2 誘拐事件
こんこん
深夜にノックする音がして椿は首を傾げた。館の誰もが寝静まった時刻に誰が来たのだろうか。
ヴィルヘルムかもしれない。
椿はベッドから起き上がり、鏡をみて髪の乱れを整えた。
がちゃりと扉を開けると金髪の幼い少女が立っている。
「あなたは……」
館の主の娘であるマリアだった。
はじめて出会ったときの厳しい言葉を思い出し椿はぎゅっと手を握り締める。
「マリアよ。あなたにお話があって………」
「私に? 寒いから中にお入りください」
椿は彼女を部屋の中へと案内した。とぼとぼと落ち込んだ様子のマリアはゆっくりと中に入る。椿に言われるままソファにかけた。
椿はソファにかけず、床に膝をつき彼女に視線を合わせた。
「………あの、今さらで申し訳ないとおもっているの」
マリアはぎこちない声で椿に言った。
「ごめんなさい。はじめて会った時、失礼なことを言ってしまって」
謝罪に椿は驚いた。
「お兄様があなたを大事にしているとは気づかず酷いことを言ってしまったわ。お父様はまだお許しなさっていないけど、私………あなたたちを応援したいの。あと、お詫びもしたくて」
その言葉に椿は微笑んだ。
「ありがとうございます。お詫びは不要です。その言葉だけで十分ですので」
椿は辞退しようとしたが、マリアはダメよと強く彼女に言った。
「私の気が収まらないわ。あなたには特別に私の大事な場所へ連れて行ってあげる」
「大事な場所?」
「そうよ。とても良い景色なの。朝日が昇る瞬間にみれる景色だから、ぜひあなたを案内したいの」
だからこの時刻に訪れたという。
「わかりました。ですが、今は夜で危ないです。ヴィル様たちが起きるまで待ちましょう」
「今じゃなければいけないの。今が一番良い時期で明日みれるかわからないわ。大丈夫、私が普段いっている道で安全だわ」
今であるといって聞かない少女に椿はため息をつき、共に行くことにした。
「馬に乗るから、準備が整ったら厩へ来てね」
マリアはそういい自分の部屋へ戻っていった。彼女も外出用、馬に乗る衣装に着替えるという。
椿は洋服箪笥から用意された衣装に着替えた。髪を結いあげ、準備を整える。馬にのるということは随分遠くなのだろうか。やはりヴィルヘルムに一言言った方がいいかもしれない。
お休みのところ起こすのは申し訳ないが、万が一の時の為に知らせておこう。
「どうしたの?」
真夜中の廊下を歩いていると後ろから声をかけられた。
「ベルさん」
後ろを振り返ると柔和な微笑みがあり、椿はほっと胸をなでおろした。
「こんな夜遅くに外に出るの? 真っ暗なのに」
椿の夜の装いをみてクラウディオは首を傾げた。
「ええ、と……馬の様子を見に行きたいなと思いまして」
適当な言い回しをしながら椿は目を泳がせた。
「ふふ、君はとても嘘が下手だね」
「あの、見逃してください」
「それは内容を聞いてから判断しよう。何しろ僕は君の教師で保護者のようなものだからね」
実際の保護者はヴィルヘルムであるが、クラウディオも椿の身を案じる上で大事に思っている。
「内緒なのです」
理由を聞かないで欲しいといってもクラウディオは笑って首を縦にふってくれない。このまま後ろについてきそうな勢いである。
椿は観念して理由をいう。
それを聞きクラウディオはそうなのか、遅くならないですぐに戻っておいでとすぐに言い椿を解放してくれた。ほっとした椿はそそくさと言われた集合場所を訪れたが、そこには誰もいなかった。
木をみると白い紙が貼られていた。ナイフで固定されていて何が書かれているのだろうとみてみる。
「誘拐だね」
後ろから声がして椿は悲鳴をあげそうになった。それをクラウディオが抑える。
「クラウディオ様、どうして」
確かあのまま解放してくれたではないか。
「ごめんね。君の後ろをこっそりつけていたんだ。だってあんなに君に敵意むき出しだったマリアが心変わりするとは思いづらい。これは何かあるなーと思ったらややこしいことになったようだ」
「どういうことでしょうか」
「見ての通りだよ。マリア嬢は君をはめて人さらいに差し出すつもりだった。だけど、逆に自分が誘拐されたんだよ」
「そんな」
椿は林の中へ入ろうとした。まだ近くに人さらいがいるかもしれない。それをクラウディオが抑え込む。
「とりあえずこの館の責任者たちに知らせた方がいいだろう」
◇ ◇ ◇
夜間にクラウディオはヴィルヘルムの部屋を訪れて、事情を話した。ヴィルヘルムはまずは兄にこのことを伝えようと部屋を出ようとした。椿もついていこうと思ったが、ヴィルヘルムは自分の部屋で待機するようにと伝えた。
ですが、と不安げに呟く彼女にヴィルヘルムは頬を撫でて頼むと言われると椿は頷きヴィルヘルムの部屋で待機することにした。
ヴィルヘルムは館の主の部屋を訪れ、クラウディオの話を聞いてアルベルトは頭を抱えた。使用人を集めてマリアを探させたら、どこにも見つからない。
