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ゲームが⇔現実になったら。  作者: タナカつかさ
ゲームと繋がるもの。
15/30

誰かと居るという事、

 山々の隙間に出来た集落を見渡す。

 盆地だ、そこにある稲穂の水田は既に水も枯れている。

 もう少し、実の重さで穂先が垂れれば収穫だろう。野山の緑もほんのり色落ち始めている。

 昔の田舎の光景――その中には当然の様に朽ち果てた廃墟もある。しかし点々と存在している家々はその住人たちによって改築や増築をされ、時代も様式もごちゃごちゃに、太陽光発電と衛星通信、そして昔ながらの井戸が同居していた。

 列記とした科学技術が存在していることだけは確かだが、普通の文明社会ではない。

 ――コンビニどころかスーパーマーケットも、デジタルコンテンツを売るどころか漫画雑誌を扱う店すらない。都会の人間から見たらここでどうやって暮らして行けるのか疑問に思う事だろう、軽車両が一台ぎりぎり通れる山道を歩いた。

 最寄りのバス停から、途中にある人の手が入った山肌――

 その斜面に、手拭い頭巾に、背中に背負子で籠を背負った老婆が、そこでしている作業の手を止めた。

 アスファルトを叩くわずかな足音に、自然と振り返り、自分は声を掛けられる。

「――あら、若先生! 風邪はもう大丈夫なの!?」

「ええ! もう大丈夫ですよ~。ちょっと手こずりましたけどね?」

 答えると、曲がった腰と体の渋さに反しトントントンと軽快な足取りで、片手のくわを杖がわりに降りて来た。

 老婆は以前ここで世話になったときに好くしてくれた一人だ。

 その仕事を手伝ったこともある。先に声を掛けようと思ったが、老年とは思えない位敏感に人の気配を察知する。

「――ほんとうかい? 大病だったんだろう?」

「そう言われればそうですね……でももう平気です、これからまたバリバリ働きますよ」

「……それならまあ、とりあえず先生さんのところに挨拶して来たら? 今度もまたしばらくお世話になるんだろう?」

「そうですね。一応昨日連絡入れて――あ、それで皆さんにもお土産持って来たんで、集会所に置いておきますからどうぞ」

「あら――いいんかい?」

「――どうぞどうぞ。巷で話題のプリンですよ?」

「そりゃ楽しみねえ……! じゃあ早めに切り上げっかね」

 そう言い作業を再開するために、袖口をきっちり閉じた野良着ごと体を持ち上げ、再び山肌に戻って行った。

 ただの葉っぱ――に見えるそれだが、和食の立派な飾りつけ――つまもの、あしらい、などと呼ぶ。

 観る人が見れば、そこはただの山肌ではなく、庭木に出来そうなほど整った観葉樹が何種類も並んでいるのだ。それが皿の上を彩る。

 ヒノキ、楓や銀杏イチョウ、ビワに椿、朴葉、紅南天に、とげとげの柊など、四季や自然の風情を醸し出すそれを商品として出荷している。葉を摘むなんて誰にでも出来そうだが、収穫からの包装と発送、取引までの時間を鑑みて、お店で一番きれいになる手前の状態――皿に乗るまでの状態を鑑みて見極めなければならない。

 その辺のスーパーで生のそれを見かけることなどほぼないが、料亭や旅館の他、飲食業には欠かせないものだ。それにはちゃんとした経験が無ければ難しいし、同時にその葉が飾り物として使い物になるかどうか――美の感性も必要になり、何気に人を選ぶ。

