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色とりどりの雨


同僚のなかに、気の合いそうなやつはほとんどいなかった。

僕は、もともと、人見知りするほうだし、寡黙だし、

それに、裕福な学校の高校教師たちに、どうしても、なじめるとは思えなかった。


唯一、まともな話ができるのは、体育教師の高倉くらいだった。

彼は、とても気さくで明るかったから、誰にでも好かれた。

同僚はもちろんのこと、女子高生にも、よくモテた。

でも、彼について、浮ついた噂を聞いたことは一度もない。

彼は、潔癖で、ユーモアにあふれ、さわやかだった。

眉が太くて、目は優しく、笑うと白い歯が魅力的だ。

人気があるのに、少しも驕ることなく、

僕と同じように、庶民の出なのも、彼に好感をもった一因だ。


一番始めに、彼に掛けられた言葉は、これだ。

「いいか?森永。染まるなよ?」

彼は、白い歯を見せて笑った。

「この世界は特別だ。こんな豪華絢爛な世界を、世間一般と思うな。

今まで生きてきた世界を忘れたら、お前はやっていけなくなるぞ。

森永、『親友』、と呼んでもいいかな?」


僕はびっくりした。

まるで、世界の中心を歩いているような、高倉が、僕のことを

―――こんなに、地味で、いけてない僕のことを、親友、と呼んでくれるのか?

一体、僕のなにが、高倉の琴線にふれたのか、まったくわからなかった。

「も、もちろんです、高倉さん。こんな僕で良ければ・・・」

「敬語は抜きだ。『さん』もいらない。なんせ、『親友』なんだからな」

高倉は、さわやかな笑顔を見せると、僕の肩をぽん、と叩いて、

「よろしく頼むよ、親友」

と言って、去って行った。


非常勤は、授業のない時間が多い。

かと言って、職員室は、落ち着かなかった。

僕は、授業のコマの空いた時間を、屋上で過ごすことにした。

誰もいない屋上は、春の日差しが暖かくて、とても落ち着く。

僕は、パソコンと教科書を持ち出して、そこで授業のための準備をした。


ある日の昼休み、僕は、屋上の隅に腰かけて、サンドイッチと野菜ジュースを食していた。

「ずいぶん、つつましいのね」

声に振り返ってみると、後ろに、安河内綾乃が立っていた。

手には、風呂敷包みの弁当。

「ご一緒してよろしい?」

「いいよ」

綾乃は、僕の隣に腰かけた。

甘い香水の香りが、鼻をくすぐる。


広げられた弁当は、三段のお重。色とりどりで、豪華なおかずがたくさん入っていた。

「痩せの大食いだと思ってるんでしょ」

綾乃は、僕の目を見て笑った。

「女中のお手製よ?先生も、なにか召し上がらない?

