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ゲームが⇔現実になったら。  作者: タナカつかさ
ゲームと繋がるもの。
22/30

問題の在所に。

残酷な描写があります。

 万代満代もず みつよは主婦である。

 専業主婦だ。夫の収入が特別良いわけではない、ただ奇跡的に家族で暮らすにはちょうどいい固定資産税の家と土地を持っていた為である。それでちょっとした不労所得も得ている。

 しかし、ずっとそうという訳ではない。ほんの一年前まで共働きだ。

 その理由は、息子だ。息子が不登校になった。

 いじめだ。ある日、教室で普通に話していたら、いきなり『ムカつくんだよ!』と殴られたのだそうだ。そしてそれは毎日続いた。

 理由もなく殴られる。それが続く理由は、面白いから、だそうだ。

 それを助けようとする生徒も教師も居なかった。

 担任は不登校になってからそれを知ったが、彼はいじめは本人が解決しなければいけない、と思っているようで、これから社会に出た時の事を考えれば手を出さないことがなによりの教育だ、と面談時に言っていた。

 違うだろう、教育が必要なのはその加害者たちだ。

 満代は流石にそう思った。人を傷つける事に愉悦を覚えているなんて、それこそ指導の対象ではないか。ああ、それとも、こんな堂々と責任転嫁し開き直るような輩、こちらを指導するべきかもしれない。

 でも、それをする者はいない。

 その学校では、いじめも、諍いも、トラブルも、ごく当たり前の事と思っているようだ。

 それは当たり前かも知れない。自分たちの時代も、ごく当たり前にそういう問題はあった。でも、それなりに解決するか――やり過ごして来た……。

 その所為なのだろうか? でも、みんな耐えて来た。どこに行ってもそれは当たり前にあるから。

 でも、自分の息子は――

 ――無理だ、やっていけない。

 そう言い、とりあえず今は休学扱いにして貰っているが。近く高校を止めて、大検を取るつもりらしい。

 それも正直冗談じゃないと、満代は思っていた。

 列記とした学校の卒業証書と、その認定証の効果は法的には同じかもしれないが――人の目には全く違うものに写る。

 脱落者か、継続者か――

 前者だ。誰も脱落したことを肯定的に認めようとはしない。

 憤りはあるが、あの教師のいう事も一理あるのだ。何故なら、社会であってもいじめはあって当たり前だ。大なり小なりそして害なり、違いはあるが、どこまで行っても終わらない、それに耐えられないようではダメなのだ。

 ちょっとぐらいの不満や不平どころではないそれに、社会に残っている人間なら全員耐えて来たからだ。だから息子にも逃げないでほしかった。

 逃げられるわけがないのだから――今逃げても、きっと次の場所でも元の木阿弥になる。

 必ずどこかに良い人間が必ず居るのではない――それより『どこにでも必ず悪い人間が居る』ことの方が当たり前だからだ。

 それこそ毎日が蹴落とし合いだ。人は人を蹴る。生きる為でも遊びでも人は必ず同族を傷つける性を持っている。自分の為に他者を害することが出来なければ《《悪いけど生きていけない》》。