 この何もない集落の唯一の主産業である。この村にいる人間なら誰でも出来る。販売は農協を通したり、ネット回線に電話やファックスでのやり取りもしている。

 だが、一番すごいのはそれをとうの昔に還暦を越えたババアがひょいひょいと山肌を縫いやっていることだ。

「――気を付けてくださいね~」

「だったら仕事をかっぱらってみせな~」

 老婆は、自身の尻を叩いて喝を入れる。

 自分にも、そうしろと言うようだ。

 骨と皮しかない様なのに、デカい、なんとも骨太な立派な尻に見送られ、

「頑張りまーす」


 自分は道場に向かった。

 しばらく歩く。畑で農作業をしている人達とすれ違う度に立ち止まり、挨拶をしながら。

 件の場所に着く。

 農機具を置く剥き出しの倉庫――トラクターなどが置かれた兼用の車庫を左脇に。

 正面、白塗りの左官の壁、草臥れた瓦屋根は今にも崩れそうな古びた家がある。

 右脇にある看板もない武道場を眺めるとそこから気焔を上げる打突音や、歩法の音が断続的に響いていた。自家用車の軽トラと古びたワゴン車が残っているから、家か道場のどちらかに居るはずだが。

「――ただいま戻りました~」

 玄関の呼び鈴を鳴らした。それだけで中の住民を待たずに戸を開け中に顔を突っ込む。

 と、奥からトタトタと駆け足が聞こえて来た。

「……明人先生、帰って来たの?」

 廊下の奥から小さな小学生が顔を出した。それは直近までくると、真下からこちらの目を覗き込み、様子を伺いながら訊ねて来る。

「おーす。またしばらく居候させてもらうぜ~」

 その期待と怯えの混じった眼に、ニカッと歯を見せて笑ってみせる。

 すると、その娘は目許で少しだけ笑った。続いてぞろぞろやって来た中学生くらいの男子二人が、その後ろに並んでこちらの瞳の奥を覗き込んで来る。

「……先生、本当に帰って来たんだ」

「ん? なんだ~、帰らない方が良かったのか?」

「……風邪で動けないとか、今時信じられないって」

「勉強したくなかったんじゃねえの?」

「ちげーよ」

 交互の質問に答える。彼らはここで世話になっている――生徒だ、自分にとっては。

 養子であったり里子であったり、ただ預けられただけの子も居て、拾われてなし崩しに居候している子もいる。

 と、そんな少年少女たちはこちらの手荷物に目を向けている。

 その期待に応え自分はそれを良く見える様に持ち上げ、

「――持って来たぜ~、約束のゲーム。お前らがやったことないような超古い奴も」

 子供たちは目を揺らし――それはどこにでもいる普通のそれらと同じ顔をする。

 そして、やたら好戦的な瞳で、

「……いつやる?」

「――風呂上がりだな。あ、じゃあ悪いけどこれだけ運んどいてくれ」

 そういうと彼らはニコリと嬉し気に笑い、自分が渡したボストンバックを丁寧に受け取った。

 そしてそれをテレビのある居間に運んでいく。きっと喜々として中を漁り確かめるのだろう。

 見計らい、三和土から三段は上がった廊下に、腰掛けながら背中の大容量ザックをゆっくりと下した。古い家にありがちだが天井が低いのだ。でないと上に荷物がぶつかってしまう。中にはしばらくの着替えと教材類が入っている。それを手に提げ直し、以前宛がわれた部屋へと再び腰を上げた。

