第十六話 少女の思い~エアリィ~
ホクトさんとお爺ちゃんの戦いを見ている兵士たちは、その誰もが息を呑んでいた。
それは当然のことだと思う。
だって、法皇国最強の騎士であるお爺ちゃんが、いくらセイヴァーとはいえ十七歳の少年相手に手こずっているんだから。
いま、お爺ちゃんの手にはなにもない。
ホクトさんに剣の切っ先を向けられながら、体術のみに頼って戦いを続けようとしている。
いや、体術のみにってわけでもないのか。お爺ちゃんには、まだ魔術も『気功』もあるんだから。
それになにより、手から飛ばされた法剣を拾いあげる算段もつけようとしているはず。
それだけは、絶対に阻止してもらわないと。
また、攻撃用のものでこそないけど、お爺ちゃんには奥の手とも呼ぶべき技能がある。できることなら使わないでほしい、補助技能が。
それを発動させたお爺ちゃんの手に法剣が戻ろうものなら、負けるとまではいかないまでも、間違いなくホクトさんは劣勢に立たされるはずだ。
できることなら、そこまではいかないでほしい。
奥の手を使用されれば、絶対にホクトさんはお爺ちゃんに圧倒される。
圧倒されなくても、隙のひとつや二つは確実に生まれてしまう。
そして、その隙を突いて法剣を取り戻したお爺ちゃんは、絶対に『奥義』を使うだろう。
お爺ちゃんが編み出した、剣術の『奥義』を。
それは、法剣の力によらず繰り出す絶技。
剣術技能がAランクに下がったいまでも使うことのできる、必殺の一撃。
奥の手と『奥義』の使用。そのどちらもお爺ちゃんの身体には負担が大きいはずだ。
けど、その程度のことで躊躇するなんてありえない。
物腰は柔らかそうに見えても、実際はとても頑固。それがわたしのお爺ちゃんの性格だから。
法剣が手に戻れば、絶対に『奥義』を使おうとするはず。
だから、いまのうちに決着を。
法剣がお爺ちゃんの手に戻る前に、決着を……!
「いやはや、すっかり追い詰められてしまいましたな」
「……どうですかね」
苦笑するお爺ちゃんに対して、ホクトさんの表情は険しい。
それを見て、わたしは安堵した。
よかった、ホクトさんはちゃんとわかってる。
たとえ丸腰になろうとも、お爺ちゃんは決して油断してはならない相手なんだって。まだ追い詰めきれてはいないんだって。
「ホクト殿に動く気がないのなら、私のほうからいかせてもらいますが?」
「接近戦でも仕掛けるつもりですか? 丸腰で?」
「いけませんな、丸腰などと安易に判断しては」
そう微笑し、お爺ちゃんは呪文を唱え始めた。
「――それは、穏やかに舞い」
「……っ! ――させるかっ!」
一節目の詠唱を聞くと同時、ホクトさんが間合いを詰めにかかる。
後退し、それでもなお追いすがって振るわれる剣を避け、呼吸を乱さずに詠唱を続けるお爺ちゃん。
「静かに流れ、我が身体を知らず包んでいるもの」
「くそっ! このっ!」
ホクトさんの剣が二度、三度と空を斬る。
その顔にあるのは悔しさと、それを上回る焦りの色。
この術の完成を許してはいけない、という。
「どうか許されよ、風の精。それを我が拳に封じ、一時の武具と成すことを――」
「――よしっ! これでっ……!」
おそらくは『集中思考』を用いて、絶対にかわせない角度からの斬撃をホクトさんが放つ。
まさか、空振っていたときの彼の悔しそうな表情は、全部演技だった?
かわされたあとの体勢、立ち位置、そういったことを計算しながら剣を振るっていき、お爺ちゃんには絶対に避けられない状況を作ってみせた?
それを、剣術の技能だけで成しえた? 『知略』の技能を用いずに?
