錯綜、明らかになる事実と、深まる謎。
自分の女友達がなんと言ったのか。
(……失踪した開発陣の、穴埋めか――?)
一瞬だけそう思う。一番現実的なのはそれである。あれだけのものを動かすなら相当数の人が要る。βテストと同じく、秘密の保持の為のそちということは大いにあり得る。
しかし、聞いた。
記者からの話から――最悪の事態を想像する。
青い炎のような焦燥に反し、背中を冷たい汗が流れる。
『――どうしたの?』
動揺を押さえる。まだ、余計に騒ぎ立てる段階ではないと思った。
今知るべきは、
「……それっていつ頃から?」
彼女の状況だ。と思い、それを尋ねる。
『……えっと、そうね、破局を聞いてちょっとして、だから……三週間、ぐらい前?』
「連絡が取れないのって、それからずっとか?」
『ううん? しばらくこっちからは繋がらないって、わたしはその事を聞いて以来全然連絡してないし』
「……わかった。悪いけどそっちに連絡あったら教えてくれ。それと、俺と連絡が取りたくないならそれでもいいけど、むこうの現状の確認を出来たらして」
『……何焦ってんの?』
「――顔が見たくてしょうがないの」
『あっそ、はいはい――まだ愛してるって伝えとく?』
「……そうしてくれ」
それで、仕事を蹴って戻ってきてくれるなら恩の字だ。
雲雀との通話を切る。
そして即座に彼女の番号を携帯端末、アパートの家電の両方に掛ける。後者は留守電だがそのメッセージに「どうしてもしたい話があるから顔を見させて欲しい」とだけ入れる。
携帯の方にはしばらく掛けっ放しにしたが、やはり繋がらない。
彼女のアパートへと心臓を抑え早足で向かった。しかし呼び鈴を何度馴らしても、留守であることには変わらない。それは説明されて分っていた筈だがそうせずにはいられなかった。
友人の言う通り、それはただの仕事の都合なのかもしれないけど。
不安と胸の奥を掻き回す眩暈のするような不快感が血中を巡り脳内を犯していく。
どうすればいいのか。
本当に社外秘だからなのか。
それとも、記者の言う通り、これは事件なのか。彼女はそれに巻き込まれたのか。自分が巻き込んだのか。
事件性はない、そう思いたい――しかし。
彼女も、本当は消息不明であったら?
その可能性はある。開発陣とは関係の無いそれなら――分からない。
まだそうと決まったわけではない。しかし、胸騒ぎがする。
その実態を確かめる為には、どこで、なにをすればいいだろうか?
思いつくのは、
「……会社に確認を」
直接、自分の目と耳で。
今の時間、もう電話窓口は閉じている。だから、明日の朝一で会社に向かい――
「……ダメだ」
いや、それ以前にそんなことさせてくれるとは思わない。
自然に彼女と会社にアポを取れるような立場がなければ――そこに彼女が居ても取り次いではもらえないだろう。
誰だろうか。
彼女の親に出てきてもらうか、いや、流石に彼女の実家の電話番号は知らないし、雲雀なら知っているかもしれないが、現段階では勘違いの可能性も捨て切れない。そうであるなら方々に多大な迷惑を掛けてしまう。
今はまだ個人で動いた方がいい――
「……」
そこでふと、貰っていた、個人の名刺に気付く。
上着のポケットから財布を取り出し、カード入れからそれを、指で抓む。
英語で書かれたそれに記載された連絡先は、携帯のそれのようだった。そしてアメリカの方にある雑誌社だか個人事務所への番号もある。
携帯の方に掛け――それは三秒以内に繋がった。
未来を創る五芒星、本社ビル。
その玄関ロビーの前で、二人して出社して行く社員の流れに巌の様に佇む。
「――じゃあいい? あなたは私が連れて来た証人、あなたが中で話を聞いて、それを私があなたから聞く」
「……助手とか証人として中に入るんじゃないんですね」
「記者側の人間だと思われると話してくれないこともあるのよ。虚偽や対応の誤りを引き出せれば相手の弱みにもなるし。レコーダーの用意は?」
「盗聴に証言能力はないんじゃ……」
「法廷で効力はなくとも警察に動いて貰う材料にはなるのよ。それと約束通り、私が用意した項目にも出来るだけ沿って情報を引き出して来てね」
「善処します」
そう言い自分はその冷たい建物の中に入る。連絡を取ったオリヴィアと電話越しに計画と予定を詰め、そういう事になったのだが。