 そこを、善意や正義だ理想だと、いい人を探して逃げないでほしかった。

 けど、どこかにいい人が居るのは事実だから、息子の言い分も強く否定できないのも弱ったものだ。

 だが。

「……はあ」

 誰にともなく、満代は悲嘆に溜息を吐いた。最近ではいつものことだ。

 思う。

 いじめが当たり前だとしても。

それにしても限度はある――しかし、やはり現実には、その限度が無い人間がいて……。

 それに巡り合ったら一環の終わりで、犯罪と同じで、防ぎようもない。

 でも、それにもし巡り合ったら、その理不尽を跳ね除けられなければ生きていけない……。

 やはり息子は負けたのだと思う。逃げたのだと思う。

 ……あまりにも悪戯に、悪辣に、悪質に、そして凶悪であったということも分かる。

 自分の周りでも常にそれはあった、自分の懐には巡り回って来なかったけれど。

 だから、本当の意味では運が悪かった――きっと、その一言に尽きるのだろう。

 本来、それだけの筈の事――

 でも、極端な話――

 たとえ息子に本当になんらかの悪い要因があったとしても、周囲が善人であったならそこまでの凶行には及ばない、というのも事実なのだ。

 人に善意を期待するなんて馬鹿げているかもしれない。甘えかも知れない。でも、ごく当たり前の良識すらないというのは……。

 でも、もう諦めるしかない。負けだろうと逃げだろうと、事が終わった後なのだ。

 そんな、もう本当にどうしようもないことだってある。殺されてしまわなかっただけでも運がいいのかもしれない。そういうことだって在り得たのだ。

 だからもう、これから、生きてさえいてくれれば――

 いや、出来れば、《《次の社会》》に出てくれれば、それだけでいい……。

 そんな思いで。

「――ケイーっ、お母さん出掛けて来るからね~~っ!」

「――んーっ! わかった!」

 声を掛け、ちゃんと明るい返事が返ってくるのを確認し、家のドアを開ける。

 後ろ髪を引かれる思いで息子の部屋の辺りをみやり、それから戸締りをして。

 日替わりの特売品を買いに。

 今日の内職のノルマは終わった。専業主婦とは言わないかもしれないが、正職に就いている人や昼も夜も働きづめの兼業が本当の共働きで――私的にだが、片手間のパートと内職はそれじゃないと思っていた。密度も責任も給与も全く違う、と。それに、昼と夜はほぼ家にいるのだから、本当の共働きの大変さに比べたら憚られてしまうと思っていた。

 それと、息子の為に家に入りはしたが、四六時中家に居ても息子の為に常に何かが出来るわけではない。年齢から鑑みても、自立心だけはある。べったりしても逆効果だと思った。中らず触らず、道を踏み外さないように――結局それしか出来ないとも思えた。

 だけど、せめて息子の外へと繋がる窓口になるため、息子を一人きりにしないために家に入ることにした。ごく健全な普通の世間話――その窓口になる為だ。

 インターネットで話してるとか情報を見てるとか、そういうことではない。

 そんな自分の知りたい事、好奇心に限定される情報ばかり漁っていたら、ますます他人を受け入れられなくなる。

 人と普通の会話していないと視野が狭まるのだ。極普通の愚痴、嘲り、悪口、自慢話、悩み、音楽に芸能人にニュース――それを聞きたくもない無駄な話、と思ったら興味を持てなくなる。そうすると自然に会話が弾まなくならないだろうか?

 だから――人との会話を絶やさないようにする。他人の話を聞く――

 以前、風邪で二、三日それが途絶しただけで、仲間内の会話や雰囲気の変化に、眼を回したことがある。

 それだけで酷い疎外感を味わった。が、息子はそうではないらしいが、そこが一番心配だ。

 と、

(――……なにしてるのかしら)

 三人、いや、四人――

 それが車で家を出て、すぐの路上を歩いていた。満代のことを見ると、にやにやと笑い、しかしすぐに通りすがりの人間を見送ったよう、仲間内で酌み交わす視線に戻る。

 その横を通行人が通り過ぎる。

 それを睨むような無言でやりすごしてから、彼らは、

「――だからさ、」

 気を取り直したように世間話を始めた。

 息子と同じくらいの年齢――

 どこか、人を馬鹿にしたような、常に目元が嗤った粗野な皺が付いた――

 気の所為だろうか、質の悪い人間、特有の顔つき――

 何かが警鐘を鳴らしているが、気の所為だろうと、変わりの無い日常に流された。

 

 Unison:World内、大魔法連盟・本部――

 そこはプレイヤーが作った魔法職の溜まり場だ。

 そこで日々、自身らのスキルの検証や開発をしている。

 そこでは様々な手製の魔法書や巻物スクロール、魔道具が作られていた。

 このゲームには幾つもの魔法スキルがある。

 昔アニメや絵本で見たような、杖を使い呪文を詠唱する魔法使いの魔法、様々な魔法陣や回路を体や道具に刻む魔術師の魔術、東洋の陰陽術や神道、大陸の符術、風水術――それらに限らずマニアックな呪術や印術ルーンなどもあるが――