そう解釈した人も、中にはいただろう。
しかしわたしには、どうしてもそうは思えなかった。
すべては偶然の産物。
剣はすべてが当てるつもりで繰り出されており、それはことごとくかわされてしまった。
だからこれは、数度目に至ってようやく『避けられない状態』が――好機が訪れたというだけのこと。
振られた剣はどれも本気で繰り出されたものであり、悔しそうな表情は本心からのもの。
ホクトさんの性格と、彼に『知略』の技能がないこと。
それらを合わせて考えれば、そう結論するのが一番妥当だろう。
そしてなにより、ホクトさんの一撃は間に合わなかった。
それが計算して繰り出されたものであったにせよ、偶然の果てに作り出されたものにすぎなかったにせよ、お爺ちゃんの詠唱はもう終わっていて――
「風封拳!」
その両の腕には、拳には、攻めにも護りにも使うことのできる風の篭手が装着されてしまった。
もちろん無色透明だから、一目ではわからないけれど。
でもホクトさんには、その存在が知覚できていることだろう。風がうなりを上げる音が、その耳に届いているはずだから。
「なっ……!?」
現に、ホクトさんは驚愕の声を漏らしている。
でもそれは、呪文の効果そのものに対してではないような気も……?
「真剣白刃取りって、マジかよ……!」
両の掌で剣の刃を挟み込むようにして止めているお爺ちゃんに、目を大きく見開くホクトさん。
……って、いけない! お爺ちゃん相手に、そんな決定的な隙を見せたら……!
「――ふっ!」
「ぬあっ!?」
剣を握ったまま、お爺ちゃんに投げ飛ばされるホクトさん。
ああ、やっぱりこうなった……。
お爺ちゃんは両の掌で刀身を挟んで固定していたんだから、どんな理由があれ、剣に込めている力を抜いたりしたらこうなるって、ちょっと考えればわかりそうなものなのに……。
「あいててて……」
痛みよりも驚きのほうが勝っているだけだとは思うけど、ホクトさんはなかなか立ち上がれない。
そして、間合いの開いているいまを好機と見てとったか、お爺ちゃんは両の掌から無数の気弾を放つ。
「――ぶわっ!?」
気弾は風の魔術――不可視の刃と比べれば避けやすい。
それに気功波と違って、一発一発は大した威力じゃないという欠点も、これにはある。
でも『気』による攻撃は、魔術と違って詠唱を必要としない。
それに、いくら威力が低いとはいっても、何発、何十発と続けざまに撃たれればうっとうしいし、着弾時に発せられる音や光、衝撃などのせいで平衡感覚が麻痺してしまうことだってある。
そして一番問題なのが、お爺ちゃんが気弾を撃ちながらも移動しているという、その事実。
ゆっくりとだけど確実に、法剣が落ちてるほうに向かって歩を進めている。すり足気味に、一歩一歩。
「――なろおぉぉぉぉぉっ!!」
それに気づいて、というわけではないんだろうけど、ホクトさんが気弾の雨をかいくぐり、お爺ちゃんへと向かって突っ込んでいった!
「――むっ!?」
両の腕を交差させ、フィアー・イーターによる一撃を防ぐお爺ちゃん。
けれど突進の勢いは流しきれなかったのか、跳び退るようにして後退していく。
――いや、違う!
お爺ちゃんは、勢いに圧されたわけじゃない!
間合いを取るためと、法剣が落ちている場所に近づくため、突進の勢いを流しきれなかったふりをしているだけだ!
「――ほっ!」
その証拠に、体術が充分な威力を発揮できる間合いになったと同時、お爺ちゃんはホクトさんのわき腹に鋭い回し蹴りを叩き込む!
「けほっ……!?」
手にしている武器が仮に槍であったとしても、その攻撃が届かないところまで一瞬にして蹴り飛ばされるホクトさん。
あの気合いの込め具合からして、そこまで強力な一撃ではなかったはずだけど、『耐』がAランクに上がったばかりのホクトさんが生身の箇所に受けるには、やっぱり荷が重いようだった。
「くっそ……!」
けれど、彼もさるもの。
法剣を手にさせてなるものかと、即座に身を起こして再度の突撃をかける。
もちろん、その速度は落ちていた。けれど、気持ちのほうは強くなっている。
痛みを気合いで塗りつぶせるのなら、身体が訴えてくる痛みなんてないも同じだ。
いや、むしろ自らの心を奮い立たせるための材料にすらなる。
それを、わたしはよく知っていた。
突進してくる彼の姿を視界の端に認めてか、お爺ちゃんが法剣を拾うのを諦める。
そうして、間合いを完全に詰められる前にかまえをとった。
完全に密着されてしまえば、体術は最大の効果を発揮できなくなるからだ。
拳を突き入れるにせよ、蹴りを放つにせよ、体術を用いる際にも、ある程度の距離は必要とされる。
完全な密着状態では、全力で殴ることすらままならない。
もちろん剣のほうは、それに輪をかけて不利になるわけだけれど。
「ぬうううう……!」
お爺ちゃんが腰を深く落とし、力こぶを作るように両の腕を折り曲げた。
握り締められた拳にも必要以上に力が込められ、その表情もまた、鬼気迫るものへと変わっていく。
それは、いつもの穏やかなお爺ちゃんからは想像すらできない表情。
奥の手とも呼べる技能を発動させるときのかまえ。
そして――
「……はあっ!!」
『気』が、弾ける。
お爺ちゃんの体内を巡っていた『気』が膨張し、身体の中に収まりきらなくなり、内側だけに留まっていた『気』が、『闘気』という名の緑色に輝くオーラとなって、外界へと放出される!
