導入とログイン(1)
はじめました。マイペースで綴る予定です。
「お兄ちゃん、サイラスの新作ってやる?」
東京オリンピックの記憶も干支一回りほどの昔話になった、2033年の初夏。そろそろ夏休みと世間の空気もそわそわし始めたとある週末の土曜日、少し遅めの朝ごはんを平らげて片付けをしようとしていたところで妹が話しかけてきた。
「新作って、サイラスが初めて本格的MMORPG作ってみました?というやつ?」
「そうそう。ゲーム仲間から話があって気になってるのだけれども、あれのアカウントって貰っていい?」
妹が言っているのはコネや何か役得といった話ではない。タネは簡単で、このソフト開発会社の株を100株ほど持っているのである。ネットを通じてのクラウド調達のスキームや、一般消費者が企業や個人に直接資金提供するのもここ10年ちょっとで珍しくなくなってきてはいるが、高校生でいまどき古風な株取引をやっているのは、父の手伝いをきっかけに入った道とはいえちょっとした希少種扱いと言って良い。
株式投資は、資金的なリターンを得る目的であれば、値上がり益や配当益を狙っての投資が基本となるが、優待の形でプレミアムサービスを利用出来たり珍しいものを手に入れられたりということも珍しくない。この会社も、当選倍率が3ケタにも届こうかというβテストに優先的に参加出来たり、新作を優先的に入手出来たりと、ファンとしてはよだれものの特典が優待として度々提示されている。今回も、優待の選択オプションに、今後発表予定のゲームでのβテスト参加権が提供されていた。投資としては大きなリターンを生んでる会社ではないが、この手の特典サービスが気に行って長い付き合いの銘柄になっている。
食べ終わった自分の食器を片づけつつ、妹に答える。
「βテストの参加権だったらまだ余裕があるので、少し触ってみようと思ってる。タイトル調査は早めにしてて損は無い。」
「いつも通りだね?」
「そう、いつも通り」
ゲーム会社の経営というのは軽い博打のようなものである。当たると莫大に儲かりうる代わりに、コケると一気に会社が傾く。且つ、人気のある鉄板シリーズタイトルでもない限り新作が売れるかどうかは出してみないと分からないところがある。今日の成功が明日の売上をまったくもって保証しない、ギャンブルか運だめしのような側面のあるリスクの高い商売がゲームビジネスの特徴となる。
つまり、投資家としても、このリスクの高さを慎重に見極めるのが大事になる。単にリターンだけを期待するのであれば、敢えて選ぶことも無いのが投資対象としてのゲーム会社だろう。一般に、詳しくない事業に投資するのは望ましくないと言われる。もちろん、必然的に激しくなりがちな株価の上下を上手く捉えてトレードによる利益を得る方法が無い訳ではない。しかし、この場合も敢えてゲーム株でトレードリスクを負うことも無かろう、との見方も出来る。いずれにせよ、不安定になりがちな会社の事業の先行きを見通すのに、新作を早く触れるのは、それだけ何かあった際に資金を引き上げるなりの判断を早く下せることになる。大損しないためには大事なことなのである。
とはいえ、妹にはそんなことは関係ない。楽しそうだから、気になったからやってみたい。単にそれだけだろう。でもって、結構なゲーマーである妹が良いと判断するかどうか、妹のゲーマー仲間の評価は投資判断情報としても参考になる。持ちつ持たれつ。妹はそうは意識していないだろうが、これはちょっとした取引関係とも言える。
「お前のゲーム仲間はどうしてる?幾つかなら融通出来ると思うが」
「みんなでβテストに応募したので、やりたがってる人の分は概ね揃えられたんだけれど、ひとつかふたつあると嬉しい。なんとかなる?」
「それくらいなら。ただし、その分ちゃんと評価レビューするのである。」
「オッケー。それもいつも通りだね。じゃあ、伝えてくる。」
と、朝食を食べかけのまま席を立って自分の部屋に走っていこうとする妹。
「こら、ご飯中は途中で立つな。あと、家の中ではむやみと走るな」
「はーい、気をつけまーす」
結局2階に駆けていってしまう妹。仕方がないので、食べ終わっている食器だけ流しに持っていく。まったく、片付かんではないか。
