暗躍。
杦田は言う。
「……いいや。もはや現実世界では生きられなくなった娘の為に、私はこの世界を作ったに過ぎない。この、現実と同じ、いや、それ以上の、無限に広がり続ける世界を」
やはり、本意としてはそれであったのか。多大な親の愛だ。
ということは、彼の子供は今もこの世界にログインしているのだろうか?
しかし、ニコラスはそんなことには全く関心を示さず嗤いながら、
「――そんなことはないだろう、たとえばこのゲームの、アバターの戦闘補助プログラムなどがそうだ……このシステムの起動をVR環境下ではなく現実下で、アバターではなく体とリンクさせれば?」
「そんなことは出来ないよ――なぜなら人の肉体は機械のプログラムで動いているのではない、あくまで体の中に形成した疑似量子体、アバターに感覚を与えているだけだ。プログラムで動かせるのはそれだけだよ」
「だがこのVRで習熟したプロの動きの、その体感を五体に獲得させることで、一流の感覚を知ることが出来る。それで慣熟を早めさせることはできたのではありませんか?」
「どうしても君はそう思いたいようだが、――何故そう思うのかね?」
「――彼が証拠だ」
言われる。
「……」
唐突に渦中に立たされて、
「……何がですか?」
「君のその傑出した格闘技術、戦闘技能だよ……それは決してたった半年で身に付けられるものではない。しかしあの動きは体の芯に身に着いた感覚技術だった。おそらく君はあのβテスト会場でなんらかの特別な実験を受けたからこそそれが可能となり、テストの参加者としてマークさせないため一人帰されたのではないかな?」
……なるほど、そう言われればそう思える程度には――
ということはやはり、あの日一人だけ帰されたところを見ていた訳か?
最初から中りを付けていたのか。
しかし、
「……俺がしたのは、アップデートに使う魔法系職業のスキルのネガ出しなんですけど?」
「君にそういう自覚が無いということはこれまでの会話でもう分っているよ。ただ単に無自覚なだけだ」
いや、寧ろ、そういう格闘スキルはゲーム内で一切やり込んでいない。
本格的にゲームにのめり込んでいた一ヶ月、そこでも現実の戦闘技術には一切触れていない。NPC相手での対戦ならそこそこ遊んだが。
なので自分の格闘技術は全て現実由来である。ゲーム内のシステムの影響で才能染みたそれが芽生えた、などということはない筈なのだが。
考えられる可能性があるとすれば、それはニコラスが言う通り、杦田らがそうと思わせずに実験をしたということなのだが。
……そんな素振りはあったか?
ないと思う。
「ふ、ククク……」
嘲笑が響く。
その根源、この世界の支配者である杦田へと、自称CIA諜報員は示威の眼光を向ける。
「――何が可笑しい」
自分も疑問する、一体何がおかしいのかと。
杦田はこれ見よがしに手を振り、そこに画像の表示枠を乱立させる。
それは、このゲーム内で遊んでいるプレイヤーたちの映像だった。
魔物相手に武器を振りかざしそれを狩る姿や、プレイヤーを相手に何のためらいもなく剣を、刃を、鈍器を、拳を、振舞っているそれ――
自称CIAが言うところの、全く新しい訓練プログラムの実演とも言うべきそれだが。
背後にそれらを置き、杦田は語り始める。
「確かに、このゲームにはある種の危険性――何でもない一般人が、その心の資質を問われずに武器を取り敵に振りかざす……現実と変わらないそういう経験を積んでしまう、という危険性は存在している。現実と同じ感覚でアバターを動かせるのなら、戦いを繰り返せばそれが幻想染みた怪物でも人でも嫌でも戦う手段を身に着けて行く。
そしてその現実と見紛うほどの環境下で人を害し血を感じ続ければ、やがて現実感を失っていくかもしれない……それはどう足掻いても、このゲームのこのクオリティを維持する以上は排除できない危険性だった。それは確かに危険だろう、ゲームだからと言い人間ではないからと、生きる為でもなく楽しみの為に日常的に力を振るうことを良しとしてしまうのだからね。
だが、それでも現実で現実感を失うような輩は中々居ないよ。ここ一年と数ヶ月、ゲーム内を観察していた結果からもそれは明らかになっている。
その唯一の例外は、潜在的にそんな資質――非倫理的行動に対する欲求を抱えていた人間……その中でも特に倫理観を喪失している人間だった。
例えば、大人であるということを誤解するような人間、狂っていることこそを正しいとするような理念の持ち主、そしてそれを是としようとする、歪んだ価値観でしかありえなかった。ある意味で、戦地で心を病み狂気に苛まれる兵士もこれだ。たとえそこで病まずとも、自身の理念の切り替えが利かず、殺人を肯定したまま日常に帰ることで、人を殺したことに心を痛めていないという異常性に気付き、そこで心を壊す人間もいる。
