5.虚無感
みゃーおと白い猫の泣き声がした。クラウディオはその猫の元へと近づき、優しく抱き寄せ撫でた。
「よしよし、お前はよくやってくれたよ。うん、椿を守ろうとしてくれたのだろう」
先ほどの東の女性が椿を誘拐するときに影に潜んでいたビアンカは東の女に襲い掛かった。だが、女はひるまず猫を銃弾で倒して捨ててしまった。
「撃たれたのだろう。しばらく僕の影でお休み」
クラウディオはそういいビアンカは脇へと隠した。猫はするりと衣類の中の影と一体化して消えてしまった。
「さて、ヴィルはどうしているかな」
一見平静としているが内心は慌ててる。椿がこのような形で攫われるとは思わなかった。椿の影に猫が潜まれているのも知っている様子で女はためらわずビアンカを退治した。
「ヴィル」
森の奥から現れた者にクラウディオは声をかけた。かなり青ざめている。
「大丈夫?」
「………椿が攫われた」
白猫から既に確認している。
「椿は僕が探し出すから君は屋敷に戻って。まだ体調は万全じゃないのだから」
薬と魔術で異端としての状態はだいぶ収まっている。だが、長い間療養していたので体力は万全ではないはずだ。今日はほんの少しリハビリがてらに銀十字の地方支部に向かわせてスケジュールを立て直したに過ぎない。
「椿が攫われたのだ。屋敷など戻ってやれない」
「今の状態じゃ足手まといだよ。それとも何? 僕が送ってあげようか。でも椿はどんどん遠くへ連れ出されてしまうよ」
「……わかった」
ここで問答している時間も惜しいとクラウディオは冷たく言い放った。確か今はクラウディオに任せた方がよさそうだろう。
ヴィルヘルムが屋敷へと向かった後、クラウディオは白猫の情報を共有して椿を連れ出した女のあとを追った。白猫の視覚では連れ出した女は東海人であった。椿と同じ国かそれとも近しい国の出身かもしれない。シェートンの部下のようにもみえるが、違うとすぐにわかった。白猫の情報であの女から強い血と死臭がした。
州の境目を超えようとするところで木々の中から大きな巨体が現れた。
「ゴーレム?」
この前みたのと同タイプである。クラウディオは馬から降りて、こちらへ突進してくるゴーレムの様子を伺った。大きな腕が振り下ろされ襲い掛かってくる。それをかわしながらこの前のゴーレムより動きが速いと感じた。
「とおせんぼか。僕が追いかけてくるのは読んでいたということかな」
以前の誘拐事件でクラウディオの能力については情報として収集済みのようである。背中にまわると例の文字が見当たらなかった。場所を移しみえづらくしたのだろう。動きを封じられることなく襲い掛かってくる巨体は厄介である。
だがそれでもからくりさえ理解すれば何ということはない。
クラウディオは巨体の動きをひとつひとつ確認して体のどこかに隠されている文字を確認した。ご丁寧に魔術で隠されているがすぐにクラウディオは看破した。隙をついてゴーレムの文字をひとつ消す。さらさらと音をたててゴーレムは崩れ落ちていった。
戦いを終えた後馬がとてとてとクラウディオの傍へと近づいた。クラウディオは馬を優しくなで、ゴーレムだった砂を拾い魔術の分析を行った。
作った人間は同一のようである。
「ここらあたりで形跡を消しているな」
誘拐犯はなかなか用心深いようである。白猫を動かそうにも怪我をしていて休息させないといけない。
今屋敷に戻ろうとしてもヴィルヘルムが飛び出そうとしてしまうかもしれない。もう少し情報を収集してからの方がよいか。
クラウディオは馬を撫でてもう少しつきあっておくれと声をかけた。
◇ ◇ ◇
クラウディオに言われヴィルヘルムは意気消沈とエーデルシュタイン家へと戻った。自分もできれば追いかけたかったが、クラウディオにはっきりと足手まといと言われ渋々家に戻ることになった。
椿を誘拐したのは東海人であるが一体何者であろうか。椿か、シェートンの国の出身ではないか。シェートンに意見を伺いたい。そう思い近くの彼の拠点になっている店へと赴いた。従業員が言うには今彼は不在であるとのこと。以前言っていたアルブシルヴィウス山脈の吸血鬼の情報を集めに行っているのだ。従業員も東海人なので自分がみたままの誘拐犯の特徴を伝えたが、彼自身困ったように首を傾げた。同じ特徴の外見を持つ者は多くいる。言語、せめて名前などわかればどこの国かの予測はつくのだが。