通称サイラスこと、サイラステクノロジーは、業界では中堅どころで、開発制作と軸としつつ、幾つかのタイトルシリーズでは販売面までカバーしている。ゲーム業界は、単純に分けて宣伝販売に軸足をおいたパブリッシャーと、開発に軸を置いたデベロッパーと基本は二つのパターンの会社に分かれる。製造業でも、メーカーと流通に役割が分かれていることを思い出すと理解しやすいかもしれない。両方やっている会社も無くは無いが、ざっと見てる感じデベロッパーとして独自性の高い、ファンのついたゲームコンテンツを持っている会社が販売面まで自分たちである程度行うようになったというパターンが多いだろうか。この会社は、どちらかというとデベロッパーとしての機能が軸となっており、パブリッシャー業務は対象とするラインナップを絞りつつ、完全独自というよりは、他社と協力しつつこなしていっているように見える。
ここからは実際の事業活動やリリースされているタイトルのラインナップを見ていての想像になるのだが、面白さの分かりにくい、説明に困るけれども、ある程度やってみるとその作りこみの妙に思わず唸り、気づいたらどっぷりハマっている、というタイトルについてパブリッシャー業務にも関わっているように思える。普通の会社なんかにこの込み入った面白さについて説明なんか任せてられん!というところだろうか。パブリッシャー業務といっても、手を出しているのは広告宣伝とユーザーコミュニケーション分野であり、流通周りは自社ではやっていない様子なことから、また中の人と少しやりとりした感触からも、当たらずとも遠からずのところであろうと予想している。
サイラスはもともとゲームを専門としている会社ではなく、システム開発を軸としていた会社らしい。しかし、80年代から始まる家庭用ゲーム機事業に技術協力の形で開発各社の支援を行うビジネスに参入後、徐々に自分たちでも直接開発を請け負うビジネスを広げ、新しい事業の柱としていった。ゲーム市場の成長に上手く乗っかる形で成長した同社は、ハードや開発環境の変化といった波で同業が消えたり吸収されたりとするなか、堅実な動きで上手く乗り切り、2000年代末から徐々に進んだ携帯端末へのゲーム市場の重心シフトのタイミングで、元々のシステム開発部門を分離売却する形でゲームの開発を専業で行う事業体となった。テクノロジー、との古風な名前が社名に残っているのは、いまは手掛けていない開発会社時代の名残であり、特に不便は無いので変えてこなかった、と、中興の祖とも言える前社長がとあるインタビューに答えている。
いずれにせよ、名実ともにゲーム開発会社となったこの会社は、超大ヒットは無いものの、中級クラスのヒットをコンスタントに出す、固定ファンも多いゲーム業界の中では割と珍しい堅実な商売を実現することになった。開発費に予算をつぎ込む傾向はあるものの、財務も現預金が十分で自己資本比率も70%を超えており、ゲーム業界に限らない一般企業としても数字的には優良企業と言える。ゲームという商材の分かりにくささえクリアできたら投資対象としては決して悪くない。むしろ、ゲーム業界=リスクの高い投資対象という前評判が強すぎる分、優良投資対象が目立たず放置された形になっているのは都合が良い。手元のポートフォリオでも手堅いリターンを生んでくれる銘柄になっている。
その昔、商売するのに悪になる必要などない、との社是を掲げていた会社があったそうだが、同じ感じでいえば、投資でリターンを挙げるのに何も有名会社や最近流行りの会社やビジネステーマをひたすら追い懸けて次々飛び乗っていく必要などない、とでも言ったところだろうか。図体だけ大きい会社よりも、このような、確たる特徴のある会社の方が投資を考えるには楽しい。
今回調べたいのは、端的に新作タイトルがどれくらい売れそうかその感触を掴むこととなる。企業の業績は扱ってる商材がどれくらい捌けるか、売上になるかにまず左右されるが、ゲーム開発会社の場合は、とりもなおさずゲームが売れるかであり、リリースしたタイトルが面白いと思ってもらえるか、財布の紐を緩めるまでに面白そう感が高まるか否かである。もう少し細かく議論すると、同一時期に出されるタイトルに比べて、こっちの方が面白いと判断し、限りある小遣いや予算を他でもないこのタイトルに振り向ける、あるいは映画に行くとか遊びに行くとかの他のレジャーの魅力に勝利を収めて手に取ってもらう必要がある、などとの周囲との競争関係についての議論もあるが、これは話にきりが無くなるのでここでは深入りはしないことにする。
てとてとと2階から下りてくる足音がする。さっそく仲間たちに知らせていたのだろう。言いつけを守ってか、今度は走らずに戻ってきたらしい。
「それはそうと、お兄ちゃん。この新作ってなんか変じゃない?」
「変って?」
