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ゲームが⇔現実になったら。  作者: タナカつかさ
ゲームと繋がるもの。
17/30

非日常の足音。

 指先で携帯端末の画面をスライドさせる。

 バスや電車を乗り継ぐ間、元・恋人に連絡を取りつけようとしていた。

 が、彼女の端末は留守電――アパートも同じで全く繋がらない。映画館か、就職活動の面接中だろうかと当たりを着け、別の、今度はメールアドレスに書いて送った。

 とりあえず、着信拒否にされていなかったことに心底、安堵した。

 それから半ば廃人化している時に聞いた、かつてのギルドメンバーが精神的に不安定だという話を思い出して。

 彼にもメールを出す、そちらは家電や携帯のそれを知らなかったので、PCのそれに送る。昼なので返信までに時間は掛るだろうが。

 つぐみと何を話すか――どうすれば、仲直りできるのか。

 既に、頭が真っ白だ。

 どうも、思った以上に心が損耗しているのだと今更ながらに気付く。そのことを考えないようにしていただけだったのだ。偉そうに子供達に御高説を垂れたものの、どう泣き付けばいいのか――あ、ダメだ、もう既に会話が成立する気配がしない。

 ダメ男だ。恋は人を変えると言うが、それは悪い方向に向かうこともあるらしい。

 本当に、何を話せばいいのか。子供達に話したことをそのまま話せばいいのだろうか?

 ……もう一度、ただの知り合いから、時間を掛けて、恋人になってくれませんか? 

 だろうか……それとも、ストレートに、使いそびれた婚約指輪を差し出して玉砕覚悟で――

 ヤバイ、振られたのにそんなことしたら犯罪係数の高いストーカーだ。もうそれも相当粘度が高い。

 ここはもう恥と常識を捨てて土下座祭りだろうか。

 だめだ、頭が完璧にポンコツになっている。婚約まで考えてからの、初の失恋だからか。

 ここからリカバリーを利かせる経験なんて持ってない、ていうか持ってたら彼女とこんなことになっていない、あらゆる意味で。

 人生で一番の苦境に立たされているような気がする。

 自分は気を取り直すことにする。

 そして、体を電車の振動に揺られながら、少しでも悪足掻きをしようと、ネットの電子書籍販売サイトで良さそうなそれを探す。

 ――失恋からの大逆転! 復縁までを大追跡ストーカー

 ――愛を取り戻せ! 彼女の心を振り向かせる100の秘穴ひけつ

 ――土下座の品格。

 ダメだ。その程度じゃ許してくれないし分かり合えない。最後の一冊は参考資料として思わずポチッと購入しかけるが葛藤の末に踏み留まった。

 そしてそうこう葛藤している内に、

「……着いてしまった」

 駅に。彼女と自分が住んでいた街に――

 すでに緊張が頂点に達し心臓がバクバクしている。

 今日はもうとりあえず寝てしまった方がいいんじゃないだろうか。向こうを朝に出たが、移動だけで太陽が夕日の直前まで傾きつつある。なにより、まだ彼女からの連絡は来ない。

 仕方ない、これは仕方ない、断じて戦術的撤退とか戦略的消極的進軍とか、そういうのではない。

 大きく深呼吸を繰り返して、

「……とりあえず、アパートに帰るか」

 そして心をまっさらに落ち着けることにした。

 バス停からから歩いて10分。自宅アパートに着く。

 今思えば、どうしてここに転居したとき彼女に連絡しなかったのか。色々慌てていたとはいえ、そりゃ、いきなり部屋が空っぽで、彼氏の家が突然消えていたら心臓が張り裂けそうなくらい心配するだろう。また今更ながらに自分の粗に気付きながら、欝々とポケットから部屋の鍵を取り出しながら、アパートの廊下を歩いていた。

(……ん?)

