謎と疑問。
疑問する。
「……何故俺なんですか?」
「……善意に奮い立ったプレイヤーの中には、たまたまその場に居合わせたにしては明らかにおかしな人間が居る……少数だが、君のように。が、どうしてそんなことが出来たと思う?」
「……」
自分は杦田に直接言われたからだが。他も、たまたまタイミングよくそこに居たからじゃないのか?
「……とりあえず、君以外のプレイヤーから得た情報では、本当にただの生活圏で起こる事件などに自然に遭遇し、自発的な行動でそれを行ったそれと――同じプレイヤーから忠告や予言めいた情報を受け、それに従い先回りした対応をした、と言う者がいたよ。だがそのプレイヤー達はどうしてそんな予告が出来たと思う?」
「ああ――」
それが危機として危ぶんでいただけなら、精度の高い情報にはならない。自分のように、丁度そのタイミングで現れるなんて不可能だ。
明確にそれが起こると知っていたのだ。自分も杦田にではなく、以前からの知り合いにそれに近いことを別のMMOゲームで言われたが、それはこれとは関係ないだろう。
だが、彼らに情報を告げたプレイヤー達は何故その明確な内容を知っていたのか。
それはおそらく、
「我々はそのプレイヤー達を、開発スタッフの誰かではないかと思っている。そして君もゲーム内で、何者かに今回の事件を示唆されたんじゃないかな?」
もっと言えば、確実に、彼らと接触を持った、と思っているのだろう。
かなり露骨なカマ掛けだが――これは本当に共犯者扱いされているのだろうか。
しかし確かに、そんなこと普通のプレイヤーに出来るわけがない。予め、その人間がどこで事件を起こすなんて分かるわけがない。
だが、忠告をした人間が、そう動くように指示していれば別だ。
マッチポンプも含めてそれは、きっと彼らが『洗脳』を可能と判断するに至った要因の一つかもしれない。
「……それで……」
「ああ、だから君に内部で君に情報を渡したプレイヤーに接触して貰えないかと思っている。君は彼に実際に接触を持ったことがあるのだろう? 少なくとも彼の人物像についてそんな詳しく語れるくらいには。そしてそんな縁があるなら我々や他の人間より確実に話が通る可能性がある――と思うんだが」
コネ採用――いや、犯人の説得を親に頼もうとするようなものか。
実際、その縁でゲーム機を貰い、先日も連絡が取れた様なものだ。
間違ってはいない。しかし、それは今自分が口を滑らせた内容からなのだろうか。それがゲームの中でか、それともこれ以前のところでかは口にしていない。
「……我々ももう既にゲーム内での開発者への接触を試みているんだ。が……まず間違いなく何らかの方法で我々の素性や経歴を暴いているのだろう……近づけた手応すら得られない。それも様々な訓練を越えて来た諜報員たちがここ数ヶ月そろってVRゲームに興じレベルを上げたりアイテムを集めたりトロフィーを集めたりゲームをやり込んでイベントで接触できないかと粘った結果だ。――はっはっは……文字通り、何を遊んでいるのかと上司の堪忍袋の緒が切れたよ……」
「……日本語が堪能ですね」
「ありがとう」
しかしシュール光景である。仕事柄、その辺の軍人や警察より遥かに高い知性を誇るであろう諜報員たちがベッドで寝ながら脳内でゲームしてるとか。
まあ、普通のネトゲより遥かにましか、薄暗い部屋で画面だけが光りテーブルを片手にジャンクフードしている光景よりは。
「そこで、出来れば君にはゲーム内で彼らにGMコールして連絡を取ってほしい。まずゲーム内で構わない、我々の誰かを居合わせられるように場所を指定してもいいし、君自身が彼らと話をして現実での居場所を聞いて貰ってもいい」
「現実で会おうとはしないんですか?」
「物事は何事も段階を追ってだ……君が我々と接触し、そういうことを依頼されていると思われても困るから、まずは相手に差し障りのない範囲で、君なりに情報を引き出して見てくれ」
「……何の指示もないんですか?」
「いきなりプロみたいな話術で誘導尋問みたいなことをしたらおかしいだろう? これも段階だよ。だから矛盾しているかもしれないが、我々と話したことも話しても構わない」
「……向こうの味方の振りをしろってことですか?」
「いいや。自然な成り行きとしてだよ。そうだな、例えば我々が居ても居なくても、この後君はどうした?」
「……普通に後輩を探してましたね」
「なら、君のガールフレンドに会いたい、安全であることを証明してほしい、と言う筈じゃないかい? そういうことだよ。何らかの方法で開発者達は我々の情報を把握している節があるからね。……隠しても無駄かもしれないが、しかし君がこちら側と思われてはいけない――敵でも味方でもない、中立が君の今の本当の立ち位置だろう? それに相応しい会話をしなければ」
「……なるほど」
確かに自然な会話だ。その中で多分、確かに、ここに居る彼らの事も話すだろう。
これが諜報員の機微なのか。
「……で、そこを尾行するんですか?」
「理想はそれだが、やってくれるかい?」
「……」
黙考する。自分はこれからどうなるのだろうかと。ここで断ったらそれも逃亡幇助として公務執行妨害とか日米間の何らかの条約に引っ掛かるのだろうか?
