3 脱出の時
馬車に揺られて向かった先は町を通り、人通りの少ない道へと進んでいった。
少し不安になるが、胸元にある白い猫のおかげでいくらか解消された。猫は愛らしく鳴き椿の胸元にすり寄る。
指定の場所に近づくと、椿は馬車を出た。そこからは徒歩で向かわなければならない。
すたすたと歩いていき、その後を白猫があとを追いかけていく。
両手で大きい鞄を抱えて歩いていき、馬車からだいぶ離れたところで指定の場所へとたどり着いた。
時計をみると指定より10分早めについてしまったようだ。そのあたりで座る場所があるが椿は立ったままぎゅっと重い鞄を握り締め誘拐犯を待った。
こつこつと音がするとぎゅっと椿は拳を強く握りしめ相手の姿がみえるまで待った。
「お待たせして申し訳ありません」
誘拐犯というのでもう少し荒々しい口調の男だと思ったが、相手は思いのほか穏やかな雰囲気を持つ男であった。
「約束通り来ました。マリア様はご無事ですか」
質問に対して落ち着いてと男は静止した。
「あなたが私の指示通りにしていただけるのであればマリア嬢はお返ししましょう」
「彼女は無事ですか?」
「ええ、前日まできんきん金切り声で泣きわめいていましたが今はだいぶ落ち着いておいでです」
それを聞き心配が強くなる。何か無体を働いたのではないかと男をにらんだ。
「いえいえ、エーデルシュタイン家のご令嬢を傷物にするなどできませんよ」
「彼女に会わせてください」
「もちろん……あなたの鞄の中身も確認しなければなりませんし、こちらへ案内いたします」
男はくるりと身をひるがえし椿を案内した。椿が来た場所とは反対方向へと歩く。先には階段があり、下の方を見ると馬車がとまっていた。そこに入るようにと促され椿は中へ入った。
「失礼」
男はきゅっと椿を目隠しした。視界を遮られたが、言う通りにするようにと男に指示され椿はおとなしくした。馬車が揺れ動く中膝に乗せた鞄を大事に抱える。
「あの……白い猫は?」
「猫? 猫がどうしましたか?」
どうやら椿が馬車に乗ったとき姿はみられなかったようである。おいて行ってしまったのかもしれない。
そう思うと足元にふわりとした感触が覚え椿はびくりと震えた。
「どうしましたか?」
足といいそうになるが男は首を傾げ何もありませんよという。確かにふわりとした毛並みの小さなものがいたはず。だが男にはみえないようである。
馬車に揺られながらたどり着いたのは古びた館であった。内装は崩れてて椿は地下の方へと案内された。地下には牢屋が並んでいて、鞄を奪われると牢屋の中へ放り込まれてしまった。
「それではここでお待ちください。中身を確認して、今後のことを決めてからマリア嬢はお返ししましょう」
そういい男は地下から姿を消した。
「あなた」
か細い少女の声がして椿は目隠しを外した。
「マリアさん」
疲れた様子の彼女は怯えながら椿を見つめた。
「来ないで……」
小さな肩はふるふると震えていた。
「あなた、もう知っているのでしょう。私があなたを陥れようとしていたというの」
それを聞き椿は悲し気に眉を寄せた。
「どうして来たの? お父様に言われて……それとも私を罵倒に来たの?」
いいえと椿は彼女の方へ近づいた。来ないでと怯えた声の中椿はマリアを抱きしめた。体はひどく冷たく震えていた。この地下では十分な暖はとれないだろう。毛布をよこされても使う気にもなれない。
「怖かったでしょう……大丈夫です。あなたをエーデルシュタイン様の元へお返しします」
にゃーと鳴き声が響いた。いつの間にいたのやら椿の傍に白い猫が現れた。
「白い猫? ……クラウディオ様の?」
「はい、ベル……クラウディオ様の大事なご友人です。私たちを助ける為についてきてくれたのです」
猫はくるりと身をひるがえし牢屋から外へと出て行った。偵察だろうか、それともどこかにいるクラウディオたちに自分たちの居場所を知らせに行ったのだろうか。
クラウディオという名前を聞いてマリアの瞳が揺らぐ。
「クラウディオ様の猫? じゃあ、助かるの?」
「はい」
椿がそう笑顔で答えるとマリアの瞳が潤んでいった。彼女はそのまま椿の胸に顔を埋めわぁわぁと泣いた。
「もうおうちに帰れないと思った……よかった」
ぐずぐずと泣くマリアの髪を椿は撫でる。ここで一人過ごすのはどれだけ心細かっただろう。
しばらくしてから白い猫は鍵の束をもって戻ってきた。
「ここから出ろといっているの?」
椿が訪ねると猫はにゃーと鳴いて肯定した。内心どうしようと悩んでしまった。帰り道はきちんと確認できていない中外をでるのは危険ではないか。もし誘拐犯たちに見つかったら命が危ういのでは。ここでマリアまで危険な目にあわせてはよくない。
「行きましょう」
マリアは立ち上がり椿にいった。先ほどまで泣いていた姿とは反対の凛とした声であった。彼女は鍵を拾い牢屋を開けた。
「あの、マリア様……」
「クラウディオ様の猫が出るように言っているのならそうした方がいいのよ」
クラウディオに対して妙に信頼を持っているようだ。
彼女はすたすたと牢屋を出て椿にも出るように言った。
「わかりました。私の傍を離れず……歩けますか?」
「ええ」
