新たなゲームが始まった日。
ある日、森の中で、
「――GUううGaaaaaっ!!」
熊さん(超絶リアル)に出会った。
それは眼前――まだ4、5m残した位置で、頭四つは上にあるように見えるほどの巨躯をしている。
しかも、泥水を被った濁った毛皮――酷く野太い前腕がダラリと構えられ、不気味な自然体で二本立ちしている。示威行為――威嚇体勢である。その目は、魂など宿っていないかのよう無機質だ。
プログラムだからではない。こちらを完全な捕食対象――物として見ている、全く別の生き物の瞳にみえた。
いや、ようするに、鬱蒼と茂った森の中、ついに敵と出会ったわけだが。
「も、ちょ……待って……!」
「ここでエンカウントかよ……」
コージさん、ツナ缶さんの比較的軽装備の彼らがふらつきながらも木陰から立ち上がる。
「ちくしょう……っ、せめて野ウサギとか、イノシシ、鹿辺りからじゃない?」
「熊って――初期の強敵じゃんよ」
「狩り、狩りなら弓、わたしの出番……」
AAAAさん、ゲッペラーさんが遅れて、さらにはポピンさんはその場で足を使い弓に弦を張り始めていた。
だが戦う前から、全員ほぼHPレッドゾーンによる行動不能に陥っている。膝が笑いカクカクして、それぞれ主装備を杖にするか片膝をついて屈しているような状態なのだ。
まともに戦えそうなのは自分だけだった。みんないるのにロンリーな論理だった。
それを分っているのか、
「――鷹!」
「教官! あれどうすれば!」
「魔物だ! お前がやれ! 訓練通りだ!」
正直マジか、と戸惑い狼狽えたが、目の前に迫る危機に覚悟を飲み干す。
「――分りました!」
どうやら動物のクマではなく魔物の熊らしい――魔熊だ。
エネミーの名前もステータスも表示されないが、これもRealモード仕様である。
要するにただのガチだ。普通に現実でクマと遭遇しただけ。
普通に死ぬんじゃないかな? となんとなく死期を悟った感があるのは気のせいではない。
しかし仮想世界での初陣だ。そして盾役無しで基本装備、バランスタイプの剣士がパワー系の攻略とかちょっと無謀――
そう思いながら剣をベルトの鞘から抜く。その瞬間、零れた銀光が、刃のある凶器であることを思い出させる。
遅れて、手にずしりとした重みが来る、剥き身の剣の忌避感を拭えない。
そこで一気に目の前の現実に我に返る。
例えるならゲームでエンカウントした時と同じように、スイッチが入れ替わった。
剣を右手に、そして木の盾のハンドルを握り、折り畳んだ肘と二の腕、肩に当てコンパクトに三点で支える。
その瞬間、敵対する意思を感じ取ったように。
魔熊は二本足の体勢から、体を前倒しにし、その勢いのまま一歩、二歩と真横に跳躍する様な前傾姿勢で加速した。
(――大丈夫、立体映像型の格闘ゲームならアーケードでやりこんだ)
それと同じだ。
――そう言い聞かせる。
濁った泥のそれが来た。こちらの中心線目掛けた超重量任せの突撃が砲弾のように疾駆している。それも、その体躯が壁となって逃げ道を塞ぐような重圧だ。。
受ければそのまま全身でボディープレスが。
最小限に躱しながらの一太刀――反撃狙いでも、ちょっと腕を凪いだだけで、自分が吹き飛ばされる姿が想像できた。どちらもその後、刹那の間に剥き出しの牙で首を狙って――
思い切り横跳びをする。完全にかわして、相手の動きが止まったところを、無理なく切りつけようと思った。
その最中、魔熊はこちらの一歩手前に前足を着地――無理に多大な負荷を堪えるよう筋肉が膨らみ、こちらに眼光を合わせ、力任せの方向転換をしてきた。
下から、上へ、掬い上げるような頭突きが――
咄嗟に、無理やりに、剣を魔熊との間を払い、剣の危険から一瞬だが魔熊の勢いが弱まった。稼いだ僅かな時間でどうにか盾を体の正面に回すした、その刹那、魔熊の全体重による打撃と衝撃を貰い同時にその圧倒的な膂力に宙に跳ね上げられる。