杦田に言われるままにモズのところに来て彼を助けることにはなったが。
彼女の安全を確認したいのも事実――
しかし、杦田を信じるならだが。彼の言い分では彼女の身の安全の為――なのだから、自分がそれを求めそこに行くことは危険なのでは……。
どうすればいいのか。
そのへんを含めて、杦田に聞けるなら聞いた方がいいのではないのか。
色々と考え、
「……こちらの都合もあるので、結果如何に関わらず、一回……いや、一日だけなら」
「それで構わないよ。ありがとう協力に感謝する」
それから彼らと共に、黒のハイエースワゴン車は高速道路を走行した。
自宅アパート前で。
車を降りる。
「あ、中で情報が入ったら連絡しますから、アドレスを教えてくれますか?」
「――いや、それはしない方がいい。ハッキングでどんな人間関係を持っているのか、そこから素性がバレている可能性もある」
「ああ、分りました」
そういうと彼らはそのままエンジン音を響かせそこを走り去る。
そこに、彼女も残るのは、彼らへの連絡要員としての役割らしい。連絡手段に機械を使わず人を使うなんて、徹底した情報のやり取りだ。
時間は夜の七時を回っていた。途中で食事とトイレ休憩をはさみここに来たのでそれらはいらない。
鍵を開けドアを引き、部屋の中に入ると彼女は素早く盗聴器や盗撮などの検査を済ませた。
さっそく電源を入れPCと筐体の用意をするが、
「……ごめんなさい」
「……ああうん、まあ、仕事じゃ仕方ないんじゃない?」
「……父が行方不明なのは本当よ? 開発に関わっていたのも――」
「ああもういいから……聞けば聞くほどこっちがなんか巻き込まれていく気がするから……」
申し訳なさげに佇み、教会で神に懺悔し救いを求める様な顔をされても困る。
演技かも知れないが。
あとで脅されるとか、もしくは、諜報員として彼女が咎めを受けるとか。
怖すぎる。もしかしたらこの件を離れたら顔も名前も変えて生きることになるとか。こちらは四六時中監視されるとか。
しかし、それで言うなら、
ああうん……自分がつぐみを巻き込んだのだ。間違いなく、杦田らの開発テストに参加したり筐体を渡されたりしなければ、こんなことにはならなかった。
杦田ら開発陣が、VRシステムの大本を占有したりしなければ――
……脳を直接掻き出して、そこに氷を詰め直したくなる。
どうしてそんな事をしたのだろうか。ゲームを開発するだけじゃダメだったのか。わざわざ占有しなければいけない、というその意味が分からない。そういえば、要望が通る通らないのと言っていた気がするが、何の要望だろうか。
「……どうして断らなかったの?」
「断れる状況に見えた? ていうか、断ったらどうなってた?」
「……今の状況だと、それも難しいわね、多分、この国の偉い人とかが出て来ることになったかもしれないわ。それでも協力しないと……この国に不幸な事が連続する、かしら……」
「経済制裁?」
「……そうと分らないようにね」
政治的な駆け引きだ。多分、今回の件の責任やらなんやらで、上手く行こうと最終的に向こうに都合の良い約束を何か取り付ける――
と、
「……そういえば、開発者たちは何か要求とかしてるの?」
「え?」
「いや、関係者や技術ごと雲隠れしたって……要するに籠城? いや、こっちが欲しいものをあっちが持ってるんだから……誘拐犯が誘拐した人質と一緒に居るようなもんでしょ? そういうのって、それでお互いの欲しいものを駆け引きをして何かしら要求を出すもんじゃないの? 悪い例だとテロだけど」
「……それは……」
「あ、ごめん、話すなって言ったのに聞いたりして。話さなくていい、聞きたくない」
