い女だとは思わなかった」

「バカね、澤山くん」

雪子が笑いながら言う。

「私みたいなのが1人だと思ったら大間違いよ。澤山くんが今までセックスして捨てた女何人いるのかしら?」

澤山は言葉に詰まった。

「はは、分からないわよね。でも私は端数までしっかり知ってる」

「なんで…」

「言ったでしょ、私みたいなのが1人だと思わない方がいいって。女は黙って泣き寝入りするような柔な生き物じゃないの。あなたのセックスフレンドだった美幸ちゃん、いちばん怒ってたわよ」

「どこで美幸のことを…」

「美幸ちゃんだけじゃない。私たち、同盟を結成したの」

「私たちって…嘘だろ」

「嘘かどうかそのうち分かるわよ。私たち、一度全員集まって話し合ったの。気をつけて、あなたがこれから出会う女はみんな、過去にあなたが捨てた女かもしれないわよ。あなた、死ぬまでそれを繰り返すのね、可哀想に」


澤山のか細い声は全て雪子に掻き消された。

過去に捨てた女としか会えないだなんて、そんな馬鹿みたいな話を信じるわけにはいかないと思いながらも、ひんやりした汗が背筋に流れる。実際に澤山のもとに現れ、心を奪ってしまった雪子を目の前にして、そこはかとない恐ろしさを感じざるを得なかった。


「君のことを好きになった俺が馬鹿だった」

「全く同じ言葉をお返しするわ。でもあなたが馬鹿だったおかげで目標がひとつ達成できた」

雪子は朗らかにそう言うと、満足気な顔でさっさと帰っていった。


それからすぐ、雪子は会社を辞めた。転職先は随分前から決まっていたらしい。

澤山は、なんだか心の中が空っぽになった気がした。





ロックバンドのライブで出会った藍子と付き合い出して、二ヶ月が経った。

雪子の言ったことなど嘘だ。藍子は、素直で優しい女だ。


「ねぇ、運命の出会いって信じる?」

藍子が言った。

「運命ね…運命って偶然じゃない?会おう会おうとして会うんじゃなくて、自分が進んでく中で自然と同じ場所にいて出会ったら、それは運命なんじゃないの」

「はははは、面白い。うそ、澤山くん、運命とか信じてるんだ」

藍子は笑いながら言う。

「会おうとして会ったって、そうじゃなくて会ったってどうでも良くない?だって澤山くん、良い本買いたいと思って本屋に行って面白い本買ったら、それは運命じゃないの?ははは」

「それとこれとは違くない?」

「違くないよ、澤山くんが言ってるのって、本買おうとしてなくて雑貨屋で良い本見つけたら運命、みたいなことだもん。本屋じゃなくて雑貨屋で本見つけたいの?はは」

澤山は何も言えなくなった。

ただ、そうやって笑う藍子は、あの時の雪子に似ている気がした。

もしかして、藍子とも以前どこかで会っていたのだろうか。

まさかそんなはずないだろう、と思いながらも、澤山は藍子を信じきることが出来なくなった。


付き合い初めて三ヶ月が経つ頃、澤山は藍子と別れた。

別れ際、藍子は言った。

「あなたって、やっぱりバカね」




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