しかし、それでいいのか。
昨夜の事だが、電話越しに彼女の心情を慮り、自分は発言した。
『……あんたも普通に関係者枠で話を聞かせてもらえるんじゃ……』
なにせ、そうと決まったわけではないが、彼女も被害者なのだ。
こちら以上に、失踪した父親の事を直接自身の目と耳で知りたいのじゃないだろうかと。
そう疑問に思いながら彼女に問い質した。
しかし、それに諦観めいた柔らかな苦笑を浮かべ、
『……無理よ』
『どうして?』
『ちょっと複雑な家庭の事情――別れた後に母親が生んで、法律上は再婚先の父親の実子、血の繋がり以外事実上もう別の家族だから。その辺を確認してもらうには本人でも無理なんじゃないかしら。DNA鑑定をしたのはこっち側の家族だけだし、書類上の認知もして貰ってないしね』
『……それでどうして』
『――プレゼント。毎年、再婚した父とは別に、母親から渡されてたのよ……それが実は血の繋がってる方の父からのプレゼントでね……で、また母は離婚。前の旦那と繋がってるのかって。そして本当に最悪なことにそれは事実で、そのプレゼントは私にじゃなくて母に送られてたもので、それを自分が受け取るわけにはいかないから、私に送られて来た物だ、ってことにしてたらしいんだけど……』
それに、母に送られたにしてはどう見ても子供向けのぬいぐるみや年相応のアクセサリーや化粧品、最後は時計……だから多分気付いてたのだという。……それに母も気付いてたから、受け取るのを拒否できなくて、その所為で。
彼女の母は、彼女の父親は自分ではないと思っている――ということの証明と、再婚した男は感じてしまったらしい。ついでに前の旦那への配慮からまだ明らかにその気持ちが健在であると……。
『……なるほど、複雑な家庭の事情だ……』
『あら、慰めないのね?』
『そういうのって慰めじゃなく……本当に必要なモノを渡せないと、かえって煩わしいだけだろ?』
『――それは、あなたの優しさなのかしら? ……シャイなの?』
『――理解を示す、というのではないかと思う』
人が他人に口を開かないのは、それを理解されるとは思っていないからだ。それまでに散々無責任な言動を浴びたり、無理解を示されたり、無神経に逆撫でられたり。自身がもう既に結論として出しているそれを弄繰り回されたり。
慰めもこれと同じだ。それを求めているなら、言わずに、相手の話を聞かなければならない。
そこで、あ、この人は話を分かってくれる――と、思えば後は自然に胸中を明かしてくれる。人に言えない辛さを抱えている人は、同時に孤独を抱えていることが多い所為だろう。
――彼女はどうも、そうではなかったらしいが。
問題の解決など二の次でいい。それよりも、その人がどれだけ転ぼうと傍でその辛さを理解されることの方がよっぽと心強いものである。そしてその内に『どうにもならないこと』が苦しくてもそれを紛らわし耐えられるようになる、そこで立ち直り、癒されていくのだ。
ただ、
『……まあ、つもり、ってだけだけどね。人が何を思って何を感じたかなんて、本当には分からないから』
傍で話を聞き続けるにも、答えの出ないことに延々と向き合うには根を詰めるより、いつか正解が出る、話半分の受け答えでもいい。その上で過たない為には、もう悟りとか徳とかが要るだろうが、それくらいの姿勢が理想だろう。
自分の信条はそれだ。失敗を恐れるきらいはあるが。
本当に自分の力で解決できるのなら当人ではなく自身で解決してしまえばいいとは思う。
『……あなたの恋人は幸せだったのね』
『……過去の話?』
『あら、そうでしょ? ……きっとなんでも話を聞いてくれるとか、思ってたんじゃないかしら』
『……そうかな』
余談だが、聞く側も覚悟をして聞いておくことだ。良い答えが出なくとも、親身に話を聞いてくれる人は本来それだけで優しいのだと念頭に置き「ありがとう」の言葉を用意しておくと良い。
ただ、マナーに対しマナーで応じたそれに、どうして元気にならないの? と自分の善意に不備を感じ何故だか敵意を向ける者もいる。だから無難に、会話をしているだけなのだから両者共に「話を聞いて」「理解を示す」に留めた方がいいともいう。
彼女はその辺を躊躇いなく話すあたり、自身の問題について感情が風化しているのかもしれなかった。