「だってさぁ、凝ったゲームで定評のある会社じゃない。平坦なルートがあったら『こんなルートが平坦なんておかしい。きっと途中に仕掛けやトリックがあるに違いない』とかこぞってユーザーが言い出すところじゃない。というかそんな評判しか無いじゃない。っていうか実際そんなんばっかりだし。どっぷりやりこんで中毒になるか、まったく受け付けなくてお肌に合わないかどっちかみたいなところなのに、事前情報がこんなに普通で地味に見えるのってなんかあやしいよ。絶対なんかあるよ。フォントいじって遊ぶならぁゃιぃってところよ。」
テーブルに戻った妹は食べるより先に話し始める。早く食べるように目で促しつつ、指摘されたことを考えてみる。確かに、ちょっと引っかかっていた点でもあった。
「その印刷媒体なり画面で文字面を見てない人には分からないフォント芸はさておき、会社としてやったことない新しいジャンルだからシンプルオーソドックスに作ってる、というのは……無いだろうなぁ」
「制作発表されてから随分長いこと作ってたよ?あれ。途中で何か失敗して作りなおしたとかじゃない限りは無駄技術とか無駄設定とか無駄チューニングとか絶対また詰め込まれてるよ。きっといつも通り。また中毒患者がたくさん出てWikiや掲示板が埋め尽くされて、開発スタッフが高笑いしてはほくそ笑んでるんだよ。掲示板にときどき降臨して私たちみんな悔しい思いを繰り返すんだよ。」
やばい、掲示板の利用者がものすごい勢いで地団太踏んでいるいつもの様子が想像出来過ぎてしまう。ありそうすぎる。
同社のスタッフは、ときどきファンサイトや掲示板に匿名で出現することが定番になっており、「サイラス社の開発の中の人1号」といった風にテンプレート化したユーザー名を使って、ときどきユーザーとコミュニケーションを取りにくる。いや、正確に言おう。ユーザーを茶化しに来る。都合十数人、中の人の降臨は観察されているが、あっという間に大感想大会あるいは大質問大会が始まり、周辺含めて交わされる議論は中の人としても開発や市場動向把握の参考になるという。下手すると大荒れになりそうなネタも飛び出すなか、きわどい質問になると、「ゲンザイ、オカケニナッタデンワバンゴウハ」や、これも古典芸能らしいが「禁則事項です」といったお約束のフレーズで回答不能の旨を示すのも定番である。答えられないという事実を踏まえて予測と妄想を繰り広げるまでが降臨コンテンツの正当な楽しみ方として定着している。
開発スタッフは、コミュニケーションガイドラインやマニュアルも整えたうえで出てきているのだろうが、その安定したユーザーのいじりっぷりはゲームを楽しみ尽くすためのサイドコンテンツとして本編以上に楽しみにしている人は少なくない。ブーイングを重ねながらも、ファンはファンで楽しんでいるのだ。むしろ、降臨コンテンツが盛り上がってる時間帯は、ゲームプレイを止めてまで参加するユーザーも少なからずの様子で、オンラインの接続率も若干落ちるという。開発者もユーザーも、双方好きなように散々議論したあと、開発側は開発仕事に、ユーザーはゲームに戻るか、といって三三五五解散するのもまた馴染みの光景になっている。
「でもさぁ、あからさまにおかしいんだけれど、まだ何もヒントが無いんだよね。だから、βテストは意地でも参加して化けの皮をはがすのだ。」
食べた食器を流しに片づけながら、自分が作ったゲームでもないだろうに、ふんぬー、とばかりに力説する妹。そうだ、そうだった。こいつはなんとか脳とかついてもいいくらいの、サイラスゲームの重度ヘビーユーザーだった。成績はそこそこいいのは知ってるが来年の高校受験は大丈夫か。そして化け狸か化け狐でも狩りに行くつもりか。ゲーム変わってるぞそれ。
◇
今回のタイトルは、据え置きと携帯機を軸としつつ、サポート的にスマートフォンと、やっとまともな形で一般定着し始めたウェアラブルデバイス(とはいえ、今のところはまだゲーム向けの対応機種としては表示ディスプレイを確保出来るメガネタイプが多い)にも一部対応しているとの意欲作である。多プラットフォーム対応は相応に開発の手間がかかるが、最近は、開発環境側で上手く吸収できる開発エンジンが整ってきたことから、はるか昔のように無条件に手間が2倍3倍に増えるということは無くなっている。2010年代末に起きた開発エンジンのイノベーションにより、高騰を続けて業界の先行きを狭めていた開発コスト問題は一応の決着を見た。2020年代に入って、ゲームはタイトル発表数から対応デバイスのバリエーションまでの自由度の高い、豊饒な市場環境が成立するようになってきている。加えて、まだノウハウの無さそうなスマートフォン&ウェアラブル対応については、ゲームの機能全体ではなく、アイテム管理やコミュニケーション系など一部のみということなので、さすがにまだ開発環境の定まっていないウェアラブル分野においても、さほど開発の負荷がかかっているのでもなさそうである。