「……ええ。きっとそれが貴方の為よ」
「ん」
まあ想像は着くものはある。
とりあえず、日米の政府側が欲しいのは、VR技術――
単純に危険性の制御が利かない可能性があるそれを表に出さないようにする為――か、裏でこっそり研究する為か。
問題は、開発者側の要求――これがなんなのか、いまいち分からない。
知る必要もないのかもしれないが。多分杦田の言い様からするとUnison:world絡みなのだろう。が、やはり技術を独占したいわりには、何故ゲームは動かし続けているのか。
それにせよ、隠匿するにせよゲーム自体止めた方がいいのではないのか。
本当に技術を独占したいだけなのか。やはりここはかなり疑問だ。
姿を隠しただけで、それは通るものなのだろうか? 交渉なら互いの利益だけでなく不利益を与える可能性も掌握しなければ、絶対に通したいそれを通すことはできない。
守るだけでは――他にも何か、水面下で動いているのだろうか?
個人が国家の利益を損なうような要望を通せるのだろうか、それが反故にされずに履行され、後で手のひら返しを受けずに確約される――なんてあるのだろうか?
それこそ、相手に守らせるためには常に相手の喉元に突き付けられる凶器が必要だ。国家間のそれであるなら圧倒的な武力や、依存せざるを得ない資源などの国力そのものだが。
個人の力なんて暴力一つで消し飛ぶ。
そうでなくとも、理屈なんて児戯であり茶番に等しい。
しかし、鼻で笑って終わりに出来ないから国の機関が動いているわけで……。
考えたくないが、杦田達は今何らかの方法で国を脅しているのだろうか?
こういうことでよくあるのは、人質や、破壊工作、それこそテロ活動だが……。
テロと言うには経済的損失も人的被害も――事件の加害者と被害者か? 人がいつでも凶暴化し犯罪者と化すそれを操れる、というそれは脅しとして十分だろうか。
だから、表沙汰にせず、警察や国の諜報機関が動いているのだろうか。
でも、そういう様子ではなかった。彼らは開発陣の捜索で調べていく内にそれに気付いた、という言い方だった。
本当に、危険性の放置の隠匿を図ろうとしてなのか。
分からない。
そんなことを、ベッドに横になりながら思う。
そして、
「……じゃあ、まあ、期待しないで待ってて」
「ええ。……気負わなくていいのよ?」
「分ってます……ダメで元々」
呪文のように唱えて集中した。
真っ白な部屋。
そこにいつも通り、案内人スライムが出て来る。
自分は、自称CIAの彼らの言葉通り――彼らに言われたこと、頼まれたことは忘れながら、これまでの杦田らとの関係を思い出しつつ会話する。
「このような時間に珍しいですね、鷹嘴様はもうお食事はお取りになられましたか?」
「ああ、家に帰るまでの間に済ませて来たから。トイレ休憩の方も万全」
「では、冒険の準備は万端ですね?」
「ああ、万全だね。でもその前に、GMコールしたいんだけど頼める?」
「はい。承らせて頂きます」
「じゃあ――」
先日、不登校だったゲーム仲間が一人、ゲームから卒業することになりました。多少怪我はしたみたいだけど、これから社会復帰の為に邁進するそうです。時間の都合がつかなくなっただけでゲームは最高に楽しかったとのことです。
それから、自称CIAという人たちが開発者さんの現住所を探しています、知っていたら教えて欲しいとのことですので、そちらと連絡が付くのであれば彼らとコンタクトを取ってあげてください――
そして、杦田から杦田と接触を避けるべきだと言われていたから――
――彼女の様子が気になります、ゲーム内で会うことは出来ませんか?
