8.消えた花
椿が立ち去った後、しばらくホール内は騒然としていた。主催者の執事がうまく取り仕切り、優雅な音楽が流れはじめた。そして先ほどまで流れていた楽しい雰囲気に戻っていった。
「大丈夫でしたか? お嬢さん」
先の椿に怒りをぶつけていた娘は声をかけられ振り向いた。そこにはクラウディオがいて、彼はにっこりと微笑みかけていた。密かに憧れているクラウディオに声をかけられ娘は頬を朱に染めた。
「あ、ええ。クラウディオ様にお恥ずかしいところを見られました。全くあの東海娘のおかげでえらい恥を……」
「彼女は私の友人です。大切な、ね」
クラウディオは最後のところを強調して言い、娘は黙った。
「ツバキの友人として私からもあなたにお詫びをしましょう」
「………いえ」
もう気にしていませんわと娘が言った。そんな彼女にクラウディオはやんわりと微笑み手を差し伸べた。
「どうでしょう?お詫びついでに一曲」
「え、ええ……そうね。構わないわ」
娘はにっこり微笑み、その手をとった。このパーティーで注目されている若き紳士にダンスを誘われて娘は悪い気がしなかった。彼女は他の娘たちに見せびらかすように上機嫌にホールの中央に立った。
そして新たな曲が始まり二人は踊り始めた。思ったとおり、周囲の娘たちは嫉妬の眼差しを向けてきていた。それが何とも心地が良く娘は上機嫌であった。
「本当にさきほどはすみませんでした」
「もういいのよ。おかげで憧れの殿方と踊れるのですもの」
おや、嬉しいとクラウディオは笑った。
「ダンス、お上手ですね」
「ええ」
「さすが、ヴィルが気づかない具合にツバキに向かってぶつかった方ですね」
「…………」
クラウディオは悪戯に笑いかけてきた。何を言われたか娘はすぐに理解できなかった。
「見ていましたよ。あなたがそれとなく踊りながらツバキに近づき彼女に横からぶつかったところをしっかりと」
娘はその言葉にびくっとし、クラウディオから離れようとするが彼はぐっと両腕に力をこめ娘を放さなかった。クラウディオの顔を覗き込むと相変わらず彼は笑ったままであった。
「そして彼女が倒れる先にドレスの裾がいくように動く足裁き、素敵でしたよ」
「…………」
娘は彼の笑顔が恐ろしくなり、少しずつ歩調を乱していった。
「おや、どうしました? どこか体調がすぐれませんか?」
クラウディオが向ける柔らかな笑顔が娘には恐ろしく感じた。
「………………」
「ご安心を、私は女性をリードしてダンスするのが得意なのですよ。………そして女性の口をリードするのも得意ですよ」
くすくす笑う彼の声に娘は青ざめた。
「ああ、そういえば………あなた先ほど、ハンス・フランケンシュタインと楽しげにご会談していましたね」
クラウディオは思い出したように話題を切り替えた。
「実は噂のフランケンシュタイン男爵の子である彼に興味がありまして、それで今日こちらのパーティーに出席させていただいたんですよ」
娘は助けてと周りに助けを求めるが、誰も彼女の心の声に気づかなかった。端から見れば注目の色男とダンスをしている幸せな娘としか見られていないだろう。
クラウディオはにっこり笑って、なおも話しかけてきた。
「彼と何を話していたんです? 教えてくださいませんか」
その笑顔は決して言い逃れを許さないと言っている様だった。
◇ ◇ ◇
ホールを飛び出した椿はそのまま庭を走っていた。石段のところで裾を踏みつけてしまい転んでしまいようやく立ち止まった。
「いた………」
椿はよろめきながら立ち上がり、石段に腰を掛けた。裾を撒くし上げ膝を見ると擦り傷から血が出ていた。
(あ、………血が……………ま、いいか。どうせすぐ治る)
何もしていないのに、ツバキの膝の傷はすっと消えてしまった。残った血を彼女はハンカチでふき取った。
裾の裏を確認するとべっとりと血がついており、染み込んでしまっていた。赤い布地であるが、時間がたてば染みとなって見栄えが悪くなってしまうことだろう。よくみれば先ほど転んだ時の砂や埃がついてしまっていた。
(折角夫人に買っていただいたのに。私の力と同じくドレスもすぐに治ればいいのに)
ツバキの特異な力……・…それはどんな怪我もすぐに治ってしまうということ。傷跡も残さずに。
何故か彼女の肌も髪も身体中のいたる細胞はいつまでも衰えることがなかった。
その為傷を負ってもすぐに治るし、いつまでも若々しい外見のままだった。
(平気………どんな傷を負ってもすぐに治ってしまう。痛みもなくなる)
「………なのに、何故」
椿はぎゅっと膝を抱え、俯いた。涙がとめどなく溢れ、それがドレスを濡らした。
(胸の痛みはいつまでも消えないのかしら? 一番消えて欲しい痛みなのに……どうしてっ)
先の光景を思い出した。折角、ヴィルが嬉しいと笑ってくれたのに、全てを台無しにしてしまった。自分のせいでヴィルに恥をかかせてしまった。
ヴィルはツバキを庇ってくれたがそれは彼が優しいから。その優しさに甘えようとしてしまった自分が何とも情けなかった。そして何とも悲しくて仕方なかった。
「大丈夫?」
突然声をかけられ、椿は上へ視線を移した。そこには金髪の美しい青年が立っていた。
