ゲームと繋がり、そして途絶えるもの。
前話に引き続き、残酷な描写があります。
救急車の音が背中から迫り、そして赤い光が追い越していく。
つい先程、同じ様にパトカーも通り過ぎていった。
それが自分が向かう方向と重なることに気付くと同時、それが警鐘であるような気がして、路上で足を速めた。
一歩、二歩、三四五と駆け足でそして六から全力で疾走する。
住宅地、そこは進む度にぽつりぽつりと人が立ち止まり、やがて、少なくない人垣が白と黒の車両と赤のランプの前に出来上がっていた。杦田からの情報には時刻は含まれていない。なので出来るだけ早くと金に糸目を付けず来たのだが――遅かったのか。
焦燥する。教えられた住所に直接乗り付けたらまずいかと、途中で道案内アプリを使って歩いたのが裏目に出たのか。
警察が野次馬を遠ざけている。数名が現場保存にブルーシートを家の玄関とその軒先周りに張る準備をしていた。
その中で、救急隊員が軒先に横たわる女性を診察している。
その脇で、刑事らしき男数名が聴取を始めようとしているおばさんが居た。そして、話し声が聞こえて来る。
「――ええ。高校生ぐらいの若い子が四人……バットとグローブを持ってて」
耳に届いてくる話では、不良が主婦を襲ったらしい、と言うことしか分からないが、その不良がプレイヤーなのか。
そこで、家の表札に、万代、と書かれていることを見つける。
「……まさか」
巻き込まれた知り合い――それが、モズであるということを察する。
それに巻き込まれた、プレイヤーの方が、これから事件を起こすのか?
女性が担架に乗せられた。
救急隊員が、その状態を通信先のオペレーターに順次説明している。
モズはどこか、システムの都合上、アバターに近い体型である筈だから、小柄な男の筈だが。
見当たらない。まさか彼の方が事件を起こし逃亡中なのだろうか。
警官が作るバリケードに阻まれながら、
「――すいません! 知り合いです!」
叫んで、警官たちと聴取を受けていた女性が一斉に振り返る。
答えを待たず強引に押し通る。袖を掴まれるが腕のひねりで握りを強引に切り離し、聴取を受けているそこまで行った。
「――すいません、息子さんの友達なんですけど、彼は!?」
「あ、あんたもあいつらと同じように、嘘を吐いているんじゃないでしょうね?」
おばさんがそう言うと、刑事も目を険しく、
「――君は?」
「……ああ、申し遅れました。鷹嘴明人と言います。学習塾で講師をしています――いまは山奥で里親業をしている人のところで教鞭を取らせて頂いておりますが。彼とはネットのゲーム仲間で、本人に会わせて頂ければ確認を取れるはずです。お母さんですか?」
刑事から、聴取を受けていたおばさんに視線を向けると、
「――い、いえ?」
そして視線で担架に乗せられ、発進した救急車を指す。そこで、彼の母親が巻き込まれたのだということを知る。
「――息子さんはここには」
「あ――い、いきなり叫んで、逃げた、は、犯人たちを追って」
そこで刑事が、
「――どうしてそれを言わなかったんですか!?」
「だ、だって、聞かれなかったから……じゅ、順を追って、さっきまで、どうしてこうなったのか説明してて!」
おばさんはしどろもどろに弁明するが、物事の優先順位ぐらい分るだろう、と言いたげに刑事は顔を顰めている。
どうやら本当に警察も救急車も今着いたばかりのようだ。
どちらにも責任はないかもしれない。事件に巻き込まれ、混乱しながらその状況を詳細、正確に話そうとすれば彼女の言い分も分かる。それにもしかしたら通報時には彼はまだここにいたのかもしれない。
でも今は、
「――とりあえずどっちに行ったんですか!?」
警察を差し置いて自分がおばさんに聞くと、彼女は彼が駆け出したであろう方向を見て指を向けた。
それを確認し、遅れて刑事の一人がすぐにパトカーの無線に向かい、一人が質問を引き継いだ。
「――髪型や服装は?」
「、こ、小柄で、髪が、寝癖の付いた長いショートカット、服は、ただの部屋着っていうか、ううん、と、トレーナー?」
「服の色は?」
「ぐ、グレー?」
ここに居る一人がメモを取り、それをパトカーに向かった刑事が無線で流し、周辺のそれや白バイ隊員へと彼の保護を呼び掛けていく。一般人が犯人を取り押さえようとすることで起きる二次被害や、そして被害者の過剰防衛からの殺傷行為を防ぐためだ。
しかし、そこまで聞くと自分は無言でそこを飛び出した。
何を思いいたったのかに気付き、それを止めようと刑事の一人が飛び出す
が、それに構わず、ぐんぐんと景色を置き去りにし駆け抜けていく。
人垣の視線がそれを追い、その間を刑事が追走した。
刑事は全力疾走でそれを暫く行ったが――
まるで追い付けない。訓練らしい訓練は武道場での柔道や剣道、と基礎体力、筋力トレーニングを捜査以外にもある書類仕事と片手間にだが、それでも基礎体力は常人以上に鍛えてある。
しかし、見えない風の壁でもある様に距離がまったく詰められない。
瞬く間に距離が開いていく、その風よりも速く真っ直ぐに駆け抜けていく姿に、刑事はすぐに追いつけないことを悟り立ち止まった。そして呟く、
「……はっ、はっ……くそ……本当に塾の講師か?」
懐に手を入れ、直ぐに連絡を取る。
「――すいません……もう一人、身長170後半から180の……」