とする。
これでいいだろうか? 現実で会えるかどうかは微妙だが、それくらいなら出来るだろうと。
段階を踏む。彼らの頼みは開発者達の居場所の情報だが……以前にしばらく接触は避けるべき、というそれもある。
なので、このどっちつかずの両天秤な内容になったが。以上の事を、眼前に表示された、ゲーム内で使用するそれとは異なるGMコール用のメッセージシステムに、仮想キーボードで打ち込んで、それを彼女に送信して貰う。
「送信いたしました。それでは、これからどうなさいますか?」
思う、最低限の役目は果たした。
「んー。ちょっと情報を集めたいから……夜光都市シェードで」
「かしこまりました」
返信が来るとしたら、以前と同じにこの中でしか使えないファイルだろうから。少しだけ、いつでももコンタクトが取れるように、今日一日だけはゲーム内に居ようとする。
扉が用意される。
「じゃあ行ってきます」
「はい。いってらっしゃいませ。良き旅を」
景色が切り替わる。
真っ白な世界を抜けると、そこは滲むよう燐光が零れる常夜の街が静かに降りていた。
そこはファンタジー世界にありがちな、常に宵闇と星明りの地だ。
そして月虹を水と絵具を溶かしたような光がぼんやりと其処彼処で滲んでいる。
音と、香り、風、それらが可視化され、揺蕩う光として表現されている。
それは街の至る所に吊るされたランプから流れ出し、それ以外の色も建築物も全て黒――どれも妙に背が高く、細く、横に潰れて、太ましく、曲線めいて、歪んでいる。
影の世界だ。住民も影――影絵のような生き物。彼らは光を食べ、啜り、加工して生きている。その為、光に音が、香りが、風が、味がそんざいし、硬度や柔らかさまであるのに、質量だけが紙のように希薄だ。
神秘でも、怪異でも、魔性でもある。
不思議で、不可思議な街――
酷く屈折して斜に構えて見える筈なのに、澄んだ黒のよういつの間にか引き込まれる景色だ。
しかし、今日はそれが酷く騒めいている。
何かを恐れる様に、影絵達がひそひそひそひそ話している。
異邦人たちが荒れている。
異邦人が揉めている。
異邦人が争っている。
そんな声がひそひそひそひそ、耳朶にいつのまにか滑りこんで来る。影の小人が直接そこで騒いでいるようだ。
一体何なのか――
辺りを見回す。すると、そこに黒以外の色が付いた……プレイヤーの数が少ないことに気付く。この世界の他の街から来た住民もいるが、それとは違う独特の空気――
これがゲームの中だと知る人間独特の、軽挙さ――
ここに夢と幻想を求める人間の、どこか危うい陶酔感――
ほんの少しの息抜きを求める倦怠感――
それが、澱んでいる。
ゲームの中は、どこか煤けた気配がした。
影の濃度が増している。景色ではない。人の、感情のそれだ。
理由はどうあれ、身に纏うそれが喜色めいたそれではない。ゲームの中で幻想に浸り、冒険に興じ、物語にのめり込んでいくそれではない。
褪めて乾いた気配が。どこかで誰かを責める様な、排他的な静けさがあった。
プレイヤー達が集まるであろう冒険者ギルドへ向かった。
影絵で出来たそこを潜ると中では、
「だーかーら! ゲームのマナーも知らないのかよ!」
「はあ? なあに言ってんだよ、ゲームはゲームだろ? 好きに遊んで何が悪いんだよ?」
怒号が行き交っている。
「それにしたって他に遊んでる奴だっているんだよ! これは家で一人でやるゲームとは違うの! みんなマナーを守って遊んでんの!」
「そんなのお前らが勝手に決めたルールだろ? 俺には関係ないね。それに禁止されてるならされてるってメーカーの方から注意されんだろうがはい論破論破」
「……だからお前らみたいな一般人にはゲームなんてやって欲しくないんだよ」
「ああ? てめ今なんつったよ」
「お前らみたいな不良がゲームなんかやるんじゃねえよって言ったんだよ! ゲームの評価が下がるんだよ。不良は不良らしく万引きでもして刑務所に入ってろよ!」
殴られたテーブルが破砕された。しかし、それで彼らは怯むことも騒乱が止まることもなく敵意と害意が加速する。
「はあ?! ゲームはオタクだけのもんじゃねえだろうが! 第一俺らがなんかしたってゲームの評価なんか下がらねえだろうがバカじゃねえの!」
「一般人が俺らの世界に入ってくんな!」
「バカなんですか? 連帯意識とか責任とか無いんですかー? ひょっとしてオタクよりコミュ力も常識もないんですかー? あ、分からないのか」
「――テメマジぶっとばすぞ」