 身の部屋の前に、一人の女性が居ることに気付く。

 蜂蜜に黄色い檸檬を混ぜたような、キレイな金髪ブロンドが目についた。

 切れ長の瞳と眉が、尖った印象を与える。彼女は携帯端末片手にアプリで電話しているようだった。

 誰だろうか、挨拶をしていない隣の住民だろうか、その客か、疑問に思う。しかし、何事か英語で言い争う様子から、一転、こちらに気付くと彼女は電話を止めその足先がこちらを指してくる。

 そして、

『――あなた、この部屋の人?』

 と、英語で聞かれた。文法を意識した、向こうの人にしては、妙に畏まった英語のような。

『――あんたは?』

 語気――発音をややささくれ立たせて、こちらの感情を分かりやすく表現する。

 文法と単語を意識するより、その方が意図が伝わりやすいと留学生に聞いた。

 すると、

「――Ah~……、こんにちわ? 私の名前はオリヴィア・J・スミス、USAで雑誌記者をしているの。これから日本で長期取材をするから、最近ここを借りたんだけど……」

 饒舌だが、発音がややふらついている。

 それに、女性用スーツの上着のポケット、ハンドバッグをまるでジェスチャーのよう、こちらに状況が分りやすくするように漁り、

「――鍵、無くしちゃって……オーナーに連絡したんだけど、すぐには来れないっていうのよね。おまけに英語もNegativeみたいで。だから悪いんだけど彼が怖がらないように通訳を出来たらして?それから 部屋で待たせてもらってもいい? あなた多少話せるんでしょ?」