それと同じように。
それが本当の意味でなんでもない――歪んだ価値観を持たない人間がこのゲームをプレイした場合に狂気に目覚めることがあれば、それは極めて危険だろう。……一番怖いのは、そんなただの日常生活の中で起こり得る心変わりだ。ゲームで性格が変わった、ということを危ぶむのはそういうことだろう?」
それは、絵本にも描かれていた。
ただの一般人が心を狂わせる件に。魔法使いが過ちに恐れを抱き省みたのもそこだ。
正しいと信じていたことが、自分を裏切り、人を狂気に陥らせてしまったら。
すると。
それに準える様に、現実でもそれが起きた時の映像まで映し出される。
それは、ありふれた教室での出来事、何気ない会話の筈が、突然堰を切ったように怒りを露わにし、友達が加害者になり、そして次の週にはいじめられている筈の少年が、激しい打撃を何のためらいもなく加害者に加えているシーンだ。
これを壊したのはどちらだろうか。家に帰ると、いじめられていた人間が、ゲームの中では人を相手に加虐的な行為に及び、ストレスを発散する為に無表情で獣を狩り続けている。これはどうしてか。
ある時は会社の上司に部下が、あるときは実の親に子供が――路上で、部屋の中で、自分自身に、被害者あるいは加害者に刃を向けている。なぜそうなったのか。
数え切れない。ネット上の動画から集めたのだろう、作り物ではない、用意したセリフではない生々しさ――
現実に、欲求的不満を抱えていない人間などいない。
そう考えると恐ろしい、誰でも狂気が迸る可能性を持っているということだ。
「しかし、それらストレスは通常、誰でも乗りこなしている。誰でも何らかのその欲求の発散や自己啓発、精神性の昇華、社会的手段によりそれを克服するかやり過ごしている。
ゲームはその手段の一つになっている、という意味では丁度いい逃げ口やはけ口、ストッパーとして、れっきとした娯楽としての役割を確かに果たしている、このゲームも。だが最も恐れるべきは人がそれを忘れることだ。
ゲームは楽しく遊ぶための物、ゲームにとって最も危険なのは、ゲームがゲームであるということを忘れてしまうということだよ。過ぎたるは猶及ばざるが如し――そうなればどんなゲームでも、いや、ありとあらゆるものが凶器に成り代わる」
今度は、映像の中で、ゲームで凶暴なまでのプレイをしている人間が、平日の会社や学校内ではそんな様子も見せずに、溌溂とした表情で生活をしている姿が映し出される。
昨日あった辛い事や嫌なことを忘れたように。そして同じことがあっても同じ様にそれを繰り返し、慣れて、ストレスがあるさえも日常として順化していく。
ただ、楽しさになれる。辛さにも慣れる。
そこでもう一度、今度はより強い感覚を、刺激を得られなければ満足できなくなる。
いじめや嫌がらせに耐えられるようになった被害者を、加害者がより凶悪なそれで責め始める。被害者はそれが現実で解決できずに延々と――加速度的に重態化していく。
ゲームへの依存にせよ加害行為にせよ。現実を解決するのは現実である。
そこで発散しきれなくなったそれが、例外的に、心を壊し、破裂して周囲にそれをまき散らしている。
ただそれだけだ。
しかし、どれも日常的な光景だ。
ならば、
「……君の言う様な、洗脳、そして技術を直接身体に焼き付けるなどというそれも、早期慣熟の可能性も、このゲームには存在していないよ。結局はシステムで補えない、人の問題だ……」
ほっと、していいのだろうか。
しかしゲームの欠陥でなくても、このゲームにVRシステムに危険性があることは依然として変わらない。
だがニコラスはまだそれを信じているのか、皮肉めいた笑みを浮かべている。一体なにを考えているのだろうか。
そこで杦田は、平静な声を浮かべる。
「あたかも、それがあるように見せかけはしたがね――彼を使って」
「……なに?」
「君たちは、あの日一人帰された彼に目を付けた。そこで、私は彼を使って君たちを罠に掛けたのだよ……君たちが欲するシステムがあたかも存在するようにね。彼の、天才的な格闘センスを利用して」
「……天才?」
「ああ、彼は天才だよ……こと単独での近接戦闘に置いてはプロの格闘家や軍人を遥かに凌駕するだろう……もしかしたら世界で10の指に入るかもしれない。少なくとも、ここに居る誰よりも強いだろうね」
「……はあ? このまともに訓練を積んでいない彼が?」