「ハイハイ来ました来ました、現実と同じように暴力やっちゃってください? そしたらこの中でも普通に掴まるけど『別に現実じゃないからいい』――でしょ? ――そういうとこなんだよ!」
同じプレイヤーだが明確になった立場と思想の違いに、感情の暴走が止まらない。今にも殴り合いが始まりそうだ。
そこで静かにコップを磨いている店主に近づき話し掛ける。
液体をグラスに氷で注文し、比喩ではなく夕焼けを蕩ける光る酒にしたそれを煽る。ついでに辺りの惨状を指し、
「……あの、これ、どうしたんですか?」
「……先日表で起きた事件の所為だよ。オタク差別とかクズ市民とかプロ市民とか、昔の身分差別みたいなものが再燃してね。いまゲーム内のあちこちでこんなことが起きてるらしいよ?」
その言葉通り、その縮図とも言うように、ギルド内の小さな酒場では冷気と熱がぶつかり合っている。
「ゲームの中だって現実と同じかそれ以上にマナーやルールがあるんだよ!」
「だからなんでレベル上げしちゃいけねえんだよ! それぐらい普通だろ!?」
「乱獲禁止って説明聞いてなかったのかよ!」
「説明なんていつも読み飛ばすし」
「これだからゲーマーは!」
依頼や獲物の横取りや、その他にもあるこのゲームの遊び方かと思いきや、現実での生き方まで――
「だからPKはPKと思わない方がいいって。普通に殺人!」
「別にゲームだから平気だろ? 大げさなんだよ!」
「いや、マジで不味いって! それで本物の殺人衝動を解消するとか出るから! そんなことしたらこのゲームまじ停まるって!」
ゲーマーも、オタクも、不良もあったもんじゃない。悪い意味で一緒くたな罵声と理屈を投げつけ合い、そして不満を刺し合っている。
これは事を穏便に収められなかった自分の所為ではないのか? ニュースに大々的に取り上げられたからこそこんな事態になったのだ。せめてそれが起こる前に、万代の母親が暴行を受けるその前に辿り着けていたら――
あの場で彼らを打ちのめすのではなく、警察が来るまでうやむやに時間稼ぎをするか、モズの安全を確保して彼らを逃がしていれば――
派手に立ち回らなければ――
いや、やはり彼らが事件を起こす人間であった時点で遅かったのだ。
それは自身の所為ではない。自分の手の届く範囲の外側で起こることに、人はどうしようもない。自分に出来たことは、そこに手が届いた瞬間から――つまりあそこからだったのだ。
本当に致命的な時点には間に合ったと言える。
でも、本当は何が出来たのだろうか?
しかし、
「おい、俺らはそんな悪質な事しない」
「嘘吐け、こっちが初心者って分るといい気になってボコボコにしてくるだろうが」
「だからそれはあっちでも出てたリアルでもゲームでも素人の不良みたいなやつだって」
「俺らみたいに経験者とかプロの格闘家とかはむしろ素人とはやろうとしねえよ! なあ? やっても練習の訓練だって普通に手加減してるよなあ?」
「ああ。下の奴とやってると当て勘も避け勘もめちゃくちゃに下がるんだよ。本気でやるにしても基本上のレベルとはやっても下とは絶対やらない」
「そうなんだ」
「ああ。でも、ついカッとなったときに中途半端に齧った奴だと、本当に本物の技を掛けちゃうことがあるんだよなあ……」
「手加減が出来るレベルまで積んでないから。そういう奴らに限って元々安全管理の意識自体が足りてないし続かないしで……このゲーム、武器振り回す前にそういう教育から入るべきだと思うんだよね」
「なるほど、そういえばその辺のことはあんまり注意されないよな」
「世界観の問題じゃね?」
「つーか、そんなの他のゲームでも見たことないよ。わざわざするか?『この武器を人に振り回すと死にます、怪我をします』とか」
「いやそれぐらい分ってて当たり前だからだろ!?」
「まあしないな。もう世界観ていうか、ゲームじゃ敵を倒す、狩る、それが当たり前だから。そんな余計な説明は省くよ、対戦要素も元々あるわけだし。気にし過ぎだろ」
「でもさあ、それであんなことになったわけだし……」
横目に聞きながら、考えさせられる。
これまで気付かなかった、世界観という言葉で忘れていたそれ――
ゲームとして本当にごく当たり前の筈のそれが。本当の現実さながらの倫理観でさえ霞ませていることに気付く。ただ画面の向こう側――でなくなったというそれは、それでもゲームなのか、現実と同等であるはずのそれはどちらなのか。現実でありながら現実ではない世界は。
初めて【剣/凶器】を握ったときの重さと、それを生き物に向けた時の気持ち悪さは、演出でも機械的な負荷でもなく、自分の感覚だったのだろうか?