 その全てが、現実と同じようにそれぞれの体系に基づき基礎知識や構築技術が形作られ、そこに非現実の法則を組み込みこの世界に魔法と言う現象が与えられている。

 使用には専用アイテムが安全装置として必要になる。それを持った上でのさまざまなアクションが始動キーになる。

 その性能や取り回しは、それぞれの魔法ジャンルに別ゲーの要素が散りばめられている。

 が、戦闘職で本職として魔法職を選ぶ者は少ない。

 何故なら、現実と同じ故に、それらを極めるため学ぼうとすれば同じだけの時間が取られる上、スキルの習熟が戦闘技能の向上に直結していない。何せ、魔法職系の訓練で身体能力は上がらない。それはどのような状況でも大きなハンデキャップになる。並行して他の訓練もすればいいのだが、それではどちらも育成に時間が掛る。それなのに近接戦闘職で呪文をしゃべり道具を用意しながらでは、中々本職の戦闘職に敵う筈もない。普通なら高火力の遠距離攻撃手として重宝されるがそれも大物相手の時だけ、取り回しの良い小さな初級魔法は、残念ながら初見でない限りはプレイヤーにも雑魚にも当たらないのだ。純粋な遠距離攻撃としては弓矢、投石のほうが射程が長く取り回しも良い。その為、魔法職は純粋な戦闘職から見れば一枚も二枚も劣る、戦闘が苦手な戦闘職でしかないのだ。

 しかし、彼らが制作したアイテムは他の職でも使える。

 たとえば瞬間着脱の変身装備、アイテムポーチ、空飛ぶほうき、使い捨ての各種魔法アイテムから便利な日用品――それはどんな職業にも重宝されている。それがもはや魔法職が存在している意義ともいえるくらいに……ここまで来ると分る。

 ――このゲームの中で魔法使いとは旧来の絵本の魔法使いなのだ。

 ゲーム的に言うなら生産職――

 いや、戦闘職でも生産職でもない、第三のカテゴリーだ。各アイテムに属性や特殊能力を恒常的に付与することができる。

 ――補助職なのである。

そして実はそれは現実での占いや、風水、黒魔術、実在した魔女などの立ち位置と同じだったりする。現実のそれらは皆、何かしらの補助や気休めにしかならないが、それと同じだ。実際に効果が出たという個人の感想は置いておく。

 だが――ゲームの職としては少しおかしい。

 生産職でも戦闘職でもないのに、高い攻撃力を有している。

 魔法職なのにその専門ではなく戦闘と生産、それぞれの分野に技能が跨っている。

 ……これはゲームの職業としてバランスが少しおかしい。

 そんな便利な職業、普通なら一極化を防ぐため、個性を残しつつも性能を落とすはずだ。

 これでは、他の職の優位性が消えてしまわないだろうか? 

 だからこそ、総合的な戦闘能力を落とすために、身体ステータスは上がらないようにして、の補助職化なのだろうか。

 しかし、それならば中途半端な攻撃力など持たせずに完全にそうしてしまうべきなのだ。

 そんな矛盾から察するに、クリエイター側の意向としては、魔法職はゲームとしての開拓の余地を任されているのではないかと推論されている。

 何故なら魔法職は、その補助能力が多岐にわたることで戦闘に、生産に、それぞれの分野に更なる開拓の余地を与えている。

 事実それを取ることで、生産職は作るアイテムに特殊効果を付与できるようになった。戦闘職もこれまでは技の軌道をなぞりダメージ増減を図るだけだったそれが、アニメや漫画の様に飛ぶ斬撃、衝撃波の出る打撃、魔法を纏った武器での属性攻撃などが可能になった。

 しかしそう見ると――今度は、他と比べて純粋な魔法職としての旨味が少ない――

 バランスが取れていない。他の職がありきなのでは、純粋な職業として成り立たない。

 これはおかしい。他の戦闘職には、必ずその職にしかない長所や優位性が備わっている。

 単なる補助職なら、攻撃力はやはりいらないのである。例えば生産職には攻撃系のそれが用意されていない。

 だから思う。まだそこにも、プレイヤーが見つけていない伸びしろが隠されているのではないのかと。 

 ただの補助職ではなく――そこを極めたらどうなるのか? 

