βテスト
大学の食堂――その一席に片肘を突く。
デザインだけなら――大昔の前衛的で芸術的なドーム型。本来ならフードコートと呼ぶのだろうが、どこか蜘蛛の巣が張ったような空間はもはや遺跡である。
ありふれたABCの定食ランチ、ソバ、うどん、ラーメンの麺類とそのトッピング、一番高い品は何故か出店されている鮨屋の松握りセット2000円、あとは、片隅にある売店で惣菜パンを買うか。
その券売機も紙のままだ。拡張現実《AR》や立体映像でも作れるのに。これで2×××年の大学なんだから色々と可笑しいと思う。
しかし、金の掛った有名な国立とか財閥運営のそれならそういうハイテク設備も充実している。
じゃあ何故ここは大昔のままなのか、というと、切実な消費電力の問題だ。
それはエネルギー資源と環境問題、先端技術のあれこれももいろいろあるが、全てを電子エネルギーを基幹として発展してしまった以上、その文明を発展させれば更に消費は嵩んでいく。
だから、本当に重要な部分にのみ、それは与えられている。
と同時に、その仕組みからの脱却と転換を目指し、いま宇宙や海の底で、既存のエネルギーもより効率がいい資源と運用する技術が求められていた。
何にせよ、豊かな社会=豊かな文明=豊かな生活、の図式が成立するには膨大な資源と技術の蓄積――その為の、それらを成す人間の力が必要になるのだ。
しかし、そんなものは全ての場所に成立しない。
どう足掻いても、人の社会は限られた場所だけが豊かになるように出来ている。
優秀な人間、優秀な政治、優秀な技術があるところ。
それは生まれついての差になるだろう。
それを覆すとしたら、それらに全く左右されない、ほんのちょっとの運の差。
そう、それは例えば、こんな所にもあったりする。
「――嘘だろ」
「いやホントだよ」
「マジか?」
「マジだ。――当選した。二千人限定のβテスト、通知来た」
我が心の友は、封を切った夢のチケットをひけらかしてくる。小声で神妙に、しかしぺらぺらとこれ見よがしに。
それはA4サイズの無機質な契約書なのだが。
自分のところには来なかったそれだった。
「……意外に地味だな」
「そうだな。ていうか、まさかこんなもん書かされるとは思なかった――ちょい読んでみ?」
分厚い。うん、まあ、ぺらぺらの向こうにちょっとした冊子並みの厚さがあったから、露骨に置かれていても『ただの論文かな?』と思っていた。
それを捲る。その中で特に重要そうな文脈を読み込んだ。
『――VR機器には試験中、万が一にも不測の事態が起こる可能性があり、そうでなくとも被験者様の身体に悪影響を及ぼすことも否めません。その上でこのβテストに参加のご意思がおありでしたら自己責任の参加であることを証明する為、下記に自署による氏名の記入と捺印を、そしてご家族もしくは保護責任者、後見人、保証人の方にも並んで同意書に捺印を――』
「……なにこれ」
「いや、こんなことが書いてある時点でお察しだろ?」
「もろに人体に影響がある?」
「それも相当な危険ジャンル。他にも法律やらなんやら分厚い契約書と説明書が長々と続いてる」
これを読まなければいけない、と言う時点でその面倒くささにぞっとする。
「……ヤバくね?」
「いや、世界初の完全没入型VRで不測の事態っていうと、脳にダメージとかそういう深刻なことも考えたら普通じゃね?」
「……人までの実験動物のことは考えたくないな。そしてこれからお前の身に起こるであろうことも」
「止めろそれ」
コントをしながらざっと斜め読みする。
他にもアンケート染みた質問もあり『自社の製品の内プレイしたことがあるものをあるだけ書いてください』『他にもVR、AR環境、もしくは脳波コントロールゲームをプレイしたことがあればそれも出来るだけ記入してください』『アーケードのベストスコア、MMOのプレイの記録、動画があれがそれも持参してください』『あなたが思う優秀なプレイヤー、善良なプレイヤー、悪質なプレイヤーを思いつくだけご記入ください』と、わけのわからない要望も書き連ねてある。
一体何の条件なのか。
まあその辺はどうでもいいが。
「契約違反に際する罰則……うわ……言外に法律の隙を突いて潰す、社会的に殺す、みたいなこと書いてある……あれ? テスト中から発売するまでの間も実験施設に事実上拘束されるとか、嘘だろ? これβテストかホントに」