 その困った状況を伝えて来る。

 有無を言わせぬ強引な、唇を開けた笑顔――

 だが、一言でいうと、面倒くさい気がした。

 得体のしれない他人に親切はしない派だ。誰にでも親切にするわけではない。

 それに、これから復縁を迫る提案をするのに部屋に別の女を入れるなんてことしたくない。

『――Noと言ってやる。いいか? 俺は英語が苦手だ、俺が覚えたアルファベッドはNとOの二文字だけだ。だから絶対にNoとしか言わない』

『……そこそこジョークは出来るのね?』

「……今疲れてるから、他人を部屋に入れてる余裕が無い」

 いや、ていうか、普通に見ず知らずの赤の他人をいきなり部屋に入れるなんてありえない。

 しかし彼女はそこを全く気にせずに、

「あらそう、寝てていいわよ?」

 ブラックハーレムかここは。

 向こうの女性はこんななのか、とは思わないが、辟易とする。似た様なキャラ立ちの女性も知っているが、ここまで図太くない。

「あんたなら初めて会った男を自分のベッドに入れるのか?」

「……いい男なら考える、くらいかしら?」

「駄目だ。絶対あんたみたいなタイプは半径五メートル以内に入れたくない」

「あら、日本人は厳格で貞節な建前の割りに、性には大らかだって聞いてたのに」

 否定はしない。モザイクがあろうと多彩で妙にマニアックなAV文化的にも他国よりその辺は飛び抜けている気がする。そして、

「――そういう問題じゃないんで。じゃ」

 だがこの女は冗談で他人の人間関係を壊すタイプだ、そしてそれを開き直る。

 勝手にそう判断させて頂いて悪いが、絶対、こんな女は隣にいるだけで彼女は――精神的に不安定になる。たとえもう別れていても胸中穏やかではないだろう。

 ――それは自意識過剰か? ……いやそういう子もいるだろう、こう、女のプライド的に。

 もう彼女を不安や、痛ましい想いに苛ませたくない。

 ここは、厳格で貞節を尊ぶ日本人として動かせて貰う。

 鍵を取り出し、部屋を開け中に入りドアを閉じ――

 寸前、ブーツがはさみ込まれた。

「――お財布を中に忘れちゃって! そこの喫茶店で粘ることも出来ないの!」

「いいか? あんた今まさに片足を犯罪に突っ込んでいる。住居への無許可、不法侵入だ。速やかにその足を退かさないと警察に通報する」

 そのブーツを登山靴の爪先で蹴ると妙に固い感覚が返って来た。

 まるで金属同士を打ち合わせる様な――

『糞! 世界一優しくて親切な日本人はどこに行ったの!』

『世界一図々しく開き直る人種なら目の前に居る』

『――我らがUSAを侮辱するか! この○○の○○で△■×な黄色い猿が!』

 チェーンロックを僅かな隙間で鮮やかに開けたり閉めたり上でも攻防を繰り広げていると、いきなり某軍曹の海兵隊の新兵訓練口調になった。

しかし慌てて口汚く飛んだ唾液を片手で拭っている。しかし恥ずかしがらない、悪戯がばれた猫のよう目を見開きこちらをじっと見て来る。

 私は悪くないわよ? 謝ったら負けだ、と言いたげな視線である。

 だがそれならそれで鳴かせようはある。

『……正義と自由の国の住民なら、即刻ドアを塞ぐこのブーツを退けろ――それはこちらの自由の権利を著しく損害し、且つ、貴国の正義を貶めている』

『……確かにその通り』

 意地でもSorryとは言わない気質にある意味感服する。

 まあ、自衛のためにはそうしないと酷い場合がある土地柄なのは分かる。

 なので、スッと退けられた足に応じちゃんとドアを開けた。

「――ごめんなさい、実は聞きたいことがあるの。時間は取らせないから、部屋に上げて貰ってもいい?」

「は? ……これから彼女と仲直りをしなくちゃならないんで悪いけど女性は近くに置けないんですよ。……これ、返さなくていいから」

 よく分らないことを言い出したが、ポケットから財布を取り出し中から二千円を出す。

 それだけあれば喫茶店の追加注文なら三時間は持つはず。と、ストレートに彼女に握らせドアを閉じようとするが、

「――違うの。言ったでしょ雑誌記者だって。実は今、世界でおかしな事が起きてるの」

 だから? とウザったそうな視線を返す。

 ドアの隙間から、

「それまで大人しかった人がいきなり過激な事件を起こしたり――それがこの国で発売されたゲームの所為じゃないかって、その噂の検証に来たの」

 聞こえてくる声を聴きつつ、そしてもう何も言わずに閉めようとした。

 そんな噂、昔からよくあることだ。そんなこと時分には無縁な出来事だ。

 しかし、

「unison:world、あなた、βテストに参加したんでしょ? だからあなたの話を聞かせて、鷹嘴明人君」


 それには少しだけ、縁があった。


 


 部屋には上げずにアパート向かいにある和風喫茶に来た。

 店内で、窓に接しない、一番奥の、調理場入口に面した半個室席を店員に融通して貰い、二尺袖、矢絣やがすり柄の小振袖に濃紫の袴、一本結びのお下げの黒髪が映える。

 和物のリボンを結んだ店員さんが、珈琲あんみつ、黄な粉抹茶善哉パフェ葛餅を持ってくる。飲み物は湯気も香る焙じ茶だ。

 財布を忘れたのは嘘で、本当は部屋の中に入れて貰う口実だった――ということで彼女の傲りである。当然ながら一番高いものを選ばせて貰った。

 何故なら、

「……まず、なんで俺の名前知ってるんですか?」

 そんなことが無ければ、正直断って警察を呼んでいた。

 否、今も警察への通報は準待機中だ。だからこそ、白黒はっきりさせるため、こうして席を同じにしている。

「表札を見た――なんて嘘を吐いたらもう駄目よね? ネットで調べたの」

「ネット? 個人情報をクラック?」

「まさか。あなた相当交遊関係広いでしょ、その手のゲームで」

「ああ――」

 ネトゲ内のアドレスだけならともかく、リアルのそれまで交換した仲は数少ない。

 信じられないが、一度アドレスとプライベートのそれらを、総入れ替えで人間関係も一つ一つ洗浄するべきだろうか。

「本当にゲームが人の人格に影響を与えるのか――調べるために、その可能性がありそうな人とそうでない人、普通の人、それぞれ直に接触して、その生活環境を調べたかったのよね。だから幾つかのMMOで凄腕のプレイヤー、熱狂的ゲームファン、信頼できる人を挙げて貰っていたのだけど、その中に同一人物と思われるアバター……貴方の名前が多くあったのよ。で、もう取材した人の中に、あなたのプライベートアドレスや電話番号を知っている人がいてね? 申し訳ないのだけど、報酬と引き換えに貴方には無許可で教えて貰ったわ。その人から許可は貰ってるから名前は教えるけど、堀井侑史ほりい ゆうじって子よ?」

「あいつ……」

 お見舞いに高級メロンを持って行くのを忘れていたが、その所為だろうか。

 奴が二次元嫁の非倫理的画像を大量所持していることを家族にバラソウカ――

「そこも含めて――ごめんなさいね? 本当は仲良くなったら自然に部屋に入れて貰うつもりだったんだけど……だけど、あなたあの部屋に殆ど暮らしていないみたいだったから、ついチャンスを逃せないと思って」