ほんの数秒、体から重さと血肉の感覚が消た。意識が視界と共にブレる。無重力を体験した。
面白いように飛んだ。悲鳴を上げることも出来ずに森の苔と腐葉土の上に落ち息を詰める。
剥き出しの石や木の根も散乱していた、そこは柔らかくあっても容赦ない痛みと衝撃を一コマ遅れで与えてくれた。耳鳴りの中、仲間の悲鳴がかすかに聞こえる気がする。
その瞬間、肩に猛獣の咢が喰い込み、前足で頭蓋を潰す勢いで押さえつけられる。剣は握っているが衝撃で神経が麻痺したように痺れて動けない。頭をスイカの様に潰されてもおかしくなかったが、それはあくまで《《獲物》》を食べやすい様に押さえているだけだった。
濁った音を立て、皮鎧の肩部分が引き剥がされた。文字通り、食べやすい様に、食べられない皮を剥いでいるのだ。
一瞬――
突如、熊の全身がもたれ掛ってくる。アンダーシャツごしに生ぬるい感触を感じた。
「――生きてるか?」
声は聞こえているが理解できない。視界はグニャグニャになり北極星を中心に星が回っている様だ。
頭の中で数種類の音が鳴っている。甲高い耳鳴りと、骨が強かに打ち鳴らされた残響、それと、ようやく遅れて、心臓の血流と鼓動がハッキリと聞こえて来た。
生きている――。
痛いという感覚がまだ来ない。鉄錆のツンとした香りと味が口いっぱいに鼻孔から口腔に落ちて来る。
力を失った熱の残り――自分を押し潰していた魔熊が体の上から転がされた。
仰向けになっていたそこから俯けに這いずり、どうにか四つん這いで地面から体を切り離す。
霞む景色に目を凝らすと、どうにか視界の揺れが収まりつつあった。
――熊の頭に槍が突き刺さっていた。教官のものだ。
「これを飲め、飲めるか?」
「……」
赤銅色の手に引き起こされるが、その瞬間、口に回った鼻血を吐いた。顔と押さえつけられた時、鼻が潰れた。
まだ返事が出来ない。痛いという感覚すら薄い――
口の中が血と鉄と、熊の獣臭い泥の味でいっぱいだ。
どうにか目を向ける。マニキュアの小さな瓶のよう――回復薬だ。手の平の感覚が無い中、なんどか指が滑り、どうにか封と栓をあけ一口に煽った。濃すぎる抹茶と数種類のハーブを無理やり泥で煮込んだような味――壮絶なエグミが、喉元を通って胃に広がる。
顔を顰めたが、しかし、そのおかげで咥内の血の味は消えた。それだけでも、
「……凄い味なのに、美味く感じる……」
「気付けの作用もあるが、体が欲しているんだろうな。……体でどこか変に脈打ったり、血の気が引いていく様な感覚、逆に何も感じないような場所はあるか?」
「鼻の真ん中のところで血が……そこら中が痛いです……」
「なら問題ない――それより奥、頭か、内臓で損傷が無いかが重要だ」
目蓋を閉じれば、自分のものだけならHPは見えた。イエローゾーンだ、ステータス異常はない。
しかし、顔の擦過傷や肩の歯形や爪痕は消えていない。
「……すぐには効かないんですね」
「即効型の薬は体力を奪うからな。本当の重傷――致死性の傷の時でないとかえって足手まといになる」
「……いい経験、させて貰いました……」
「ははっ、その意気だ」
仲間たちが、悔し気に、申し訳なさげに、中には顔を青褪めさせてこちらに寄ってくる。
「――大丈夫か?」
「……ああー、なんとか」
「――トラックだったら転生してたぜ? 超飛んでた」
「――つーかマジ血が出るんだな」
流石に、本物の命の心配も怪我の心配もしていない――
軽く、単純にHPの心配をしていたようだ。
勝手に空気が温まっているようだが。ポピンさん、AAAAさんは、このあまりにリアルなダメージ表現に顔が青褪めていた。
周囲の安全を確認して、そのまま、速やかに魔熊の解体作業を行った。
正確には、魔石、と呼ばれるアイテムの摘出作業だ。教官がそれを行うと魔熊の肉体は紅色の煌めきを立ち昇らせ、辺りに吸い込まれるよう輪郭を無くした。
血の匂いを消し、場所を変え反省会をした。