「え? まじ、そこまで読んでない。どこどこ?」
「ここ、ここ――ほら」
「あ、ホントだ、うわマジか……夏休みじゃなかったらやばかったな……」
「そこか?」
「そこじゃね? ……やべどうしよう、内定まだ決まってねえのに」
「マジかよ大変じゃん――じゃ、俺に譲ってくんね?」
「そこか。……ていうかこれ、βテストっていうより実質ただの先行オープンじゃね?」
「ああ。なんでだろうな?」
「混むからじゃね? 初日でダウンとかありそうだし」
「ああ。……でもいいなー、俺も当たればなー」
「両方外れたんだよな~、ご愁傷さま」
「ちくしょう」
そう、ほんのちょっとの運の差で、自分はバイト戦士になって猛烈に金を溜めたってのに、βテストどころか初回予約の抽選にもあぶれていた。それどころか、
「……何のために単位も卒論も就活も、入学時からこの日を見越して全部済ませて最後の大学生活の丸っと予定を開けたんだが……」
「ていうか凄いなお前、もう卒論仕上げたんかよ?」
「提出もしたぞ。まだ時間はあるからもっと内容増やせとか言われたけど――それも既に終わっている」
あんまり早く出せば多分そう来るだろうな~、と思っていたので。あらかじめ提出したものはβ版レベルだ。フルスペックにアップデートパッチを充てた完成品は取っておいたのである。
「ゲームの為に大学生活送ってたからなあ……」
「嘘吐け。そんなすげえ健全な廃人見たことねえわ。このリア充ぬるゲーマー。レベル高すぎてHIGH人、……HIGHゲーマー?」
「何それカッコイイ」
「いや単純にバカか。バカ、このゲームバカ」
「おめーに言われたくねーんだよこの萌え豚の声豚の豚足野郎が」
「もっと罵って? ――賞賛と受け取ろう」
辟易と駄弁る。
「……はぁ」
でも外れたのだ。どんな努力をしても技術や資金があっても、運が無かった。
人間は、生まれる場所を『地球』以外に選べない。将来は『宇宙』とか『火星』とか出来るのかもしれないけど。
そんな話じゃなく、もっと小さな世界で、あるいみ才能とか金よりもっとも欲しいものである。
あと彼女――彼女は、大切だ。
ニヤケる。
「……ま、がんばれ」
「あ、なに余裕ぶっこいてんだよ」
分からないか、分からないよな、童貞には。ニヤニヤ。
他にもやることなんて一杯あるし。
「……まあ二次ロットには当たるさ、別に少しぐらいゲームを離れるくらいどうってことない」
それが酷く不気味に見えたのか、それとも心が壊れたと思って心配しているのか。
引きながら、心の友は何かを諭す様に言う。
「……神様がお前に『ゲームを辞めろ』と言ってるんじゃねえの?」
「アハハ、まさか……」
それだけは絶対ない。例え神様に叱られても、自分はゲームを辞めないと思っている。
そう、この時は心の中でそう呟き――
いつもの、変わらない日常の中、
古い食堂の窓から、高い青空を眺めいた。
ゲームは日課である。
もちろん、密度の高い時間を刺激的に過ごすために絶対廃人プレイはせず、何時でも最高潮のテンションでプレイしている。有意義に、空腹と言う最高のスパイスを利かせた飯と同じノリだ。熱中したレアアイテムや記録狙いもそれはそれで多大な達成感はある。
嘘だ。やるときはやる。まあ、その暇があればだけど。
しかし、本当に最高に楽しい状態で愉しみ続けているか? と言われたら、ちょっとである。
やはりゲームを本当に楽しめるのは、生活における他の部分も充実している時だろう。ただの日常が楽しくて……そんなときにするゲームが最高に楽しい。
プロゲーマーでも廃人ゲーマーでもない。ヌルゲーマーで上等じゃないか。
好きな趣味も、日常も、将来の目標も、全部大切にしているのだからそれでいいじゃないか。
人にとってゲームは割りとただのストレス発散や暇つぶし、逃避とかに自然なりがちである。それもある意味健全な生活性を保つために必要な部分なのだが。楽しむためにゲームをする人は意外と少ない。
そんなことを気にせず、ゆっくり、まったり楽しみたいのが自分のスタイルだ。
ただ、他のやり方を否定するつもりはない。ゲームも人生も楽しんだもの勝ちである。そこに人に迷惑を掛けない、という条件が付いているだけ。それは何でも一緒だ。
ゲームのやり過ぎで病気になったり体が弱ったり成績が落ちたりしたらダメだろう?