本心を語っていない。それもあるが、それかどうか……。
こちらに関心を持っている風だったが。
それはともかく。
そんな理由でオリヴィアは外に置き、自分は私服の普段着ではなく、レンタルのちょっと高いスーツ姿で受付嬢の元へ向かう。
威圧と、第一印象の信用を得る為である。幾ら人を探しているとはいえ、二十歳そこそこの人間が昼に働かずに私服で来る時点で印象は「普通ではない」のだ。
だからこそ、それに袖を通すことを自然としているように振る舞い――
ほんの少し下、受付のワークデスクの内側に、椅子に腰かけている女性に。
オリヴィアに教えられた、自然に社員の情報を引き出す手管を思い返しながら、ごく自然な口調で話し掛ける。
「――すいません、こちらで白崎つぐみさん、という女性は働いていますか? 居ましたら取り次いで貰いたいのですが」
まず最初、ここで本当に彼女が働いているのか訊ね、こちらに教えなくていいから伝言だけでも頼めれば――
「申し訳ありませんが、先にお名前をお聞かせ願えますか?」
「――失礼しました。鷹嘴明人と言います。彼女は大学の同輩――後輩でして、近くまで寄ったら、顔を合わせる約束をしています」
受付嬢は、背後の壁掛け時計を確認する。
曖昧な約束だが、しっかり、会社としての昼休憩の時間を狙っている。
そうすることで、私事でだが本当に約束しているのだと思わされる。そして後ろめたいことなどないことを教える為に、身分証明として免許証も見せた。
受付嬢は、手元の社内端末を操作し、社員名簿の確認をし――
「申し訳ありません、確認いたしますが、そちらの、白崎つぐみ様は本当に弊社へお勤めなのか、ご確認を取られたことはありますか?」
「いいえ? ……話にはそう聞いていましたが……」
「……申し訳ありませんが、やはりその方の名前は、こちらではご確認できません」
「確か、臨時で決まったという話でしたので、データ入力がまだなのでは?」
「それはいつ頃の話ですか?」
「三週ほど前に話を聞いたのですが……」
「……それほど前となると流石に未入力ということはありえませんね――こちらのミスの可能性もありますが……勤務先の部署かなにかをお聞きではありませんか?」
「ゲームの開発関連ということでしたが」
「……少々お待ちください」
社内電話を使い、受付嬢はそこの誰かと話をして、
「……やはり弊社に白崎つぐみと言うお名前の方は確認できません。申し訳ありませんが何かの間違いではないかと」
「……そうですか。分りました、お手数、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。ですがあと一つだけ確認を取りたいのですが、宜しいですか?」
「――どうぞ」
「……この会社から出てるゲーム――Unison:worldの初期開発陣と、その関係者との連絡が取れなくなっているということなのですが、これについて何かご存知ですか? 彼女がそれと関わり合いがあるのかどうか分りませんが、私が試した限りですが昨日から全く連絡が取れなくなっています。……最悪もう警察へ捜索願いを届け出ても手遅れになる段階なので、これには出来るだけ早くお答えして頂きたいのですが」
その内容には流石に受付嬢も営業スマイルから表情を変えた。
これで、彼女が会社に本当に雇われていれば、まだ社外秘の段階にある事業が動いていてそこにいるのか、その詳細は話せなくても、それぐらいなら教えてくれる筈だ。
それならまだ安心できる。ちゃんとした理由で連絡が取れないだけだ。
しかし、この会社には全く関係なく、開発陣やその関係者と接触できないのなら――つぐみと連絡が付かないことに関してもまた別の事件であることが証明される。
できれば門前払いは避けたい。でなければ、つぐみのことが分らなくなってしまう。
その事を考えると胃が裏返りそうだった。
昨夜からほぼ寝ていないことも手伝って、顔の筋肉がいつ変になるか分からなかった。
移動中に目を瞑って、体を休めながら、頭の中でなんども会話をシミュレートしていたそのお陰で淀みなく話せているが。
怖くて仕方がない。
そして、
「……少々お待ちいただけますか? この受付けではそういった内容への対応までは任されておりませんので、これから担当の者をお呼びいたします。緊急の要件として扱わせて頂く為ですので、どうかそれまでの間ですが、あちらの席でお待ち頂けますか?」