捜索対象を追加し、そして、情けなくも小走りに引き返し、現場に戻った。
疾駆しながらその姿を探す。
何事かとその形相に気付いた通行人が目を向けるがそれに構わず。
勘で、狡猾な人間が、分りやすく人込みを避け河川敷や廃墟がありそうな場所に行くのか、それとも、犯行現場を離れようとこの土地の外へと向かうのか。敢えて人ごみの中に紛れようと市街地に行くのか、の、三択に当たりを着ける。
相手は一般人だ。
しかしこんな事件まで起こした恥知らずさと、おそらくモズの友達を名乗って自宅まで押し掛けたらしき狡猾さと残虐さ、異常性を鑑みるのなら、焦りながらも今も笑いながら街中に居るのではないのか。何食わぬ顔で家路についているのではないのか。
それに焦った人間の思考を合わせ想像する。一番安全な策を練る筈。警察との遭遇は避ける筈、複数で、自身が周囲と同化できる場所は、近くでどこにあるのか。
地元でもなく、ここへ来るまでに地図を入念に読み込んでいた訳でもなく、土地勘もない場所で、人を探すのは無謀だということに気付く。
無駄足かも知れない。でも、必ず追い付ける範囲に居る筈――
わざわざ彼が追い掛けているということは、まだ近くにいたということだ。それも通報があってから警察が来て、まだ間もないのなら。
でも、それ以上のことは分からない――
とりあえず、指が差した方向に走り出したものの。
一旦止まる。
不幸中の幸いか、夕暮れ時の、昼より遥かに交通量が増している時間――
視線が集まっている、それを利用し、
「――すいません! 小柄な高校生くらいの男が走ってきませんでしたか!? 灰色のトレーナーかスウェットを着てるはずです! その前に焦ってる様な集団も居たかも知れません! これも高校生ぐらいです!」
しかし、面を喰らうばかりで、誰も取り合おうとはせずむしろ警戒して通り過ぎていく。
知らないなら知らないで首を横に振るかそう言って欲しい。
その無関心さに憤る。
だが、それは八つ当たりだということは分っていた。
歯噛みする。
分からない。とりあえず、携帯端末の道案内アプリを起動し地図を拡大してみようかと――
その瞬間、通行人の一人――部活帰りらしき女子中学生の集団の一人が、
「あ、あの」
控えめに小さく指で指した。
「――ありがとう!」
礼儀として笑って、そしてまた風のように走り出す。
彼らは野球部ではない、ただ、河川敷の野球グラウンド、そこにある用具入れの物置を抉じ開け武装と偽装用に道具を拝借したのだ。事が済んだら捨てれば、購入したのではないから個人が特定されないと思っていた。
しかし、彼らは焦っていた。
予定ではただ家の中に入り、脅してモズのゲーム機を自主的に提出させ、もう二度と目の前に現れないようにして帰るつもりだった。
それが、大事になった。
こんな予定ではなかった。
しかし、あの母親の言う通り、どうしてこんなに怒り狂っているのか、苛立っているのか分らなかった。それがまた苛立ちを募らせ、そしてドロドロの黒いコールタールのような粘液が自身の中で終わらない螺旋を描き渦を巻いている。
その苛立ちと、犯罪を犯した焦りを、どうにか押さえ冷静になろうとする。
だが、それが出来ない、あの母親が告げた言葉が耳の奥に蜘蛛の巣のようこびり付いて離れない。不安を掻き立てる様なイライラが胸の奥で火花を散らしている。
冷静ではなかった。
不審者には見えないように。人の姿が見える度に走るのを止め、通り過ぎたら全力で走って、また歩いてと繰り返していた。
焦る。
それがいつ来るのか――
警察に連絡したと言っていた。なら、さっきしていたパトカーのサイレンはもうあの家に着いたのか。なら、もう警察に自分たちの人物像が伝わっているのではないのか。
自分達は捕まるのか。それがいつ来るのか――あいつが警察に全ての事情を話したら終わりだ、自分たちの素性などすぐに割れるだろう。
そうしたら終わりだ。それがいつ来るのか――
そんな焦りを抱えながら、一人一人が自身の不安をかき消そうとする。
その責任を誰に押し付けるべきか――全員少なからず手を出している、共犯にする為だ。だがそれを指示した最初の一人を生贄に捧げることも出来る、言い出せば即興で口裏を合わせることなんて容易い、一番罪が重そうな誰かに押し付け切り捨てるのもありだ。
皆既に仲間であり裏切り者だった。それぞれが自分を守るため疑心暗鬼になり口数を最低限のものにしていた。
しかし――
それは人がごった返す商店街で起こった。
敬一郎は走っていた。靴下のまま飛び出た足の痛みを無視して、彼らが行きそうな方向を、ほんの微かな駆け抜けていく足音だけを頼りに。
視界の外側、その端のギリギリのところに居た彼らに懸命に喰らい付き追い縋っていた。
同じ高校生だ。陸上の長距離選手でもない限り、体力はなくとも全力疾走できる時間はもう気持ちの問題でそれほど変わらない。速さに差はあっても、走り出した時間に数分の差があっても、それが圧倒的な速さで遠ざかることは無かった。
道を間違えさえしなければ――
だから、それは奇跡的な追走劇だった。
何度か見失った。が、通行人が彼らの足跡になった。中学生、高校生、主婦、夕方のウォーキング、犬の散歩に出かける老人、それらが所々で首を傾げるような顔をしていたり、自らの進行方向とは逆から振り向いていたり、立ち止まって、不自然に疑問に目を丸くし、眉を顰めて、露わに「何だったのかしら」と口にしていたり――