「あー、いま別のところで武者修行してますから」

「武者? ――侍? 剣道Sword Master?」

 こいつ、日本のこと普通に詳しいだろ。

「人間性の? ……学校で働いてないけど教師なんで」

「Oh――素晴らしいことをしているのね? じゃあその素晴らしい経験と見地から教えて欲しいんだけど」

 専用の録音機レコーダーのスイッチを入れ、メモを取り出し、

「――このゲーム。Unison:woldは人の心を狂わせる可能性があると思う? それか、もう既におかしくなった人に出会ったとか……」

「ストップ、こっちも準備させて」

 携帯端末のレコーダー機能も断った上で、入れる。不当な誘導があったか無いか、証言能力を持たせるために。それに臆することもなく、

「じゃあ改めて、聞かせて貰える? 私はここ最近増えている過激で突発的な暴力事件について調べていた。すると、その加害者は概ねUnison:woldを購入しプレイしていたことが分ったんだけど、世界中で流行しているゲームだから確率的にはそれほどおかしなことではない筈とも思った。けど、事件を起こした人間のほとんどを超える人間がプレイしているとなれば、少し異常性を感じるのよ。

 そこでゲーム自体に何か原因があるのではないかと思うんだけど、そのユーザーとして、中でも、このゲームが出回ってから最初期からのプレイヤーとして、その心理状態に変化を与える要因は確かに存在すると思いますか? Aさん」

 以前に杦田とも話した内容――

 一気に捲し立られ圧迫感を覚えるが、明人は冷静に、

「人づてに聞いた話だけなら……」

以前プレイしていたMMO、そのギルドメンバーの一人の近況を思い出す。

「――でも、ネットでよくある喧嘩程度で、現実ではまだ聞いたことないですね」

「――それはそうですよ。……これはまだゴシップ誌の憶測レベルの段階で、世間ではごくありふれた普通の事件や事故として扱われていますから。これだけ流行しているゲームとなると、どうしてもその分母分子に犯罪者のそれも重なってしまう。識者の中ではそれこそ貴方の言うように、それもごく日常的な喧嘩や諍いとして数えられていますよ?」

「……じゃあ無いですね。ただ単に、それだけ我慢できない人が多くなったんじゃないですか? いろいろな予防策が取られてるみたいだし」

「たとえば?」

 健全性を維持するために、ゲーム内でもそこかしこに様々な処置が仕掛けられている。

 Easy、Normal、Hard、そしてRealの操作性や五感制限、ゲームらしさと、現実の重みと痛みを兼ね揃えた表現は――怖さがあるから、ゲームだからと悪徳を助長し増長させるような効果はないように思えた。娯楽としては逆にストレスを感じるかもしれないが。

 そこは、これまで無かった本物の仮想世界――幻想的な非日常が適度な開放感を与えている。

 大なり小なり、これはゲームを遊ぶ上で存在する要素だ。

 だが、これまでの限界を超えたその仮想世界の開放感――モンスターとの戦闘や、プレイヤー同士の争いを――プレイヤー自身が現実と遜色ない過激な暴力行為として、日常的に楽しんでいたら、倫理や法律などの現実の枷や理性のタガを外し、理性や倫理を踏みにじる行為に享楽を与えてしまう、と、考えても仕方がない。

 しかし。

 ――それにもゲーム内で対抗措置が取られている。

 ゲーム購入時の身分証明書やユーザー登録もそれだが、ゲームというシステムの中での一例を自分は上げる。

「そうですね……まず、このゲームなんですけど、ゲーム内での犯罪行為は、現実の犯罪と同等にゲーム内でも犯罪として扱われています。現実で捕まるってことじゃないですけど、ゲーム内で犯罪を犯したプレイヤーとして、捕まればゲーム内に設置された刑務所で刑期を終えるまでずっと独房入りになるんですよ」

「――そうなんですか?」

「知らないんですか?」

「恥ずかしながらそこまで遊んでいないので」

「俺も聞いただけですけど――」

 刑務所内で何か特別なイベントがあるかも、と、敢えてそこに入る者もいた。が、そこからもたらされた情報では、

「中は本当にただの刑務所で、そこに居る間はプレイヤーが楽しめる様なイベントは起こらないで、ただただ罰としての奉仕活動、それから罪を背負い生きるとはどうかの自己啓発や禅問答、聖書や般若心経の音読と、各種写本、写経を毎日朝から夜まで極度の規則正しい生活を何もない部屋で――なんだそうで」

