7.事件のあと
速く走らせたおかげで冷え込む前に館へ戻ることができた。
館には男が出たり入ったりしている。ここの使用人であろうか。
馬に乗って近づくシェートンたちに気づき男は館の中へ入った。しばらくして入れ替わりでヴィルヘルムが飛び出してきた。
「椿っ」
「眠っています。だが、急いで医者にみせるといいでしょう」
そういいシェートンは椿をヴィルヘルムに手渡した。シェートンは首を示し、そこをみてヴィルヘルムは首を傾げた。特に異常らしい異常はないが。
「傷はなくなっています。だが、吸血鬼に噛まれました。一応異常がないかチェックはしておいた方がいいでしょう」
その言葉を聞きヴィルヘルムは激しく後悔した。
例の化け物が逃亡したと知った時はじめに安否を確認していればよかった。
その時に彼女の身辺を守るため自分の目の届く範囲においていれば。
悔しさを感じヴィルヘルムは椿を抱きしめた。
「早く中で休ませてあげましょう。夜の港町も結構寒いんですよ」
そういわれ急いで椿を部屋へと連れて行った。クラウディオに事情を話し、急いで医者を呼ばせた。
施設から呼び寄せた医者にいろんな場所を診てもらったが、吸血鬼になる徴候はないと判断された。
彼女の持つ能力『治癒』のおかげか。
安堵しているとシェートンが部屋で待機しているのを思い出した。椿のことは医者に任せ、シェートンに話を聞くことにした。
「みたのか? 吸血鬼を」
「ええ、生意気なくそがきでしたよ」
シェートンは肩を揺らして答えた。
「お前は何者だ」
「貿易と卸売を少々」
「ただの商人が吸血鬼と渡り合えるか」
「銀十字」
その言葉を聞きヴィルヘルムは反応した。こんな男の存在は知らなかったが、銀十字の単語を知っているということは関係者か。
シェートンはにやりと笑って続けて言った。
「………ではなくただの協力者です」
今回の密売の件の情報を収集していたのは彼自身であった。
倉庫から異端者の匂いが酷いので早々に何とかしてほしいと。
その通達相手は以前より懇意にしていたフローエ夫人であった。
彼女はこれを受け取りしばらく考え込んだ。
シェートンが別宅にいるスタッフに伝えるのではなく、フローエ夫人に伝えたというのは本部の人間が派遣された方がよいと判断されたためだ。
そこで彼女は甥のヴィルヘルムを派遣するということであった。ついでに椿も連れていき刊行も楽しませようと考えたのはシェートンには予想しないことであったが。
無論フローエ夫人も密売者、異端者が存在する港町へ行かせるのは危ないと考えていた。しかし、ヴィルヘルムとクラウディオがついていれば問題はないだろうとすぐに判断したのだ。
それがこんなことになるとは。
フローエ夫人の甘い判断にあとでちくりと言っておこうとシェートンは思ったが、口にしなかった。
しかし、ヴィルヘルムは彼女ひとりを責めることはできなかった。
自分自身も密売者と密売品にされている異端者の件に関わらせないためにこの館にいれば安心と考えていた。
「シェートンだったか。椿を助けてくれてありがとう」
シェートンは無表情で礼をはねつけた。
「私がかけつけた頃にはあの子はすでにアルブシルヴィウスの吸血鬼の毒牙にかかっている。吸血鬼の仲間入りを果たしている可能性がある」
それを聞きヴィルヘルムはめまいを覚えた。
今一番恐れていることである。
「早めに迎えに行けば………」
密売者を捕らえた日の夜に様子だけでもみにいけばよかった。それだけでも違ったかもしれない。
「全くだ」
追い打ちをかけるようにシェートンはヴィルヘルムを責めた。彼の言葉は先ほどまでの丁寧さは消えていた。これが素の姿なのだろう。
「あの娘が異端者だから守る必要がないと考えていたのか」
「そうではない」
「では何故ここに置いていた。危険な奴が町を徘徊しているとわかっていた段階で、非戦闘の何も知らない女使用人しか傍に置いて」
「………ここが安全だと思っていた。手負いの吸血鬼が逃亡したと聞いて、捕縛するのを優先的に考えて」
「おかげであの子は危険な目に遭った」
こんこんとノックの音がした。クラウディオが顔を出す。
「ちょっと中に入っていいかい?」
そういいクラウディオは椿とともに部屋の中に入ってきた。その姿をみてヴィルヘルムは立ち上がり彼女の傍に近づいた。
「椿、大丈夫なのか」
椿は視線を下に落としてこくりと頷いた。