「一目見ただけで、技の本質を理解し模倣、もしくはアレンジし自分の物に出来るほどだよ?」
「それは天才だからではなく、それこそ君の実験によるものだろう?」
「いいや。……ふむ、では君たちはこれに勝てるかな?」
杦田は管理ツールを操作し、図書館ダンジョンの構造を組み替え、眼前に舞台を作り出す。
そして、そこに燐光のエフェクトと共に現れたのは、筋骨隆々とした人型の敵キャラだ。
ドラゴンや人知を超えた獣ではない。しかし、
「闘技場で催されるNPCバトルモード、勝ち抜き総当たり戦、その最難関とされるレベルだ――登録された肩を模倣するだけのゲームスキルでは絶対に勝てない。プレイヤースキル……現実での能力が要求される。試しにやってみたまえ。武器の使用も各種向上系スキルの使用も可だ」
ニコラスの無言の指示に従い、アーノルドが前に出る。
開けられたスペース、蔵書の壁が囲むその中央で、位置に着き、構えを取る。
格闘ゲーム染みたカウントダウンがどこからともなく響く。
そして、合図のラッパと共に戦闘が開始される。
軽く脇を開け肘を曲げ拳をいつでも伸ばせるように構える、徒手空拳の格闘家――
厚みのある筋肉、ヘビー級のボクサーやレスラーを遥かに超える筋肉量のそれを前にしたアーノルドは迷わず腰のナイフを抜き逆手に持ち、打撃でも突撃でも対応できるよう軽く腰を落とし足裏を軽く地面に置いた。
その瞬間、既に眼前に迫っていた巨大な拳に気付く。
人体が出せるスピードを遥かに超えた速さだったそれを奇跡的に、咄嗟に腰を屈めた瞬間、頭部をかすめた危うい風切り音に意識を奪われた。刹那、すれ違う瞬間眼下を丸太のような膝蹴りが通過し容赦なく腹に突き刺さるのを交差させた両腕で防ぐがそのまま力でかち上げられた。
よろめき後退しながら、追撃の牽制にナイフを横薙ぎに一閃、しかしその瞬間には敵はアーノルドの背後に猛獣のような前傾姿勢で弧を描くよう駆け抜けていた。
その無防備な背中に容赦なく打ち下ろしの拳を全力で叩き込んだ。
アーノルドは耐えるが今度は前によろめき、そして振り返った瞬間にはそこに敵の姿はなく、辺りに遮二無二に視界を走らせるが、地面を蹴る爆発的な足音を聞いた瞬間今度は横殴りに吹き飛ばされた。
真横からの強烈な直蹴りが彼の横腹を突き抜け吹き飛ばし、くの字になりながら地面を転がった。
10秒と持たなかった。圧倒的な強さであるそれに、
「……勝てるわけがないだろう、現実を超えている、人間にはこんなスピードもパワーも出せない。普通の人間の身体能力ならともかく、こんなバカげたもの――」
「そう……まず普通の人間じゃ勝てない――しかし、彼なら違う」
「それこそ彼が君たちの被検体だからだろう」
「いいや……彼はゲーマーだから、勝てる」
それに、自分は杦田が言いたいことがなんなのか理解した。それは天才とか言われるよりよっぽどしっくりくる。
「じゃあ悪いんだが明人君、頼めるかな?」
「……じゃあちょっと待ってください」
装備の内邪魔なものを置く。武器である人形用のトランクケースも舞台の隅に置き、ロングストールのみを身に付け直す。
中央に行き、呼吸を整える。
集中する。緊張の上限と、リラックスの下弦を行き来し、それを平常に慣らし、入念に自然体を作り、
「――どうぞ」
カウントダウン、そして、ラッパが鳴った。
「……おそらく君たちは彼の現実での武術訓練や実績などを調査したのだろうが――」
開始直後から、敵キャラは先ほどの戦いで見せた突出した能力に任せた行動に出る。
正面から見れば瞬間移動と見紛うほどのそれが音も立てずに飛び込んで来る。
常人であれば反応すら出来ない、そして訓練を受けた人間でも辛うじて避けられる程度、だが――
「彼の経験値はそれだけではないよ」
右の拳――それを明人は、そこに来ることが分っていたように難なく拳を下から打ち上げ、軌道を逸らした。
ニコラスたちはそれを凝視する。
半歩、明人は体を右にずらす。
更に追撃――すれ違いざまの膝蹴りではない、一拍置き、中距離に対応した弧を描く回し蹴りが明人の左から放たれる。それが雷光のような速さで明人に迫るがそれより一瞬早く前に出た。
その薙ぎ払いの一撃が失速する範囲、そこに体を置くと同時、明人は畳んだ肘をわき腹に振り回す様に一撃を狙うが、敵は範囲拡大の為に軸足で飛び、強引に体を回転、後ろ回しの左、米神を狙い爪先の尖った右――連続の飛び二連蹴りに変化させた。
失速する筈がより速度が乗り重く鋭くなった二つのそれは、受ければ体格差から吹き飛ばされるか、膝を着くであろう蹴撃だ――
目まぐるしく角度と手数を変化させたその蹴りからも、だがその前に、明人は敵が軸足で飛んだ時点で、バックステップで一瞬早く逃れていた。
