8.ツバキ
白い猫を抱きしめていた椿は呆然とした。
「ヴィル様」
まさかこんなところで彼に出会うとは思わなかったという風であった。
「何をしているんだ。こんなところで」
「いえ、ちょっと足を痛めてしまって休んでいたら」
椿は苦笑いして足元をみた。はきなれない靴でまめができてしまったのだろう。
「ほら、見せてみろ」
「平気です」
椿はかがんでくるヴィルに足を見せないように隠した。
「もう治りました」
それを聞きそういえば高い治癒能力を持っているといっていたな。
とすると既に治っているのだろう。
「なら、ここで何をしているんだ。どこへ行こうとした」
「………公爵の家に行こうと思いまして、迷ってしまって」
椿はようやくそう呟いた。
見慣れない家を馬車で移動した記憶を頼りに目指したものの、途中足を痛めてしまい少し休んでいるうちに動けなくなってしまったのだろう。あまりに見慣れない景色で不安になり。
「何故、公爵の家に行こうと?」
「え、と………これ以上ヴィル様の家にいても迷惑になると思いますし、言葉の方もだいぶ慣れてきましたので一人で生活しようかと思いまして」
「お前、何甘い事を言っているんだ」
ヴィルははあっとため息をついた。
まだこの国にきてから一年と経たない者が生きていける程楽な国ではない。それに風貌はどうみても東海の者で、それにより酷い扱いを受けることは何度かあるだろう。
それもあり、ベルンハルト公爵はヴィルに彼女を預けたのだ。そして、可能であれば椿をこのままヴィルの庇護下で自立させようとしていたのだろう。
「帰るぞ」
「え、でも………」
椿はヴィルの家に帰るのにためらいを見せた。
「なんだ、俺の家が嫌なのか?」
「いえ………」
「言いたいことがあるのならはっきりいってくれ」
椿はぎゅっと眉根を寄せ、ようやく言葉にした。
「私がいては迷惑になります。今日もヴィル様の仕事の邪魔をしてしまいましたし」
「いや……その」
「いつもこうなんです。国にいたときも誰かの役にたちたいと思っても何もできずただ怖がらせてしまって………。それに、私を誘拐した人の中には私に優しくしてくれた方がいました。殺されてしまいましたが、私に関わらなければ彼は死ななかったのに」
そうやって誰かに迷惑をかける日々なのだと思うと自分が情けなくてそれならば一人で生きていくしかないと感じた。
「昼のことは悪かった。いらついていたんだ」
「いいえ、私が至らなかったから」
「ああ、もうっ。お前が俺にいつもびくびくしているから、そのくせクラウディオとヨハンには気兼ねなく話せていて腹が立ったんだ」
ヴィルは余所を向いてそう言った。苛立ちの原因は気づいていた。だが、それだとあまりに幼い子供のようで格好悪くなるべく考えないようにしていた。
椿はきょとんとヴィルを見つめた。
「俺がそんなに怖いか?」
確かに初めて出会ったとき、ヴィルは怖い表情で椿を睨みつけた。クラウディオに比べると冷たくて、いつも苛立った表情をしている。
「はい」
椿はしばらく考え込んで怖いという感想を述べた。それにヴィルはふっと自嘲気味に笑った。
「嫌われているのかなと思うと怖くて」
「俺がお前を嫌っている? そう見えたのか」
「はい」
「違う」
ヴィルはそう呟いた。それに椿はえ、と顔をあげた。
「俺はお前を嫌ってなんかいない。そうだな、どう接して良いかわからなかった。言葉はわからないし、全部クラウディオに任せてしまっていた」
そうするうちに椿への接し方がわからず、そのままになり仕事に没頭するしかなかった。
せっかく椿が怖がりながらもヴィルに近づこうとしても、クラウディオとは違う困った表情を浮かべる椿にいらだちを覚えた。同時に彼女を落ち着かせる方法が思いつかない自分に腹を立てていた。
「悪かった。お前には冷たくしていたな。だが、俺は元々そういう性格なんだ」
クラウディオやエヴァにはもう少し女性に優しくするようにと説教を受けたことがあった。
「あなたは冷たい方ではありません」
椿はぽつりとつぶやいた。
「初めて会った時、私が背中に傷を負った時、あなたは私の傷を止血しずっと私に呼び掛けてくださっていました」
朦朧とした意識の中、椿は必死で背中を抑え心配そうに呼びかける声に耳を傾けていた。それがヴィルだと気づいて椿は彼に興味を抱くようになっていた。
「あなたはとても優しい方です」
椿はにこりと微笑んだ。その笑顔がたまらず愛らしくヴィルは思わず椿を抱きしめてしまった。
「あ、あの………」
はじめてヴィルから受けた抱擁に椿はどきどきした。クラウディオの時も驚きどきどきしていたが、恥ずかしいという思いの方が強かった。
だが、ヴィルから受けるこれはとても温かくできることならばもう少し包み込まれておきたいなと感じてしまった。
「帰るぞ」
ただそれだけの言葉に椿はこくりと頷いた。まだ何ができるかわからない身の上、それでもこの人の傍にもう少しいたいと願ってしまっていた。
◇ ◇ ◇
椿の元から白い猫が離れていき、屋根の上をつたっていった。そして屋根の上にいる男にすり寄った。
「よしよし、御苦労さま」
クラウディオは甘い声で白猫をねぎらった。そしてかちゃっと懐中時計をとりだした。その中に白猫は吸い寄せられるように入っていく。懐中時計の中に猫の絵柄が彫り起こされた。クラウディオは時計に口づけをして、懐にしまう。
「さて、これでヴィルも少しは素直になってくれたらいいんだけど」
そう呟きながら夜空の星を見上げた。