 それは現実で運動神経が低いが、戦闘職として諦めきれないプレイヤー達の希望であり吹き溜まりでもあった。

 ――そしてそれを見つけたかもしれない。

 そう誰もが思い、その道をそこで探していた。

「ふう」

 手元にあるのは符術、印術の関連書籍だ。

テーブルには他にも様々なテキストが山の様に載せられている。

 そこで新たな手引書を読む――敬一郎もその類だった。

 昼のノルマは終わったので、夕食までの間、休憩がてら頭を動かしていた。

 そこにある考察文には、魔法職を極めるには、多大な時間が必要になると書き込みがされている。

 最初の問題は、Realモードを使う意味がないとされていることだった。

 Realモードの経験値の換算は、体を操る知識――戦闘職でも生産職でも、基本は指先の感覚、舌の感覚、腕、足、筋肉などの『明確な感覚』の蓄積をカウントしているとされている。しかし、現実の黒魔術師とか風水師とか占い師、その技術や感覚は、ほぼ知識や統計学やまじないなどは――体の感覚で理解しているのではない。

 だからゲーム外ではほぼ育成できない、と考えられていた。しかしそれは違う。魔法職が実装されてからそれに関連するステータスが追加された。それはIntelligence、Mind――INT、MIDなどと表記される、知性、精神力の値だ。

 当然Realモードでもそれに相当する行為の換算が加わっているのだ。

 その向上に必要なのは、肉体の感覚ではない。INTは知性、知力――現実でそれを鍛えるなら、勉強である。ゲーム内で魔法スキルを覚え、構築する際に必要な知識は魔術言語とか五行思想とか大昔の科学染みた錬金術などのそれらである。それを現実に当て嵌めるなら、多数の言語学、数学、科学、化学――それらで上がる。これは納得が行った。社会人には難しいかも知れないが、学生には問題が無い。多分、身体能力面から見ても、大人より子供を優遇する部分でもある。

 だがMIDだけはどうにも不明瞭である。

 そしてこれは魔法職の育成を困難とする最大の理由だ。

 いや、育成と言うより、選択、だろうか。

 なにせMIDは固定値が設定されていない、かなり特殊なステータスである。

 これは各攻略サイトでも議論の的になっている。

 精神力を向上させ、そして一定に保つにはどうすればいいのか。

 言い換えるなら、明確に何をすれば、心が磨かれるのか。そんなもの人によってまちまちで、常に同じ数値になる訳がない。なので現状では、ただ単に脳波の状態、『集中力』の状態により魔法の力は上がると記述してある。

 そこをどう鍛えればいいのか、鍛えようがあるのか、これは大きな障害だ。

 そこでゲーム内でも外でも一番有効とされたのが、瞑想や礼拝――宗教に限らず精神修行や鍛錬だ。常に一定の心を保ち捧げる神への奉納、自己への問い掛け、精神的負荷を被りそれに耐えることでの飛躍――

 魔法は目に見えない力が働いている。それを扱うのは体じゃない、心だ。

 だからこそ、通常のゲームの様に、鍛えた肉体や武器の様に、いつでも同じ攻撃力じゃない――

 そういう設定なのだと思うと、空想なのに妙なリアリティである。なんとなく、わかる。

 けど、

「……胡散臭いな……」

 数字にならない分野だ。

 あやふやなそれだが、それも人によりまちまち――

 確認の取りようのないステータスだ。というより、取る意味が無い。

ちなみに、いくら集中力が出るとしてもノートに『僕が考えた最強の魔法』や『超カッコイイ呪文』に『オリジナルの魔法陣』なんて書き綴ってもそのレベルは上がらなかったらしい。