敵は体勢を崩しうつ伏せに着地する――次の姿勢を取るまで一拍の停滞が起きる。
ニコラスはそう思った。そこで自分達なら銃を上から突き付けるか、格闘術限定ならそこで蹴りを見舞うだろうと。
詰みだ。
しかしその瞬間そのまま即座に両手両足を使い敵は四足獣のようバネを生かしたクラウチングスタートで頭突き込みのぶちかまし低空タックルを明人に見舞った――
その秒間は一秒の――六十分の1の予備動作にも満たない――
通常の人間の判断力と反射を越えた、プログラムと処理速度の行動――
ニコラスはそれを予期できなかった。
しかし、その瞬間起きたことに目を見開く。
「っ?! ……何故分かった……!?」
明人はまるで予めそれが見えていたかのように、その背中を足場にし、ただ歩くように一歩でゆるりと踏み越え跳躍した。
それを予測しできた人間は他の諜報員にも居なかった。制圧時に無抵抗を示し投降する振りをして、ああして駆け出す人間なら居るかもしれないが、着地の瞬間に転じたそれを――
分かる筈もない。しかし、分かっていなければ今の回避行動はとれない。
それが何故出来たのか。
それに杦田は答える。
「――ゲーマーだからだよ」
無視して獣の様相から敵は立ち上がり明人に向かって行く。
筋肉量に任せたまるで砲丸のような打撃が恐ろしくコンパクトな打撃フォーム――ボクシングの軽い拳打と横から弧を描くフック、そしてストレートと組み合わせ、まるで散弾地雷をぶちまけた悪夢のような打撃をまるで音楽に合わせるかのように軽々とスウェー、上体を反らし、傾け、最接近した位置から放たれる鉄球クレーンのようなアッパーを避ける。
それが中国武術の構えと打法に代わり、足運びも弾くようなタップのそれから流れる様な動作に代わる。いったい幾つの格闘術が組み込まれているのか。しかし明人は踊るようにその背中側、拳打の死角に入り込み、また総合格闘技のコンパクトな打ち込みからの組技への流れも事前に察知していたかのように避け切る。
まるで綺麗に打ち合わせをした殺陣のようだ。
何故それが、ゲームをしていれば分るのか。
「……ゲームがなんだというつもりだ」
「いやいや、正直、君たちはゲームを舐め過ぎだ。今日日囲碁や将棋、チェスなどその世界のトップでもAIに一矢報いることすら出来ないんだよ? 彼がゲームで常日頃から経験してきた戦闘はそのレベル――完全没入型でなくても、今くらいの格闘戦なら一昔前のゲームセンターや家庭用のそれでも戦える、広い部屋があればだが。
今、彼があの超人染みた動きのそれと戦えているのは、そのころから、そんなゲームで【体を動かし】【見て】【当て】【避ける】長い時間を積んでいたからだよ――それこそ、彼がゲームに触れたころからずっと、十数年」
βテスト当日、杦田が見た彼のプロフィール、そこに書かれていたゲーム遍歴で一番長かったのはアーケードのVR格闘ゲームだ。総時間ではMMOもそれに並ぶが。そしてもっと言ってしまえば、彼は、この戦いをもう既に経験済みで攻略済み――やり込み済みというのもあるだろうが。
彼は経験している、現実の格闘家から動作パターンをモーションキャプチャーで取り込んだ限りなくリアルなその中で、自分の身体で格闘に対する動作を長い時間体感し続けた。
その結果――
「それが類まれなる格闘センスとして結実していたのか、もしくは元々持ち得ていた天性のそれと化学反応を起こしたのか、もちろん、間違いなく現実に積み重ねた経験にもよるものだが。真相は分からないが――……そこを君たちは勘違いしたのさ」
彼のゲーマーとしての土台は二つあり、一つは格闘ゲームだ。MMOはどちらかというとコミュニケーションツールである。
格闘ゲーマーはある程度は動体視力でキャラの動きを見切り後対応しているが、それ以上に経験から敵の動きを半ば先に反射して予測して動いてもいる。
それに必要なのが経験とセンス――感であり観、そして勘だ。
知っているフェイントや動作に、もしくはそうでなくても類推し、身体が自然に反応し最適に対応するそれだ。
眼で捉えている、というより、脳で先に捉えている、というべき反応だ。60分の1秒を人の動体視力ではスローモーションのような体感では見えたりはしない。
見えている人もごく稀に居るにはいるが、その中で、コマンドを入力し対応すること――反射の後出しを的確に出す為にはあらかじめそれを予測し指先に置いておく必要がある。
達人同士の戦いでよくある、先に動いたら負け、の状態だが、これに近い。
武術は突き詰めれば相手より早く一撃を叩き込むかということだ。それ故必ず行きつくのは必殺とも呼べる速さか重さのそれに行きつく。