「何が悪かったか、分るか?」
「……多分、力の差が大きかった――」
自分は避け終わったら反撃を狙うつもりだったが、それを魔熊の能力に、先手を取られて押し切られた。
単純な話、見誤っていた。その最も大きな原因は、それであると思う。
向き合ってから、相手が動き始めてからの数舜で常に後手に回ることになる――そんなこちらの対応に対し相手は一手二手と次の出だしも早かった。それに対応が取れなくなった。
ようするに、ろくに何も出来なかった――というのはもう思考も反射神経も、相手の方が完全に上だったということで間違いないだろう。
極端な話、そんな相手にまともに戦いを挑んだ今の戦いは――
「……」
逃げる、という選択肢が正解だったと思う。
しかし――それをすれば、仲間が全滅していただろう。
自分だけは逃げられたかもしれない。
となると、仲間のために戦って全滅か、見捨てて生きるか。
例外として、教官の命令で自分が前に立ったが、もしそれがなければ彼に頼るのもありだったと思う。それが出来ていたら、出来ていなかったら、と。
「鷹――お前が何を想像しているのか想像は付く。そしてそれはすべて正しい」
「え?」
「大方、どう死ぬかどう生きるか――そんなところだろう」
大げさな言い方だが、
「……あ、はい。そんな感じですね」
「だが今の戦いは、もっと思い切り――避けることだけを考えて『時間稼ぎ』と言う逃げに徹すればよかった。反撃の事を忘れてな。そうすればこいつらの体勢もどうにか整っただろう」
「……あ、そうか――」
でも、そうは出来なかった。どれを選んでもその先に待つのはゼロか後悔か、そんな洗濯をしていたと思う。
初陣ということもあってか、敵を倒そう、勝とうというつもりに自然なっていた。RPGなら特別な負けイベントでない限り必ず勝てる戦いだ。だから、現実なら在り得るその選択肢がちゃんと思い浮かばなかった。
ということは、現実では、必ず生きるか死ぬかのどれかを選んでいたのだろう。
ゲームだから本当に死ぬことは無いから安心だが――
……味わった痛みが、そう思わせてくれない。
その瞬間、漫然とした何かが胃の中を這いまわる。
自分が感じた理屈と、体感との間に温度差がある事に気づく。その隙間に、まるで仄暗い何かが胸に突き刺さっているような……。
「――しかし吹き飛ばされてもしっかり剣を握り緩めなかったことは及第点だ。剣を握る恐怖に犯されながら、自分が今戦いの中に在るということを体で成せたのはいい。――さて、コージ、ツナ缶、AAAA、ポピン、ゲッペラーはまずその体力のなさをどうにかしろ。そして動けなくとも仲間が倒れたときぐらい、気勢を上げて牽制や気を引くことぐらいしろ。……仲間を殺して後悔する気か?」
この鬱蒼と茂った苔と――現実にしか見えない山林と、自身の血の匂い、体の中にある痛みの所為だろうか。
まあ、ゲームなのだ、《《酷くリアルな》》――そういう物なのだと納得する。
自己の収穫に目を向け、そぞろに話を聞いていたが――
「……これくらい、ゲームじゃんか」
教官の真面目な忠告に、小声でツナ缶が呟いた。
その言葉に、湿り気と静電気を同時に帯びた空気が他のプレイヤー達に流れる。
その気持ちは分からないでもなかった。ここで死んでもゲームとして死に戻り――どこかの復活ポイントまで戻るだけだ。
「君たち異邦の旅人はよくそれを言うが――自分が痛みを味わわねば、その軽挙を止められるのか?」
と、
「――あ」
「どうかしたか?」
ふとしたことに気付く、
「いえ、ちょっと……うーん」
危惧する。スライムは言っていた。出来ればNPCを同じ人間として扱ってほしい、と。
なら、現実世界の住民がゲーム世界の住民の感覚を理解できないように、その逆もあるのではないかと。
「すいません教官、多分自分の方が上手く話せます――いいですか?」
「……責任を負えるか?」