「――ありがとうございます」
ぺこり、と、互いにお辞儀をし、自分はそこの高級そうな革張りのソファーに向かった。
とりあえず、何も話を聞けない、という事態だけは避けられた。
一度だけ、心臓の強張りを解く。
一息吐く。いつの間にか滲んでいた額の汗をハンカチを取り出して、髪型を乱さぬよう叩くように拭い取り払う。
再び、脳内を意識して、穏やかな集中を絶やさぬようにした。
膝上に鞄を持ったまま座り、ほどなくして、仕立ての良いスーツ姿の男が現れる。
こちらの顔色に一瞬で目を走らせながら、
「――お待たせしました。お客様からの会社への質問、及び広報での責任者を担当する、寺沢雅史と言います。この度、鷹嘴様のご質問につきましては専務が直接対応を取るということになりました。そして内容が内容ですので申し訳ありませんが、ここから場所を変えさせて頂きたいのですが」
「構いません。それと今の段階で一つ確認させて頂きたいのですが」
「――なんでしょうか?」
予定とは違うが、犯罪の片棒など担ぎたくないので。
「会話の内容を記録に取らせて頂きたいのですが、その場にレコーダーの持ち込むのに許可は要りますか? もちろん今後の会社の事業の詳細に関わるなどの内容には、そちらの任意で記録を切らせて頂き、退出するときにも記録した内容を確認して頂いて構いませんので」
「……分りました。専務にも確認を取る必要がありますが、それでよろしければ」
「お願いします」
記者には悪いが、犯罪を犯すつもりはない。
「こちらへどうぞ――」
彼から入場許可証を受け取り、スーツの胸ポケットにクリップで挟む。
警備員の脇を通り、それから廊下とエレベーターを経由して、そこ此処にこの会社が開発したゲームやシミュレーター、各商品のポスターや社内の標語が張られた掲示板を通り過ぎ――
専務室、と脇にネームプレートが張られた、意外に普通のドアがそこにある。
寺澤はそのドアを叩き、失礼します、と一言、そこを開ける。
入って一礼、それに続き中に通して貰うと、彼は専務用のワークデスクと入口との間にある、応接用のソファーとテーブルに自分を誘導し、席はまだ薦めずにそこを促した。
すると大きな机に座っていた男が、そこにある社内電話でのなんらかのやり取りをしているが、なんだろうか? しばらく何事かを確認する様なやり取りをした後、こちらにやってくる。
「初めまして。瀬形山志郎と言います。この会社で専務を承っている者です。これからこの会社が抱えている問題と、あなたが求めている情報についてお話しますので、まず、込み入った話になるので、そちらへどうぞお掛けください」
「分りました。――失礼します」
この男が何か知っているのだろうかと怪訝に思いながら。
軽い会釈と共に腰を掛け、その間に、寺沢が先に伝えたこちらの要望を彼に伝え――瀬形も正面にどっしりと腰掛けた。
それから丁寧に、
「――最初に断らせて頂きたいのですが、録音自体は構いませんが、それを営利的な目的で他者へと流布するために使う訳ではないのですよね?」
「ええ。あくまでこの場での虚偽や感情的な失言を予防するためのものです」
「でしたら構いませんよ」
物腰穏やかに笑顔と共に口を開くそれに促される。嫌な顔一つくらいすると思ったのだが、これぐらい慣れているのかもしれないと思いつつ、自分は鞄から録音機を取り出しそれを起動する。
記者としてのオリヴィアにはすまないが、盗聴などと言う犯罪の片棒を担ぐつもりはなかった。
そして、これで分かると思った。
つぐみの行方が――……もしくは、
その、最悪を想像する不安と緊張に手の平が冷たい汗を掻く。
それを内側で指先を擦って乾かし――もし、何も分からなかったらというその恐怖を誤魔化した。
そして、
「それでは始めましょうか――」
頭の中がシンとする。
「……はい」
いよいよかと、聞こえないよう喉奥で静かに唾を飲み、期待に瞼を閉じる数が減り、一言一句聞き逃さぬように気を張る。そんなこちらの様子を見計らってか、瀬形はその様子を見届けるようにしてから口を開いた。
「まず、これだけは答えて起きましょう」
息を呑む。