近付いてくる足音とは別の、遠ざかって行く聞こえない筈のそれがほんの些細な違和感としてまるで幻聴のように聞こえていた。
それは繋がっていない情報が、直接五感として繋がり見えている様だった。
それは直観と言うのかも知れない。
しかし、偶然冴え渡ったそれが、ついに彼らの姿を明確に視界の中に捉えさせた。
その瞬間、咆哮を上げる。
「がああああああああああああああああ―――っ!!」
その奇声に彼らが振り向いた瞬間、敬一郎は背後から腰への全力のタックルを仕掛け、一人に捕まりそのまま飛ぶように転倒――勢いが止まらず石畳の路上に叩き付けながら一回転する。
衝撃に息が数舜止まった。
それから喉の灼けるような痛みが、全力で走り続けた反動が今全てやって来た。目を回した仰向けのまま、肺が破裂しそうだったが、敬一郎はそれでも構わず転がり、そのまままだ動けずにいる一人の上に跨ってその胸倉を押さえつけようとする。
それに遅れて反応した仲間が、思い切り敬一郎を横から蹴飛ばした。
そして道路に倒れた彼を、別の仲間が凶器のバットを取り出し殴ろうとしたが、周囲の目に気付きそれを握るだけで終わせる。
ここからどうするのか、倒れた彼、リーダー格の少年を起こそうと彼らは助け起こす。
「――痛ってぇえ……」
呻きながら、正面から自分をこんな状態に追い込んだ相手を見つける。
と、まだわき腹を押さえて立ち上がろうとしているのが、敬一郎であると全員が気付いた。
ただ、それが本人かどうか、一瞬疑った。
「――あ? ……モズ?」
それは学校で見て来た彼の形相ではなかった。悪鬼羅刹の憤怒の皺をその顔面に奔らせ、血が沸騰し蒸気と化しているのかと錯覚するほど肌は赤く染まっている。眼光は爛々と、闇に濁った蝋燭の光を揺らめかせていた。
それに、彼らは足を止める。商店街を回っていた客たちもその足を止め、トラブルの匂いに遠巻きに人垣になりつつある。
敬一郎の頭の中は痛みと復讐心ではなく、既にある意思に支配されていた。
荒れる感情のまま冷たく算段する。痛みがそれまでの記憶を呼び覚ましていた。
それはこれまで自身が受けていた暴力と痛みの記憶だった。
それで、彼らに――恐怖に慄いたのではない。
暴力を受けた場所が妙に脈打っているが痛みは無い、それどころか野生の肉食獣のように荒々しく動ける予感がする。
全身を焦がした血の熱は消えていない。でも、していいことと、してはいけないことは分っていた。
しかし彼らは、また目の前に現れた自らの苛立ちの原因に、一瞬で理性を失っていた。そのタガの外れた思考で――
あることに気付き、他に誰にも聞こえないようにリーダー格は呟く。
「……殺すぞ。そうすれば、俺たちのことを告げ口する奴はいなくなる」
「え、」
「カメちゃん。それは流石に……」
その完全に常軌を逸した発言に、流石に仲間たちも彼の正気を疑った。
周りには人が居る。これだけの目撃者の中では拳も満足に振るえない。
むしろ、このまま敬一郎に一方的に自分達を殴らせてしまえば、有利に状況が動くのではないかと思う。
だが、
「――ここじゃなければいい」
明確な素性を知る関係者が一人いなくなる。
本当にそうなのか――
もう既に明確な暴力事件を起こしているのだ。それも目撃者がおり、通報もされている。
顔や犯行の何もかもを見られている。いや、写真や映像を取られているわけではない。
それだけで自分たちの安全が保障される。
ほんの一瞬だが、決断の瞬間、彼らの天秤は狂気に傾いた。
最後の一線を、あまりにも軽々しく越え、
「ああ、」
頷きを返す。
人垣も、そこにある事情なんて何も知らなかった。だが、事件と犯罪に巻き込まれることを嫌い、そこから徐々に遠ざかる。次第に周囲は騒然となる。更に阿鼻叫喚が始まっていく中誰かが警察を呼べと叫んでいる。
そんな中、それに反し静けさが幕を上げていく。
そして弾け飛んだ。
何も言わずに、敬一郎は狂犬のよう目を血走らせ再びリーダー格に目掛けて突進を掛ける。
全力での腹を目掛けた体当たりと掴み掛り――その対象になっていた一人は、しかし避けようともせず睨みながら、正面切ってその鼻っ面に拳を入れた。
それだけで、敬一郎が不様によろめきながら前のめりに倒れる姿を想像する。
だが、鼻が潰れ血が弾け飛ぶのも構わず勢いを止めずに突進した。
それにリーダー格は驚きに目を見開きながら顔を顰める。
「うぉおおおおおおおおおおおお――――っ!!!」
再度の咆哮、その胸板に頭突きを入れる勢いで、彼の背中に腕を回して離れないように両手の指を絡ませ力尽くで押し切る。脚の筋肉と腱がぶちぶちと千切れるような悲鳴を聞きながら、行き場を失った力に左右に体がよろめく。
そして倒した。再び、今度は正面から彼を路上に組み伏せようとした。
しかし、彼は次いで嗤いを浮かべ、周囲の仲間がそれに加勢した。
動きが止まった敬一郎を数人で引き剥がし、腕を、背中を取る。
集団で掴み掛り、そこに短距離での打撃――握り拳の横っ腹での打ち下ろしや、膝での腹を目掛けた蹴り上げを、容赦なく突き刺し、薙ぎ払い、打ち据え、連続で殴り付けていく。
リーダー格の男も立ち上がり、正面から腰を入れた拳を腹に渾身で叩きつける。