「マリアは本当に攫われてしまったのだな」
ようやくクラウディオの話を受け入れることになった。だが、ひとつだけ受け入れられないのはマリアが椿を陥れようとしていたことだ。
「マリアが椿を人さらいに攫わせようとするなど考えづらい」
「ですが、この夜間に椿を人目を忍んで誘拐された場所へ誘導するなどおかしいです」
それでも己の娘がそのような行為を実行するとは思いにくい。いくらクラウディオでも娘を陥れた言い方はやめろと苛立っていた。
クラウディオはため息をついた。
「まぁ、それでもマリア嬢を見つけ出すことが先決でしょう」
「そうだな」
すぐに使用人たちに新しい指示を与えた。そしていつでも身代金を差し出せるように指定の金銭の準備をした。
「旦那様」
使用人は新しい紙を発見したと主人のもとへと届けた。新しい指示のようである。金銭を鞄に詰め込み指定の時刻、場所へもっていくようにと書かれている。その内容をみてアルベルトは深く嘆息した。
「椿を呼んで欲しい」
ヴィルヘルムにそう告げた。首を傾げて、紙の内容を確認すると椿を金銭の鞄を運ぶ人間として指定していた。
「ダメです。認めません」
いくら兄の頼みであろうと椿を危険な目に遭わせるわけにはいかない。だが、少しでも指示に反すればマリアの身は危ういとさえ書いてある。
アルベルトはヴィルヘルムの肩を掴み、頼むと懇願した。兄にここまで頼み事をされることがなかったヴィルヘルムは話はしてみるとだけ言った。だが、椿が少しでも恐怖を感じているようであれば行かせるわけにはいかないと。
「むしの良い話だよ。結婚相手と認めようとしない、相応しくないから別れるようにと圧力かけていたのに」
「マリアは兄上の大事な一人娘だ。かなりの難産であったというから目に入れても痛くない程大事になされていたんだ」
「僕も何とかしたいという気持ちはあるが、でもあれは自業自得、自分から墓穴を掘ったのだ」
「だからといって見捨てるわけにはいかないだろう」
「僕にとっては椿の方が大事だよ。君は?」
突然このような言葉を言われヴィルヘルムは動揺した。このクラウディオがここまで言うのは珍しい。
「ヴィル様、どうされましたか?」
話し声が聞こえて椿は部屋から出てきた。
「いや、兄から話があるんだ。出られるかい?」
「もちろんです」
椿は二人に案内されアルベルトの部屋へと向かった。アルベルトから話を聞かされ、マリアを助ける為に金銭の入った鞄を指定の場所へ届けて欲しいと懇願された。
「マリアを助けたいのだ。頼む」
「わかりました」
椿はあっさりと引き受けた。クラウディオは耳打ちした。
「別に断ってもいいんだよ」
それに椿は首を横に振った。
「私がそうしたいのです」
そういうとクラウディオは仕方ないと引き下がった。
指定の時間まで十分余裕がある。それまで馬車の手配をさせた。馬車でぎりぎり近くまで椿を届けようというのだ。椿は紙の内容を確認して人さらいにわかりやすい特徴の衣装を着ることにした。館から一番近い色の衣装を借りて身に着ける。
準備をしている間に部屋にヴィルヘルムが訪れた。ヴィルヘルムは椿の部屋の中、長椅子に腰をかけた。
「俺も近くまで一緒にいこう」
「ですが、館の者がいるとわかれば約束違反になるのでは」
そうはいっても椿を一人きりで誘拐犯の元へ行かせるわけにはいかない。
「まぁまぁ、館の人間ではないなら大丈夫なのだろう?」
クラウディオが手をあげて自分にまかせてくれと言った。
「お前も館の人間とみられる可能性がるが」
「そうさ。だから、僕の頼れる仲間に頼るのさ」
そういうとにゃーと猫の鳴き声がした。白い猫が迷い込んでとことことと椿の傍まで近づいた。あまりのかわいらしさに椿は思わず頬がゆるんでしまう。
「どこかでみたなと思ったらあの時の……」
椿は思い出しながら猫を抱きしめ頭を撫でた。
あの時という言葉ではじめは首を傾げた。しばらくして思い出した。椿とはじめて出会った頃に外に出てた椿の傍に寄り添っていた白猫だった。では、あの時椿が街中で迷ってしまってもクラウディオが助ける予定だったのか。
「この子は僕の大事な相棒だよ。君に何かあれば僕に知らせてくれる」
猫であれば誘拐犯も気にしないだろう。
椿は早速アルベルトに指示されるまま指定の衣装に着替えた。すぐに誘拐犯がわかるように指定の色合いの衣装である。白と赤を基調とした衣装を着て椿はアルベルトから金銭の入った鞄を与えられた。
「あなたに頼むのは本当にすまないと思うが……マリアの為に頼む」
「わかりました」
自信はないが、誘拐犯と接触するためにはこれが一番なのだ。椿は馬車に乗り言われるままの場所へと向かった。
しばらくした後にヴィルヘルムとクラウディオは別の馬車で椿の向かった同じ方向へと向かった。