それにホクトさんが駆ける足を止めた。
その判断は正解だ。いまのお爺ちゃんには、無闇に突っ込んでいくべきじゃない。
だって……
ランクアップパラメーター
力:S
耐:S
速:EX
「ランクアップ、だって……?」
「――はあ、はあ……。いえ、なに。これは一時的なものですよ。しょせんは、ただの虚仮脅しにすぎません……」
「それにしたって……。つか、なんかマンガで見たことあるな、そういうの。さすがは異世界、なんでもアリすぎるぜ……!」
「さて、ふう……、参りますぞ……!」
「ちょっと待った! なんかめっちゃしんどそうなんですけど、大丈夫なんですか!? 寿命縮まったりとか、してませんか!?」
「なあに、ホクト殿が気にすることではありません……」
「ちょっとおぉぉぉぉっ! それ、寿命縮まってるって言ってるようなもんですよね!?」
「なんのなんの……縮むとはいえ、一時間ほど発動させるにつき、ほんの一分程度ですよ」
「――ま、マジっすか……?」
「…………。いえ、そのような事実はございません。ホクト殿の反応が予想外にも面白かったので、年甲斐もなく、つい悪戯心が芽生えてしまいました」
「あ、あんたなあ……」
焦って損した、とばかりに脱力するホクトさん。
そしてお爺ちゃんの言うとおり、『闘気』を使用しても寿命が縮まったりすることはない。
そんな技能は、技能ではなく『呪い』と呼ぶべきものだ。
でも、使用している間はスタミナをすごい勢いで消耗していくというのも、また事実。
だから、できることなら使わないでほしかった。使うことなく戦いが終わってほしかった。
けどやっぱり、それは無理なんだよね。だって、全力を出すっていうのは、持てる限りの力をこの戦いにすべて注ぎ込むっていうことなんだから。
「――さて、参りますよ?」
そう宣言して、今度はお爺ちゃんのほうから間合いを詰めていく。
もう法剣を拾うのは諦めたんだろうか。いや、それはありえない。
『力』がSランクに上がったとはいっても、ホクトさんを打撃技だけで沈めるなんて、できるわけがないんだから。
「むんっ! はっ!」
「くっ!? うおっ!?」
近接戦闘において重要とされる三つのパラメーター。
それらで上回られ、ホクトさんはお爺ちゃんの拳を、蹴りを、防御することしかできなくなってしまった。
それは避けるのと違い、腕や脚に負担がかかる。地味にだけれど、身体にダメージが蓄積されていく。
そしてもちろん、お爺ちゃんの攻撃をホクトさんが全部防ぎきれるはずもなく――
「――旋風烈脚!」
「あがっ!?」
ほどなく、宙を舞いながら放たれたお爺ちゃんの回し蹴りが、ホクトさんの胸当てに突き刺さり、さっきよりも遠くまで吹っ飛ばされる!
