序 新しい友人
あの誘拐事件からというものマリアは椿の部屋を訪れるようになった。手にはいっぱいの本を持ち、椿にいろいろ教えていた。
「どういうことだ」
マリアの椿に対する態度の変わりようにヴィルヘルムは驚いた。
「あの誘拐事件で懲りたようで、椿にも心を開くようになったということだよ」
クラウディオが言うにはマリアは本を持ってきては椿に文学を教え、作法を教えているようである。
「君の妻になるのに君が恥をかかないようにとね」
「教育はクラウディオ、お前に任せているだろう。俺も時間あれば椿に教えている」
そもそもマリアはまだ子供でありまだ学ばなければならない身、人に教えられる立場ではないだろう。
「まぁまぁ、こういうのは教えた方が覚えがよくなるのだよ。それに椿としては同性と会話するというのはあまりない機会だ」
二人が仲良くなることは特に悪いことではないであろう。二人の関係を静観することにした。
「はぁ、椿と馬に乗って散策するつもりであったが」
ヴィルヘルムはため息をついた。だが、まだしばらくは滞在予定なのであわてる必要はないだろう。今晩、日にちを確認して約束をすればよい。
その夜椿は承諾した。
「馬、ですか。わかりました」
だいぶ乗馬には慣れてきた頃である。もう遠くに行くことにも抵抗はなかった。ヴィルヘルムが一緒であれば怖くないだろう。
「最近楽しそうだな」
「はい。マリア様から色んなことを教わっていますので」
よく考えてみれば椿にいろいろ教えているといっても自分とクラウディオは男であった。クラウディオが言っていたことを思い出す。女視点では椿が知りたいが男性には聞きづらいことがあっただろう。そうなると若い娘の知り合いを作れてよかったのかもしれない。
一応エヴァやフローエ夫人もいるのだが、二人とも別の仕事があり椿に会いにきてもらうのは難しかったと思う。
となるとマリアには感謝した方がいいな。
◇ ◇ ◇
こんこん。
クラウディオが部屋でのんびりしているとノックが響いた。どうぞというと現れたのはマリアであった。
「どうしたの?」
「クラウディオ様、作戦を考えようと思いまして」
突然の言い方にクラウディオは首を傾げた。なんの作戦であろうか。
「もちろん、お父様に椿のことを認めてもらう作戦よ。客人として扱っているけど、お兄様の婚約者としては認めてくださらなくて」
何と彼女はあんなに椿に反抗的であったのに今ではすっかり二人の仲をとりもとうと考えているようだ。
「どうしてそう思ってくれたのかな」
「椿はヴィルお兄様のことを本当好きなのよ。お兄様も椿のことが好き」
あの誘拐事件の時に一緒に馬車で待機していると椿は震えながらもヴィルヘルムの方へ向かおうとしていた。怖いはずなのにヴィルヘルムが危ういと感じて、マリアはぎゅっと椿の腕にしがみついて彼女を止めた。
商人が捕えられたあとヴィルヘルムと別々に帰ることになったときも椿は何度も窓の外を見つめていた。
「お兄様のことが好きなのね」
そう尋ねると椿は悲し気に微笑んだのを思い出す。
「素敵だと思うの。好きな者どうし結ばれるべきだと思うわ」
「でも、君は椿を東海の人間だとふさわしくないと言っていたじゃないか」
そういいマリアは顔を赤くした。
「はい、今ではとても恥ずかしいと感じています。東海の方々がこの大陸でどのような目に遭っているか目の当たりにして……少し間違えれば私もあのような非道な行為をする商人と同じになっていたと思うと恐ろしい」
商人に捕えられた時にマリアがみたものは東海の奴隷が暴行を受けているところであった。痛めつけられ、もはや泣くこともできなくなった奴隷をみてマリアは恐怖に震えた。
「あんな恐ろしい目に遭っていたかもしれないのに、椿は私を許してくれたの。今では大事なお友達よ。お友達には幸せになるべきだと思うの」
「実に素晴らしい意見だ。マリア。多くの人々が君のように考えれば、不幸な人は減るだろう」
「そんなたいそれた話はわからないわ。ただ、椿が幸せになればそれでいいと思うの」
「そうだとも。目の前にいる隣人の幸せを願う、これが大事なことなのさ」
そういいクラウディオはしばらくマリアの話に耳を傾けた。
マリアの心の変化には喜ばしいことと考える。同時に自分は彼女のように考えることはできないなと思った。自分は自分の価値観のまま動いている。優先する存在と後回しにする存在、それにすら組されない者がいる。優先が高いのは椿、マリアは優先は後回しの存在である。今もそれは変わらない。だからこそ彼女には敬意を示していた。
話していくがなかなか良い案が思いつかない。まずはマリアとしては兄の固い頭を柔軟にしていくことが優先だと判断した。果たしどう行動するのか今後の楽しみとしておこう。
「そうだわ。これを」
マリアは獣肉の干物を取り出した。
「あの猫にあげたいの。お礼に」
「ああ、そうか」
クラウディオはぱちんと指を鳴らした。にゃーおと彼の足元から白い猫が現れた。
マリアは猫に対して干し肉を渡すと猫は嬉しそうに尻尾をふりむしゃむしゃと食べていた。
「可愛いわ。名前は何というのかしら」
何度も見かけていたが名前は知らなかった。
「ビアンカだよ」
真っ白な毛並みだからそのままその名前をつけたのだとクラウディオは笑った。
「猫のビアンカ……聖女ヴィヴィアナの愛猫と同じ名前ですね」
「マリアは物知りだね」
古典を読んでいればそれくらい知っているとマリアは唇を尖らせた。まだ幼いながら異国の文学にも触れている。
「クラウディオ様がユリウスの古典読破とユリウス語を獲得したらユリウス国へ観光に連れて行ってくださるといったのに」
「おや」
先程まで忘れていたが確かにそんなことを言っていたような気がする。だが、それはマリアがもっと幼い頃、ナイフもフォークも区別付かなかった頃である。覚えていたとは思いもしなかった。
「もう、わかっていましたが、レディに対して守らない約束はするものではありませんよ」
「はは、すまなかった。そうだね、ユリウス国への観光はさすがにあのお父様がお許しにならないだろう」
だが代わりにに好きな戯曲の舞台へ連れて行ってあげよう。
「本当ですか?」
「それくらいであればあのお父様も許してくれるだろう」
マリアはぱっと明るくなった。きっとですよ。