サンドイッチだけじゃ、お腹すくでしょ」

「いや、結構だよ。僕には、これで充分だ」

「そう?では、失礼して・・・」

綾乃は、優雅にお弁当を食べ始めた。

長い沈黙。

僕は、なにか話すことはないかと考えたが、思いつかなかった。

なんせ、こういうのが、一番苦手なのだ。

席を立とうかとも思ったのだが、なんだか、綾乃がかわいそうな気がした。


「いつも、ここでお弁当を?」

やっと出た言葉は、それだった。

「そうよ。大抵は。・・・でも、森永先生と会うのは初めてね。

先生も、いつもここで召し上がってるの?」

「最近はね。こんなに居心地のいい場所があるって、知らなかったから」

「この季節は一番いいのよ?日差しも風も暖かい」

「ほんとだね。気持ちいいよ」


「ねえ、春と夏と秋と冬、どれが一番好き?」

綾乃が訊いた。

「秋かな。次に冬が好きだ」

綾乃は笑った。

「先生は、幸せなのね」

「なぜ?」

「幸せな者は悲劇を好み、不幸せな者は、喜劇を好む。

さみしい季節を好きだと言えるのは、幸せな証拠よ?」

「安河内さんは、どれが一番好きなの?」

「私は、夏が好き。その次は春」


「安河内さんは、不幸せなの?」

綾乃は、ちょっと考えてから言った。

「わかんない。

・・・きっと、百人に訊いたら、百人とも、『お前は恵まれてる』と言うでしょうね」

「大事なのは・・・ほかのひとの目に映る君ではなく、

君自身が、どう感じるか、だと思う」

「そうね・・・」


綾乃は、弁当を綺麗に食べ終えると、きちんと包んで、

ポケットに入っていた、アナスイのケースから、煙草とジッポのライターを出した。

とても細い煙草に火をつけて、優雅に、一息吹く。

高校生が、教師の目の前で、堂々と煙草?

僕は、なにか言わなければ、と思った。

でも、綾乃の、あまりに堂々とした仕草に、つい、言葉を失ってしまった。


僕だって、ひとりの人間だ。

初めて煙草を覚えたのは、十七の時だった。

イギリスに行くにあたって、煙草はやめたが、

とてもじゃないけど、偉そうなことを言える人間ではなかった。


綾乃は、一本吸い終えると、吸い殻を金色の吸い殻ケースに入れ、

煙草とライターをしまって、席を立った。

「森永先生、またね」

「あ、ああ・・・」


綾乃に舐められた。そう思った。

「やれやれ・・・どうして、僕は、こんなにだめ人間なんだろうな・・・」

ため息をついて、空を見上げた。

水彩絵の具で描いたような、水色の空に、白い雲がひとつふたつ、浮かんでいた。



人生のゲームで、唯一面白いものがあるとしたら、

それは、恋ね。

相手を惹きつけ、惑わせ、私のこと以外、なにも手がつかないように追い込んで、

思いのままに操って、いらなくなったら捨てる。


こんな私にだって、好きなひとはいるのよ?


体育教師の高倉。

彼に恋しない女の子はいないわ。

でも、高倉は、そんな女の子たちに、見向きもしない。

別に、冷たくあしらうわけではないわ。

相手にしないだけ。

ジョークで紛らわせて、軽くかわす。


高倉に、好きだという態度を取ったことは、一度もないわ。

そんなんで、落ちる男なんて、つまらない。

高倉の下駄箱には、いつも溢れんばかりにラブレターが入っているみたいだけど

そんなの馬鹿げてる。


私はいつも、妄想するの。

教室の一番窓際の席にいて、ぼーっと、運動場を眺めながら、

高倉とどんな駆け引きをするのか、どんな会話をするのか、どんなキスを交わすのか。

高倉だって、恋のひとつやふたつは、軽くしてきているはずよ?

彼が惚れるのは、どんな女?

本気で夢中にさせる、忘れられない女に、私はなりたいわ。

高倉なら、少しは骨がありそう。

この退屈な私の世界を、少しは変えてくれるんじゃないかしら。


森永・・・?

笑わせないでよ、あんなさえない男。

目の前で、煙草を吸っても、なんにも言えない、小さな男なのよ?

夢中にさせるのは簡単。

でも、それじゃ、私が楽しくないわ。

馬鹿馬鹿しい。



次の日の昼休み、屋上に上がったら、森永はいなかったわ。

なんだ。

つまらない。

くだらない男ね。臆病者だわ。

って、昨日の席についたら、そこには大きな紙袋が置いてあったの。

なに?

中には、封筒が入っていた。

手紙を開く。


「安河内さんへ


煙草は、美容にも健康にもよくないから、やめたほうがいい。

頭も悪くなるしね。

僕も、偉そうなことを言えた義理じゃないけど、これで我慢して。


森永」


紙袋の中には、飴の袋が百ほど入っていたわ。

色とりどりの飴の袋・・・。


悔しいっ!


森永のことを、舐めていただけに、余計にね。

その手には乗らないわ!

私は、飴の袋を全部出すと、びりびり破いて、飴をひとつひとつの小袋にして、

紙袋にぶちまけていった。

そして、大きな紙袋を手にすると、職員室の真上に行って、

飴をばらばらとばらまいたのよ。

いい気味!

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