「……落ち着いてよく聞いてくださいね? 貴方の後輩の失踪に関して……私達は全く関与していません。確かに会社では今開発スタッフの募集を掛けていますが、先程改めて部署の人間に紙の書類等まで確認させそして報告を受けたところ、そこに白崎つぐみという女性と会社が契約を交わした記録は一切なかったということです」
心臓が鳴っている。また汗が滲むようなそれを喉で堪えて、聞いた。
それが、指し示す意味は――
まだ、分らない。
これだけで事態は把握できない、次の言葉を待つ。そう自分に言い聞かせる。
しかし、心臓の血流が乱れる。
瀬形の、心を落ち着かせるような声音に反し、耳奥にある鼓膜が凍り付いている事に気付く。
遅れて理解する。彼らにスカウトされたから消息が消えたのではないのか? と、それは疑問の形で。
つまり、彼女は本当に行方不明だ、ということで――
心臓が爆音を奏でる。いつぞやのテストのときと同じような、守秘義務があるからではない。
彼らが関わっていないということは、本当に、本当に事件なのだということを理解して。
彼女の身に何が起きているのか。
口を裂いて出ようとする不安と焦燥を、喉を動かし無理矢理胃の中に送る。
それ以降――ただ頭の中が真っ白に。
無心になり、それでも、自分に必要な事――彼女の為に、頭をどうにかギシギシ軋ませながら動かし。
今聞いた、それが事実かどうかを確かめることにする。
一息で、心を平坦にし、
「……じゃあ」
「――ただ、白崎さんの状況が、私達が直面している問題と無関係ということはないでしょう」
「……どういうことですか?」
「私達が抱えている問題――開発陣と連絡が付かない、その消息が分からないということは事実だからです。更にはその家族も――そして、この会社の人間を語った誰かが彼女をスカウトしたということなら、何も関係が無いという方が無理があるでしょう」
「……」
「心中、お察ししますが……私達に協力できることは、残念ながらこういった事情をお話しすることしか出来ません……」
頭の中を整理していく。
なるほど、と思いつつ、最初は、自分も真っ先にそれを疑った筈だ。そしてその真相を確かめに着た筈――それすら話を聞いただけで忘れてしまったことに気付く。
冷静ではない、それを理解する。しかし、分かっていても防げない動揺だった。
後悔する。こんなことになるなら、やはり追い縋って泣きついて土下座してでも彼女を離すべきじゃなかったと、自分の弱みに辟易とする。
同時に、自分の中にある、彼女の写真と言う写真が燃えしまうような激情と、蹲りたくなるような諦観が行き場を求めていることに気付く。
ただの一瞬でいいから、彼女の顔が見たかった。思考が、気分も、異常なほど冷たく、頭の中を刃物のよう鋭く砥くようになる。
それに瀬形は、気付いてか気付かずか、
「それから、既に私達も警察に捜索願いを届け、事態の解明と解決に尽力して頂いています。これを公表しないのは数十人規模での大規模な失踪事件だからです。これがもし何らかの犯罪、誘拐事件であれば公表した時点で犯人を警戒させて凶行に及ばせてしまい、それを調べようとする人間にも被害が及ぶ可能性があり――既に日本の出版社、各メディアに緘口令を敷かれているのですよ。それでもまだ彼らの消息がいつ途絶えたのかですら分からない有り様ですが……」
穏やかで静謐とした口調に反し、酷く心を逆撫でされている。
「やはり私見ですが、白崎つぐみさんがこの会社の人間を語る者に誘われたということであれば、なんらかの繋がりがあるかもしれません、こちらやそちらの状況が変化した時にそれが知れるよう連絡先の交換をしたいのですが、宜しいですか?」
「……」
殴りかかりたい。お前たちの所為で、という気持ちと、そうではない、彼らも被害者だ、という理解がせめぎ会う。
淡々と告げるそれは謝罪でも陳謝でもない、ただの言葉の羅列の様に感じられた。
これまで知り得なかった情報、好転とも暗転とも取れない様なそれは、彼らが意図的に何かそれに関わることを隠している、ということは無い、と言うようだ、と。
冷静なのか混乱しているのか分らない。
だが、真っ黒な頭で冷たく分析し、そして端的に理解を示すため告げておく。
「……そこまでのことになっていたのですね」