もはや痛いではない――暴力を受けたそこが無くなっていく様な感覚に襲われながら、その真逆、噴き出す感情が血の代わりに全身に流れるままに、その徹底した暴力の暴風に晒されながらも、理性を取り払った暴走で、掴まれていた服を引き千切って前に突き進んだ。
小柄な体を無視して再び正面から組み付く。
しかし、掴み掛られた方も、その背中に両の拳を握り合わせた大槌を、見舞おうとした。
それを無視してまた足裏の力で押し切る。
瞬間、敬一郎はそのわき腹を全身全霊で一瞬持ち上げ、浮かせて叩き落した。
「っ! あ〝あ〝あ〝っ?! このクソがあああああ!」
上位者のプライドを逆撫でられ濁った罵声を上げる。
それを再び仲間が引き剥がそうとするが、今度は完全に倒れ込んだ後――二人分の体重を引き上げることになるのでそれも叶わない。
上から、横から、打撃を見舞えば下に居る仲間にも下手をすれば当たってしまう。
地味に動けない状態になる。
「親子揃って何も出来ねえくせに噛み付きやがって!」
追い付いただけで、もう息も力も何も残っていなかった。それくらいしか相手の動きを止めながらできる攻撃が無かった。
「……お母さんを、返せ!! 謝れ!!」
顔を上げ、隙間が出来た顎を横から蹴った。
「……はあ?」
「おいまさか――」
「どうしてあんなことしたんだ! どうしてお母さんを! どうして! どうしてっ!!」
「――うぜえんだよ!」
耳も、こめかみも構わず、顔の狙える急所を容赦なく渾身の力で殴り、意思を無視して視界が歪む敬一郎に暴力の嵐を見舞った。
それだけしてようやく、腕の力が緩む。その瞬間を見逃さず内側に手を入れ引き剥がした。
彼は息を切らせ砂利の入った唾を吐く。
小柄で、自分達より遥かに力の弱い――これまでいじめられるだけだった敬一郎の猛攻に戸惑いながらも、それに憤慨し叫ぶ。
「――楽しいからだよ! それの何が悪い! それの何がおかしい! スカッとすんだよ! 現実ではちゃんと死なせないようにしてんだろ!」
何度も、何度も蹴る、敬一郎はもう動いていない。
それでも蹴る。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。蹴り飛ばす。寄って集って、笑いながら。
言う。
「……どこがっ! ……どこが負けなんだよ! お前の方が負けてんだよ!」
転がる敬一郎を更に蹴り上げ鈍い音を挙げさせる。
そして嗤い、嘲笑う。
「――てめえの方が幼稚なんだよ! いつまでもいつまでも教室でもゲームゲームゲーム! ヘラヘラヘラヘラヘラヘラ! それ以外やることねえのかよ! 立派な負け組なんだよ! ……何が人に優しくだ、何が自分に何もないなら何が誰かを幸せにだ! 自分の中に何もないならどうして人にそんな事しなきゃならねえんだよてめえの息子は他人にそんなことしてねえだろうがいつもぼさっと一人ボッチで遊んでるだけだろうが!」
敬一郎が夢中になっている、その姿が脳裏を横切る――
思い出すと酷くイラついた。
仲間が居ても。
成績が良くても。
他人を見下しても。
バカ騒ぎをして盛り上がっても。
悪さをして大人の寝首を掻いても。
将来の仕事も何もかもがキマっていても――
頭が沸騰する。
――どうして苛つくのか。
「~~~~っ、正しいとか優しいとか関係ねえんだよ! 世の中じゃ戦争も喧嘩も競争も! 最後まで残った方が勝ちなんだよ! 学校にも社会にも残ってねえ――てめえが立派な負け犬なんだよ!」
あの母親が言ったそれが耳を離れない。
投げ出していたバットを拾い――
もはや完全に感情も狂気すらもなく、自身の意思と知性が衝動の暗闇の中に囁いてくる。
それを言葉にした。
「今消してやるよ」
それを選ばせようと、そして倒れ伏す敬一郎に振り被った。
彼の仲間は誰も止めなかった。
それどころか同じように息巻き敬一郎が死ぬ瞬間を待った。
自分の罪から逃れるために。必死で。
しかし、どこか他人事のように。まるでゲームの凄惨なイベントを心臓を鳴らして見ているように。
――いつも通り、自分達に絶対叶わない人間を、ただ嬲って、それで終わりというだけ。
ここに至っても本当に人を殺そうとしていながら人が死ぬとは思っていなかった。自分達が、それを成そうとしていることにも気づいていなかった。
彼らは【純粋に生きようとしているだけ】だった。
暴力も、人の目を掻い潜って行う暴力も犯罪も小狡さも、皆当然にしていて。
それで普通で、【疑問を抱かずに生きるために必要な事をしているだけ】だった。
それは大人になったら酒が飲める、タバコが吸える――それと同じことだと思っていた。
悪さをして当たり前、皆している、しない方が馬鹿で、幼稚で、集団的ノルマを果たしていないと思っていた。
それをみんな普通にしている、悪さも、ズルも、我慢も、理不尽も。悪びれずに、躊躇いもなく、ごく当たり前に、受け入れて。
彼は思っていた。モズはそれをしていない。空気を読まないのも、他人に合わせないのも、世の中の常識を知らないのも、ただそういう人間の汚さを認めずに否定しているだけ。
自分は、それを受け入れている。我慢している。でもそこから逃げてぬくぬくと暮らしているモズへ制裁をしているだけ。彼が何も知らないことが許せない。自分達と同じ思いを味わっていないことが許せない。
彼は思っていた。殴り返さないのも気に食わない。痛いから止めろ、人を殴ってはいけないなんて理想を語る口が許せない。それを見ていると、自分がただ我慢が出来なかっただけのように思えてならない。
