3 狼の血
昔、エーデルシュタイン家の令嬢が森の中で行方不明になっていた。彼女は菜園が趣味で森の奥にもこっそりと小さな菜園を作っていた。菜園を見て回っている途中に彼女は行方不明になってしまった。人狼に誘拐されたのだ。
森の中には魔除けの鈴が落ちていた。
すぐにエーデルシュタイン家は銀十字に依頼して地方部署に勤めていた若きアルフレート・ベルンハルトが動いた。協力者はクラウディオ・ベルモンド。
森のさらに奥は人狼の縄張りであり簡単には人は入れない。そこに入れるのは異形退治に特化した団体くらいである。
人狼は警戒深くなかなか姿を現してくれない。見つけるのに時間が経ってしまった。
10か月経過した頃に彼はようやく人狼の巣にたどり着けた。
アルフレートとクラウディオは人狼を退治して巣の中に入るとそこにあったのは誘拐された令嬢と赤ん坊であった。茫然と洞窟の中で過ごしていた令嬢はしばらくアルフレートを認識できずにいた。アルフレートは彼女の腕に抱かれている赤ん坊をみて青ざめた。銀色の髪を持つその赤ん坊をみて令嬢と人狼の子供だと理解したのだ。
屋敷に保護した後、どうしたものだとエーデルシュタイン家と話し合いを設けた。当主の長子であったアルベルトもそこにいた。エーデルシュタイン家の当主としては一族から異形を生んだ娘が出たなど世間に知られたくないと隠蔽を願った。本部の銀十字にも報告しないでほしいと。隠蔽をよしとしないアルフレートはしばらくエーデルシュタイン家と口論になった。長く良好の関係を築いていたが壊れる寸前まで。そこを止めたのがクラウディオであった。
彼は生まれたばかりの赤子をふつうの人間の子として育てようと提案した。狼の本能を持った子供をどうできるのだと半疑であったが、クラウディオが秘術を使い人狼であった本能を奥へと封じ込めるといった。五年程時間がかかるが成功すれば赤子はエーデルシュタイン家の正式な子として迎えるようにと言った。当主は成功すればと言い、クラウディオに秘術の場を設けた。
それがこの部屋であった。
部屋に令嬢と赤子を住まわせ、クラウディオは赤子に術式を施し、薬湯を飲ませ続けた。時には暴れることがあったが、それは母親である令嬢が抑えつけてくれた。令嬢は必死であった。恐ろしい人狼に孕まされたとはいえ、生まれた我が子は人の形をしている。狼との生活の中で彼女の拠り所は赤子であった。赤子を生かす為であれば彼女は必死にクラウディオに協力をした。
日に日に弱っていく彼女、同時により人間らしくなっていく子供をみてクラウディオは複雑に感じた。そして約束の時、子供は人として迎えられエーデルシュタイン家の子ヴィルヘルムという名を与えられた。
「ということさ」
クラウディオから語られた話はまるでおとぎ話のような心地がした。
「何故、俺は今……こうして」
「トリガーに触れたのだろうね。椿と一緒に森の奥の菜園にいって何かみたの? 狼でも出会ったのかい? ああ、でも今まで退治した異形の中に人狼もいただろう。その時は何もなかったよね」
トリガーと言われてもすぐに思いつかない。菜園で椿と昔の話をして、そこで椿が怪我をして手当を簡単にした。彼女の血を吸った。
「椿の血……そうか。うん、あのレポートもあながち間違いではなかったのか」
レポートというのはどういうことだとヴィルヘルムは首を傾げた。
「先日、椿を入院させて採血を何度かさせたんだ。その研究員たちが解析して、血の中に微生物を持っていると判明した」
「微生物?」
「その物質は吸血鬼の血を活性化させる。人狼ももしかすると血を活性化させるのかもしれない」
「あの時椿の血を飲んだから、だから俺の」
人狼としての血が目覚めてしまった。