だから自分は健康にも気を遣っている。毎日ウォーキングと筋トレは欠かしていない。勉強も好成績をキープしていた。まあそれはゲームを始める前からだ。密かな自慢である。
しかし、友達とゲーム以外でも普通に遊ぶ。他にも個人でレジャー、スポーツ、飲み会、映画に読書にバイトもだ。
正直やることが沢山あり過ぎる。……本当なら、ゲームをしている暇なんてない。
じゃあ何故、どんなことがあっても毎日ゲームをするのか。
それは、自分にとってゲームとは、現実の世界との繋がりである。
自分はゲームで色々な事を知った。ゲームで色々な友達が増えた。
そこを失うということは、その繋がりをなくすということだ。記憶や光景、情景、それら全てが見える、思い出の場所を失くすということなのである。
だから、離れなくないのかもしれない。
そしてもはや自分の体の一部だからだ。それがないと不安になる、生きていけない気がする。依存症じゃない、とは言い切れない位に。
――ああ、やっぱり廃ゲーマーかもしれない。
そんなにやることがあるなら――どこにそのゲームをする時間があるのかって?
寝る時間を削る――
だから、そろそろ、心の友の言う通り、ゲームは止めようかとも考えていた。
いや。将来の為にはもっと早く辞めているべきだったのだろう。
ただ、ここに来て、世界初の完全没入型VRゲームが完成するのに、それを未プレイのままにするのはゲーマー魂として非常に切実な物がある。
最後に思いきり、プレイしたかったなあ……。
それだけだ。
トッププレイヤーを目指しているのではないが。
そこにあるのに手で触れられない。それが辛い。それだけだ。
だから、正直もう諦めていた。
なのに――なんの偶然の神様なのか。
「――え、入院?」
『おう……そうだよ……事故った』
「どんな状態よ」
『人は空を飛べる……』
「――重症だな」
気持ちはわかる。こんな距離の届かない、目には見えない向こう側の出来事でも、その重大さは分かる。
『ワイヤーアクション気味に飛んだわ――いや別の意味で言ったか? 今それ』
「いや余裕あるだろ?」
『痛み止めが切れるのが怖い』
「トラック?」
『転生し損ねたわ』
「バカか」
だが気持ちは分る。オタクなら一度は夢見るだろう。
しかし、
『ただの車。……まあ、跳ね飛ばされて両腕が一本ずつ粉砕骨折して内臓の所々ちょっとダメージ入っただけで済んだのは僥倖かもしれない』
「いや普通に重症じゃねえか……」
『……だからβテストは無理だ』
「え? ……脳みそには影響ないんだろ?」
『普通に生活できねえよ。両腕イカれてんだぞ?』
そんな体でテスト会場には行けないか。
可哀想に。だが、
――気持ちはわかる。
トラックに跳ね飛ばされてそれで済んだのは奇跡だと思うが。
気持ちはわかる。気持ちはわかるぞ。楽しみにしてたあれに行けなくてさぞ悔しいことだろう。
と、沈痛な目元に反して笑う口元である。なんせ自分がそうだった。そしてあのときお前がこんな顔をしていたのだ。
だからザマァ、と心の中で静かに言わせてほしい。
まあ冗談だ。
ため息一つ気持ちを切り替える。現実には我が友は、この電話の向こうで大怪我の包帯ぐるぐる巻きのギプス二刀流でどうにか声だけ元気に話しているのだ。普通にお気の毒である。
だから見舞いの品を何にするか考えつつ慰める。
「まあ、ご愁傷さま。不参加、欠席の連絡、早めにしといた方がいいんじゃないか? 業務上の、報告、連絡、相談、は大切早めに。再抽選で俺が当たるかもしれないし。まあ、流石に前日じゃあただの欠員で済ませるか。一人足りないぐらいどうってことないだろう」
『……いや、それが会社の命運が掛ったテストだから……もし参加できなくなったら代わりの奴を立てることになってるんだよ。でないと契約違反』
「あん?」
『だからさ』
つまりだ。
『……代わりに行くか?』
「……おおう」
持つべきものは、才能とか金とか力とか言うけど、それには友達も重要だと思う。
受話器の向こうで悪態を吐いているが、まあ、こちらの気持ちも分かるだろう?
友は気を遣ってくれたのだ。それはとてつもない苦渋の声であったが。
正直こっちは満面の笑みである。
だから言うのだ。
「――見舞いの品は高級メロンにしてやろう」