「シェートン様に連絡は致しましょう。メイチン嬢が誘拐されたと聞けば、戻ってくるかもしれません」
ヴィルヘルムはとぼとぼと再び帰路についた。
屋敷に戻ると使用人たちが一斉に出迎えてきた。王都から客人が来ているという。銀十字から派遣された医者だという。
クラウディオからの連絡でベルンハルト公爵が用意してきたのだろう。本当にこのまま銀十字の仕事をさせてもよいかどうかの最終確認のために。
今は仕事について手につくことができない。エヴァには怒鳴られるかもしれないが、椿のことで頭がいっぱいだ。彼女を取り戻すまでは休暇を延長させよう。
案内された客間につくとソファで腰をかけている男に挨拶をする。
椿が隔離されていた間にいろいろと面倒をみてくれた男だったのを覚えている。
「お久しぶりです」
「ああ、ヘル・バルト。ようこそ」
マルク・バルトだった。
「クラウディオより問題はないと報告を受けておりますが、もう一度念入りに調べるようにと公爵から言われております」
「ああ、頼む」
以前と変わらない態度である。多くの研究、異端者をみてきた者でありそれなりの心構えができているのだろう。
「必要なものがあれば言ってくれ。兄に頼んで」
「急ごしらえの研究スペースは町の方の銀十字の支部に作っております。助手がそこで待機しております。早速で申し訳ありませんが、ここで採血をさせていただきたいのですが」
構わないとヴィルヘルムは腕を差し出した。
「そういえば、助手殿に挨拶をしたいのだが」
「いや、いいですよ。結構面倒な奴なので」
マルクは困ったように笑い、採血を終えたヴィルヘルムの腕に布を当てた。取り出した血を瓶の中にと保存する。中にはすでに血を保存するための薬剤が入っているようで彼はくるくると軽く瓶を揺らした。瓶の中の血は赤赤としていた。どこにでもある平凡な人間の血のようにみえてしまう。
マルクを見送り、クラウディオは自室へと戻ろうとした。その途中に椿が使っていた部屋へと寄る。
「あ、お兄様」
椿の部屋にマリアがいた。客人の部屋に勝手に入るのはよくないぞと嗜めるとマリアはぷくっと頬を膨らませた。
「ノックなしに入ってきたお兄様に言われたくないわ」
何とも反抗的な態度である。
「なんだ、今度は俺に態度が悪くなって」
「悪くなります。お兄様があんなにお父様に反対されても一緒に添い遂げるとまで言っていた椿との婚約を破棄するなんて」
最低です。
マリアははっきりと断じた。
「お前は反対していた側だっただろう」
「前は前、今は今です」
あの誘拐事件の時からマリアはすっかりと椿になついていた。
「お兄様は椿のことが嫌いになったのですか? やはり東海人だから周りの目が気になるのですか?」
「違う」
何故今こんなことを聞いてくるのだ。苛立ちながらもヴィルヘルムは首を横に振った。
「では何故? お答えになってください」
マリアが立ち上がると彼女の手にあるものが目についた。赤い花の飾りもの。
「それは?」
確か以前椿にあげた花飾りだった。彼女の名前と同じ花の飾り。
「あ、これは……」
マリアはしまったと悪戯っ子のようにそそくさと髪飾りをテーブルの上にあった箱の中にしまった。
椿はここにもそれを持ってきていたのか。もしかするとでかける前まで花飾りを見つめていたのか。
「こほん、改めてお伺いします。お兄様はどうして……」
「椿を、傷つけたくなかった」
ヴィルヘルムからの答えにマリアはきょとんとした。
「傷つく? 確かにあの身でお兄様の妻になれば周りの者から酷く言われるでしょう。でもそれも覚悟の上でしょうに」
「俺が、椿を傷つけてしまう」
今はクラウディオのおかげで抑えが聞いている。理性は人間のものである。だが、どこかで狼としての本能が戻れば椿の首筋に腕に胸に牙をあてるだろう。
「お兄様、大丈夫よ。確かにお兄様はがさつだし口が悪いし、女性に対してちょっと冷たいのではと思ってしまうけど……」
「マリア嬢」
優しい男の声がした。後ろを振り返るとクラウディオの姿であった。少しばかり疲れた様子である。どれくらい馬を走らせていたのだろうか。
「今は少しそうっとしておいてくれないかい?」