しかし、それをやはり彼は言葉にして分っているわけではなかった。
今も、まるで現実感を持っていない――自分の感情が理解できないからだ。
周囲の仲間も、それを理解していない。ただムカつくというそれに同意を返すだけ。そしてそれが正しいと思っていた。ただ自分達より下の人間を見るのは面白いと笑っていた。それが優越感ということだけは分っていた。
そして今、それを見ていた周囲の人も、逃げ惑う人垣も、悲鳴を上げるだけだった。
それはただ、ただ狂気に怯え、震え、呑まれているのでもない。
ただ――
こういうとき、本当にどうすればいいのか分からない。
それを手出していいのか、警察に連絡すればいいのか、それとも逃げればいいのか。どれが一番いいのか――まるでテレビの中の出来事を目にしているように。本当はどれが一番正しいのかは分っていても、目の前の緊急時に言葉にしたり、咄嗟の行動としてそれが出来る者はいなかった。
――そこへ疾駆する。
非常識の中に、それは壁を走って飛び込んでいく。
閉じられたシャッターを疾走の勢いそのままに一歩二歩三歩と蹴ることで入口付近で詰まっていた人垣の壁を飛び越え、着地の反動を弾き更に加速する。
一閃、その勢いのまま上に跳ね飛び、鋭く投槍のような弧を描いた飛び蹴りで彼と武器ごと狂気を吹き飛ばし、運動エネルギーを全て敵に移し替えて着地した。
そして言う。
「――それは違うな」
唖然。そして茫然とする彼の仲間を見やり、自分は倒れている敬一郎のところに歩み寄り、首の脈拍を取る。
生きている、意識はあるが、度重なる打撃を受けた筋肉が動かない様子だ。もしかしたら相当腹を殴られているかもしれない。
彼にアバターの面影はない、精々体格くらいか。しかし、
「モズくん――大丈夫か?」
「……え……? ホー、?」
彼は声と口調だけで気づいた、自分も同じだった。
そこで告げる。
「今は鷹だよ――ここじゃ鷹嘴だけど」
「……」
「鷹の嘴な……分かりやすいだろ?」
とりあえず、今すぐの命の危機ではないことを察し、自分はそこに立ち上がる。
さてと、辺りを見回す。また一滴、爆発性の劇薬を腹に溜めて、相対する。
これの、どこがゲームによる、ゲームによって引き起こされた事件なのかと、疑問視しながら。
反面、冷めた思考が脳裏を支配する。
激情に身を焦がすには、あまりにも幼稚な相手だった。いっそ哀れだと思った。
――ただ、それでも捨て置くことは出来ないと思う。
乱入者に戸惑っている様子だが、先程吹き飛ばしたリーダー格がそこでようやく立ち上がり、
「――なんなんだよてめえは!」
問われて問う、自分は一体何なのかと。
それの答えを告げる。
「……彼の本当の友達……いや、ゲーム仲間かな」
ああ、やっぱりそれしかないな、と。
それに幾人かが戸惑い、一人は苛立ち、一人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、そしてぷっと噴いた。
笑う。
「――オタクかよ!」
「プはは、友達じゃねえんだ!」
その程度の低い煽りを無視して告げる。
「……本当の友達っていうのは、友達なんて言葉を使わなければいけない仲じゃないんだよ、餓鬼。友達だろ? とかそれをチラつかせるのは論外だ。他にも、例えば、仲間だろ? とか、裏切るな、とかさ……君たちと違って。そんな言葉は必要ないんだよ……」
他にも例えば、礼として違うが、本当の友達なら、金を貸せとか、こいつ使える、とかは絶対言えないそれを、彼らは平然と思うのだろう。
また静かに、爆発性の劇薬を溜める。そんなことは本当に友達なら思わない。
そしてそんな友達でも、それでも大人になればなるほど――生活に優先順位を置いて、友達、遊び、趣味とかのそれらを無駄とか『本当には必要でない』と言い自然と切り捨てていく。
それが大人の理性、ある種の良識として捉えられているが。その無駄な物を幾つ持てるかは半面豊かさの証明だと思う。
もちろん例え手の平に残っていなくとも、心にそれが在るか無いかでこれもまた全く違う。今手にしているかではない、幾つの思い出を経てそれをどれだけ残せたかだ。中には不器用で、ボロボロになりながら、でもそれを抱いている者もいるし、綺麗な宝石のように磨き上げている者もいる。鈍くて、原石のままそれに気付かず路傍の石として捨てているかもしれない。
そして、それらを、
「――お前ら、そういうのをこれまで何一つ持ってこなかったんだろ」
彼らは否定した――もしくは、分っていない。
そんな彼らを否定する。
その言葉に、
「――殺す!」
彼らのうちの一人――
あまりにも端的に、瞬間的に突っかかって来たそれを見て、まず疑問を抱いた。
その動きは、ここでは無い場所で何度も見たモーションだ。
弧を描き肘を引くように袈裟に軌道を取るそれは、金属バットであるが、初歩的な斬る太刀筋、日本刀の剣術のそれである。
しかも、これは、不良の中途半端な喧嘩暴力のそれではない。彼らは暴力的だが人殺しまでは嫌い、本当に危険な打撃は避けた示威に力を注視させる、ただの脅しまでだが。
目の前の棒きれに渦巻く風には、全く躊躇いが無い――
ただ喧嘩慣れしている、というそれではない。
今、彼らは本気で自分を殺そうとしているのだろうか?