「結局のところ、そのあたりがβテストで知りたいことになるか。ゲームの出来全般や、周囲の評判も含めて、ギルドへの依頼事項としよう。って、ギルド名っていつも通りなんだっけ?」
「あいさー。ギルド名は取れるならいつも通りのつもり。先に取られるとかそう無いと思うけど。じゃあ、そんな感じでアカウントの手配お願いね。私のと、もう一個友達の分だけでいいみたい。」
巨人に挑まんとするどこかの兵士のごとく敬礼姿勢をした後、食後の飲み物を冷蔵庫で物色しながら返事する妹。育ち盛りの子供のごとく、牛乳を選択したようで、パックごとテーブルに持っていく。牛乳は朝食のときにもサイドドリンクとして出していたのにまだ飲むのか。育ち盛りの小学生か。でも、良く飲む割には身長も胸も(ry
「お兄ちゃん、何か言った?」
やや怒気のこもった声がすかさず飛んでくる。おー、怖い怖い。思わず口にした訳でもないのに恐ろしい勘の良さである。普段はともかく、怒らせると怖いのだ。顔はそう悪くないのに、この性格さえなければ……あ、なんか睨んでる。
ええ、ええ。決して平坦を捨てて兵站を取ったのね、とかくだらないことをあなたのお兄ちゃんは考えたりなんかしていませんよ?いませんったら。
さて。
水面下の攻防と決して語られることのない寸劇はともかく。そこそこゲーマーである自分的にも今回の新作は楽しみである。
「アルトゥール・オンライン」。ソフトハウス「サイラステクノロジー」が、なんだかんだ言いながらも2年を超えようかとの時間をかけて準備していたタイトルとなる。発表前にある程度プロトなりを作っていただろうことを踏まえると、実際の開発期間は2年じゃ済まないだろう。4年は無いにしても3年近くであっても別に驚きはしない。欧米の、特に米国の超大作でもっと長い開発期間をかけているものと比すると標準的な開発期間とも言えるが、携帯/スマートフォン向けに数カ月サイクルで開発リリースするのが一時ゲームビジネスの流行りになっていたことを踏まえると、十分に気の長い開発期間と言える。開発予算にどれくらいかけたかは正確には分からないが、万一こけたら財務的にも痛手で大変に違いない。投資家として、実販売数字を見る前に前評判を掴んでおくのは重要となる。場合によっては、βテストの様子から手持ちの株を売り処分する必要があるかもしれないからだ。
ジャンルはMMORPG。いまどき、MMOPRGだからといってタイトル名に“オンライン”を入れるのは珍しい。オンラインゲームが出たての頃はともかく、ゲームがなんらかのネットワークサービスを利用することはほぼ当たり前となり、複数人数での同時プレイも珍しくないご時世で、ひねたソフトハウスが敢えてストレートな名称を選んできたあたりも各所の憶測を加速させる要因となっている。
ゲームシステムとしては、事前情報を見る限りでは職業特性を選び、あとはクエスト制で好きにやりなー、といういわゆるオープンワールド型の作りになっている。特定のストーリーの上に乗って順番に遊んで行くというものではない。多人数プレイを生かすべく、特定メンバーとパーティやギルドを組んで遊ぶことができるようになっており、要所要所に出てくるボスモンスターはギルド単位での攻略が前提になっている様子。ギルド間での競争や対決についてはゲーム内で可能かどうかはまだ分からない。開発コンテンツに依存しない形でユーザーの定着を図るのであれば、ユーザー同士の対決や競争の仕組みがあったほうが良いのだがさてはて。逆の、ぼっちもといソロプレイはどうすんだ、との疑問もあるがそのあたりもまだ不明。ソロだとボスモンスターがやや弱いとかパーティ人数で調整されるとか何か救済策があるのかもしれない。ユーザーが遊ぶための入り口のハードルを上げ過ぎるのは下策なのでソロでも問題は無いように作られているとは思うが、調査するのにギルド組むのが必須とか言われると少々面倒なのだ。
とはいえ、チームプレイの出来がどうなってるかもこの手のゲームでは大事な調査ポイントとなる。妹ばっかり頼るのも芸がないのと、自分で直接触ってみないと分からないことも世の中多い。出来れば手間をかけずにテキパキと一人で動けるに越したことは無いが多少手配しておくこととした。
1話ごとの長さは当面5000字程度を目途で考えてます。読みやすい長さとかあれば、ご意見くださいましたら。話の区切り方との相談にはなりますが。