猫が案内するまま椿たちは地下から脱出をはかった。地下からあがるとぼろぼろの内装の館をみてささっと歩く。猫が案内するのは洗濯所として使用されていた部屋であった。そこから難なく外へと出れた。
「案外セキュリティが甘かったのね」
見張りを用意していると思っていたが、館のいたる場所に配置させるほど人数は確保できていないようだ。牢屋の外に誰もいないとは思いもしなかった。
「マリア様が誘拐したのは何人程でした」
「二人よ。無口な男が二人……馬車で運ばれて」
マリアを取り押さえたのは無口な男二人であった。
「彼らは奴隷商人と聞いていたわ。何度かうちにやってきてお父様に奴隷なんて必要ないと追い返されていたの。私がお庭で遊んでいるときに何か縁があれば声をかけてくれと名刺を渡されたわ」
今自国では奴隷売買は規制されている。他国であればまだ奴隷は存在しているが。
あのまま警察に送ればよかったのだろうが、マリアの父親は警察に言わない代わりに二度と訪れるなと追い返されていた。
「お父様にも知られないようにあなたを追い出せると思って……あなたを売人に売り渡そうとした」
マリアの手がぎゅっと椿の手を握った。
「こんな怖いなんて思わなかった……」
捕らえられて一人あの牢屋に放り込まれて怖くて仕方なかった。それなのに椿はマリアの為にここまで来てくれた。商人たちの要求など跳ねつければよかったのに。アルベルトに命令されるかもしれないが、椿が嫌がればヴィルヘルムもクラウディオも彼女の味方になっていただろう。椿としては自分を奴隷売買に引き渡そうとしたバカな娘の為に動く義理などないのだ。
なのに彼女はここまで来てくれた。一言も責めることなくマリアを抱きしめてくれた。
「ごめん、なさい……」
ただ一言謝る。
それに椿はにこりと微笑んで、話はエーデルシュタイン邸に戻ってからにしましょうと答えた。
館の外は草木が生い茂った森の中で、椿は猫の後を追いかけながらひたすら歩き回った。
「マリア様?」
少し歩きが遅くなっているマリアをみて椿は首を傾げた。彼女は何もないというが、ちょうど座れる場所で腰をかけるようにいい彼女の足をみた。足にマメができていてずいぶんと痛そうであった。いつから我慢していたのだろう。
「でも、歩かないと。あいつらにもう逃げてるのばれているでしょうし」
「そうですね」
椿は彼女に背中をみせた。
「私が背負います」
「でもあなた……」
「急がないとダメでしょう」
そういわれてマリアは椿の背中に自身を預けた。猫の鳴き声をもとに椿は歩き続ける。
「私から行きましょうと言ったのに、ださいわね」
マリアの自嘲に椿は首を横に振った。
「ですが、何故あそこまで外に出るのに意欲的だったのでしょうか」
実際ヴィルヘルムたちが助けにくるまで待っておいた方がよいとも思えたが、マリアが選んだのは猫の指示のまま外へ出るということであった。
「クラウディオ様なら何とかしてくれると思ったの……あの人は魔法使いだから」
「魔法使い?」
そうよとマリアはつづけた。
「はじめて出会ったのは私が3つの頃……おばあ様から教えてもらったの。彼はヴィルお兄様の為に異国から呼び寄せた魔法使い」
「どうして……呼ばれたのでしょうか」
「お兄様は悪い魔法使いに呪いをかけられていたの……」
マリア自身生まれる前のことであったがヴィルヘルムはあの館の離れで療養をとらされていた。悪い呪いにかけられて家のものを壊し、人をよく傷つけてしまっていた。
「お父様もおじい様も頭を抱えて……銀十字のつてを頼りようやく来てもらったのは異国から来た魔法使い、それがクラウディオ様だった」
クラウディオにみてもらってからヴィルヘルムの呪いは薄れていき通常の人らしく生きることができた。その間、クラウディオが家庭教師を買って出ていたという。
「あれ、ですが以前クラウディオ様は女性の扱いに不慣れなヴィル様の為に呼び寄せたと」
以前フローエ婦人が言っていたような気がする。
「そうよ。ヴィルヘルムお兄様がだいぶ落ち着いた頃にはクラウディオ様は一度我が家から離れていたの。しばらくしてお兄様が都会にあがって社交界での言動をみたフローエおば様が呆れてクラウディオ様を再度呼んだのよ」
「そうでしたか」
「私、クラウディオ様の魔法を何度かみたことがあるの。ああ、確かにあの人だったら悪い魔法も解いてくださるでしょうと」
だから白い猫がクラウディオの使い魔だと知ってマリアは恐れず猫の指示に従ったのだ。
「きっとクラウディオ様、私のことを幻滅してしまったでしょう」
「………」
「あなたのことをたいそう気に入っていたもの。私のことは見捨ててしまえと思ったでしょう」
それに関して椿はどう返事すればいいかわからなかった。
マリアの感情の矛先が自分の方へ向けられる。
「あなたも思っているでしょう。どうして私なんか背負っているのだろうと」
「いいえ、私はただ……あなたが怖い目から早く解放されればと思っていました」
椿はくるりとマリアの方をみた。きちんとマリアの顔をみれていなかったが、少しでもこちらをみているとわかるように。
「怖いのは嫌ですから」
マリアはじっと椿を見つめた。
「ごめんなさい」
ただそれだけ彼女は呟いた。