 その結果、彼はそれまでゲームだからと悪役ロールでプレイしていたらしいが「遊びでも本気でも犯罪なんかしない」と決意したそうだ。

 運営やり過ぎだろ、と思ったが、まあ、健全だからいいと思う。

 実際、ゲームがゲームだし、それがあるお陰で風紀や倫理が乱れていないところがある。プレイヤー達はみんな戦々恐々としていた。

「――でもイベントとして、戦争や紛争、何かの襲撃に対して――正当性があれば人を殺しても何も罪にも問われず、悩みもしない、ちがいますか? これが現実なら、警察や軍隊でも何らかの倫理を己に問うことになると思うのですが」

「ゲームの中だからそれがないですか?」

「ちがいますか?」

「そうですね、そこは否定できませんね。でも、そんなこと言われたら現実の方が先に立つんじゃないですか? 現実でもゲームの様に遊びで――という意識は――ゲームなんかしていなくともある人にはあるんじゃありませんか?」

 現実に、犯罪行為に愉悦を感じる者はいる。

 戦争や紛争で正当性さえ主張しそれが通れば――どんなときでも人を殺すことが正当化されるのも変わらない。確かに、そこで命を奪うという行為に躊躇いや後悔が発生するかしないかで言えば、ゲームの中ではその感覚は麻痺しているだろう。

 ただ、その中で――遊びで人を殺す、と言う感覚を持たない人間が一人もいない――というのはどこでも一緒だ。警察や軍隊でも、そこに入隊する理由が、国のために働ける、人助けが出来る、ではなく。銃を撃てる、人を殺しても咎められない、暴力を振るうしか能力が無い、だから、そんな理由で、それが許される場所で働こうとする――ということもままあるだろう。

 見えないそれを訓練で矯正し是正する、と言っても悪人ほど反省のふりが上手いのだ。安定した収入を得るためにそこで働く為にどんなことでもしてしがみ付く人間だっている。

 言葉に出さなければそれは見えない、決して人に理解されることもない――

 疑わしきは罰せよ、といっても、疑えないのだ。

「それはゲーム、現実に関わらず、防ぎようのない悪意でしかないと俺は思いますけど」

「――問題なのは、ゲームで本来健常であったはずのその感覚が麻痺しないか、ということです。ゲームでは何があっても死なない、だから平然と人に武器を――狂気や暴力を向けられる。それを続けていたらいつの間にか、現実でも何かの弾みで、人が怪我をして血が流れることや死ぬことを、感情が高ぶった瞬間、想像できなくなってしまわないかしら?」