相手の隙を作り虚を付く仕掛けや、型の予備動作や足運びすら邪魔になる、必殺の体勢を作り出す運び……動作の無駄を削ぎ落した最適の一手――
一瞬だ。その前には余計な動きをした方が負ける。
それを両者が持った場合、それは如何に相手に気取られないように必殺の体勢に持ち込もうとする思考の戦いになる。
そこで微動だにせず、その読みを外す虚の仕掛け合い、相手の意識から外れて動く為の忍ばせ合いが繰り広げられる。
見た瞬間には終わっているからだ。
それは反射神経や動体視力だけではどうにもならない。状況が動く前に察する、当て勘や避け勘といった戦闘勘――センスが必要なのだ。
「――現実を追求すればするほど、技術を突き詰めれば詰めるほど、自ずと一つの同じ答えになることは多々ある。現実とはえてしてそんな想像力のぶつかり合いとすり合わせに満ちている――想像していなかったことに人は対応できない、逆に、想像してさえいれば対応は取れる」
目の前の戦闘も、同様の展開を迎えていた。
明人は数秒間、自身の構えを、足運びの初動を組み替える。
それにAIが反応し、タックルを前提とした前傾姿勢に、拳の構えを脇を開いたそれから、右をかるく上に、左を脇に付け腰溜めに、またはその逆に……その都度最適な迎撃態勢に、変更していく。
遊ばれている。明人がほんの一cm程度、ほんの僅かに立ち位置を変える度に。
思考の逡巡が無いそれ故に、その足の置き方に、身体の開き方、傾け方に、最適な行動プログラムを取ろうとして、迷いが無いが故に敏感に対応して――
誘い込まれる。登録された戦術で最適解が得られない為、ステータスの上限――最大の威力を持つ、大振りのそれを選択させられて。
プログラムの反射速度でそれを強制停止、回避しようとする。
だが遅く、明人はほぼ水平に一歩で跳んだ。
縮地――それは現実の武術の歩法だ。
明人が現実で、稽古で覚えた。
重力に身を任せ、地の丸み、緯度や経度を利用して――
それはあくまでイメージ――体の上下運動を力まず抑え込む為の。
足裏をなるべく地面から離さず、最小最短の動作での無駄のない歩法の発展――好きの少ない摺り足の前後動作――軸足と踏み足の組み換え、連動すら極端に少なくするため、一歩二歩という歩数を減らすために、歩くでも走るでもなく脚と足のバネでほぼ真横に跳ぶ。
それも予備動作で悟られないように、上半身の構えはそのままに、更に負荷を減らす為、踏み込みの音で悟らせぬため、筋力だけでなくそれは下半身の重心移動で疾空する。
正面から見れば体勢はほぼ変わらず、それはロクに動いているようにも見えずまるで地面が縮んだように見える。
それは摺り足という技巧の概念を極端に昇華した例ともいえる。
それをプログラムの隙間に叩き込む。
完全にフリーズしたそこに、加速の終点で腰を入れた肘鉄を内臓にめり込ませた瞬間、震脚にさらに上乗せする様全身を震わせ、点の破壊に重ね振動を伝播、内臓を爆発させるような衝撃が襲う。
一撃、それで敵のHPは削り切られたのか、倒れて、そして消えた。
稽古で見て真似ただけではなく、独自解釈に寄り足りない部分を補填、もしくはアレンジすることで実現した。
それは脳に刻まれた経験だけでなく、確かなセンスに裏打ちされたものだった。
それを見届けて、
「さあて、時間稼ぎは終わりだ」
杦田は告げる。
唐突に聞かされたそれにニコラスは疑問を浮かべ、
「……なに?」
内心の冷や汗を隠すよう、あえて言葉を吐露し、困惑した。
自分も疑問した。いま、彼はなんと言ったのか。ニコラス、そして彼の仲間のアーノルド、べスター、ジャックは、顔も顰めず冷たい表情でそれぞれに目配せをする。
水面下で何らかが蠢く気配を感じる。
杦田は諦観をねかせた頬で、仇敵とも言うべき相手達に対し、感情を叩き付けるでもなく、朗々と、それに不穏を感じた瞬間、しかし更に彼はまた淡々と告発を始めた。
「愚かだよ、君は。――確かに君は本来であればCIAに切り捨てられてはいなかったのかもしれない。が、君はそれが信じられず得点を稼ごうと私的に再びテロリストとコンタクトを取った。そこで君は反省の色なし――国家の決定と意向を裏切っているに過ぎないとされ――そしてもはや君の上司は君を不穏分子と判断し、正式に処分を下そうとしたのだろう?」
自分はまたどういうことなのかと彼らを凝視する。
それに彼らは応えようとすらしない、どころか、そこで目を閉じていた。
ここではないどこかで、何かが変わったように。
瞼の中でシステムツリーを展開しログアウトしようとしている、のか?