 そこに一人残った女の子は、何故だか切にこちらをみつめて、

「……彼女さんは?」

 訊ねられる。この子には、思春期故の好奇心かはたまた――よくその事を聞かれていた。

「……残念ながら、振られてしまいました」

 そういうと、一挙に目を丸くし、

「……そうなの?」

「そうなの。さすがに一年もほったらかしにしてたのは悪かったわ~。あとで閻魔様に怒られてこないとなあ……」

 努めて朗らかに、可笑しげに、しかしストレートな苦笑いを浮かべるそれに、小さな女の子は無表情に、そして即座に、

「……あのね、元気……出さなくていいよ?」

「ん? ……なんでだ?」

「私がね? ……元気、あげるから」

 なんとも健気な――子供特有の無垢な思慕に目蓋をしならせる。

 子供でなければ惚れていたかもしれない。まあ、微笑ましいばかりだが。

「……アハハ、じゃあ安心だな?」

「後で、寝る前に膝枕してあげるね?」

「――女子力半端ないなお前! じゃあ先生はお返しに腕枕をしてやろう」

 全力で首を横に振られた。うん、その慎み深さ、男心には逆効果よ。子供だから可愛いだけだけど大人になったら旦那さんになる人は1殺(イチコロ)よ。

 ロリコンではないのでノーダメージだが癒される。

 ――しかし、それに彼女は、首を傾げる。

 そして、

「……先生、本当に大丈夫?」

 ――はは、敏感だな。

 そこで空元気に元気が注入される。

「……んー、そら――これくらい平気だな!」

 無造作にその子を抱き、天井スレスレに高い高いをし、そして静かに降ろした。

 その際、腰をかがめて低くなったこちらの頭をその小さな女の子はちいさな手の平で軽く撫でさすり、それから音もなく笑窪を作った。

「……ん、わかった」

「……ホント女子力高いなお前」

「……先生に、お返し」

「ん?」

「……いつも、ありがとう。だから」

 ほんの少し心配げに、しかし、じわりと笑みを滲ませる。

 くしゃくしゃに髪を撫でつける。

「……本当に将来、絶対いい女になるぞ」

 ふるふると首を横に振る。意味が分からないのではなく、恥じらいと謙遜だ。

 ロリコンではないが将来性について考えてしまいそうだ。

「――ところで師匠は」

「お義父とうさん? ……山の畑の方にいる筈」

「あいよ。……あ、前の部屋今誰か使ってる?」

 新しく人が来ていたらそこに住んでいる筈だったが。

「昨日、連絡があってから、軽く掃除した」

「ありがとな」

「……そのね? 布団干すのに、押し入れで、変な本みつけちゃった……」

 眉を顰める。

「……俺、そんなの持ってきてないぞ? ……誰だ?」

 自分が居ない内の隠し場所に選んだのか悪戯だろうが、性の冤罪は重い。整理整頓して犯人の好きなジャンルを量増しし机の上に大量投下しようと思う。


 とりあえず部屋に荷物を奥だけ置き、動きやすい作業着に着替える。

 襟をタオル、袖口とズボン裾をカバーで完全に閉じて。

 荷物からお土産の箱詰め袋を取り出し、村の集会所に行った。そこにいた人たちに挨拶をして師匠――道場主である鹿島健実かしま たけみの元へと走った。

 山の中、道場の裏手から向かってしばらく行くと果樹園と山菜畑に着く。その隅っこでイノシシを解体している健実を見つけた。縄で縛られ吊るされて、スコップで既に内臓の始末をしているところだった。

「――先生」

 その背中に声を掛けると、

「おう、ちょっと運ぶの手伝え」

 振り向きもせず、自分と同じ作業着姿で背中を向けたままチョイチョイと手招きしてくる。 岩と猿を混ぜ無精髭を苔の様に生やしたにしたごつごつとしたおっさんの指は野太く、何度も打ち付けたよう拳の皿は潰れ分厚く腫れた武術家独特の様相である。

 その隣に行く。ダニと担ぐ都合上、内臓と血だけ処理したイノシシを、若い果樹を支える木の棒の余りに――前と後ろ両足を縛り付ける手伝いをする。時代劇でよく見る、駕籠かご屋のような格好だ。

 その両端に自分と先生が付き、肩で支えて担ぎ上げる。収穫した山菜と果樹が詰め込まれた籠には、干渉しないように。一人なら開口部を仰向けに背負子に縛り付け背負うところだ。

 その獣の泥臭さ――何年風呂に入っていないのかというほど鼻を突く匂いがする。

 以前来たときには熊と鹿と遭遇し、自分も止む無く交戦したし、食べればその美味さに止むを得ず慣れた。それでも匂い自体には顔を顰めていたが、それもここ一ヶ月のゲームの中で散々味わった所為か、もはや何の拒否もないところまで落ち着いた様な気がする。