「……そうですね、半分くらいなら」
それに教官は、それなら構わないと言うように口を閉ざし視線で先を促す。
分っている。余計な責任感は抱かない。ここで分からせなかったら彼が誰かを巻き沿いにする。その責任だ。
「――あのさ」
「な、なんですか?」
「――訓練中に気付かなかった? 打ち損じたり、受け損なったり、そういうの」
「それは――」
痛みが現実と同じであることにだ。
と言っても気づく筈がない――これはゲームだからと思ってその辺の恐怖感が麻痺しているのかもしれないけど。
それか、打ち損じや受け損ないの無い様に、素振りと、《《本物の》》指導者たちが細心の注意を払っての打ち合いのみ――素人同士では打ち合いをさせていなかったのか。生憎とそこまで見ていない。とりあえず、自分の時はそういうことは無かった。
せっかくの人材資源だからと、その気にさせていたのか。通なら調子に乗りそうな新人を諫めるところだ。
何だっていい――気付かない内に麻痺している感覚を取り戻せれば。
感覚を、現実の人間に合わせて通じる様に話すなら――
「……これ、マジでシャレにならねえぞ……痛みも、多分、現実準拠……今マジで体中痛い……血の味もする、戦ってる最中、吹き飛ばされたけど、車で事故に遭った感じだ――衝撃を受けた瞬間から目が回って何も感じなかった」
その最中は、考察する余裕なんてなかったけど。
……今思うと酷くゾッとする。
ということに、自分でも気づく。やはり、自分もどこかでゲームだからと舐めてかかっていたのだ。
「――それ、ひょっとして、痛みでショック死避けるのか、脳がシャットダウンする奴?」
「――多分」
「ははは、鷹さんちょっと煽り過ぎ――」
「最初からそんなの感じないように設定されてるでしょ流石に――」
「……じゃあ言うけどさ……ゲームの中なのに、こんな疲れる、のにか? それなのにそこだけゲームらしくするのかって思わない?」
それを確認すると、皆じわじわ絶句した。
そしてHPが0になれば本当に死ぬような感覚を味わうことになるのかもしれないそれを想像したの、またじわじわと危機感が炎上し、
「――リアルすぎんだろう!?」
「……だから、Realモードってか?」
「作り込み過ぎだって……運営マジ何考えてんだ?」
「……嘘でしょ~っ!」
爆発した。運営への信頼性が、最悪の形で発揮されている。
しかし自分は演技派だったのか――と、人知れず感慨にふける。
まあ、教壇に立ち生徒を扇動――ではなく、指導する立場を目指す身としては、赤ペンで花丸なんじゃないかと思う。
――こんなところでいいですか? と教官に視線を送ると、ニヤリ、と彼は口端を歪めた。
そんなこんなで冒険者としての訓練――研修は終わった。
色々と散々な結果だったわけだが。わりと貴重な経験と物凄い体験をしてしまったと思う。熊に跳ね飛ばされるとか。
そして、あくまで想像だったが、本当にHP0は死の感覚があるのかもしれない。そう思いたくないが、本当にありそうだ。
そう誰もが思ったその所為か、
「本当に誰得? 何が得なのこのモード」
「現実でのレベリング、スキルアップが可能ってのに思わず飛びついちゃったけど――今すごい後悔してる」
「俺もー」
「私も~」
酒場で飲んだくれる。もちろんゲーム内酒場だ。
冒険者ギルドのそれではない、どこから聞いたのか誰が流布したのか、Realモードがβテスターや優良プレイヤーに与えられた『リアル・レベリング』が可能な優遇モードだと判明し――しかし、その実情の知った後の半笑いのざまぁムードが、双方共にしらけさせたのだ。
まあ、そんなふうに嗤うのは一部のプレイヤーだけで、好奇心旺盛に詳細を尋ねる者も、他は普通にただのご愁傷さまを言ってくれた人もいたのだが。
それも相まって今ここには二種類の人間がいる。特殊なゲームモードの検証をしているのだ。
すでにモードが解放された者と、そうでないもの――その両方の検証屋である。
