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ある雪の夜

作者: 葵

 きしきしと、足元で雪が鳴る。

 きんと澄んだ夜気は闇色で、暗い空には朧に丸い月。雲に薄く隠された月光は、白く覆われた大地をぼんやりと浮かび上がらせる。

 一面に積もった雪に頼りない足跡を残しながら、少女はひとり、歩いていく。

 吸いこんだ空気は肺が凍るほど冷たかったけれど、少女は構わず、深く深く、冷たい空気を吸いこんだ。

 胸の底に沈み凝った真っ黒でどろどろした感情が、白く凍ってひび割れて、粉々に砕けていくようで──自分の中に溜め込んだ汚い感情が洗われるようで、ほんの少し、心が軽くなる。

 かすかに空気が動いた程度の風が、少女の頬を撫でる。腫れて熱を持った頬や切れて血のにじむ口の端に、冷たい風が優しく触れる。

 雪の夜道を歩くには、少女はあまりに薄着で、その襟ぐりや袖から覗く腕や足には赤い腫れや黒ずんだ痣がいくつもある。服に隠された腹や背中にも、数え切れないほどの痣や傷がある。

 凍るほどに冷たい大気は、そよぐほどの風でも肌を切るように感じられるが、体中に痛みと熱を抱える少女には、その冷たさはむしろ心地よかった。

 あちこちが痛む体を気にするそぶりもなく、少女は無造作に足を運ぶ。

 感覚の薄れてきた指先に吐きかけた息は、白く凍って月光に映えた。

 いつの間にか雲が晴れ、冴え冴えと冷たい月が顔を覗かせている。その月を見上げて、少女は夜空に白い息を吐きかける。

 きしきしと雪を踏みしめるはだしの足には、すでに感覚がなかったが、少女は歩みを止めず、歩き続ける。行くあてなどないはずなのに、少女の足取りには迷いはなく、その瞳に不安はない。

 迷いのない、けれど感情や意思の感じられない瞳で、ただ前を──進む先を見つめる少女の視界を遮るように、はらりと雪が舞った。

 見上げた空は晴れている。月はいっそう輝きを増したように、冴え冴えとした光を地上に降らし、その月光が結晶化したように、はらはらと雪が舞っていた。

 月光を弾きながら地上に舞い落ちる雪は、本当に月光のかけらのようで、それは幻想的に美しい光景だった。

 ふいに、少女の口元に笑みが浮かんだ。

 舞い落ちる雪に手を差し伸べ、掌で溶ける雪の冷たさに目を細める。

 ふふ、と、少女の唇から声が漏れた。同時に、単調だった少女の足取りが乱れる。踊るようなステップで、少女は雪原を渡る。両腕を広げ、全身で舞う雪を受け止めるように。あはは、と空虚な笑声が、響くことなく雪に吸われる。

 踊るように舞うように、軽やかな足取りで、少女は進む。



 明け方、夢幻のように舞った雪が名残も残さず消えた頃、村はずれの家から男の死体が見つかった。

 粗末な小屋のようなその家には、男と少女が暮らしていた。

 小屋から見つかったのは冷たくなった男だけで、ともに暮らしていたはずの少女の姿はどこにもなかった。

 殺された男。姿を消した、虐げられていた少女。

 導き出される結論はひとつに思えたが、村人たちは誰ひとり、それを明確な言葉にはせず、無言のうちに男を葬った。

 少女はしょっちゅう顔を腫らし、体に痣を作っていた。その原因が男であることを、村の誰もが気づいていながら、流れ者だった男と係わり合いになることを避け、少女に手を差し伸べる者はいなかった。

 後味の悪い結末を迎えて、村人たちの胸のうちに沈む罪悪感が、村人たちの口を噤ませた。



 消えた少女の消息は知れず、

 墓石もなく葬られえた男の墓が顧みられることもなく、

 季節が巡る頃には、少女の存在はそれにまつわる罪の記憶ごと、雪が溶けるように忘れられていった。


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