あとは僕に任せてとも言われマリアは仕方ないと部屋を後にした。
椿の部屋で残された二人はしばらく顔を見合わせる。クラウディオの様子から椿は見つからなかったようだ。
「一体どこで」
「他の猫たちにお願いして捜索させている。しばらく待とう」
「待てるわけがないだろう」
だが自分ではどうすることもできない。ヴィルヘルムは次第に小さくなっていく。それをみてクラウディオは今考えていることを知らせた。
「まぁ、犯人は吸血鬼の連中だろう」
「何故それが言える」
捜索道中にゴーレムに遭遇した。マリア誘拐の時に出たあのゴーレムと同タイプである。
「あいつらと同じ組織、もしくはお得意先のアルブシルヴィウスの民だろう」
アルブシルヴィウスという単語を聞きヴィルヘルムはめまいを覚えた。吸血鬼一族にとって椿は随分と固執されているようであった。今頃どんな目に遭わされているかわからない。あの特殊な血を搾り取られているかもしれない。意識のある状態で悲鳴をあげて。それを奴らは楽しんでいるのかもしれない。
ふつふつと湧き上がる怒りにヴィルヘルムは立ち上がり部屋を出ようとした。
「ちょっと待つんだ。今闇雲に出ても椿の行方はわからないよ」
「わかるようになればいい」
その言葉にクラウディオは首を傾げた。ヴィルヘルムが考えていることを予想して嫌な気分であった。
「俺の嗅覚、を人狼のものとして目覚めさせる」
そうすればまだ道に付着している椿の匂いを追いかけることができる。
「君、それはどういう意味かわかっているかい?」
クラウディオはいら立ちながらヴィルヘルムの胸倉をつかんだ。
「人間としての理性のない君をここまで戻すのにどれだけ手間がかかったと思っているんだい。それを自分から元に戻るなんて」
「時間がないんだ。なら、俺は……」
「人狼になってどうする? 理性もない状態で椿を探せるのかい? 道中人間を傷つけないという保証は。椿をみつけてもすぐにその喉笛に牙をあてるだろう」
否定できない。だが、それでも今すぐに椿のもとへ向かうための方法ではないか。
「はい、そこまで」
喧嘩はやめようねと客人が声をあげた。先ほどの客人マルクと、覚えのある男にヴィルヘルムもクラウディオも頬をひきつらせた。
「久しぶりだね。ヘル。その様子だと僕のことは覚えているようだ」
ハンス・フランケンシュタイン。
令嬢を誘拐して拷問機にかけ殺した殺人鬼であった。
「何でお前がここに」
怒りの表情をむける。
「やぁ、血の保存状態があまりよくないしマルクがいったんじゃ控えめの量にしかならないし僕が直接来た方がいいかなと思ったんだ」
マルクがもう一人連れてきたという研究スタッフは彼だったようだ。
「何故お前が研究者?」
「あれ、公爵から聞かされていなかったっけ?」
あのまま投獄されていたが、異種族に関する生態知識があまりにずば抜けており特別に銀十字の研究職に配属されたのだ。お目付け役をつけて許可がなければ基本研究所からでることは許されない。お目付け役はこのマルクのことだったという。
「だいたいの話は聞かせてもらったよ。椿、誘拐されたんだね。残念だよ。新しい仮説の為に彼女の血をもう少し分けて欲しかったんだけど」
「お前は」
「無理にではないよ。協力が大前提さ。一応公爵からはその条件で血を扱わせてもらっている」
鞄をかぱっと開けて、いくつかのシリンジを取り出す。
「彼女の行方を追いたい。使い魔では時間が足りなさすぎる。ヴィルヘルム・エーデルシュタインの人狼の力があれば早く見つかるかもしれない。けど、人狼の力に支配されればそこらじゅうに迷惑がかかってしまう。理性を失うってたいへんだねぇ」
まるで他人事のように笑う。ここでこの男のおしゃべりに付き合っている暇などないのだが。
「まぁ、そんな邪見にしないでくれよ。王都の研究室に届けられた君の血を使って実験を試みて、仮説をひとつ作ってみたんだ。これは君にとって賭けてもいい仮説だと思うけど」
「どんな仮説だ?」
「理性を維持した状態で人狼の力を表出させる」
それに一斉に注目する。わかっていた反応にハンスは面白げに笑った。
「君の血は椿の血によって活性化された。なら沈静化させるのに椿の血は使えるだろうか。暴走するかどうか。それを試みてみたところ、制御可能である仮説が生まれたのだよ。毒は毒をもって制するだっけ」