老年と、壮年の男二人がこちらをほんの少し訝しげに見ている。
それはそうだと思う、身近な人間が消えた、その動揺と心情を推し量れば、混乱、錯乱、狂乱といったそれを警戒か、善意で心配していたのかもしれない。
だから懇切丁寧に説明してくれたのだろうか。
だが、知り合いの生死が不明になったことに、取り乱さないことが可笑しいのだろう。多分、映画かドラマの様に泣き喚き唾を散らす姿を想像でもしていたのだ。しかし――
精々、黒い焔が一滴、可燃性の劇薬になって底に落ちた程度だ。
またそのことに気付いてか気付かずか、
「……大丈夫ですか?」
「……そうですね……もう、どうしようもないぐらい動揺してます。こんなの、どうしようもないですから……ちょっと現実的じゃ無さすぎて……」
やはり、理性と感情が分離して別々に話している気がする。
右手と左手に違う脳があってそれが活動しているような気分だ。
それくらい分かるがどうしようもない。でも作業はしなくちゃいけない。
絶望、してるようでしていない。達観しているでも諦観しているでもない。
感情の部分は限界を振り切れている筈なのに。至高の部分ではこれを分析し次に繋げることしか頭にない。
欲求が眼を抉じ開け、火を噴く寸前の集中力が自然に出来上がっている。淡々と攻略法を試行錯誤するときの、それより濃い。
ただの作業だ。それは不気味なくらい坦々とした口調で、
「……開発陣が失踪したことに、何か心当たりはないんですか?」
「いえ。我々もそれについては、遺憾に思っているくらいですよ……」
「……遺憾に?」
「ああいえ、今のは失言でしたね。彼らの所在に関しては気が気でないですよ。ただ、会社を経営する立場としては、看過できない状況にありまして――そうですね、ここからはレコーダーを止めて貰ってもよろしいですか?」
眉を顰める。何かやましいことを話すのかと。
円満な退社ではなかったのか。それとも、こんな事態を巻き起こしている――原因と思われているからか。しかし、
「――わかりました」
これから、この会社の運営に深刻な影響が出る話をするのだろうと。
眼を光らせながらも彼らに配慮し録音を止める。
それを確認して、
「……いいですか?今この会社は、Unison:worldにおけるサービス部分の運営と、管理をしておりません」
耳を疑う。最初、その意味が理解できなかった。
それがつぐみの失踪と何か関わりがあるのか。
運営と管理ってなんだ。だが、開発陣が居なくともスタッフは一新されサービスは提供されているではないか。つい先日も知り合いと遊んだばかりだ。でなければネット界隈で騒がれている筈だ、そんな様子は見受けられなかった。
今、ネットでゲームが動いていない、という事ではないのなら。
それが指す意味は、そのまま、
「……どういうことですか? 今この会社は、Unison:worldを動かしていない、ゲームの管理をしていない、ということですか?」
「ええ。我々が事業として行っているのは、通常の技術で生産、管理可能なハードウエアの製造と販売における諸処の手続きや処置のみです。彼らが失踪する前――この会社から独立するときに、これまでの尽力のご祝儀も兼ねて新たな会社の設立と操業資金にと、開発実験に使っていた施設の委譲と、Unison:worldの運営やそこにあるサーバー管理を仕事として委譲、委託していたのですが。
……誠に遺憾ながら。あのVR技術はこれまでのハード……通常の電子基盤やスーパーコンピューターなどの大容量のそれらの扱いとも違うものでして。これまでのシステムエンジニアやオペレーションサービス、ソフトウェアを揃えればいいのではなく、今のところ彼らにしか扱えない分野の世界でもありましたので。……しかし、いつのまにか会社がある筈のそこに彼らの姿はなく――サーバーも別の場所に移設されてしまったのか影も形もなくなってしまい……」
「……今、どうやって、ゲームは運営されているんですか?」
「……分りません」
信じられない。そんなこと、ありえるのかと思う。
彼らが、サーバー自体がなくなったというのに、どうしてゲームが動いているのか。
消えた彼らと共にそれがあるのか。
だとしても、人間だけでなく設備まで――幾ら用意周到に何らかの準備を、していたとしても、そんなことが出来るのだろうか?