 現実と虚構の感覚がごっちゃになり麻痺しているのかもしれない。

 そんな物思いにふけりながら山道を歩いていると、健実は最低限に必要なことだけを訊ねて来た。

「――で、しばらくここにいるのか?」

「ええ、そのつもりです。切りのいい所で、来年の春を目途にさせて頂ければと」

「そうか。で? 連れとは話は着けたのか?」

「……あー、振られました」

「……話を聞きてえところだが、まあ、付き合いたてで一年近く放っておかれたんじゃ仕方あるめえ」

「……やっぱり、そうですよねえ……」

 言いたいことを言うし、言わせてもらっている。

「……まあ、稽古はさぼってなかったようだな」

 こちらの歩調からそれを察してか、それ以降は何も言わなかった。

 帰ると庭の水場で解体し、漬物用のプラスチック製の大きな樽に入れ、水を細く、しばらく流しっぱなしにする。肉を冷やすのと抜け切っていない血を抜くためだ。

 それから半日を塩水、引き上げて水を切ってからニンニクや生姜、ハーブ、と、段階を経て臭み抜きと下味をして行くと格段に獣臭、泥臭さが抜け初心者でも食べ易い状態になる。

 今日はカレーにするということで更に簡易的に――薄切りにしてから水で揉み、味噌とニンニクで味付け、しっかり香ばしく焼けば十分である。量が多いので唐揚げにもした。そして食べる直前に山椒を振ると味噌の風味と野性味あるイノシシの肉がガツンと来る。

 それを、健実の妻がいる仏壇に供える。

 村から離れた学校に通っている子達も帰ってきたら夕飯を食べ、勉強を教え、夜の稽古に参加し、遊んで、風呂に入って寝た。


一日が始まる。

 

 朝は早くから畑の面倒を見て収穫、軽トラで市場に品を卸しに行く健実を手伝い、年長の子供たちが当番制で食事を作り近隣の学校に通える者は通う。

 そうでない者には自分が家で勉強を教える。村で仕事を手伝い、大人の器量を持つ人間と社会復帰のリハビリに取り組む者もいる。

 午後には暇を見繕った社会人門下生が道場で技を磨いている。そこに参加する子供もいる。

 夕方は家と道場の清掃だった。世話になっているということでいつからか子供たちが自主的にやっているらしく、同時に、そこが村の外の大人たちと触れ合う機会になっている。

 そして夕食、これは家にいる人間が一日に指定された食費と冷蔵庫の在庫を使い大ざっぱに決める。

 それからは、昨日と同じく、食べたら休憩、勉強、夜稽古、遊んでから寝る。

 その繰り返しだ。ルールで強制されているのではなく、それらは自主性によって廻って行く。出来るならやれ、遠慮するな。そんなおおざっぱに健全な生活による心と体と礼儀作りは、自然に他者へ優しさや誠意を子供達の体に染み込ませていく。

 見て学び、習い、それが生きて行く上で自然な立ち居振る舞いとして滲み出る様になる。

 自分が教えているのは教科書の勉強だが、それ以上にごく当たり前のそれらを自然に立ち居振る舞うように心掛ける。

 ここに居る子供たちの多くはよく瞳を覗き込んで来る――そこで感情の機微や真意を読み取ろうとしてくる。心の傷がある子が多い所為か、嘘、嘲り、嗤い、作り笑い、そこに悪意があろうとなかろうと、ちょっとした表情や言動に関わる仕草、人の心に酷く敏感なのだ。言葉には出さないがそれらを酷く恐れている。

 普通の人から見たらそれは臆病や神経過剰とかいうことなのかもしれない。でもその反面、傷ついた人間にも酷く敏感で優しくなる子が多かった。『普通じゃない』と蔑む対象なのかもしれなかった。