ちょうどいい言葉が思いつかずハンスは首を傾げた。
「本当に可能なのか?」
「可能かもしれない。一応動物実験では10例中3例で成功できたよ。もう少し成分調整すればうまくいくかなぁって」
「10例中3例て、残りの7例は」
「2例は死亡、5例は同胞を捕食」
その答えを聞きクラウディオは馬鹿らしいと首を横に振った。
「あまりにリスクが高すぎる。とにかく俺の猫たちの情報収集をまとう」
「その間に椿の血がごっそりとなくなってひからびちゃうかもしれないよ」
ハンスの言葉にクラウディオは唇を曲げた。それはないと言い切れない。
「まぁ、死ぬことはないかもね。あの特殊な血を全てごっそり抜き取ってしまうのはあまりに惜しいから死なないギリギリのところまでにおさえてまた回復したところで血を抜き取るという。椿の精神がもてばいいけど」
それともクラウディオは肉体さえ無事であれば精神はどうなってもいいのかなぁと笑うハンスにクラウディオは眉をしかめた。そんなことは決して考えていない。だが、ハンスは頭の隅で考えていた嫌なことをどんどん言ってくる。
「新しく作った薬はこの2種類」
ハンスは鞄から二つのアンプルを取り出した。紙が適当にまかれている。
「こっちが人狼の血を活性させる作用、こっちが沈静化の作用だ。さらに改良できればいいけど、その時間はないだろう」
「頼む」
ヴィルヘルムはその薬をすぐに試させてほしいと願った。
「いい? 死んじゃうかもしれないよ」
「死なない」
椿を残して死ぬわけにはいかない。
「ぷはっ……すごい自信。でも、いいよね。うん、そういう強い意志がある方が良かったりするよ」
ハンスはそういいアンプルを開けた。それをシリンジに引き、注射ばりにつける。
「筋肉注射でも効果はあるからね。まずは活性化の薬、次に少しの量の沈静の薬を。これで暴走せずに人狼の力を発揮できるかもしれない。暴走しそうになった時の沈静化する薬は自分でもっとく?」
「ああ」
「まだ残りがあるなら俺にも預けてくれないか」
クラウディオは二人の会話に入り込み、薬の管理を引き受けた。
「反対していたでしょ」
「ヴィルが暴走するのを防ぐのが俺の役割だ。選択肢はたくさんあった方が良い」
「持ち運びやすい簡単に注射できるものがあるからそれに移しとくね」
ハンスはマルクに頼み、薬を二つの小さな箱にセットした。
「じゃあ、いくね」
活性化させる方の薬をヴィルヘルムの腕に投薬した。痛みが入り薬が中へ入っていく。その瞬間体が熱くなるのを感じる。目と鼻が先ほどよりも鮮明になる。間違いなく人狼の力が復活していた。強い空腹感に襲われていく。
「さて、次はこっちの沈静化の薬」
人狼の力が損なわれないように量を調節して注射していく。空腹感は少し収まっていった。
「たまにこの干し肉を食べるといいよ。それで時々強くなる人を襲いたくなる衝動は和らぐだろう」
何の干し肉かわからないものを袋に詰め込みヴィルヘルムの胸元にしまいこませた。
「人間の肉じゃないよ。鹿の肉を干したやつさ」
それを聞き少し安堵した。だが、気を緩めてはいけない。人狼の力を得て、何とか制御されたといってもいつ暴走するかわからないのだ。
「行ってくる」
ヴィルヘルムは出かける準備をした。馬車の準備は必要ない。そのまま走っていけそうな気がした。向かうのはクラウディオが最後にたどり着いた場所だ。そこから椿の匂いをおいかける。
「待って。馬くらい使おう。人狼の力が出たといっても人間なんだから」
クラウディオに止められ厩へと向かわされた。
厩に入ると中にいた馬たちは怯えて奥へとひきこもっていく。ヴィルヘルムの存在が変わったのを過敏に反応してしまったのだ。
「これじゃ馬を使用できない」
やはり足でいくしかないのかと思うと唯一自分に怯えず前にでる馬があった。椿が最後に乗っていた馬で、おとなしくかしこい馬であった。
ヴィルヘルムはその子を選び、屋敷を飛び出した。その後ろをクラウディオが馬で追いかける。
にゃーっと懐で鳴き声がする。
「よしよし、お前はまだ休んでていいよ」
クラウディオは懐の中に手をつっこみ、中にいる猫の頭を撫でた。