 ただゲーム内でそういう事がしたければ、それもちゃんとシステムに登録されている学んだ体系に則り構築できるとある。

 オリジナル魔法が作れるのだ。

 これにハマるとヤバい――

 学んだ知識や経験をもとに系統樹の枠をひとつひとつ埋め、一つの体系に限らず見聞きし、組み合わせ、自分のそれが構築できるようになると――

 未知の領域が発生する。

それが純粋な魔法職の伸びしろだった。

 終わらない――他の生産職の様にその職ごとに出来ること、どうしても現実に寄ってしまうそれを埋めて、あとは数値の上限を極めるだけのそれとは違い――

 全く新しい魔法が作れる。そしてその新しい魔法同士を組み合わせれば、更に新しいそれが作れる。

 これは、現実の法則に縛られてしまう他の職業にはない要素だった。

 ――危険な中毒性だ。

 終わらない、ゲームとして終わりが見えない。だから、とにかく魔術書を読み込んで、ただひたすら試していた。

 そとでも攻略サイトを見て、研究していた。

 魔法職でも戦闘職並みに戦える魔法を――

 画面に顔がめり込んでいくような前傾姿勢で、没頭していた。



 買い物から帰って来てみると、出掛け際に見た子供たちがまだそこに居た。

 しかし、そうではない。

 塀の内側、敷地を跨いで庭に――

 そこにある窓から、家の中を覗いている。野球部なのか、傷だらけのバットに、グローブ、真新しい真っ白な《《軟式ボール》》を持っている。

 何をしているんだろうかと、満代は車から降りながら不審に思った。

 用があるなら、玄関の呼び鈴を鳴らせばいい――敬一郎なら別に引き籠りではないから、客が来た時くらい外まで出て応対くらい出来る。

 いや、この時間には、もうゲームに没頭しているだろうか。

 昼の学習は出来るだけ学校と同じリズムと時間量にしていた――多分、引け目からだ。本当は行けるなら行きたいのだと思う。ただ、最近は昼に遊ぶようにしているのだ。学生と同じ生活時間で過ごしている所為でゲームの中で知り合いにでも会ってしまったのかもしれない。

 なんにしても、

「――あっ、すいません、万代くんの家ってここでいいんですか?」

「……うちの子に何か?」

「はい。僕らあいつとよくゲームの話とかしてたんで、心配になって……なっ?」

「うん」

「なあ?」

「……最近、あいつ元気にしてます?」

 うちの子に友達なんて居たのか。加害者が来るなんてありえないから、ついそう思った。

 それに口々に、行儀の良い申し訳なさげな上目遣いで満代の機嫌を伺う姿に。聞かれたことに快く話す。

「――そうね、うちの中じゃいつもと変わりないわね」

「……よかったー!」

「心配してたんすよ~」

「ならもう大丈夫かな」

「ちょっと、話したいんですけど、いいですか?」

まだ、息子を見捨てていない友達が居たのかと思い……。

「……じゃあそこでちょっと待っててね? いま中に入って呼んで来るから――」

 しかし、先ほど見たばかりの、粗野で下卑たニヤつきが横切った。

 振り返り、

「……そういえば、あなた達、名前は?」

「森本です!」

「田代です!」

「島田です!」

「山本です!」

 息子から聞いた、加害者の名前ではない。

 でも、そんな友達がいるとも聞いたこともない。連絡網にも載っていただろうか?