しかし、
「愛国心溢れる君はその事が認められず、いや、許せず。それでも国の為にと言い訳して逃亡を図った。そしてその世に出た技術の多大な危険性の管理という名目の元――極秘裏に、国家間の交渉や取り引きを経ずして私達から接収し、自国で利用できるようにすることで現職に復帰しようとした――もしくは、自分を罰そうとした国を正す為、と、仮想敵国やそれこそテロリストに売り渡そうとしている……だろう?」
独白のよう、一方的な狂言回しのように杦田は構わず語り掛け続けた。
また、救いようのない――吐き気がする。
そんなものは生ぬるいくらいの、彼の眼の中には、作られたアバター越しにも暗々とした影が渦を巻いているようにしかみえない。
怒りに感情を噴き付けるのではなく、現実にこれからどうするのか、あらゆる残酷な手段を黙々と、頭の中で飽きずに何度も人を殺し続けながら滾々と絶え間なく考え続けているような、見えない狂気の気配がする。
緩やかに、それが繰り出す何かが彼らを追い詰めようとしているのは分った。
もう彼は行動に移し終わっているのだ。
牙を剥くのではなく隠すために口を噤みながら、既に。
現実の彼らの肉に噛み付いているように、杦田は彼らの動揺を全く見ていない。
既にその結果が出るのを待っている。
「――糞! なにしてやがる!?」
そこでアーノルドは必死の形相で睨みつけながら殴り掛かろうとした。
それに微動だにせず、杦田は超能力でも使ったかのように彼を宙に浮かせそこに拘束した。
オリヴィアを除いたそれに、ニコラスらは舌打ちしながら再び何かを瞼の中で操作し続ける。
杦田は今気付いたというように、
「――ああ、一時的に内部からはログアウトできないようにさせて貰ったよ。ここから出たければ外の人間に直接ヘッドセットを外して貰う事だが。まあそんなことをすれば数分は動けなくなるだろう――君の元同僚に協力したければするといい」
するとニコラスは諦めたのか、システムツリーの操作を止める。
そして顔を歪めて、尋ねた。
「……何時から共謀していた」
「君が姿を消した時点でだよ」
なんのことなのか。杦田は、まるで抑揚のない、無機物のような殺意に耐え切れなくなり、包丁があるなら既にそれを振り切っていた、その跡のような声で、
「……ようやく、君のような害虫をこの世界から排除できる。ああ、我慢が出来なかったよ……君のような人間が私の作ったこの世界に、娘の居る場所に居るなんて本当は耐えられなかった……それもようやく終わる……」
そう告げる。
それに、
「――なら殺すか?」
ここでは本当に殺せない、そして、現実でもそれは出来ない。
それをあまりにも軽々しく冗談の様に侮辱したニコラスを、杦田は一瞥もせず唾を吐き付ける。
「……君はきっと勝手に死ぬだろう? 自分で自分に酔いながら、惨めに、仲間の手に掛ってね……」
それでも彼は高を括って皮肉げに嘲笑を返した。しかし、
「ああそれと、私との接触の為に、君の言う下らないゲームに費やした時間はどうだったかね? 世界の守護者を気取る君たちがここまでの無駄足に――このゲームに踊らされて四苦八苦する姿は――滑稽の極みだったが」
「……クソだ!」
それには流石に憎々し気に彼は口を歪め、現状をそう呟く。
と、彼らの前に虚空から棺が現れる。
毒々しい血の塊、腐った瘡蓋を磨いたようなそれが開かれる。中には腐汁と蛆が湧き出る鉄針が無数に犇めいていた。
そこに戦慄も、悲鳴を上げる間もなく吸い込まれる。
と同時に、しばらく絶命の振動だけが残り、そして消えた。
「……これでもう彼らはこの世界には来れない、来ないだろうが、来ても、あの中からスタートすることになる」
それはクリエイターとして、家族としてのささやかな復讐だろうか。