「ご心配おかけしました」
そしてぽつりと申し訳ありませんと呟いた。何故彼女が謝っているのだろう。
「早くヴィル様に相談すればよかったことでした。あの子がこの館に迷い込んだこと………それにヴィル様の約束を破ってしまい」
約束、この館から出ないという約束だった。
「いや、いいんだ。俺がもっと注意すればよかった」
そっと頬に触れる。温かい、それに安堵を覚えた。
吸血鬼の毒牙にかかった者は吸血鬼になる。中には死体のように冷たい者もいるというのを思い出した。同時に一部体温を保つ者もいるというのも思い出しクラウディオに確認をとる。
聞きたいことを察しているクラウディオは今の状況を説明した。
「今のところ彼女は吸血鬼になっていない。元からある治癒能力のおかげか」
医者の診察と、簡易検査の結果では吸血鬼になっていないと判断された。
「でも、都に戻って念入りに調べてもらった方がいいかな」
最後まで聞かずヴィルヘルムは椿を抱きしめた。後で遅れてならないとも限らない。
「あの………」
「よかった。本当に」
「本当にご心配おかけして申し訳ありませんでした」
こほんとクラウディオが咳払いするとヴィルヘルムははっと我に返り椿を放した。
「それで、話の続きをしたいんだけど」
シェートンの言葉にヴィルヘルムは頷く。
「では、椿。少し席を外して」
「いいえ、私もここで同席させてください」
事の敬意についてはすでに簡単ではあるがクラウディオから聞かされたのだろう。
巻き込まれた身とはいえ、今回カティという犠牲者もでており自分も吸血鬼に襲われた。できれば最後までシェートンとの会談を聞いておきたかった。
「では………」
そういいヴィルヘルムは長椅子に腰をかけ椿を隣に座らせた。
「あの、先ほどは助けてくださりありがとうございました」
椿は深々と頭を下げた。
「別に………いや、幸運だったよ。私が丁度出かける前の君に会わなければどうなっていたか」
「何故そこでわかったんだ」
そこで不審を感じ、後を追うなど。
「確証はなかったけど、においがしたんだ」
匂い、とヴィルヘルムは首を傾げた。
「メイチンと傍にいた使用人と御者から血の匂いがした。あの馬車に死体でも転がっているのかと思う程のね」
シェートンは笑って鼻の方を指さした。
「先ほども仰られておりましたが、私には気づきませんでした」
カティもあの少年も普段通りの匂いがした。多少血の匂いがしたとしても傷だらけで倒れていたのでそのせいだろうと思っただろう。
「ああ、通常の人にはわからないだろう。でも、私は匂いに敏感でね」
後を追ってみたら思った通り砦の外で待っている御者は吸血鬼によって変えられた存在であった。もとは人であったのだろうが、吸血鬼の手によって変えさせられてしまった。
人の血への渇望に我慢できずにシェートンに襲い掛かったが、シェートンはそれに対して撃退した。そして砦の上で襲われている椿を見つけ出し救出したのだ。
シェートンは立ち上がり椿の首に触れた。吸血鬼によって牙をあてられた痕は綺麗になくなっていた。
「あの」
「傷はなくなっている。それでも一応調べておいた方がいい。吸血鬼についての研究はまだ途上なんだから」
シェートンは念押しでクラウディオに言った。
「わかっている。椿、明日すぐに都へ戻るぞ」
早めに銀十字の中枢に所属している医師に改めて調べてもらった方がよいだろう。
「それにしても彼の目的はなんだったのかな」
クラウディオはぽつりと疑問を述べた。それにヴィルヘルムとシェートンが注目する。
「アルブシルヴィウスの吸血鬼がどうしてあんなにあっさりと誘拐できたのかな。子供とはいえ、ここの使用人を吸血鬼に作り替える程の力量を持ち、平然と高い塀を飛び越える超人………簡単にあんな小物の密売商人に捕まるとは思いにくい」
「わざと、なんじゃないですかね」
クラウディオの疑問にシェートンはあっさりと答えた。
「あの一族は通常の人と感性が異なり、ひどく特徴的な趣味を持った連中だ。奴は密売される人の気持ちを経験してみようと思った。そして十分経験したから途中逃げ出した」
「そんなまさか」
信じられないとヴィルヘルムは表情をあらわにした。
それにシェートンははぁとため息をついて彼を見つめた。
椿と同じ黒い瞳で思わずどきりとしてしまう。