自分が組んだパーティー以外にもそんな面々が集まり、虚実入り混じった論議がそこかしこのテーブルで酒と共に酌み交わされていた。
「――いや……『ゲーム内に存在する攻撃スキル、生産スキルに相当する技術を現実でも習得した場合それがゲーム内に反映される』って――逆にゲーム内でスキル関係がまったく身に付けられなくて、現実でしか身に付けられないってことなんじゃ」
「訓練自体、スキルなしだとただの素振りと打ち合いだったよな?」
「ああ、ホント基本だけ――っていうか、技? みたいなのは一切なかったな」
「それは多分、ゲーム内で身に付けた技術で犯罪とか犯されちゃ困るから」
「ああー、それだ。きっとそれだ」
「実質戦闘は他のモードでスキル頼りだってこと?」
「これひょっとして、ゲーム内で生産系やる人にはいいけど、戦闘系の人にはとことん不遇じゃない?」
「切り替えればいいんじゃない?」
「いや――生産系? なんで?」
「うん。多分間違いなくそう――このRealモードは生産系の感覚を補正するためについている。現実の人間の指先――その繊細な感覚や、知識や情報、数値に出来ない部分の感性をゲーム中に持ち込んで再現するため」
「……ようは、現実と同じモノづくりをできるようにする為で、最初から戦闘職向きには調整していない?」
「なんでそんな不平等な」
「違う違う――そうしないとダメだったんだよ」
どうして、と疑問の表情が増えていく、しかし、
「――だから、ここで学んだ武術、戦闘技術を、リアルに持って行かせないため」
「……あ」
「そうか……そういうことか――」
「だからむしろ、現実より重く、痛みや、忌避を感じる様に作られている可能性もあるんじゃないの?」
当然、そんな中に自分の彼女も隣で同席しているが。
「――でも、どうしてそのモードを解かないの?」
「それは多分――これだよ」
彼女はがやがやと騒がしいテーブルの上に乗った、料理の皿と酒を見る。
「……味覚?」
「うん、試してみたけど、やっぱり――他のモードより食感だけでなく酸味、塩味、甘み、苦み、うま味――辛みとかそういう香辛料の類の味も鮮明になってる。他のモードでは大ざっぱに一口めの風味と後味だけだったけど」
「……そうなんですか? 現実そのままの味ってことじゃ――」
「うん。ハッキリ言って、酒も料理も――現実で嗜好品として食べる必要がなくなっちゃう、そんなレベル」
「そんな……それじゃ――」
この辺は、このゲームが出る前もお昼のワイドショーや情報番組で色々と議論されていた。
視覚、体感、それだけでなく味覚まで再現されるなら、現実にある飲食業やそれに関連する産業があおりを受けて廃業に追いやられるのではないのかと。
アニメや漫画などからサブカルチャーの社会的地位が見直され、熱狂的ではないにせよゲーム人口の総数も増えて来た。先進国では一生のうち一度もゲームをプレイしたことが無い人間の方が少ないと言われている。
故に多大に危惧された。しかし、そこは総人口に対するゲーム依存症の割合からして問題ないと結論付けられた。
が。現実にはその少数にすら煽りを受けて失業してしまう業者は多い。
極端な話、飲食業だけでなく観光業やサービス業――趣味の世界、園芸、手芸、スポーツ、などの産業が危機的状況に陥るのではないのかと。
しかし、
「多分、そういうところを含めて――プレイヤーの人格や行動を判定してるんじゃないかな?」
アンケートにも、一日の平均プレイ時間がきっちり調査されていた。それはどれだけゲームが好きかではなくゲームに依存し過ぎない人間を選定する設問ではないのかと思う。
だからもしかしたらとは思うが、そういう実生活を捨てるような人物にはこのRealモードは解放されないんじゃないかと思う。
「でも……逆に依存するんじゃないですか? 極端な話、現実で栄養だけ取って、ゲームの中で愉しもうとする人も居るはず」