 それに、どうみても息子と趣味が会う様な顔はしていない。近しい人間関係とはどことなく似た顔が集まるものだ。

 念の為に、

「……あなた達、本当にあの子の友達なの?」

 冷たい空気が流れた。

 それは苛立ちに似たピリリと静電気が走る音で、

「――ウゼぇんだよっ!! すっとばすぞババア!」

 満代は彼らの一転した狂犬病の野良犬のような言葉遣いに目を疑う。

 その姿と見て彼らは、

「……まじそっくり、超絶空気読めねえのも遺伝なのかよ!」

「アハハッ、本当に親子なんだな~!」

「ホントマジ勘弁してほしいんですけど~」

「――敬一郎く~ん! あっそびっましょ~~!」

 狂態、と言っても差し支えないほど、彼らは捲し立てて来る。

 しかし、その常軌を逸した態度に混乱する頭は反して答えを出してくる。

 彼らが、自分の息子に暴力を振るい続けた加害者だと。そして、その彼ら自身以外の全てを嘲笑うような態度に、あることを察する。

「……帰りなさい、うちの子に本当は用なんかないでしょう」

「ハア? ぷっ、いやいやありますよ? いつも仲よく遊んでもらってたんですから」

「教室でもゲームの中でも一緒一緒――どこでだって仲良っし~~!」

「もう全然そういうんじゃないんですよ? だってこのあいだも~、ゲームの中でだけど、俺ら敬一くんにぶっとばされちゃって~、いやあ、ホント強いんですよぉ」

「……そういうことじゃないでしょう? あなた達、本当はうちのケイちゃんに――」

「――ケイちゃんだって! 高校生なのにありえね―――っ!?」

「こりゃ引き籠りになるわ! 将来エリートニートまっしぐらだわ!」

目上の人間に対してあまりにも傲岸不遜――否、ただの醜態に等しい常識知らず。

 それに冷や水を浴びせ、嗜めるのと――

 親の一人として、子供を叱るつもりで。目には目を歯には歯を――同じように満代も彼らの言動を無視して告げることにする。

「……用があるんじゃなくて、ただ誰でもいいから自分達の下を探しているだけなんでしょう?」

 聴いた瞬間、彼らは服の下で、冷たい刃物を握るような――

「……はあ?」

 いや、彼らそのものが刃物のよう、無機質な貌をし出す。

 感情が振り切れ、知性が壊れ始めている。

 身の危険を感じる。それを分っているが、引くわけにはいかなかった。

「――自分の中に本当に楽しい事や幸せな事が無いから、他人を下に見て否定しすることでしか楽しい想いも幸せな思いもみることができないんでしょう? それを持ってるあの子の事が羨ましくて恨めしくて悔しくて――」

小刻みに彼らは歯軋りを溜めていく、大きな地震の前兆の様だ。

 図星かどうかは分からない――もしかしたら本人たちも、その苛立ちに気付いていなかったのかもしれない。

 しかし、だからと言って、許せるものではない。

「でも、ムカつくとしか言えなくて、説明できなくて、」

 気付く、満代はそこにある事実に。

 衝動は言葉ではなく体の感覚、頭の引っ掛かりや胸のムカムカ、そういう反応から来るのだ。次に、周囲にある事態や状況から自分の状態を理解して、言葉にして理由を付け整理する。

 子供が体で理解不能なそれを表現するのは語彙や理解力が未熟だからだ。大人になるにつれ様々な経験を積み自身や周囲を理解し、どうにもならない気持ちすら処理できるようになる。

 もちろん、受け取る側だけでなく、それを与える側でもだ。好きな子をいじめるのは自分の好意を美味く処理できないからだ。

 それと同じで、いじめは分かった上でしているのではない。本当にそのことが分らない場合もあるのだ。

 分かった。

 彼らは――

「……ああ、それともそんな幼稚な自分が分からなかったの? でもなんとなく自分が惨めになるのが嫌だったから無意識に勝とうとして、そのことも分からなくて一番手っ取り早い暴力に出ちゃったのね? お猿さん達は」 

 なら息子は負けていない。最初から、負けていたのは彼らだ。

 うちの子はそんなことをする子じゃない。もうとっくに折り合いをつけて大検という次の道に進もうとしていた。それは決して世間では正当に評価されないだろうけど。

 それを誇らしく、笑う。それは自身の息子に向けたもので、そんな目の前の知能指数の低い動物達を罵倒するそれで――

 

 そして――


 敬一郎はログアウトすると、外で、音がしていることに気付く。

 鈍い音だ。壁の向こうで直接そこを拳で叩く様な――

 それから、耳を塞ぎたくなる学生が騒ぐ声だ。

 いつものことだ。夕暮れのこの時間だと部活後の中学生だ。住宅地、通学路を少し離れているとはいえ少々騒がしい。

「おい本当にゲームじゃないんだから、ちゃんと手加減しろよ?」

「――ハハッ、ゲームよりマジ簡単に殺っちゃうんじゃねえこれ」

「大丈夫だよ、ニートの引き籠りを育てる親なんてクズなんだからさ、そんなに強く言わねえって、俺ら超正義」

「――死ねよ! マジ死ね!」

 しかし、不快な声だ。くぐもった音が響く、一体外で何をしているのか。

「でももういいだろ、これ以上やるとマジ死ぬから」

「いや、平気だろ? ちゃんと手加減してんだから」

「マジ傷付くわ~、俺らそんな子供なのに大人に罵られて、マジショックだわ~」

 そして、ログアウト直後の目覚めのぼやけた思考から、一瞬で血の気が引く。

 気の所為ではない、奴らの声だ。

一体、何をしているのか。

 警戒し、窓のカーテンから透かして外を覗いた。

 道路上にはそれらしき影はない。でも、庭に頭だけ見えた。

 顔は見えない、真上から見た髪型では、よく分らない。

 しかし、

「……あなた達の、負けよ、大したこともない、惨めなドヤ顔ぶら下げた、バカな子供より……ニートや引き籠りのほうが、よっぽどマシよ……」

 そこには母も居るのか。何故いるのか。見えない。

 そして何故そんな泪が掠れた様な声なのか。

「……ああ、もうホントもうマジ死ね」

 杭打機のような音が家ごと何かを叩いているのが分った。

 底冷えする様な、その声は、間違えようも無かった。

 自分も何度も聞いて来た。

 そこで何をしているのか、何をしに来たのか。

 まさかここまで来たのか。

 でも、こんなところに来るわけがない。奴らの地元ではない、高校ともなればそこそこ離れた場所からも通う――そんな遠くから来るわけがない。なにせ自分を見ると不快になるのだ。だからわざわざここまで来てそんなことをするメリットなんかない。