話を聞く限り、人が少しづつ消えて行ったというより一度に消えたという様な印象だった。
そんな大人数を強引に誘拐するなんて出来ない。――会社などで一か所に存在するそれだけでなく、別々の場所に居るであろう家族まで出来るだろうか?
人は悪意より善意に組し易い。何らかの方法で脅迫し、自主性を促すような手段で、月並みだが人質でも取られて協力せざるを得なかったのだろうか?
いや、それよりも、一番無理が無い方法もある。
それは、
「……開発陣や、家族の方々は、自ら失踪したのですか?」
「……警察の見解では、現状、その可能性が一番高いということでした。しかしその前に、いえ、それもまた別の側面を持つそうです」
「……え?」
「……技術の盗難ですよ。世界に一つしかないVR技術の結晶を盗み出した。開発陣自身が保有するそれを目当てとした誰か――もしくは彼ら自身が……警察ではまず真っ先にそれを疑いました」
思わぬところで、これが単純な失踪事件でないことを知る。
だがそう言えば、Unison:worldが発売されて一年たつのに、未だ同じレベルのVR機器が出ていない。通常なら考えられる筐体を分解して技術を解析――なんてことも、その大部分をメーカー側で管理、秘匿性を維持している、厳密な管理を敷いていたからだが。
それが本当の目的なのだろうか?
もし彼らを行方不明にした誰かや何かが存在していない場合――開発陣である彼ら自身がこの事態の犯人と言う可能性もあるのか。
失踪事件に巻き込まれた被害者ではなく、技術盗用の加害者として。
そんな疑問を抱くや否や、
「――ですが、サーバーの稼働やゲームの運営自体は維持されている以上、この会社へ利益の還元が成されている――彼らや、誰かがその技術やそこから生まれる利潤を占有しようとしてしているとするには、動機として薄く、犯行として矛盾することになるそうなので――技術盗難事件としては捜査はされていません」
「……じゃあ、いったいなんで……」
「分りません。いまは、そういった社会的欲求や野心ではなく、個人的な恨み、会社に向けられたそれなどの復讐を想定して捜査をしてくれています」
頭を通り越し、脳を直接掻き回したくなる。
二転三転する事実の側面に、混乱しそうになる。不可解過ぎる。
しかし、冷えた頭で思ったのは、復讐にしても、大掛かり過ぎるんじゃないだろうか、ということだ。
納得できない。
会社や、個人に対してのそれなら、現時点でも何らかの手段でメディアに流せばそれだけでダメージは与えられる。しかし、それすらないのではないのか。情報操作やら緘口令が成されているとしても、ネットに上げれば一時間で火消しもできない位広まるのではないのか、と。
疑問は尽きない、しかし、
「私達が知り得る情報はこれで全てです……ご納得いただけましたか?」
「……ええ。お陰様で」
口ではそう言う。しかしやはり、自分には何も出来ない、分からないという事だけが分ったその不快が感が脳内を犯している。
呆気ない手詰まりだ。彼女の居場所も糞もあったものじゃない。 自分で出来ることを諦め始める。しかし、そうしたくはない。警察がなんの成果も出せていないのだからまだ何も分らないのではないのか。そう反抗的な思考さえ既にしている――
それを牽制するように、
「では、これから何かわかったらご連絡いたしますので、連絡先を交換させて頂いてもよろしいですか?」
「……ああ、すいません――まだ名刺を作っていないので」
有無を言わさぬ笑顔の視線に、嗜められた気がする。余計なことをして警察の捜査を邪魔するな……というそれを感じるのは穿ちすぎか。
彼女個人の事としてでも、そうなるから探さない方がいいだろうのは確かな気はする。
そんなことを勘繰りながら、ビジネスバックから手帳を取り出し、携帯とアパートのそれを書き綴ったページを一枚引き裂いて渡した。
社会人一年目、しかし、正味フリーターのような、慈善活動家でもなければ、学習塾講師ともいえない――明確な所属が存在しないそれでは胡散臭い肩書にしかならないので作っていなかったのだ。
それを確認した、寺沢、瀬形、両名の名刺をただで貰う。