 だが、だからか、

「……先生、彼女に振られて、やっぱりまだ寂しい?」

 子供は優しい、強くしたたかで、賢く礼儀正しい大人よりもはるかに。ずっと様子を気にしていたのかもしれない。

 もう一月が経とうとしていた。

 それでも自分は、

「そりゃあ寂しいよ……一生に一度だって思ってたし、結婚も考えてたしなあ」

そう、正直に答える。子供に――子供だからこそ嘘は付けない。

 他人の人生を聞くことも、子供の糧になるのだから。

 正直に、答える。

「――そこまでですか?」

 中学生男子もごく平然と言った自分に真摯に問い、耳を澄ませてくる。

 ……嘘を疑っているのではない、こちらの心を観ようとしてくる。

 居間で寝る前のいとまに、しずしずと緩やかな時間を過ごしながら、

「年一個下の彼女だったけど、優しい子だったしね、相性も良かったんだろうけど……お互いのやりたい事や目標を尊重したり、協力したり……そうしたら不思議と、何よりも優先して一緒に居られたらいいなあ――っと、思ってたんだけどね」

 だが、それは一方通行で穴だらけで。いつのまにかすれ違ってしまった。

 彼女は、二人で生きられるように……とは、考えてくれなかった。それを少しづつ積み上げていこうとは。

「どうしてその人のことを、そんなに好きになったんですか?」

「んー、あれだね……目標を持って、ハッキリと努力をしている人だったからかな」

 自分も目標に対する努力はしていた。しかし、それは流れに沿った中での無理のないもの、そして何かしら他の目的を兼ねていて、それだけの為に積極的にしていたわけではなかった。フリースクール運営の為にしている色々なバイトも基本は自分が生活する金の為だ。

 叶わないかもしれないそれに真っ向から手を伸ばす努力をしていた彼女には敵わない。実りの無さを嫌う自分にとってそれは眩しく見えた。

 それは掲げた目標の質――その違いもあるだろうが。それでも無理めな事には自分は手を出さない。

 彼女の内に秘めた芯の強さ――そのはずだったのだが。自分がそれを知らず知らず傷つけてしまっていた、追い詰めてしまっていた。

 だから別れたいと彼女は言った。それ以前に、一年放って置いたのも悪かった。

「……じゃあどうして、好きじゃなくなっちゃったの?」

 少女が聞くそれに、

「いや。そうじゃないよ。二人とも……今もお互いの事が、好きなんじゃないかな……」

「……それなのにどうして?」

「……うーん、相手のことを大切にしてしまうから、かえって上手く行かない時があるんだよ」

 相手のことを大切にし過ぎて自分を蔑ろにしてしまう。それを嫌って彼女は別れようと――やりたいことを頑張れと彼女は背中を押した。

 これまで自分も彼女にそうしていた。それが彼女を追い詰め、そして心が離れて行く原因となった。

 それはお互いに、相手のことを思いながら 一人の人間の人生を尊重しながらしかし、そこで完結したものだ。

 その結論は〝一人のもの〟でしかなかった。その答えの中に相手や自分を入れることを欠いていた。この一年、自分は一人で努力し経験を積み重ねようとした。その中に彼女を入れることを拒んでいた。彼女の将来の為として、二人の問題ではないと扱っていた。

 それは優しさでも正しさでもなく、繋がりを断ち切る傲慢だったのかもしれない。

二人の将来の事を鑑みるのなら、二人でそのことについてもっと話すべきだった。

 特に自分は一人で立ちまわっていた。この問題は最初から二人で話し合うべきだった。自分のスタンドプレーが原因にあるのだ。でなければ彼女は前向きに別れるとしつつこちらの目標を優先させようとはしなかっただろう。きっと無意識に彼女はそこを見ていたのだ。

 自分ではなく目標を優先させる彼氏に、執着心を持てなかったのだ。

 自分のやりたいことを頑張れと言ってくれたが、きっと一番の本音は、やはり恋人として愛想を尽かしたのだろう……一年も放って置いたせいだ。

 よく言う、生き急いでいる、若さゆえの過ちとか、そんなところだ。目標を叶えようとして、大人になろうとして、これである。情けなさで死にたい。

 大切にしているつもりで、出来ていなかった。

 ああうん……ちゃんと愛せていなかった。

「……どうして? 好きなままなのに?」

 女の子は無垢な質問をぶつけて来る。

「うーん……好きだけど、二人のやりたいことややって欲しいことが一つになることって、難しいからかな。一人ならうまくできることも、二人だと上手くできなくなったりすること、たまにないか?」