しかし、今は捨て置く。
そして一歩下がり、相手の勢いを引き込み、減速し半歩前に出る。
棒立ちで、左手を腰の後ろに通して添え、右手を下から弧を描くようスッと突き出した。
袈裟に振り被って来たそれを間合いの内側に進み難なく躱しながら水月――みぞおちに最短距離で追突させる。
振り子の球を当てる様に。その瞬間で綺麗に止めて。
上に弧を描くようには飛ばないが、勢いよくくの字で横に滑るよう転がり、下に悲鳴も上げられず無言で咳込んでいく。
絶句する。
殴ったようにも――死角の彼らからは、何かをしたようにも見えなかった。
それこそワイヤーで逆再生に引かれた様な吹き飛び方だった。
現実の殴り合いでは見れない常軌を逸したそれに戦慄が走る。
しかし、戦意とつまらない意地は止められないのか。
罵詈雑言を叫びながらそれぞれ思い思いにその辺にあるものを武器に、再び戦意を無理やり奮い立たせて殴り掛かってくる。
一人はもう沈んでいる――下からみぞおちに入れた掌底は横隔膜を外から強制的に打撃したのでしばらくまともに呼吸も出来ないだろう。
二人同時にやって来ている。それぞれこちらの肩と横腹を目掛けて時間差でバットを振り被っている。が、それよりも早く、リーダー格の男がそこにあった蕎麦屋の暖簾から棒を引き抜き、槍投げに投擲した。そしてすぐ隣の金物屋の店外ラックに立て掛けたステンレスの物干し竿に手を伸ばしに行く。
見苦しい――不思議なくらい怖くない。
健実のところで受けた稽古の所為だろうか? それとも――
それをゆっくりとした世界の中で感じながら――
暖簾の投擲を、空中で即座に手の甲で真上に弾き半回転、それをそのままの位置で手の平で掴み【杖】代わりに扱う、脇で挟んでそこを支点に腕で絡み付くように武装とした瞬間、その支点をのぼり半ばのところにある手首の内側に流れるように移し替える。
それは突き出されたのぼりが腕を支点にてこで渦を描いて旋回する。
逆袈裟に振り下ろされる、その先にあった一人目のバッドを円の動きに巻き込み、蛇が絡みつくよう登って行き、そこにある握りに噛み付き抉じ開け、そのまま真上に飛ばした。
半身で後ろ足を先に、踏み込みの先端を更に先に――短杖を両手に持ち変える。
その先端と後端を入れ替える動きで、一人目の後ろ頭を押さえながら一歩で彼の背後まですり抜けながら、足払い――同時に、後頭部を押さえていた杖をターンしながら更に押し込み、彼の重心の上下を強制的に移動させる。
一人目が低空で一回転し背中を打ち付け転倒した。
ちょうど到達した二人目の横薙ぎのバットを無駄なく振り向きざまに受ける瞬間に、刹那に角度に斜を着け、打点から滑らせる。
同時に、杖の先端と後端をまた入れ替え、バットが持つベクトルを真上へ跳ね上げる。
特別速くはない。ただし流水のような動きで。
彼の打撃力とこちらの膂力を加算し、彼の握力を越える。
二つ目のバッドが、上に飛んだ。
刹那、バットを失い、しかし勢いだけが止まらず体勢を崩した二人目の半回転した身体、その膝裏から、軸足と踏み足の入れ替えを阻害するよう差し込み、そのまま掬い上げ転げさせた。
まるで氷の上を滑ったように尻餅を着く。
――リーダー格が金物屋の軒先からステンレス物干しざおを取り、ようやく戻ってくる。
それは10秒にも満たない時間の出来事だった。
そして――
バットが二つ落ちて来る。カランカランと甲高い音を立てて転がったそれを皮切りに。
三人目が来る。
彼は破れかぶれではなかった。
しっかりこちらを睨みつけて、それから|ちゃんと腰を落として構え《・・・・・・・・・・・・》、槍術のようにそれで突きを放った。
ステンレスの銀光が弾丸に、切り裂く風が針のようにこちらを突こうとして来る。
意外なほど不良にしては様になった腰の入れ方と手捌きだ。
やはり、喧嘩で身に付けた動きではない。
――それを危なげなく避ける。
眼前で伸びるよう加速し、そして、危なげなくて元に戻る。
それを観察する――脇もしっかりしている。終始全力で槍を扱っているのではなく、初速と終息を意識し力を運用している。
対人ではただの一撃では当たらない――それを視野に入れての速さを重視した槍使いだ。
彼は先の会話の憤慨を抱えたまま、更に避けられたということに苛立ち、気勢を凶器に込めて尚更激しい殺意を燃やしてこちらに槍を見舞ってくる。
危なげなく半身に構えて投影面積を減らし、避ける。
すると、手元に引き寄せた棒をその中腹を握る持ち手を支点に角度を変えての乱れ突き、乱撃に切り替え始めた。
……それはやはりここではない場所で、よく見られる動きに。
眉間に皺を寄せる。杦田の言っていたことは、そういうことなのかと。
だが――
粗い、そして荒い。洗練されてはいない。
やはり不良の喧嘩レベル、ほんの数秒の全力で息が切れ出している。
体力が追い付いていない。そもそも戦術の組み立て自体していない。馬鹿の一つ覚えの全力だ。これでは相手はハマらない、突き以外の技も絡めればもう少しこちらに手を出させることが出来る。基本は覚えていてもそれを技までは昇華していない、それは基本の意味までは理解していない証拠だ。
それを杖で弾くまでもなく、フェイントも駆け引きもない見え見えの軌道なので半身を逸らせば相手の方が勝手に離れていった。
そして彼は頭に血が上り、当てようとするあまり意識が集中し過ぎてそれ以外の視野が狭く、注意が散漫になっている。
熱も興味も冷めた視線で、彼の目の前で暖簾の杖を足元に手放した。
武器を捨てた――彼はギョッと目を剥くと同時に、舐められていると誤解してかさらに狂気に振り回され、手に持つ物干しざおを感情的に、雑に全力で突き込んできた。
それに手を伸ばす。
「――なっ」
その先端が伸びきり引き戻される暇、突きの動きの中で必ず止まる瞬間――その手前の、最も加速する瞬間にその穂先をつかみ取る。
加速に全力を注ぎこんだ一撃は、その瞬間、それ以外の荷重と膂力を加えられ彼の手の中から容易くその制御を引き剥がされる。
まるで彼が自ら手を離したように、それは自分の手の内へと来た。