そして、
「……ところで、この失踪事件を、どこでお聞きになったのですか?」
話はこれで終わりかと思い、席を経とうと膝に力を入れようと前屈みになった瞬間だった、
「……そうですね、では、こちらの事情も含めて、改めて順序立ててご説明させて頂いても?」
オリヴィアが訪ねて来たときに聞いた事、それからの経緯を瀬形に話した。
嘘は告げていない。ただ、彼女の素性と関わりについては省いた。あまりにも稀有な生い立ちであるため信憑性が薄れるかと思われたからだ。
あくまで記者が取材に来て、そこで言い知れぬ不安を覚えたというだけ。
こちらの勘違いかも知れないが、それであるならそう言って欲しいと思っていたことも誤解の無い様に伝える。
「……なるほど、そういうことでしたか」
「申し訳ありません。何の確たる証拠もないことでしたが、現実としてここに入る直前まで連絡を試してみても……未だに繋がらないことからも……そろそろ何かしらの答えが欲しいと思っていたのですが」
「……そうですね、私達も、彼らの身の案じるばかりの、それ以外何も出来ない時間は心がまいってしまい……捜査の進展を祈るばかりです」
「私も、開発陣の皆様には好くして頂いたので――同じく……」
「……鷹嘴さんは、彼らにあったことがあるのですか?」
「はい、βテストに前日にいきなり――代理で参加するはずだったのですが、そこが拗れて門前払いになりそうだったときに、一日だけお世話になりまして」
「そんなことが……」
「自分で言うのもなんですけど、奇妙な縁ですね……」
そうして二言三言、と、話を締めくくり、お互いの精神状況を慮った発言を繰り返し、程々のところでお互いに頭を下げその場を終わらせた。
そして、会社の前で、わざわざそこまで見送りに来た、寺沢の前を離れようとした瞬間だった。
「鷹嘴さん」
「はい……なにか?」
「少し気になったのですが、お聞きしてもよろしいですか?」
「はい。なんでしょうか?」
「その女性記者は、どうやってあなたのところまでたどり着いたのですか?」
「ああ、確か――最新VRゲームが人の心に与える影響を調べるために、色んなネトゲプレイヤーに声を掛けて……影響が出そうな人、普通の人、出なそうな人、に振り分けて取材をしていたそうです。その中でプライベートの情報を知ってる、私の友人から聞いたそうです」
「そうですか……」
「それがどうかしましたか?」
「いえ。てっきり、βテストに参加するはずが一日だけで帰されたあなたに、何らかの特別な情報、内部事情を期待してかと思ったのですが、それなら違いますね」
「ああ――」
なるほど、それもありそうだと思ったが、それは無いだろう。
そんな風に、特殊な一日を経験したことなど、知る者は極端に少ない。
それを知っているのは――
「……」
「どうかしましたか?」
「あ、いえ」
つぐみと侑史だけ――
その二人にも、特別な情報は何も話していない。とんぼ返りで帰らされて、ただ凄いゲームだった、と一言話しただけ。男に至っては、それも相当後になってからだ。
しかし――
その二人のうち一人が行方不明、うち一人に、まるでピンポイントで、情報を探している人間が訪れるものだろうか?
「――すみません」
「はい?」
「いえ、余計な気を遣わせるようなことを言ってしまったかもしれません……」
「ああいえ。お気になさらずに」
「――それじゃあ、帰り道には十分お気を付けください……精神的に参る話をした後なので、車などには特に――」
「ええ。するほうも、されるほうにも、気を付けます」
それから軽く一礼して、その会社から立ち去った。
聞くことは聞いた、これまで知らなかったそれを知った。
しかし、収穫はあったが、事態の進展には至らなかった。
そのことに肩が落ち、溜息を吐き……闇に向かって叫びたくなるようなそれをどうにか堪える。
彼女はどこに消えたのか。
それ以外に頭に残っているのは。
何かが、自分の与り知らぬところで蠢いている――
自身に触れることなく、その周囲だけを攫っていく――
その暗澹たる、不可思議な、事実だけだった。