「そういうこと。まさか僕の長年の苦労をここまでふいにしてしまうなんて、ああ、これは彼女には言わないよ。言ったらあの子自分を責めちゃうしね」
でも今回の件でようやく理解できたとクラウディオはさらに語った。
「シェートンの話では例の吸血鬼、ブラウペルレで椿を襲った吸血鬼の様子ではずいぶんと椿を気に入っていたようだ。かなり彼女の血に惹かれていたのだろう。そして、今君も……」
はじめて出会った時を思い出す。
異形と戦っている最中に自分をかばった彼女の姿を。血をたくさん流していたあの姿から強く彼女の姿が頭に刻み込まれたのを覚えている。
「じゃあ、俺は……椿の血にずっと惹かれていたのか」
「可能性は否定しないね」
クラウディオは冷たく言い放った。ヴィルヘルムは茫然と彼を見つめた。
「ここで何と言って欲しかったのかな。そんなことないよ、君の愛は本物だよって……でも、今君はあの子の首筋に牙を」
「やめろっ!」
傍にあったクッションをクラウディオに投げつけた。
「選ぶんだよ。ヴィルヘルム」
クラウディオはヴィルヘルムを見下ろしていった。
「君はここでどうしたい? このまま人狼としての本能を放置していればずっとここに幽閉されたまま。いずれは処分するだろう。アルフレートもさすがに制御しきれないと判断して君を殺すだろう。でもそれは嫌だろう」
人間として生きてきた記憶は十分にある。もとの生活に戻れるのであればそれに執着したい。
「君はまだ無力な人を殺していない。今なら間に合うだろう。僕がそのために君にまた秘術を施そう。君自身の本能をまた奥へと追いやって眠ってもらう。少し時間はかかるができないことはない」
「それで……頼む」
元の生活に戻りたい。ヴィルヘルムは願った。
「ではもうひとつ。椿はどうしようか。また血に触れればまた戻っちゃうし……隔離するのが一番だ。その場合は心配はない。僕があの子を守るから、君は安心して元の生活に戻ればいい」
「俺は……」
口の中の感触を思い出す。先ほど椿の首筋に歯をあて、血を飲んだ時からだが満たされていた。もっと飲みたいと執着してしまう。
「頼む」
椿を俺から隔離してほしい。
のどが引き裂かれそうに痛む。だが、それを口にしてクラウディオははぁとため息をついた。
「んじゃ、頑張って治療を続行しようか。しばらくは門番と会話するのも禁止だからね」
そういいクラウディオは鉄格子の外へと出た。
◇ ◇ ◇
扉が閉じる音がしてマリアは目を開けた。いつの間に外に出たのだろうか。椿が部屋に戻ってきていたのだ。
「あなた、どこにいっていたの?」
マリアは椿の元へと近づき彼女の手に触れた。とても冷えているではないかというと彼女はぐしゃぐしゃの顔で泣いていた。
「ちょっとどうしたのよ」
椿はそのままその場にしゃがみこんでしまった。
「まさかお兄様に会いに行ったの? 面会謝絶だったのに」
「うぅ……」
「大丈夫よ。お兄様ならすぐに良くなって戻ってくるわ」
マリアはそういい椿を抱きしめた。何も言わなかった。
「ふふ、あの時のお返しね」
震える彼女を落ち着かせ、マリアは椿をベッドへと案内した。
「手を繋ぎましょう。こういう時は手を繋ぐのがいいのよ」
マリアはぎゅっと椿の手を握った。冷たい手にはぁっと息をふきかける。
「さぁ、悲しいものは夢に置いていきましょう。ゆっくりとおやすみ」
まるで子供に言い聞かせるような声でとんとんと椿の肩を叩いた。椿はうつらうつらと目を閉ざす。マリアも同時に目を閉ざした。
音が響くことなく扉が開かれる。クラウディオであった。ベッドの方へ近づくとすでに眠りについた二人をみた。話は明日の方がよいかとクラウディオは何も言わず退場した。