刃も付いていない武器なら、まずそれを警戒し相手の《《手》》を警戒しなければいけない。それを脇に抱えて地面スレスレを擦る様な歩法で前に飛び、自らを反転させ、左手を斜掛けに彼の右側から胸板に当てつつ、左足で彼の右膝を後ろから押し穏やかに仰向けに倒れさせる。
そして、その倒れた無防備な顔面目掛け、金属性の物干しざおを怖気が噴き上がる程の鬼気を漲らせ烈迫する勢いで叩きつけた。
リーダー格の男はその実体を帯びるほどの殺意を目の当たりにし背筋が凍り付く。そして自信の心臓が止まる幻を見た。
冷たいな音が響く。自身の視界が真っ暗に閉ざされる確実な未来を見た。
そしれ石畳が弾けが飛ぶ。いくら待っても消えない体の感覚と、違和感に目を開ける。
怒り、それも、仄暗い炎が灯りながら今もそこで燻ぶっているような、しかし、人間を歯牙にもかけない鬼の表情を見た。
それを信じがたいものを見たように、自信が揺らいだかのように、彼はふらつきながら咄嗟に立ち上がり、後退った。
もしかしたら初めて死ぬかと思ったのかもしれない。初めて、殺意や、暴力の恐怖を思い知ったのかもしれない。自身のそれが子供のそれだったと思い知らされたのかもしれない。
知ったことではないが、他の仲間たちも、立ち上がりつつあるがこちらが利かせた睨みにその場を動けなくなる。リーダー格の男だけは、完全に戦意を喪失したそれを見て、叶わないということは思い知ったのか歯噛みする。
しかし――
「――くそ、糞糞糞糞糞糞! 糞がああなんなんだよオメーは!?」
まだ終わらない。
それは彼とは別の意見で、ここで終わりにすべきではないと自分も思っていた。
これではまだ終わらない。
遠くからパトカーの音が近付いてきているが、彼らはここで終わりにすべきではない。
教育しなければ。それを曲がりなりにも教師の端っぱとして思う。
「……ああ、そろそろ警察来るね……流石にもうここからは逃げられないだろう……警察が着たら大人しく捕まりなさい」
本当は彼らの事なんか知ったことじゃない。どれだけ堕ちて行こうと一向に構わない。
だけどここで放置したら……彼らがまた何か犯すかもしれない。その心根を折っておく必要がある。
その為にゲーム仲間の元へ行く。
そして、まだ体は痛むだろうが、その肩を脇から引っ張り上げて支え、立たせる。
「……鷹さん? ……本当に、鷹さんなの?」
「おう……よく頑張ったな」
それから有無を言わさず眼で、彼を信頼していることを告げる。
その脈絡もない目線に彼は疑問を覚えたが、ここまでボロボロになりながら、彼らに怪我が何一つなかったことを鑑みると――
彼がその心で何を成そうとしていたのか、あえて言うことはあるまい。
しかしそれを、
「モズ君の勝ちだ」
彼らに向け宣言する。
一瞬、何を言われているのか分らないのか、彼と、彼らは茫然とした。
しかしほんの僅かに後、モズは静かにそれに頷いた。それから彼らに未だ血が滲む眼光を叩きつける。
その意味に気付いた彼らは、また苛立ちを燃え上がらせ始めた。
それはこれまでと同じく、程度の低い憤怒のそれをぶつけながらに遠吠えを――吐く息も臭い燻ぶるようなそれをまき散らしてくる。
「――ハァ? ……バカじゃねえの。そいつのどこが勝ってんだよ! 何もかも! 力も! 学校での立場も! 今だって! 何も出来てやしねえだろうが!? これからのそいつの将来だって! もう終わってんだよっ!!」
それに自分は冷めた溜息を小さく吐いた。どこまでも、カッコつけだ。
中身も何もない、それは自己欺瞞でしかない。
それに、
「……君にこれから、何が残るんだい?」
無慈悲に言う。
彼らは、端的なそれに、息巻き、しかし何かを口にしようとしながらも――それが出てこないのか、奥歯を噛み、牙を剥き出しにしたままこちらをただ睨みつけて来る。
本当に張りぼてだ。敵愾心ですら中身が無いのか。憐れも滑稽も通り越して無様と言うより他ない。そして、
「……本当に分からないのか? ……これから君は警察に捕まる。昔と違って少年法も引き下げられてるんだ、この後どうなる? 刑務所行きだ。……これだけの事をしてしまったんだ、その後は、君にとって都合の良い、今までの生き方が出来る人生は存在していない……」
何せ、刑務所はそこに入って出れくれば許されるという施設じゃない。
刑罰と刑期はそれを終えればその人は許されるという法律ではない。ただ単に、法律で定められた刑罰を、期間として刑期として刑務所で過ごすことを定められているだけのものだ。そこで反省しようと社会復帰の準備をしようと、それで罪が許されるとは定められていない。
そしてそこから先……ずっと罪を背負い罰を追い続けることになる。
たとえ本当に更生されたとしても己を許そうとすれば他人が罰し、逆に他人が己を許そうとすればそこで自ずと自分自身を責めることになるだろう。それでももう刑期を終えているからそれ以上に罰されてはいけない、法律として、刑務所を出ればそこからは普通に生きなければいけないとされている。
それは、普通に生きることが、許されるということではなく、――罰することで罰せられた自分に満足してはいけないという意図もきっと含まれる。そこに多分心が救われることなんて無い。ずっと贖い続けることになる。
そんな人生だ。だがこれは、それでも己を省みることが出来た人間が辿る道筋だ。
それに気付いたのかどうかは分からないが、ようやく、彼の仲間は、顔面蒼白に膝から崩れ落ち始める。おそらく、その可能性くらいは見えたのだろう。
しかし、
「だからなんだってんだよ!?」
「だから、モズ君の勝ちだ……彼はここに残った。害意に流されず、そして、君たちを警察が追い付くまでの間釘付けにし、人前で君たちの悪辣さを露呈させた……君の言う、最後まで残った、ってことだよ」
「……はははっ、じゃあ刑務所を出たら覚えておけよなあ……てめえら一人残らずぶち殺してそれで終めぇにしてやるよ!」
「……例えそうじゃなかったとしても、君は君を誤魔化している限り、本当には笑えない。別に彼が居なくてもどこだって、君は笑えない。彼みたいに本当に楽しいことも何も見つけられない。そうなれないないことを誤魔化し続けるだけだ……そこに最後に、何が残っていると思う?」