「うん、だから――満腹感や満足感は……削られてるのかな? さっきから結構飲み食いしてるけど、それだけはそんな感じ無いね。……精々腹の中が重くなったっていう物理的な感覚が、警告みたいにあるみたい」
「……それなら大丈夫……なのかな……」
全てが現実準拠――と言っていたが、依存性や異常性になり得る快楽の部分には、多分早々に、相当に気を遣って調整しているのかもしれない。
「……ダイエットに使えるかも……」
「そんな必要ないくらいキレイなのに」
「――もう」
「――おーいホー、ク……じゃなかった、鷹さん――話集めてみたけど、生産の方は成否判定にマイナスとか確率が入らない分、実力次第でいきなり最上級のが出来るとか」
「まじで?」
「いや、それでもスキルに寄る工程の短縮が出来ない分、量産には向かないとか――あ、お邪魔します」
「いえいえ。どうぞどうぞ――」
途中参加に気を遣った男に、ツグミんも席を進める。
しながら、
「――あの、もしかして、ラグナで彼とプレイしていたんですか?」
「ん? 君も?」
「ええ。彼のギルドメンバーです」
「あ、じゃひょっとして知ってるかな……んーだめだ、絵が違い過ぎて」
「同じ見た目にはしていませんよ? それにボイスにもモザイク掛けてありますから」
そんなことを話している内、更に続々と周囲に人が集まってくる。他のMMOでご一緒した仲や対戦した相手、ランキングで名前だけ知っている相手など、色々だ。
そしてこれまでの検証をまとめ上げたところ、それぞれこのRealモードでの方向性が決まって来た。
「……おれ生産系に変えようかな……」
「私もー」
「やっぱそれかなあ……」
皆、戦闘職メインは止める様子だが、そこにいる人間は誰もこのモードを止めることを考えていない。
「ああ。一応、これでもリアルで職人の卵でさ……刀鍛冶、やってんだよね」
「え? マジで?」
「ああ。だからちょっと――思う存分刀を打ってみたい。本当に現実と同じものが作れるなら、だけどさ」
優良プレイヤーとして選ばれただけあって前向きである。
「じゃあ私は農家になろうかな――実家がそれだから、多少知識と経験ならあるし」
「俺もバイトを活かしてみるかな」
それは至極当然と言うように、誰も落ち込んではいないし、与太話以上の愚痴は零していない。
「――みんなRealモードは降りないんだ」
「せっかくの設定だしな~」
「何言ってんだよ、おもしれーじゃんコレ――なあ?」
「今はまだ始まったばかりだけど、これからステータス上げたらどうなるのか見てみたいし」
「あんな酷い目に遭ったのに?」
頷き合う。
誰も彼もがんならかの方法で、このゲームの仕様と向き合っている。
それもその筈、皆これまでゲームを嗜んできた者相応の感性を持っている。しかも、優良プレイヤーとしてだ。
数十、数百というゲームをプレイし続ければ嫌でも駄作、名作を分け隔てなくプレイすることになる。そうなると不思議――それがどんなクソゲーでも、超難易度の難ゲーでもゲームにダメなところがあっても、そこで安易に辞めたり中古屋に売ることはしなくなる。
ゲームに見切りをつける人間とは違い――
ゲームを続けていく人間は、他人がどんなに貶してもそのゲームをプレイしていることに誇りを持つ――それは攻略厨でもコンプ厨でも、極度に拘ったマニアックなゲームに対する圧倒的信者でもない、ましてクリエイター擁護でもない。
そう、それは単純に、ゲーム愛である。
そして思う、このゲームを作り上げた人の事を。
それなら自分は――
「……鷹さん?」
彼女が怪訝な上目遣いをする。自分はその髪を自然に、現実と同じように撫でて――
……そして、彼らはゲーム内から姿を消した。
そんな彼らはしばらくした後、ゲーム内に限らず現実の各所で活躍するようになるのだが。
その1年後――世界は動き出すことになる。