「……うん」

「それでね? 俺も、俺の彼女も、相手のことを考えて、二人じゃなく、一人になることを選んだんだよ」

「……別れちゃっても平気なの?」

「いいや? 全然?」

「それでなんで好きじゃなくなったほうがいいの?」

「――……好きなことだけしていたら、本当にやるべきことが出来た時、他の事も何も出来なくなっちゃうだろ? ……それと同じかな」

 女の子は眉を顰める。子供心にこの子はまだ納得できないのだろう。

 自分と彼女は自分の事や相手のことだけで、視野が狭くなっていた。いや、物分かりが良くなろうとなり過ぎていた。それが道を狭めたとも言う。

 効率のいい最善の道を通ろうとして、他の選択肢を見えなくしていたのだ。

「……そういう問題なんですか?」

 自主勉をしていた中学生男子も、純粋に訊ねて来る。

「――そういう問題って?」

「いや、だって……そういうのって、両立できないんですか?」

「出来るよ――出来る人にはだけどね? ……俺の場合は、純粋にタイミングが悪かったかな……付き合い始めて三か月ちょっと、そこで一年近くまともに触れ合っていなかった。これが彼氏彼女としてもう少し落ち着いた――あと二、三年後だったら何の問題もなかっただろうけど……」

「え? どうしてですか? そんな時間が経っても、人間ってそんな変わらないと思うんですけど」

 ……そういう可能性もある。けれど、

「うーん……それだけの時間一緒に居られるなら、長い付き合いになると、ある程度雑にしても平気な部分っていうのが出来て来るんだよ……色々とダメなところも見えて来るだろ? それでも一緒に居られるってのは、問題を許容できるっていう余裕や度量があるってことだ。それってある種の諦めなんだけど……思い遣りが強いと、これが中々できないわけで」

 熱が冷めて熟なれたころだ。

 その頃だったら自分も彼女も、目標に対し何らかの目途がついていなくとも――生活も落ち着き、それだけの間、好きなだけイチャついて、恋人期間の楽しさや、苦しさも含めた、それら全てをひっくるめて――一緒に居ることの方が当たり前になっていたら。

 別れて、距離を置いて――なんて発想は出てこなかっただろう。

 そう根拠もなく信じられる。それこそお互いをお互いの人生、生活の一部として捉えていたと思う。

 世の中の夫婦や恋人は我慢だらけだ。それが出来なかったのは、自分達はまだ理想を見ていたからかもしれない。人付き合いは欠点や次善を受け入れられなければ絶対に続かないのだ。むしろ常に理想なんて存在していない。

 まさにその通りのお互いの拙い理想の押し付け合いをしていた訳だし。

 そんなごく当たり前の『失敗と同居した生活』――をするには理想ではなく『諦め』の耐性が要るのだ。

「だから、一旦別れよう、って話になったんだよ」 

「先生と彼女さんは……そこ気にし過ぎたんですか?」

「……そうだなあ……お互い好きだったけど、そこが裏目に出たって感じだな……一番大きいのは、やっぱり――相手の問題も自分の問題も、一人の問題として考えずに二人の問題として考えなかったこと……一年放って置いたのが痛かった」

「そりゃ振られますよ……」

「そうなんだよなあ……なんで修行の旅なんて一人でしちゃったのかなあ……ちゃんと連絡とりまくってればよかった」

 こうして改めて向き合ってみると……何で付き合えていたんだろうとさえ思える欠点だらけだ。何も言わずに一人で悩みたいなんて、それこそ独り善がりだった。彼女の目標の事も慮るならそれこそ彼女と話し合う――