しかし、少しも晴れやかな顔はしていない。
「いま、現実で彼らは本物のCIAに確保されているところだろう。どうも少々手こずったようだがね。その連絡が来るまで彼らをここに拘束することが私の仕事だった」
「……いつからですか? 何が、どこまで本当で、どこまで嘘なんですか?」
杦田は、そこでようやく、ほんの少しだけ穏やかな眼をして、こちらを見た。その残りははどこか苦渋と、申し訳なさに満ちていた。
オリヴィアは、何から口に出せばいいのか分らないというように、唇を開きあぐねている。
それから、杦田からゆっくりと、
「我々が姿を消した、というところは事実かな。……私はもう表に出るつもりはなかった。国と政府という生き物がもはや信用できなくてね。このゲームを最後の作品として、クリエイターとして、技術者としても、娘の為にも隠居、隠遁しようと思っていた。……だが、このままではこれに関わる者たちが同じ悲劇に、それ以上に甚大なテロ行為が行われると危ぶみ――両国家と彼らを捕まえる為の策を練っていた。何せ彼らは元CIAの腕利きだ。あちらがわのテロ対策や情報網、こちら側の監視システムも熟知していてね――そこで仕方なしに、サーバーや開発データを今我々の手元にあるもの以外を処分し、姿を隠したまま協力したと言う訳だよ。情報の共有は最小に、協調はせず、各々の判断で、最低限の約束で」
完璧な狂言、ではないのか。依然、彼らの居場所は彼らしか知らないのか。
「――国も一枚噛んでるんですか?」
「一応、という程度だが、スタッフの家族に関しての保護を頼んだ。そんな大人数がプロでもないのに長期間潜伏しておけるわけがなかったのでね。彼らはとある自衛隊の基地に居るよ。長期のシェルター使用における問題のモニタリングとしてね」
「……じゃあ、さっきまでいたアレは……」
「正真正銘の、テロリストだよ」
そう言った杦田は、続けて何かを言い掛けたよう口を半開きにし、しかしそれを止めた。
絶句する。分っていたつもりだが、改めてはっきりと聞かされると。
自分の隣のそんなものが何食わぬ顔で座っていたとか、ゲームの話をしていたとか、それ以上に、目の前の人の家族を奪う原因だったとか。
遅れて、今ハッキリと、怒りが沸々と煮え滾り始める。
「――正直、……死刑でも足りねえ……」
「……妻と娘も、そう言ってくれると救われるよ……」
「……」
それでも足りないだろう。五体を一cmずつ先端から輪切りに刻めばまともな悲鳴くらい上げるんじゃないだろうか。
しかし、杦田の気持ちを鑑みると、やはり何も言えない。
しかし――
「……あんたは?」
そこに一人、申し訳なさげに佇み残っているオリヴィアに目を向ける。
「申し訳ありません。私は彼らの居場所を特定することが目的でした……完全には信用されていませんでしたから、おおよそ全ての協力員が特定できたのはつい昨日のことで……今日、彼らを同時に確保する人員を揃えるのに時間が掛ってしまうから、こんなことをしてもらいました」
「彼女はいわゆる潜入捜査員だね……彼らに情報を流すことで、その行動をある程度制御していた。二重スパイという奴だよ……」
テロリストでなくても、諜報員であることには変わりないのか。
それでも普通、自分を告発した相手を受け入れるとは思えないのだが。それに、ニコラスも、死人を出したテロ行為の幇助なんて、それに厳格なアメリカなら終身刑とかになりそうなものだが、どうして免職程度で済んでいたのか。国家機関に所属する人間の犯罪だから裁けなかったのか、それとも、罪状事態をうやむやにしたのか?
一応、彼らに従っていたみたいだが、先ほどの、いや、彼らといるときの口数の少なさは、上官に対する従服かと思っていたがその所為か?
