6.苛立ち
椿は朝起きて身支度をした。衣装はあの時エヴァが用意してくれた深緑色の服であった。はじめは気つけ方に苦労したが今は何とか着れるようになった。
身支度を済ませキッチンへ向かった。
「おはようございます。ヨーゼフさん」
挨拶すると朝ごはんの準備をしていたヨーゼフはにこりと微笑んで挨拶をした。
「何か手伝うことはありますか?」
「ありがとうございます。ですが、椿様はクラウディオ様同様に大事な客人なのでその必要はありません。どうかダイニングの方でお待ちになってください」
そう言われ椿は少し不満そうにした。
「ですが、私はこうしてこの家に厄介になって何もしないというわけにはいきません。何でもいいので手伝わせて下さい」
なかなかキッチンを離れない椿にヨーゼフはうーんと悩み、思いついたように椿に食器が置かれた荷台を示した。
「これをテーブルの方へ行き並べてください。並べる順番は覚えていますね」
「はい」
椿は嬉しそうに食器をダイニングへ運んだ。満足したようでヨーゼフは安心した。
食事が出来上がり、ヨーゼフがダイニングに運んでいると椿は悩んだように二つの食器を見つめた。フォークの種類をどう並べればいいのか悩んでいるようである。
「椿様、これはこのように」
ヨーゼフはそう言いフォークを並べた。
「あ、すみません」
任された仕事であるのに満足にできなかったことに椿は落ち込んでしまった。
「いえいえ、よく似ているから難しかったでしょう。手伝ってくださりありがとうございました。さぁ、椅子におかけになってください」
そう言われ椿は椅子に腰をかけた。
「おはようございます。旦那様」
ヨーゼフはダイニングに現れた主人に挨拶をした。椿も慌てて立ちあがって挨拶をしようとしたが、動いた椅子が大きな音を立てヴィルは眉を顰めた。
「突然立ち上がるな」
行儀が悪いぞと叱りつけ椅子に座るように言った。それに椿はしゅんとなり、椅子に大人しくした。
かちゃかちゃと音しかない朝食であった。
椿は重苦しい雰囲気になかなか話ができずにいた。
いつもならばクラウディオがいてそれで明るい雰囲気になるというのに。昨夜から彼は泊まりで外出中であった。
「………」
ヴィルは食事を済ませ立ちあがってダイニングを立ち去ってしまった。
「椿様、コーヒーでございます」
ヨーゼフは椿の前の食後のコーヒーを差し出した。
「あの、今日のヴィル様の予定は」
「外出の予定はございません。ですので、書斎でデスクワークを行うのでしょう」
「昨日もなさっていましたが」
「この屋敷の主として、貴族としていろいろすることはあるのです」
いくら片づけても次々とすべき仕事は溜まっていくのだとヨーゼフは穏やかに説明した。
「あんなに朝から晩まで働きづめではお体に障ります」
「そうですね。ですが、ヴィル様は昔から頑固な方でしたから簡単には直されないのですよ」
確かに昨日もヴィルのことを心配するとヨーゼフにお茶と菓子を運ぶように提案された。それでもヴィルは休もうとせず黙々と書類とにらめっこしていた。
あれではいつか過労で倒れてしまう。
椿はうーんと思い悩んだ。
それに、椿はまだヴィルにお礼を言っていなかった。話そうと思ってもああして書斎にこもってて話しづらい雰囲気だったのだ。
◇ ◇ ◇
昼近くの頃合いになり、ヴィルの書斎に再度椿が現れた。
「何の用だ?」
「あの、お茶をお持ちしました」
椿は緊張しながらそう伝えた。盆には確かにお茶と菓子が乗せられていた。椿はささっと書斎の中にあるテーブルの上にそれを置いた。
「あの、少し休まれませんか?」
「構うな」
ヴィルはそう切り捨てて椿は困ったように俯いた。
ここで立ち退くわけにはいかない。
お茶を入れて、改めてお礼を言わなければ。
(じゃないといつまで経っても話せないままだわ)
今日は話の潤滑剤になってくれるクラウディオがおらず不安であるのだが、いつまでもクラウディオに頼るわけにはいかない。
「ええっと、あの………」
なかなか切り出せず椿はお茶をティーカップに注いだ。ぎこちない動作であるが溢さないようにゆっくりと満たしていく。
「何か言いたいことがあるのか」
ヴィルは書類から顔をあげて椿をにらんだ。その厳しい目に椿は口を噤みたじろいだ。
それにヴィルは苛立り、机をたたいた。その音に椿はびくっとした。
「お前の面倒はクラウディオとヨーゼフに任せてある。必要なものがあれば用意してやる。だから、俺の仕事の邪魔はするな!」
「あ………す、すみません」
椿は俯いてそう言い書斎を後にした。ヴィルははあっとため息をついた。
「あれでも俺よりずっと年上で三ケタもあるんだろう」
それだったら仕事中の殿方の邪魔はしないという分別はあるはずだろう。確かにいつも構っているクラウディオが今日はいなくて手持無沙汰とはいえ。
「幼すぎないか?」
見た目通りの雰囲気と喋り方しかできない椿にヴィルは呆れたように呟いた。