1 少女のたくらみ
ヴィルヘルムは部屋に戻った後、椿に用意された部屋へと訪れた。すでに夜の身支度をすませておりナイトドレスの姿であった。
「どうかなさいましたか?」
頬に触れると冷たく、部屋の中をみるとベランダの戸が開かれていた。このような薄着で外の空気に触れていたというのか。
「外は冷える。せめてもう少し着ておけ」
そういいローブを肩に羽織らせると椿は萎縮した。
「す、すみません」
「何をみていたんだ」
照れたように笑い椿はベランダの外の光景をみやった。
「星と山をみておりました」
何の変哲もない光景、幼い頃に何度もみた光景で目新しく感じられない。
「国にいたとき、真夜中によくみておりました。夜の星を月を、山と海、風の音」
何をすることもない。ただ親の死後の安寧を願うだけの日々。食べ物は故郷の者が先祖からの言い伝えを信じてお供えものを持ってきてくれたから村へ行く必要がなかった。行ったとしても気味悪がられるだけだったから。
「ずっとそう過ごしていたのか?」
「はい。ヴィル様には無駄な時間を過ごしていたようにみえるでしょう。何かをすることもできず、村にいくことも恐ろしくて、旅に出る度胸もありませんでした」
旅に出れば自分のことを知らない村々を渡り歩けばまだ違ったかもしれない。尼僧に扮し、行く村でお経を唱えたり文字を教えるだけでも人の役に立てたかもしれない。
「何でそのようにしなかったのでしょう」
改めて考えた。理由は怖かったという一言のみであった。
「俺と一緒ならどうだ?」
ヴィルヘルムの言葉に椿は首を傾げた。
「俺と一緒なら怖くないか」
ヴィルヘルムはぐっと椿の腕を引っ張り自分の胸の中におさえこんだ。
「お前とともに旅をするのも悪くないかもしれない」
その言葉に椿はどう答えていいかわからなかった。だが、彼の腕の中はあたたかくてひどく安心する。
「でもヴィル様には守る家があるでしょう」
ヴィルヘルムは椿の頬をとらえそっと顎をなぞる。そのまま顔を近づけ彼女の唇に自身のものを触れさせようとした。椿は両手でそれを遮った。
「すみません。あの、やはりあの話はなかったことにしませんか」
あの話というのはヴィルヘルムからの求婚のことである。
「私はあなたに相応しくありません」
「それは俺が決める」
「何も持っていないですし、あなたの足を引っ張ってしまいます」
妻となればそれはヴィルヘルムの顔の一部になる。異邦の者、しかも身分もない、しかも人とは異なる存在。ヴィルヘルムの重荷になってしまうだろう。
ここに来るまでの間、ヴィルヘルムから求められてうれしいと思っていた。しかし、今日彼の兄、姪に出会って考えてしまった。以前の社交界、ハンス・フランケンシュタインの際に令嬢から言われた言葉も同時に思い出す。
このようなことはこれから何度でも起こるだろう。
ヴィルヘルムであれば守ってくれるだろう。気にするなと言ってくれるだろう。
自分がいつもしてもらうばかりでつらくなる。
「すみません。もう休みますので、お引き取りください」
そういいながらヴィルヘルムに背を向けようとしたが、ヴィルヘルムが椿の肩をつかみ抱き寄せた。
「あの、本当にわからないのです。どうして私に」
「何故だろうな。はじめて会ったときのことを覚えているか?」
海外で得た異形のものたちを売買するため積み込んだ船、そこで椿は囚われていた。他に囚われていた怪物との闘いで椿は身を挺してヴィルヘルムを庇った。
「あの時からお前は俺の中で鮮烈に刻み込まれていた」
いや、その前から囚われていた椿の姿は妖精のように美しくヴィルヘルムの心を動かしていた。それを言うと照れ臭いので言わないが。
「忘れようにもお前を忘れることができない。仕事中もときどきお前のことを考えてしまう」
その感情が何か理解するのに時間がかかった。
「俺はお前が好きなんだ。はじめてであったあの時から」
だからこそ傍にいてほしい。
「お前が嫌だというのなら仕方ないかもしれない。他に好きなやつがいるならそれでもいい」
「わ、私は………」
悩んだ末にようやく口にした拒絶の言葉なのに、ここでさらに言えばすむことである。嘘でも他のもののことが好きなのだと言えばヴィルヘルムもあきらめるだろう。それが彼の為になるのであれば。
だが、椿にはそれはできなかった。
「私もあなたをお慕いしております」
顔を真っ赤にしていう姿、その額にヴィルヘルムはキスを落とした。
◇ ◇ ◇
椿ははぁとため息をついた。