何故なら、与えられる負荷ならそれが薄まるのはおかしい。常に一定の筈だ。
それが薄まったのは何時だろうか? 現実でも狩りを経験してからだろうか。機械的なその負荷になれて感覚が麻痺したのか。
ゲーム内とはいえ人に対して刃を走らせ肉を切ったことはまだない。けど、殴る蹴るなら普通にある。
その時、人に暴力を向ける事自体に恐怖を感じていただろうか?
ゲームのように感じていた訳ではない。けれど、それを完全に割り切ってはいた。
それは現実の武術でそういう訓練をしたからだろうか? 現実で感じなくなったからゲームでもなのだろうか?
ゲームが人に影響を与える部分って、本当はどこなのだろうか? 現実で人が変わる瞬間とそれは同じなのだろうか?
分からない。しかし、
「その所為で昨日みたいなことが起きたんだろ? 口煩いぐらいでもホントなら物足りないなんてもんじゃなく、そこを聞き流すような奴にはマジでやらせちゃいけないんだよ」
「いやそれっぽいこと最初の説明で言わなかったか?」
「含まれてるだけじゃダメなんだよ、明言しないと」
騒乱の中には、このゲームに対する否定的な意見が出ていた。
それも単純に、ゲーム観に対する意識だけでなく、
「私、この前仲間に『ゲームだから平気だろ? 脱げ』って言われた」
それは、
「冗談で?」
「うん。でもなんかもう嫌で、クラン抜けたら嫌がらせメールが来たから登録も消した」
「わたしも、ゲームだから過激な衣装にしろとか、ヤラせろとか言われたことある」
現実なられっきとした刑事事件になるものだ。
しかし、これはゲームの中だから――
それを思うと、身体の中を無視が這いまわる様な嫌悪感が湧き上がる。
「でも本当に割り切ってて見せようとする人も居るからタチ悪いよね。コスプレの撮影のノリで。あれホント迷惑。その所為でそういうのじゃない娘にまで声掛けるんだってのに」
「胸揉ませろとか」
「え? そういう接触はシステムで不可にされてるでしょ?」
「知ってて遊び半分でレイプ紛いのことしようとしたクランやパーティも居るのよ!」
これはもうゲームと言うそれ自体がもはや法律上の抜け道なのだ。
ゲーム内での犯罪行為に現実の法律は及ばない――ゲーム内の刑務所なんて、遊びと割り切って要る人間には意味が無いのだ、性的暴力に限らず。
ゲーム内で人を殺したら、現実で犯罪者として捕まる――そんな法律が出来るわけがない。当たり前ながらなぜなら現実では人を殺していないのだから。
現実でその欲求を持っている人間にしてみれば、格好の狩場なのかもしれない。購入時の身元の確認も、アカウント停止も、本当の抑止力ではないのだろう。
「……もうこのゲーム止めよっかな」
「そいつらぶっ殺そう?」
「大丈夫、GMから登録時の筐体からもうアカウント永久停止して出禁にしたって連絡来たから」
「別アカウントは?」
「偽造したデータ――裏で売ってるとか聞くよ?」
「じゃ無理じゃん」
「性的欲求や興奮は遮断してる、ってことだけど、じゃなくても単純な悪意とかあるのにね」
「脳波とか脳内分泌物の判定ではなく、思考や思想のそれは防ぎようがない――だっけ?」
「もうゲームだけ出来ればいいから。女の体なんてどうでもいいから」
「もう完全に女性専用のサーバーとか用意してほしくない? それかせめて女だけは男アバター使えるようにしてほしい」
ゲームシステムの問題なのか――
人の問題なのか――
「それはもう出来るんじゃなかったっけ?」
「でもいきなりシャッター音とかホント怖いよね」
「景色取ってるふりしてさあ……ほんともう最悪」
どちらかではなく、その両方にあった場合、その比重はどちらに傾くのだろうか?