 そこまでして人を殴りたいなんて、そうだとしたら――本当に異常だ。

 奴らはあれでも教室ではまだ正常な部類だ。少なくとも、自分が居ない所ではごく普通の奴らなのだ――

 自分をかまう時だけ狂うのだ。

 ――それを、思い出し、恐怖が奔る。

 その為に、ここまで来たのだ。

 それを敬一郎は理解し窓から咄嗟に後退った。

 でも、奴らは外でなにをしている? さっきからなぜ、母親はそこで声がしている?

 この醜く濁った音は何だ? この何度も肉を打つような音は何だ。ガン!ガン!ガン!と、なんども杭打機でドアを叩くような音は何だ?

「――警察を呼んで! 誰か! 警察を呼んで!」

 それは近所のおばさんの声だった。

「おいやべ」

「やべやべやべ!」

「ちっ、――いや、ちがいますよ!」

「もうこの人倒れてました! それっ、助けようとしてただけです!」

「もう通報したわよ! ずっと見てたわ!」

「くそカメちゃん! はやく!」

「――しね。しねよ!」

「おいはやく!」

「……くそババアぁああああああああああ!」

 奴らの一人が持っていたバッドを振り被り、正面の家に投げ込む。

 ガラスが割れる音がした。そして、無理やり仲間を引っ立たせて、一目散に走り出す。

 遅れて、愕然としている足を千鳥足に、ついで早足に、階段を一気に飛んで降りてそこまで何度も自身の勢いにつんのめりながら駆け抜けた。

 焦りながらドアの鍵を何度も指をスベらせながら、開ける。

 綺麗な朱の夕暮れが広がる。

 秋口の冷えた風が吹いている。

 右を、左を、そして、下に母親が横たわっているのを見つけた。

 うう、うう、と呻きながら、転げてそのままでいる。

 空気の壁が立ちはだかる。どうしてこうなったのか。その事実を否定するように、その抵抗を押し退けゆっくりと足を進める。 

「……お母さん?」

 血が飛び散っていた。

 近所のおばさんが、奴らが居なくなったことを確認してか、家から飛び出て駆けつけて来てくれた。

「だ、大丈夫よ、敬一くん――もう警察の方から、救急車も呼んでるはずだから――万代さん! ――いま救急車も来ますからね!?」

「……お母さん?」

 敬一郎はゆっくり、その肩に振れる。

 ぎゅっと母親は目を閉じた。骨に触れている筈なのに、そこが、変に、固いのに、中がぐにゃりと柔らかかった。

 胴を伸ばすと痛いのか、しきりに身体を曲げ横這いに蹲ろうとする。

 お腹を殴られているのか。自分もそうなったことがある。

 頭の上の部分からは血が溢れていないことを、どうにか髪の黒さで確認する。

 苦しいのか、痛いのか、ともかく顔を確認しようと仰向けにする。

「……ケ、イちゃん……」

 優しく微笑んだ。

そして安心して気が緩んだように、息を失った。

「……おかあさん? おかあさん? おかあさん?」

 ぼこぼこに顔は膨れ上がっていた、歯も欠け裂けた唇から血がダラダラと流れている。足裏を叩きつけられたのか体中黒ずんでいた。

 脈が取れない。分からない。

 自分の心臓の音の方が大きい。脈が取れない。脈が取れない、っ脈が取れない。

 意識を失っているのか、気絶しているのか――

 母親は動かない、軽く叩いてもどこかでみた意識レベルの確認に、脇を抓っても、何も返って来ない。

――どうしてだ?

「……あ」

 その問いに、答えが出る。

「、~~~~~っ!アアアアアアアアアアアアア!」

 全身の血管が爆ぜるような衝動の奔流に、

「ああああああああああああああああああああああああああああ〝あ〝あ〝あ〝あ〝っ!!」

頭の奥が、黒く塗潰されていく。

 叫んでも叫んでも止まらない。

 消えない殺意に身を焦がした。

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