「…………うるさい、五月蠅い煩い煩い五月蠅い!」
「……かめちゃ」
「うるせえんだよ!? なんなんだよ!? お前さえいなければ?!」
それを、まだ分りたくないのか。
そこで彼は矛先を変えた。それはあくまで勝ち誇るように、
「―――てめえのババアぶっ殺したのは爽快だったぜ!?」
自分の傍らで、劫火のような怒りが燃え上がった。
そこで、自分はモズの支えを離す。自然に、彼は歩き出した。
それを止めずに、彼に任せることにする。
「オラァ!? 掛って来いよぉ!?」
向かっていく。痛む体を押さえて、毅然と、爛々と殺意が揺らめく様な熱い瞳を叩きつけながら――
その眼前で、殴れよ? と言いたげに彼は両手を後ろに組み、ニタニタと無抵抗を装う。
「……しないよ」
しかし、その意図からは外れたモズに、彼は一瞬だけ恨みがましく奥歯を軋ませた。
それでも、
「……はは八、やっぱビビりじゃねえか!?」
自己PRをする。彼に恥をかかせようと、己以下の雄であることを示そうと。
――道化に落ちていく。
「大事な大事なお母さんが死んでもその犯人が目の前に居てもビビって手を出さない……恥かしいくらい超ビビりのクズ糞虫――」
それは根本的に違うと自分は思った。
何故なら、
「…………俺はお前らと同じことなんか絶対しないっ!」
彼は、ちゃんと分っていた。
「これまで暴力でやり返さなかったのはお前らと同じになるのが嫌だったからだ! 学校を捨てたのも家で勉強してるのも! お前らを容認してるクズに何も教わりたくなかったからだ! どうせまともな事なんか教えられるわけない、殴られれば痛いのも苦しいのも何も分らない! 友達も優しさも正しさも全部聞けば聞くほど言葉が腐って行く様なことを言う連中なんかと、同じことなんか俺は絶対にしない! ――だから俺はお前らを殴らなかったんだよっ!!」
それは、後付けの言いわけではない。
決して手を出さずに、悔し紛れではない本物の言葉をモズは吐き出した。
運動神経や勉強の成績では測れない、彼が部屋の中でそれ以外を折られ燻ぶりながらも腐らせなかった、これまで胸の内に秘めていた意思の言葉だった。
激しい暴力に見舞われても、大切な家族を傷つけられても絶やさなかった。
そして彼も、それでも全く表情を歪めず眼光を緩めない彼に気付き、瞠目する。
彼は今まで嘲笑っていた――それがもはや茫然と目を剥き、ただ、彼が持たない生き方を見せつけられていた。
分からなくとも、それを体感した。
立ち尽くしたそこに、パトカーで乗り付けた警察たちが到着した。
犯人の高校生達は警官たちに連れられ、モズはそこに居た警察の一人から、母親が搬送されたという病院へと向かった。
彼の母親は――重傷で、まだまだ予断を許さない状態だがそれでも治療の山は越え、急変の可能性はあるが、どうにか命を繋ぎ止めたらしい。ただ幾つかの内臓を痛めていた為、今後食べられるものに多少制限が付くということだ。
結局、彼らは何一つ、万代の大切な物を奪えなかったのだ。
その事件の当事者の一人として、自分はそのまま商店街で警察の聴取に付き合っていたとき、彼の親しい知り合いの一人としてそれを聞いた。
そして次の日、母の入院に必要な物を揃える為、家に戻った父親と、一晩経ち、もう落ち付いて話すことも出来るだろうと、改めて事情聴取が行われようとしていたモズに呼ばれ、そこで挨拶をする。
「……初めまして。鷹嘴明人です」
「……初めまして、万代敬一郎です。お父さん、この人が――」
「――初めまして。息子が……ゲームでお世話になっているそうで。よく遊んでもらっていたそうで……この度の事も、貴方が居なかったら、息子は……」
「いえ、それは偶々ですよ。ただ、奥様の方は……」
「命に別状はないそうです。ただ、無闇に人を煽るような事をせず、黙ってやり過ごしていれば、こんなことにはならなかったと……」
おそらくそう警察に言われたのか。非情なようだが確かにそういう側面もある。
だが、
「……いいえ? お父さん、いつかは誰かが彼らを叱らなければいけなかったんですよ。それがたまたま、あのタイミングで奥様に巡ってしまっただけです……一番大変で、大切な役割を果たしてくれたんですよ」
今回の事が無ければ、なんてことは言わない。
彼らが更生してくれれば、ということでもない。そんな結果の問題ではなく。
加害者、被害者、どちらの心情を鑑みなくとも、これはあってはいけないことだったからだ。そして、
「……それに比べれば、私は敬一郎君を助けられたかもしれませんが、それ以外には。……私がしたことは何も」
それは教育者の一人として恥ずかしいことだ。結局、自分の言葉は彼らを揺り動かせはしていなかったのだ。
それよりも遥かに、最終的に彼の言葉と行動の方が間違いなく彼らに響いていた。
自分は当事者などではなく、蚊帳の外の通りすがりでしかないのだから、それも仕方ないのかもしれない。
しかし、
「……違うよ、僕があの時、ゲームの中に入って無ければ、すぐに気付けたんだ……」
「敬一郎、それは仕方のない――」
彼は、違う。そして、
「――ううん。気付けたよ。もっと早く」
それはほんの一瞬躊躇いながらも、それを受戒するように告げて来る。
「……僕、ゲーム止めるよ」
その言葉を自分は静かに衝撃を受けながら、自分はただ受け止める。それはこれまで、何度も、同じゲーム仲間から聞いて来た言葉だった。
「……そっか。頑張らなくちゃならないんだな?」
「うん、……」
「バカ。ゲームの中じゃなくても連絡ぐらい出来るだろ……楽しかっただろ?」
「……そうですよね?」
「なら、それでいいんだって。ゲームはさ」
そう、かつてゲーム開発者も言っていた。
彼にとって、ゲームは勉強と学校の合間の、一時の楽しみの筈だった。
どれだけ熱中しても、いつか、唐突に離れて行くものだ。
だが、思う。
これで彼は救えたのかと。それとも、彼は救えなかったのかと。
そのどちらも救うまでもなかったのか。それとも救うべきだったのか……。