「貴方には申し訳ないけど、おかげで彼らを誘い出すことが出来ました……。
難しい案件でしたが、――彼にしてみればそれも復讐の一環だったのでしょう。私が彼らの目の前で父を探している体を装ってしばらく、『君も免職扱いなのに勝手に動いていることを局に報告する、これ以上立場を悪くしたくなければ協力しろ』と接触があり、どうにかここまでこぎ着けました」
一体、幾つの顔を上塗りしているのか。しかし、そんな彼女は非常に申し訳なさげにアバターを動かし、
口調が変わっている――妙に畏まった、丁寧なそれに。
これは本当の彼女――否、陳謝用の姿勢なのだろうか。分からない。
「……餌にされたってこと?」
「はい……ですので誠に申し訳ありません。ただ、あなたはそれより先に、βテストの日からあの試験場を張っていた産業スパイにマークされていました。その情報がちょうど一月くらい前に彼らの元に入って、そこから特別な監視対象の一つに――という経緯です」
「偶然?」
「ええ。そこでつい先日、先程彼らが話したような関心を――事件での貴方の立ち回りと武術のスキルから、確信を持ち――」
「――いや、じゃああの事件は? 万代の母親は、一命を取り留めたけれど重傷で。万代も決して無事とは言えない、それも作り話だっていうのか?!」
それとも、おびき出すためにわざと引き起こしたというのか?
まさか――そうだとしたら。
「――いいや。……あれだけは残念ながら全て現実に起きたことだよ。――予見と予告めいたことが出来たのは単純に、AIでゲーム内での危険な会話を収集させていたからだ。彼は、君のゲーム仲間だったからね……幸か不幸か、連携らしい連携を取っていなかったからこそ起きた、不測の事態でもあった」
それに杦田は苦々し気に肩を竦める。
……それじゃあ、世間で自警団、ていうかヒーロー染みた行動が増えてるっていうのは?
しかし、
「じゃあ――」
あれがなんの仕込みもなく現実に発生したそれだというのなら。
「ああ。――VR環境に関する精神的耐性、社会的免疫が追い付いていないのは事実だ。そこはテレビのワイドショーや、先ほど私も口にした通り、その通りだと思うよ。が――それだけだ。そういう問題は過去、新技術が現れるたびに出て来た問題だよ。馬車があるから交通事故が、飛行機が生まれたから墜落が、ネットがあるからウイルスやサイバーテロが。その程度では国家の危機などとは程遠い――」
少数の不幸の黙認――
未必の故意でもなく、悪意と偶然の産物――
しかし、
「……リアリティを低減することで予防は?」
「有効だろうが……個人的な事情だが……こればかりは無責任な我儘だというのは認めるよ。だがいずれは……というのも言い訳だなあ……」
善意に依存するのも問題である、ということは分かっているのだろう。が、
「……俺は責めませんよ。でも、娘さん専用の――いや、医療やストレス緩和用に限った、メンタルケア用のサーバーは用意できなかったんですか?」
「規模と予算の問題から、設立と運営が厳しくてね……ごく少数――それも実質医療の外側にある設備投資に、保険の適用や援助金は難しい……これもまだ、時代が追い付いていないのさ」
「……そうだったんですか……」
大勢の人が利用し金を落とすMMOという媒体だからこそ――様々なバーター、スポンサーを付けたからこそ、今のところ維持出来ているのか。
頭の処理が限界を迎える。
……なんだったのだろうか。
今までの出来事は、たった一人の悪意とか、社会の情勢とか、善意のこじつけとか。人が拗らせたそれらで、まるで現実感が湧かない様なそれらに巻き込まれて……。
溜息が止まらない。
頭の中がおかしくなりそうだ。
誰の所為なんだ。
短い期間だったかもしれないが、元恋人とよりを戻そうとして、なんでこんなことになったんだ。
頭を掻き毟り、しゃがみ込む。
「――大丈夫かい?!」
杦田が、オリヴィアが駆け寄ってくるが、気にしていられない。
「……つぐみは……」
「ええ。だから、貴方の大切な人は、貴方が彼らにマークされていたと判断されたときに、念の為に博士の手で保護させて貰いました。最悪、」
「彼女にはこのVRシステムを使った別プロジェクト――長期入院患者用のストレス緩和プログラムにある、体感型の絵本のシナリオや、読み聞かせ役として参加して貰っているよ。そうと知らせずにね」
彼女の家族にも自分の両親にも、そうと分らないように警護を付けていたらしい。そこまでを聞いて、泣きそうになった。
最悪――それを想像した。もし本当に、自分の中に居る誰かが居なくなっていたら。
それが大切な人だったら。
「あああ……」
「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」
「巻き込んでしまって本当に済まない……すぐに彼女の元に連れて行くよ。ログアウトして部屋で待っていたまえ」
元恋人を真っ先に気にする自分に、彼はほんの少し憧憬染みた視線で微笑んでいる。
大切な人を失った彼にそんなことをされてしまったら、何も責められない。
「……はい」
嘘でよかったのだと思い、納得することにした。
そして自分は直ぐログアウトの手続きを取った。オリヴィアも事後処理と報告、彼女の本当の上司の元に赴く為、ログアウトした。
あるべき日常に帰還する――そう思っていた。
その日、スライムは別れの挨拶に現れなかった。




