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運命の別れ

21


ここから先は、僕のひとり語りだ。

なぜなら・・・あの日を最後に、綾乃は、僕の前から、姿を消してしまったから。


あの、綾乃の誕生日以降、僕たちは、会えないまま、年を越した。

一月二日。

あの日は、忘れられない。

あの日、とんでもない事件が起こってしまった。


綾乃の父親が、ホテルで首を吊ったのだ。

僕は、テレビのニュースで、初めてそれを知った。

時刻は、十九時ごろだったろうか。


カリスマ政治家の、謎の多いスキャンダラスな死。


テレビ各局は、その謎を、面白おかしく分析していた。

ニュースキャスターやコメンテーターはハイになり、政治面や経済面だけでなく

彼の女関係まで割り出して、勝手に物語を作っていた。

話は、綾乃自身のことにまで、及んでいた。


僕は、ぞくりとした。

こんな話を、綾乃が聞いて、傷つかないはずがない・・・!

それに、たったひとり、残った肉親を、親を、彼女は失ってしまったのだ。

しかも、自殺で!

なんて、残酷なんだ・・・!

綾乃の父親を、本気で憎んだ。


僕は、いますぐ、綾乃のそばに行きたかった。

しっかり、この手で、抱きしめて、大丈夫だと言ってあげたかった。

僕が、愛を注ぐ。

一生、君に愛を注ぎ続ける。だから、大丈夫だ・・・。

そう、言ってあげたかった。


電話・・・そう、まずは、電話だ。

綾乃の携帯に、電話を掛ける。

・・・出ない。

アナウンスは、「電源が切れています」と言っていた。

考えてみれば、当然かもしれない。

今頃、興味本位で、綾乃に電話を掛けるやつが、何百人いることか。


かと言って、家に行くこともできなかった。

テレビ画面には、綾乃の豪邸が映し出され、報道陣が山ほどいた。

僕は、ただ、祈るしかなかった。

綾乃が、無事でいることを、心を怪我していないことを、

祈るしかなかった。食べ物も、喉を通らなかった。

ただ、食い入るように、テレビの画面を見ては、カチャカチャとチャンネルを変えた。


二十二時。

僕の携帯のベルが鳴った。

綾乃からだ!

急いで、電話を取る。

「せんせ・・・?テレビ・・・見た?」

電話の声は、涙声だった。

弱弱しい。

「見たよ。心配していた。君のことを、ずっと心配してたんだ。

大丈夫か、綾乃・・・」「お父さん、死んじゃった・・・。

遺書があったわ・・・。私宛に。

すまない・・・って。一生、生きていけるだけの、金は残してあるって。

馬鹿みたい・・・。

お金なんて、どうだっていいのに・・・。

生きていてくれれば、それだけでよかったのに・・・」

僕は、なんて答えていいか、わからなかった。

「先生?・・・なんか、しゃべって?」

「綾乃・・・君のことは、僕が守る。一生、守る。約束する。

だから、変なことは考えないでくれ」

「・・・自殺ってこと?」

「そんなこと、考えるな!大丈夫だ」

なにが大丈夫なのか、わからなかったが、それしか言えなかった。

「私ね・・・今、家にひとりきりなの・・・。

正月だから、女中たちは、早めに帰ったし、

母親は、いま、別の男と一緒にいて、帰れないでいる・・・。

報道陣が、家の前に、たくさんいて、散々チャイムを鳴らすから、怖い・・・」


僕は、ぞっとした。

綾乃の心が、繊細で傷つきやすいことを、僕は誰よりもよく知っていたから。

耐えきれないほど、残酷な現実。

綾乃は、綾乃の心は、大丈夫だろうか。


「こんなときに、そばにいてやれなくて、本当にごめん・・・」

「いいのよ・・・先生のせいじゃないわ・・・」

とにかく、綾乃をそこから脱出させたかった。

「君の家の裏通用口もふさがれてる?」

「いいえ・・・たぶん、大丈夫」「そこから逃げ出すんだ。

そして、できるだけ目立たないビジネスホテルに泊まれ。

そんなところに、ひとりでいたら、誰だって気がおかしくなる」「わかった・・・」

綾乃は言った。「ねえ、祐介、来てくれる?」

行きたかった。行って抱きしめたかった。

でも・・・

「・・・僕はいけないよ。万が一、騒ぎが大きくなっては、なにより、君が困る」

「じゃあ、このまま電話していて・・・」

「電話は構わない。でも、脱出が先だ。いいか?気をしっかりもつんだ。

ホテルに着いたら、何時でも構わないから、電話をくれ」

「わかった。祐介の言うとおりにする・・・」

「・・・もう少しの辛抱だから・・・。がんばって・・・幸運を祈る・・・」

「うん・・・ありがとう・・・」

そこで、電話は、切れた。


僕は、そのとき初めて、綾乃を抱きたいと思った。抱きしめたい、ではない。

なにひとつ、まとわない姿で、綾乃と熱いキスを交わし、身体をぴったりと惹きつけあって、

隅々までなめまわし、

自分の男根を彼女にうずめて、激しく奮い立たせたい。

僕は、激しく勃起した。

そして、その甘やかな夢のなかで、こんなときに、綾乃に対して、身勝手な空想にふけっている自分を、深く恥じた。

本当に、申し訳ないと思った。


僕は、僕はなんて、自分勝手な人間なんだ・・・。

僕には、綾乃を愛する資格があるのか・・・?