「案外あっていると思ますよ。あの変態の一族ならどれだけの苦痛を味わうか自分で確かめてから実行する悪癖がありましてね。長く生きた退屈さ故からきた行動か、悪趣味なことです」
忌々しくシェートンは呟いた。まるでよく知っていると言わんばかりの言葉であった。
真っ暗闇の中先ほど逃亡をはかったキリルはすたすたと道を歩いていた。
通常の人であれば不安を覚える真っ暗な中、迷わずに進んでいっている。
風の音がささやいて、キリルは歩をとめた。頬を撫で、髪を揺らす風を感じて瞼を閉ざす。
がたがたと車輪の転がる音がして、目の前に簡易な馬車が現れた。
御者をしている女性が馬車から降り、膝をつき頭を垂れていた。
黒いフードつきの外套を身に着けた女性であった。顔はよくみえない。
「ああ、メイリー。迎えにきてくれたのだね。でも、もう少し良い馬車がよかったな」
「申し訳ありません。ここいらの村で手に入れたものがこれだけだったので」
それでもないよりはましだろうと女性は御者の席に乗った。キリルは女性の後ろの席に乗りくつろいだ。
「全く、探すのに苦労しましたよ」
「でも、これでわかったよ。密売人がいかにしてものを運ぶかを」
逃げようと思えばいつでも逃げれた。密売人を殺してしまうのもたやすかった。だが、密売されものとして扱うのがどれほどのものか知るためにあえて付き合っていたのだ。
だいたい飽きてきたため目を盗んで逃亡したが、思ったより傷がひどく血が足りないためふらふらと獲物を吟味していた。すると風と共に良い匂いを感じ取りふらふらとそこへ行くと椿のいる館にいきついた。
「密売のことなどあまり知っても良いものではないかと」
「そうそう、メイリー。ジギス山の屋敷の方へ行ってくれ」
自分たちの拠点であるアルブシルヴィウス山脈への途中にある山である。そのため一族の仮の宿場として館を建築していた。
「しばらくこの国に滞在する。面白いものを見つけた。あれが手に入るまでは僕は帰らないと決めた」
「それは私が困ります。ご本家の方になんていわれるか。お望みであれば後で届けましょう」
メイリーと呼ばれる従者はそういうがキリルはがんとして譲らなかった。
「それはダメだよ。僕が自ら迎えにいく必要がある」
「それは随分なお気に入りなのですね」
「ああ、あれは実によいもの。少し血をのんだだけで、僕の傷をあっさりと癒してしまった」
密売者から受けた傷は常人であれば致死に至るものであった。キリルにとっては死に至らないものであるが、それでも回復には時間がかかった。
延々と傷口を抉られ、満足な栄養も睡眠も与えられなかったのだ。逃亡途中に適当な男を捕まえて啜ってみたが、かすり傷が癒える程度でたいした養分にはならない。適当な血を啜っても完全治癒に三日はかかるだろう。
それでも役に立つだろうと自分の人形にして彼に車と服の調達を命じた。待っている間にふと甘い血の匂いがして気になるままにフローエ夫人の館へと入った。そして椿に遭遇したのだ。
椿の血を少し飲んだだけで一瞬で完全治癒してしまった。
しかも今まで飲んだどの血よりも美味で甘美なものだった。是非もう一度啜りたいものだ。そして何日もかけてじっくりと楽しみたい。
しばらくしてすぐに彼女が何者か理解した。
どこぞの密売者が遠い東の国から不老不死の魔女を捕らえたという。
彼女は人魚の肉を食べ老いることもなく少女の姿で過ごしているという。傷を作ってもすぐに癒えてしまう肉体を持つ。
本当かどうか半信半疑であった。実際会って本当だったと実感した。
「人魚というのはあんなに美味しいものなのか。それとも人魚を食べ変性した彼女の体がそうなってしまったのか」
気に入ったのは血の味だけではなかった。
彼女の恐怖に歪んだ表情はキリルの嗜虐心を煽った。
今まで多くの恐怖に歪められた顔の人々をみてきたがあそこまで心が高ぶったのははじめてであった。
キリルは先ほどまで自分が歩いていた方角を見つめた。
そのずっと先には港町ヨハヒムがあり、そこに先ほどの少女椿がいる。
本当は連れて帰るつもりだったが、邪魔が入ってしまった。傷は癒えたとはいえまだ本調子ではなかったため撤退した。
しかし、彼女を諦めたつもりはなかった。
今までみた誰よりも美味な血と嗜虐をそそる顔だちで自分の興味を引き立てた。
あれほどの存在はこの先そうそう現れるものではない。
簡単に諦められない。
「また会いにいくよ」