 いや、話さずとも、傍に居続けながら、生活を共にしていれば……。

 やはり、旅に出るのではなかったのだ。いや、それでも毎日連絡するだけの心の余裕や視野の広さがあれば。

 彼女も今回の話を聞いて、そこでやはり、一人で決断してしまった。自分が悪い前例になってしまった。

 お互い、二人して、甘えることも、信頼することも、話し合うことも、堪えることも、していなかったのだ。身を引いた考えを、自分も彼女も正当な手段だと思ってしまった。

 二人でいることが辛くても、それに耐えるべきだったのだ。

 これは、自分にのみ都合の良い解釈かも知れないが。

 正味な話、今も、別れなくても繋がっていることも出来た筈なのだ。それが本当に本当に愛想を尽かせて別れたいのだ、という理由でなければ。

 可能性だけの口約束ではなく、ちゃんと連絡を取り合う方法や、時間を合わせて会う計画を練ることも出来た筈、出来た筈なのだ。

 単純な話、中学生男子が言ったように、恋人といることも将来結婚することも、夢も目標も諦めずに両立すればよかったのだ。根性論であろうと精神論であろうと『それでも諦めない』『どっちも必ず叶える』と言い切ってしまえばそれで済んだかもしれないのだ。

 単純に――自分たち二人は、お互いの一番辛いことから逃げてしまったのだ。

 その事実に、静かに、内心で落ち込んでいると、

「……先生」

「うん?」

「じゃあ、仲直りしたら?」

「……え?」

「……喧嘩したら、ちゃんとお話するんじゃないの?」

「……それは……」

 ごく当たり前のことだ。喧嘩したら、喧嘩したことについてよく話し合う。

 確かに、それもありだと思う。

 というかよく考えてみたら……それが普通ではないのか。

 あれは喧嘩だ。それも良く分らない喧嘩だ。お互い本当に何をしたいのかをロクに言い合わず、相手のことばかり考えていて――

 喧嘩を喧嘩だと思わずに、冷静な話し合いだと思って、理屈的に正しい所を選んでそこで終わりにしてしまった?

 どうしてか――彼女の言うことを全面的に信じて、否、自分の本音を言うことを怖がったからだ。別れたくなくて、別れたくないと言えなかった。本気で。

 それがそもそも、一番の己に対する甘えではないのか。

 いや遠回しに『お前の子供だけは絶対生まない』宣言されハートがぼっこぼこでこりゃあ絶対無理だと諦めたわけで……。

 言い訳か。うん、言い訳だ。あの夜の肉体言語的にはお互いYes! Oh Yes! Yes! Yes! の近年稀に見るノーガードの殴り合いだったわけだし。

 なにより最後の一言こそが、彼女の本心だったのではないかと。また今更ながらに、思ってしまう。

 うまく言い包められたのだ。

 と。彼女には敵わなかったのだと。でも、だからこそ、

「――そうだな……もう一度、話をしに行って見るか……」

 その余地はある。

 小学生女子はその答えを聞くと立ち上がり、無造作にちいさな足でこちらの股間を蹴ってきた。

 爪先蹴り(トゥーキック)だ。唐突な反則技に苦悶し座ったまま前屈みになる。

「……お……おふ!」

「お前何やってんだよ! よりにもよって――前を!」

 しかし女子は毅然とこちらを睨みつけ、

「……もう一度、振られて帰ってきたらこうしてやる」

「股間に気合い抽入!?」

「――ヨネおばあちゃんが、振られた男を景気づけるならこれだって」

「お、応……Oh……」

「先生! 悲鳴が混ざってる!」

「なんてこと教えてんだあのババア」

 ……自惚れでなければ、失恋に一役買ってしまったというところか。

 女の子に、男は敵わないというか……。

 

 そして翌日、健実先生に許可を貰って、連絡が取れないので、彼女の家に行き、すれ違うことも含めて――二、三日から一週間の時間を貰った。

 自分がいない間のカリキュラムと課題を作って、渡すまでに二日までの時間が掛った。

 それからこの隠者の里を経った。

 子供の勉強を見るはずが、逆に教えられてしまった。

 そういうことは、よくあるという。また一つ、勉強になった。

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