確か先ほどフローエ夫人がヴィルに紹介していた人だったと椿は思い出した。
「すごい勢いで転んだようだけど、怪我はない?」
ツバキと目が合い、青年はにっこりと笑った。
「あ、あなたは?」
「あはは、そっか……知らないよね。パーティーでお嬢さんたちにちやほやされていたからちょっと自惚れていたよ」
苦笑いしたハンスはツバキに微笑み会釈をした。
「はじめまして、フロイライン。僕はハンス・フランケンシュタイン。怪しい者じゃないよ。もうすぐ男爵になるし」
「あ………」
ようやくフローエ夫人がいっていたことを思い出した。例の若い貴族の娘失踪事件に関わっていると疑惑をかけられている人物であった。
証拠がないと彼女も言っていたのだが、ツバキはつい身構えてしまった。
その様子にハンスはくすくすと笑った。
「用心深いんだね」
「す、すみません」
「いいんだよ?男なんて狼なんだから。パーティーの席では紳士的でもこういう人気のないところじゃけだものになっちゃう」
ハンスはツバキの隣に座り、ツバキに囁いた。
「ちゃんと教え込まれているね、偉いなぁ」
ハンスはくすくす笑ってツバキの頭を撫でる。まるで猫か犬を撫でているような感じがした。
ツバキの背筋はぞくぞくっとさせ、少し彼から離れるように位置をずらした。
「ああ、ごめん。遠くから見たよりもずいぶん幼く見えて妹のように接してしまった」
「……………」
「ねぇ、さっき転んだよね?大丈夫だったかい?」
「だ、大丈………っ!」
ツバキがそう言う前にハンスは彼女の裾をまくる。
「ごめん、今の転び方で怪我していないと思えなくてね。僕はこれでも医学の知識を身につけている。見せてごらん」
「だ、大丈夫ですからっ」
「だめだよ。擦り傷でもちゃんと手当てしないと痕が残るよ」
じっとツバキの膝を眺め、ハンスは首を傾げた。
「……………。おかしいな。確かに怪我をしていると思ったのに」
「さ、幸い擦り傷一つしなかったのです」
椿は適当なことを言って誤魔化そうとしたが、ハンスはくすくす笑った。
「………でもおかしいなぁ」
「何がです? あの、いい加減裾を放してください」
ハンスはおかしげに笑って、ドレスの裾を持ち上げ裏をツバキに見せた。赤い生地であるが、しっかりと血が染みついているのを確認することができた。
「ドレスの裏、すごい血がついているよ」
「っ!!」
その言葉と行為に椿はさぁっと青ざめた。
「ねぇ、この位置は多分膝あたりだと思うんだ。でも、膝には全然傷がない」
ハンスは優しくツバキの膝を撫でた。その手触りに椿はびくびくと震えた。
「このくらい血がついていたらすぐに傷口がどこかわかると思うんだけど」
椿は裾を掴むハンスの手を払い、石段の上を上がろうとした。しかし、ハンスは椿の足を掴み、体制を崩した椿は盛大に転んでしまった。
「ああ、突然駆け出すからだよ」
自分が足を引っ張ったというのにハンスは椿に優しくいいかけた。
「あ、腕から血が……」
「さ、触らないでっ」
椿は逃げようと懸命にあがくが、ハンスは椿の上にのしかかり逃がしてくれなかった。怯える椿を楽しそうに見つめ、ハンスはゆっくりと椿の腕を掴んで観察した。
「ああ、ひどい怪我だ。早く消毒しないと…………」
言っている途中にハンスは口を開けたまま目を見開いた。椿の腕から傷がすぅっと消えていったのだ。
信じられない、という顔でじっとツバキを見つめた。
「あ、………」
彼女はまるで狐に睨まれた兎のように震えた。
「は、はははは………そうか、君は」
魔女なんだね。
そう言われ椿は身動きがとれなかった。かつて船の上で何度も男たちに言われた言葉であった。それを思い出して椿は青ざめ何も言えなかった。
「否定しないんだね。ああ、良かった。今日も見つからなかったらどうしようと思った」
怯える椿を押えつけハンスは胸ポケットから錠剤を取り出し、それを口に含めた。
「いやっ! 放して!!………っ」
ようやく我にかえり暴れ出した椿にハンスは口付けをし彼女の鼻を押えつけた。
窒息死することはないが、苦しさは勿論感じることができた。あまりの苦しさにハンスが椿の口内へ放り込まれた錠剤を飲み込んでしまった。
ようやく解放され椿はハンスから逃げ出そうとした。しかし、男の力には叶わずなかなか抜け出すことは難しかった。
そうしているうちに椿は意識が薄れて行くのを感じた。薄れる意識の中、ヴィルの姿を追い求めた。しかし、ここには彼はいない。
彼を頼ってはいけない、彼に迷惑をかけたくないと思うのに、それでもヴィルの名を呟いた。
薬のおかげで寝静まったツバキをハンスは嬉しそうに眺めた。
そして、髪をぐしゃぐしゃに撫でた。
「ああ、嬉しい。やっと見つけた。やっと………本当にいたんだね、魔女は」
◇ ◇ ◇
ヴィルは館中を探してもどこにもいない椿を追い求め庭へ出た。さっき通りすがりの貴族の話では窓から黒髪の女の子が石段の方へ走っているのが見えたという。
ヴィルは石段の上に落ちている赤い花を見つけ、それを拾った。
それは赤い、花の髪飾り。椿と同じ名の花の髪飾りであった。
それがヴィルが自分に贈られた時、椿は嬉しそうに微笑んでいた。
「椿………」