「――やはり、衰えたか……」
横たわるホクトさんを尻目に、呟いて法剣の元へと歩を進めるお爺ちゃん。
本人が口にしたとおり、確かにお爺ちゃんの身体能力は衰えていた。そしてそれは、『闘気』を使っても補いきれなかったようだ。
お爺ちゃんがホクトさんに放った技は、相手のこめかみにつま先を叩き込むものであったはず。
けど、いまのは明らかに跳躍力が足りていなかった。技としては不完全もいいところ。
でも、ホクトさんはまだ身を起こせていない。
不完全なものではあっても、胸当てという護りがあっても、お爺ちゃんの一撃には相当な威力があったようだ。
……当たり前か。
一時的に、とはいえ『闘気』の効果でお爺ちゃんの『力』はSランクにまで上がっていたんだから。
一方、受けたホクトさんの『耐』はAランクに上がったばかり。もちろん、胸当てがダメージの軽減に一役買ってはくれただろうけど、それでも気合いでどうこうできる域は超えているはず。
そして、ホクトさんが声を殺して痛みに耐えているそのうちに、お爺ちゃんはとうとう法剣を地面から拾いあげ、体勢を完全に整え直してしまった。
ただ、それと同時に、
ランクダウンパラメーター
耐:A
お爺ちゃんの『耐』が、『闘気』を発動させる前のものに戻る。
と、なんとか顔だけは上げ、それを見ていたホクトさんが呟いた。
「『耐』が……下がっ、た……?」
「……いやはや。よもや、これほどまでに早く元のランクに戻ってしまうとは……。まったく、年はとりたくないものです。
これでは、エアリィに年寄りの冷や水と笑われても仕方がないですな」
笑ったりなんてしないよ!
ボロボロに負けたって、笑ったりなんかしない!
わたしはただ、お爺ちゃんに無理をしてほしくないだけ!
もっと自分を大事にしてほしい! わたしがお爺ちゃんに望んでるのは、いつだってそれだけだったんだから……!!
そこでわたしは、ふと既視感を覚えた。
――お前はさ、もっと自分を大事にするべきだ。
それは、わたしとの戦いのあとにホクトさんがかけてくれた言葉。
――エアリィは、個としての感情を殺してでも陛下の命に従おうとする傾向があるのです。また、見た目に寄らず頑固者でもあるため、私が止めても聞き入れることはなかなかありません。
ですが、今日のことでエアリィも、少しは自重してくれるようになるでしょう。これに勝る喜びはありません。
それは、ホクトさんとの戦いを始める前に、お爺ちゃんが言っていたこと。
――ああ、なんだ。
同じ言葉を使ってるわけじゃ、ないけれど。
わたしたちは、同じことを思ってたんだ。思い合ってたんだ。
無理をしないでほしいって。もっと自分を大事にしてほしいって。
似た者同士だったんだなあ、わたしたち。
しかも、いま初めてそのことに気づくだなんて。
でも、気づけなくて当然だったんだろうとも思う。
だって、さっきまでのわたしには、自分が『無理をしてる』自覚なんてなかったんだから。
ただただ、シャルのためにって、そればかりを思っていたんだから。
けど、わたしは気づけた。
ホクトさんが、気づかせてくれた。
自分を大事にしろって、口に出してはっきりと言ってくれた。
そんなホクトさんなら、きっとできるはず。
わたしにそれを気づかせてくれたホクトさんなら、同じことをお爺ちゃんにも教えてあげられるはず。
この戦いを制した先で、きっと。
わかってる。
お爺ちゃんは法皇国最強の騎士だ。
おまけにいまは、『闘気』の効果で『力』と『速』が一段階ずつ上がってもいる。
そんなお爺ちゃんに勝利するなんて、わたしと同年代の男の子にはおろか、過去に召喚されたどんな優秀な『救世主』にもできないことだろう。
でも、『ホクトさん』にならできるはず。
どんな『救世主』にだってできないことでも、『ホクトさん』になら、きっとできるはず。
だって、少しだけ咳き込みながらではあるけれど。
彼はいま、紫色の刀身を持つ剣を支えに、どうにか立ちあがったんだから。
その瞳からは、いまだ諦めまいとする心が、痛いほどに伝わってくるんだから。
やがて、二人はまたも対峙した。
お互いが、手にした長剣をかまえて。
そして、お爺ちゃんの口が小さく動く。
「――ホクト殿。お見せいたしましょう、我が奥義を」
と――。
ちょっと間が空いてしまいましたが、楽しんでいただけましたでしょうか?
エアリィの心情が、ちゃんと納得していただけるものとして描けていれば幸いです。
しかし、やっぱりエアリィパートは難しいですね(汗)。
一筋縄じゃいかないというか、単純じゃないというか、とにかく描くのが難しいです(苦笑)。
でも、一番『ホクト』を信頼してるのって、実はエアリィなんじゃないかなあ、とも思ってみたり。
次回はホクト視点に戻っての奥義回。そして決着の回となりそうです。
いや~、『女王さまの実力テスト』編も、ようやく終わりが見えてきました。
それでは、また次回!