 非日常の常態化による、異常な精神状態の反復を繰り返すことでそれは起こり得る。

 たとえその欲求が無くても、習慣、となってしまえば、反射、反応でそれが出てしまう。そういう危険性だ。暴力でなくとも不正の慣例化などもそうだ。

 逆に、それを好む人間こそ、そのことを日常的に脳内に置いているのだが。

 しかしそれこそ、

「――それこそ、普通にゲームをしていなくとも日常的にあり得ることですよ? ――正直、人の心の問題に、科学的な根拠での証明やら是正なんてできませんし……」

 精神医療の分野も心理学やカウンセリングの講義で多少齧ってはいるが、それはまだまだ難しい問題なのである。

「そうですね。論述的な状況証拠や勝ち負けならともかく――」

 そこで口を止める、何を思ったのか。

記者は録音機も止め、

「――だけど私は記者だから、それで十分なのよ、人を煽って、雑誌を購入させれば勝ち」

「まあ分かります」

 面白い意見や情報は聞けそうにない、と、判断したのだろう。

 話が途切れたこともあり、喉と舌の渇きに気づき、お茶を口に含んで潤いを与える。

「――それとは別に、ここからはあなたもオフレコでお願いね?」

 こちらの手元への視線に気づき、自分は端末の録音機能を止めた。

 その目には、奇妙な冷淡さが影を落としているような気がした。

 なんだろうか、糞真面目な論議ではなくもっとゴシップ的に話を盛ってほしかったのか――

「それでなんだけど――この件について調べていた時ちょっとしたことが分ってね。念の為、驚かないでくれる?」

 もう記録されないからか、フランクな態度に戻っているが、聞き耳を立てられたくないのだろう。

 軽く頷くと、彼女は不自然じゃない程度の声にボリュームを落とし、

「――今、このゲームの開発陣と、軒並み連絡が取れなくなってるって、知ってる?」

「それは……」

 下手をすればニュースになってもおかしくない内容に、静かに動揺する。

 知らない。

 山奥で、世間と離れた生活をしていたから――ではない。そこにも各種回線は繋がっているしテレビもネットも閲覧できる。地形の所為で携帯関係の電波だけは極端に悪いが。

 ――ほんの僅かな、一時の邂逅を思い出す。

 それ以上に、知己になった人達の、現状が何も分らない、ということの所為かもしれなかった。いや、それは間違いなかった。

 だから、自然に耳を澄ました。

「……実はちょっと前にこの暴力事件について会社に問い合わせたのだけど、直接だと絶対いい顔しないから別件でアポを取ろうと思って、本人達に取り次いで貰おうとしたら窓口からね?『彼らはもう既に退職していて、それもあくまで円満な退社で、会社のカラーに縛られない開発をする為に独立する為で、いまは起業の為の手続きと資金繰り、人集めに走り回っているはず』ってことなのよ」

それは、

「――ねえ?」

 会社の方でもその所在を確認できない、ということか?

 行方不明、ということなのか。

 事件ではないのかという疑惑を感じながらも、気を落ち着かせるために焙じ茶にまた口を付けると、味覚の刺激に脳が活性化し頭がちょっと冴えた気がした。

 だが、現実感がない。

 ここは仮想世界でも非日常的なサスペンス劇場でもなくただの和風喫茶店だ。現実である。彼女の提示した情報もそれなのかもしれないけど、目に見えない血と謎の匂いなんて無いのと同じだ。

 ――日常の気配の方が強い。

 だから、むしろ、

「……て言われても」

 そうだったのか? と疑問に思うだけだ。

 それを確かめる術もない、それ以上疑問を差し挟める余地がない、芸能ニュースを聞いている気分でしかない。軽薄かもしれないが、知己とはいえ、尊敬していても縁の浅い他人だから心配するにも興味を持つにも限度がある。

「……もう、これだから平和ボケした日本人、なんて言われるよの。ここまで露骨なのよ? こんなあからさまましっぽ切り――色々と感じない?」

「まあ、」

「サーバーが置かれている筈の大規模開発室は既に閉鎖しててそのデータも設備も引き上げられてて、今では外からじゃ誰が開発に関わっていたのかも、そのほとんどが分らないのよ?」

「……そりゃ、怪しいですけど……」

 あの施設に在ったあれがか?

 あの巨大真空管みたいな試験管みたいなものが、そんな簡単に移動できるのかと思う。

 更には、

「……新しい会社を作るって話だけど、それなのに同業種の情報にも彼らの居場所、どこで何をやろうとしているのかは入っていないし、もう完全に業界で情報が遮断されるみたいで……ここまでくると、彼らに一体何があったのかって思わない?」

 ここに来てようやく、本当に異常な事態であるかもしれないことを認識する。

 ――あくまで、彼女の得た情報がすべて正しければだが。

 ただ、あくまで一般的な常識に限れば、リストラされたとして、

「……その業界に居ないだけで、普通に別の職業とか、田舎で農家に転職したとか――」

「日本はこっちと違って農業大国じゃないのよ? それ、実はすごく難しいって知ってる?」

「……ですよね」

「でも、その線はありだったのよ」

「どこが?」

「要するに、開発陣はともかく、その家族、関係者は普通の職に就いて普通の働いてるかしてるでしょう? そこから追おうと思ったんだけどね」

 それでもまだ日常的な話の範囲だ。

 しかし、そこで女性記者はまた冷淡さを目の奥に揺らし、ある事実を告げた瞬間から、

「……開発チームだけでなく、その家族までが何らかの形で接触不能――もしくは、行方不明になってたの」

 そこに、白い、靄が立ち込めてゆく。

 それは、既に始まっているということを、この時点で自分はまだ、楽観視していた。

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