僕は、ひたすら、電話を待った。

けれど、その日、電話のベルが、鳴ることはなかった・・・。

たぶん・・・たぶん、バチが当たったんだな。あんなことを考えたから・・・。

仏様がくれた罰は、僕が想像していたよりも、ずっと重いものだった。


22


綾乃は、その日以来、学校に一度も現れなかった。

もちろん、僕は、何回も電話を掛けた。

しかし、いつのまにか、携帯が解約になっていた・・・。

世間のほとぼりが冷めた頃、こっそり家にも行ってみた。

でも、チャイムを押しても、誰も出ない・・・。

格子戸の隙間から、なかを覗いた。

水を抜かれて、がらんとしたプールが、一層、さみしかった。

去年の夏の日、ここで、あんなに遊んだのに・・・。

僕たちは、本当に、愛し合っていたのに・・・。


僕は、空っぽの心のまま、教壇に立った。

綾乃がもう帰ってこないことを、どこかで知っていたのかもしれない・・・。


僕は、むしろ今までよりも精力的に仕事に打ち込んだ。

職員室で一人、資料を集めたりしているとき、

空っぽの心が、無心で埋まっていくような気がして、心地よかった。

痛みが、少し忘れられるような気がした。


三月になると、状況は一変した。

卒業ムードに包まれるなか、職員室では、ある噂が、ささやかれるようになった。


安河内綾乃は退学になる・・・。


その噂が、僕の耳に入ってきたのは、かなり遅れてであった。

僕が、なるべく誰とも関わらないようにしてきたからだ。


教えてくれたのは、高倉だった。

「お前、綾乃を守れなかったな・・・」

高倉は、言った。

「ほんとに、お前は間抜けなやつだよ」

高倉は、むしろ悲しげな目で、僕を見ていた。

「ああ、僕は、馬鹿だ・・・。どうしようもなく、馬鹿だよ・・・」


僕は後悔した。

本当は・・・本当はあの時、きっと、多少の危険を冒してでも、

綾乃のそばにいるべきだったんだ・・・。

抱きしめて、綾乃の涙を、受け止めてあげるべきだったんだ・・・。

僕は、道を間違えてしまった。

本当に、どうしようもない、だめ男だな・・・。

僕は、せめても、綾乃のために、なんとかしなくてはと思った。


叩いたのは、教頭室の扉だった。


「安河内綾乃さんが、退学になるといううわさは本当なんですか?」

「何だね、突然。森永先生」

勢い込んだ僕に、教頭は驚いていたようだった。

「聞いたんです、その噂を」

教頭は、デスクにひじをつき、組んだ手にあごを乗せて、ため息をついた。

「・・・本当だよ」

「なぜ!」

「安河内くんは、期末テストをひとつも受けていないんだよ?

二ヶ月も休んだままで、一度も学校に来ていないしね。

それに・・・なにより、彼女は、父親というバックボーンを無くした・・・」


僕は、怒りが込み上げてならなかった。

「そうなったのは、彼女のせいじゃない!!

なんで、つらい境遇にある生徒を、ますます追い込むようなことをするんですか?!」

僕は、語気を荒げた。

教頭は、ためいきをひとつついて言った。

「君は、なぜそんなに一人の生徒に入れ込むのかね。

なにか、理由があるのかな?」

「それは・・・彼女には音楽の才能があると思うからです・・・」

僕は、嘘をついた。

もちろん、本音は違った。

綾乃の居場所がどこにもなくなるのが、怖かったからだ。

いまごろ、どこで、どうしているのか知らないが、

帰って来られる場所を、用意してあげたかった。

僕は、こみ上げてくる悔し涙を必死に抑えながら、そう言うのが精一杯だった。

「英語教師の君に、音楽の良し悪しなどわかるのかな?」

「わかります!どんな人の心をも打つ才能を彼女は持ってる!!」

「安河内くんのピアノの成績は、確かトップテンには入っていないはずだよ」

「ピアノじゃなくて、声楽科に変えてあげれば・・・

安河内さんの歌声は本当にすばらしくて・・・」


教頭は、せせら笑った。

「君は自分の立場をわかっているのかね?

変な話・・・君が、いち生徒に深入りしすぎているようだということは、

私の耳にも入ってきているんだよ?」

僕は、二の句が告げなかった。

なさけないけど、なにも言えなかった。

「それにね、父兄の目が厳しくてね。

彼女をこのままエスカレーターで大学にあげると、大学の名前に傷がつくと・・・」

・・・確かに、彼女の名前は、スキャンダラスすぎた。

「出て行きたまえ。これは、いち非常勤講師なんかの口を挟む問題ではない」


果たして、安河内綾乃は、退学になった。


そして、同時に、僕は、高校教師の職を辞した・・・

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