ここまでくればもう後戻りはできない。
ヴィルヘルムが兄弟とともに話し込んでいる間にクラウディオに頼み込んだ。教育を徹底してほしいと。
「君は優秀な子だよ。飲み込みも早い。でも、今はほどほどの速さがよいと思うけどな」
「ですが、今のままではヴィル様の横に立つにはあまりに拙く」
婚儀までにできる限りのことができるようになりたい。他の婦人たちに萎縮してしまわないように。
「わかった。帰ったら特訓だね。そうだ」
クラウディオは思いついたように椿を厩へとつれてきた。
「折角草原にいるんだし、馬の練習でもしようか」
「馬ですか」
椿はうーんと困った顔をした。
「どうしたの? 馬に乗るのは初めて?」
「いいえ、使用人に手綱を引いてもらいながらですが。馬術は殿方の嗜みと思っていたので」
今まで自分から馬に乗ったことはなかった。
「折角だし、このあたりを駆けるのも気持ちいいと思うよ」
クラウディオは一番おとなしい馬を選び椿にそれをあてがった。自分の国より大きな馬に椿は少し怯えながらもクラウディオと一緒であればと頷いた。
はじめはクラウディオが乗った上で自分が鞍に乗る状態である。視界の高さに少し怖いと感じる。
「大丈夫。この子は良い子だから。少し歩いてみようか」
クラウディオは手綱を操り広場を走らせた。少し走らせたところで手綱を椿に持たせて馬の指示の出し方を教えた。
椿は硬直しながらクラウディオのいわれるまま馬を動かせる。
「そうそう。うまいよ」
はじめはうまくいかなくてもクラウディオに何度も言われるまま繰り返すと馬もようやく椿の指示に従うようになった。
その日から椿はクラウディオとともに馬の練習を始めた。
「あいたた」
乗馬を続けてお尻が痛む。傷はすぐに治るのだが、痛み自体は長引くことがあった。
「馬、か」
ヴィルヘルムは椿の腰を撫でながら考えた。
「なぜそんなことを」
「その、貴族の女性も嗜んでおられると聞き………早く上達したくて」
おずおずと答える椿の言葉にヴィルヘルムは深くため息をついた。
「まだお前には早いと思っているが」
「ですが、せめてあなたが恥をかく回数を少しでも減らしたくて」
「異国から来た妻を急かす男と思われる方が恥だ」
「………」
ヴィルヘルムは椿を抱き寄せて頭を撫でた。
「お前は十分よくやっているよ」
短時間の間でここまでのヴィルヘルムの言葉を覚えた。礼儀作法も悪くない。
「ありがとうございます。ですが、折角時間がありますし。これだけ広い土地なので練習はしておきたいです」
「なら明日、俺も一緒にしよう」
「え?」
「馬の練習」
「そんな、兄上との大事な話があるでしょう」
「昼は確かに話し込んだりやらなければならないことがあるが、午後3時には一緒にできるだろう」
ヴィルヘルムは有無を言わさず明日の練習時刻を伝えた。その間はクラウディオと本でも読むようにと言われて。
それから数日、椿はヴィルヘルムとクラウディオとともに馬の練習をしていた。
「うん、上手上手。そのまま向こうの木まで駆けてみて」
隣で同様に馬を駆るクラウディオはそう言いながら椿に指示をする。椿はまだ表情硬いが言われるまま木まで必死に馬を駆けさせた。
手綱の握り方は簡単にであるが覚えた。簡単な遠乗りであれば近日中に可能であろう。
「椿は上達が早いな」
教師として鼻が高いよというクラウディオにヴィルヘルムは睨んだ。
「まだぎこちない。あれではいつ落ちるかわからない。クラウディオ、教えるならきちんとそこらも見てやるんだ」
「はは、大丈夫さ。椿が落馬しそうになったらすぐに助けてあげるさ」
クラウディオは呑気に笑い、必死に走っている椿の後を追った。
その三人の様子を窓から眺めている少女がいた。館の主の娘・マリアである。彼女は眉間に皺をよせて三人を眺めていた。
「なんと図々しい………お兄様とクラウディオ様に教えを乞うなど」
ヴィルヘルムが花嫁にと望んでいる女性のことを未だに認められずにいた。あんな遠方の東の島から来た女性など、山から来た猿のようなもの。貴族たちの良い笑いものになってしまう。
何としてでもあの女をヴィルヘルムから遠ざけるにはどうすればよいのか。いなくなればよいのだと思いついた彼女は急いで侍女に指示を出した。
確かこの地方には人さらいがいる。その者に小遣いをはたき椿を誘拐させればよいのだ。
誘拐者の元に手引きするにはどうすればよいのか。
芝居を思いつきマリアはにやりとほくそ笑んだ。