どこまでで危険視すればいいのか。
過半数を超えたらだろうか。それとも、最初の一人からか。
それとも0からそれを察し対処し切るべきか。
いったいどれが現実か。
「オタクは善良みたいなこと言ってるけど、実際頭おかしいのとか捕まって無いだけの犯罪者みたいなのもいるしね普通に」
「そうそう」
きっと、彼女らのように。
今回の事件に限らず、日常的に仮想現実に存在している問題は山積しているのではないか。
(……本当にこのゲームは、)
自分がその続きを、心に思い浮かべた時だった。
「――このゲーム、遊ぶ価値があるんでしょうかね?」
「――何がですか?」
「いや、このゲームが今の世の中に存在している価値がですよ」
それは酒場の店主の、影絵だった。
その意見に自分は、
「……そうですね、ちょっと考えさせられますよね」
現実に問題が起きる、というそれだけでなく、ゲーム内だけでも解決できない問題がこれだけあるのだ。そこにこのゲームの存在する意義があるかないかと鑑みると。
その続きをまた、代弁するように、
「完璧なシステムなんて存在していません。そこを補うのが人の良心――なのですが、今のこの状況はちょっとね」
それくらい分かっている。
でも、善良なプレイヤーもたくさんいる。
と、心の中でそれに反論しようと思うが、けれども、嫌でももっとも辿り着きたくない答えに辿り着いてしまう。
「……あくまで理想論、なんですよね」
店主が言うシステムも人の心も、事実上不可能だ。
どちらも存在するわけがない。
「せめて――今上がっているゲーム内の問題だけでも解決できるまではサーバーを閉鎖するべきではないかと、私も考えてしまいますよ」
「それは――」
「無難でしょう?」
確かに、それがクリエイターとしての良心的な判断ではないのか。
完璧に見えても、それ以上の力を持った悪意があれば無意味だ。今回のように、現実に波及すれば、ゲームの中だけではそれを補おうとしても補い切れない。
そう思ってしまう――止めるべきなのではないのかと。
そして店主は言う、
「……そうですね、個人的には、完全没入型VRシステムは、ゲームではなくて他の――医療や、義体の制御の応用、ごく限定的な環境でのストレス緩和、それらに限って技術を解放した方が良かったんじゃないかと、私は思うことがあります」
表情を変えずに、
「……詳しいですね」
「まあ、色々考えますよ、一ゲームファンとして」
「……そうですね。私も、ゲームにしても、非道徳的行為――暴力行為が含まれるゲームではなく、ただのスポーツ、現実的ではないアクション、文字通り映画やアニメの世界に入って鑑賞できるソフト、文化的な創作活動などに限った、まず、そういうの限定にすればよかったんじゃないかと」
「ああ、それは面白そうですね」
そうした段階を踏んで免疫――完全なVR環境に対応する倫理を潜在意識に染み込ませてからにするべきではなかったのか。
――そんなことできたのか? できないかもしれない。
VR環境に対応した倫理観や精神性って何だろうか? 仮に一人の人間がそれを持とうと、それを全ての人間が有しているわけがない。そんなことはできない。
妥協していいのだろうか?
完全ではなく、不完全で限定的な方が制御が付いたのではないのか。
「……そういえば、なぜこのVRシステムは、いつまでたってもこのMMORPGだけなんでしょうか」
「え?」
それは、彼らが保有する技術の秘匿性の維持――
いや、
「……そういえば」
それ以外ではダメだったのか?
最初の仮想現実世界がMMOである必要はあったとしても、RPGである必要なんてあったのか?
それを差し引いても、もっと他にも色々なゲームがあっただろう?
現実と同じ重さ――倫理もデータ量も、まるで技術の限界を試すような――
複雑で定期的なメンテナンスを必要とするハードの問題にせよ、MMORPGじゃなくても、インターネット上の配信サービス産業であればなんの問題もない。もっと多様なソフトをダウンロードできるようにして、シンプルなゲームでも良かったんじゃないか?
おかしくないか?
これではまるで、ゲームとは全く別の意義を求めて作ったように――




