跳ね蛙
冗句というものに対してあれほどまで熱烈に心を砕く者など、あの王以外には聞いたことが無い。
王はまるで戯れのためだけに生きているかのようであり、あのような王に気に入られるには痛快愉快な滑稽譚を面白可笑しく語ってみせるのが最も確実な道であったと言えよう。だからこそ王に仕える七人の大臣はみな道化師のような芸才ばかりが際立って見えたのである。王に勝るとも劣らず、大臣たちもそれはもう天下無二の道化師さながらの、大柄でぶくぶくと肥えている脂ぎった男たちばかりであった。冗談を言うから太ったのか、それとも贅肉には冗句か何かが詰まっているというのか。いずれにしても、はっきりとした結論を下すのは不可能であろう。だが、それでも確かなのは、この世界では痩せこけた道化師なぞ滅多にお目に掛かれない、ということだ。
こと細やかな趣向、いや王の言葉に倣えば機知の「亡霊」だろうか。王は、そんなものにはほとんど関心が無かった。冗談の持つ鷹揚さを王はとりわけ賛美していたし、その鷹揚さを求めるが余り、時には長たらしい話を我慢して聞くことさえもあった。細か過ぎる趣向なぞ、もう鬱陶しくて仕方なかったのである。ヴォルテールの「ザディグ」よりも、王はラブレーの「ガルガンテュア」を好んだだろうし、はっきり言ってしまえば、口先だけの洒落よりも目に見える悪ふざけの方が、遥かに王の好みに合っていたのである。
道化師を生業とする者は廃れすっかり宮廷から姿を消してしまった、などということはこのお話の時代にはまだ無かった。偉大な欧州の「権力者」達は、帽子や鈴、斑の服を身に纏う彼ら「道化」を未だ手元に置いていたし、彼ら道化がいつも鮮烈な洒落を披露してくれるのを楽しみにしていたのだった。それも、宮廷の食卓に並ぶ豪奢なおこぼれのためなら、即興の冗句でも見せてくれるだろうと思っていたらしい。
当然のことながら、我らが王も「道化」を召し抱えていた。実際、王は……自分のことは言うまでも無く、大臣たる七賢人の重苦しい智慧との釣り合いを取りたかっただけに……何か愚かしいことを欲していたのである。
しかし、その王の愚劣な道化、いやきちんとした雇われ道化師は、ただの道化では無かった。その侏儒のような体躯と不自由な手足のために、王の見立てではその道化には三倍もの価値があったのである。侏儒というのは、当時の宮廷では道化師と同じくらい有り触れたものであったから、きっと君主の多くは分かっていたのだろう。道化師を笑い飛ばすこと、侏儒を嘲笑うこと、この二つが無くては日々を過ごすことなど到底ままならぬ、ということを。(何しろ、宮廷での毎日というものは他のどの場所よりもずっと長いのだから。)
ところで、先程から述べているように、一般に思い描く道化師というのは、十中八九、まんまるに太っていて不格好なものに違いないのだろう。……だが、この跳ね蛙(これが道化の名であった)について言えば、王はこの上なく満足していたのである。何しろ、道化一人で三人分の財価を秘めていたのだから。
この「跳ね蛙」なる名前は、なにも教会の代父母が洗礼名として侏儒に授けたもの、というわけでは無い。実を言えば、その道化は他の人々のようには歩くことが出来なかったので、七大臣らも満場一致でその名を与えてやったそうだ。事実、跳ね蛙は覚束ない足取りで以てやっとのこと歩き出せるという具合であった……それはもう、飛び跳ねたり、のた打ち廻るといった風に。……そして、この動きはこの上無いほどに面白可笑しいものであったし、もちろん王にとっては慰み物にもなっていた。というのも、宮廷の者は皆、王の姿を(太鼓腹で生まれつき頭が膨れ上がったにも関わらず)立派なお姿だと口にして止まなかったのである。
跳ね蛙は、その捻じ曲がった両足のせいで戸外や屋内に関わらず酷い痛みや困難を抱えて歩かねばならなかったのだが、その両腕の筋力には実に目を見張るものがあったのである。道化は下肢の欠陥を補うように、天が授け賜うたかのようなその腕力で以て巧妙見事な妙技を披露してきたのだ。樹木や荒縄はもちろんのこと、登れるものは何でも登っていたと云う。しかし、そんな時の道化は蛙というよりは、きっと栗鼠や小猿によく似ていたことだろう。
跳ね蛙が何処の国の生まれであるかについてはっきりとしたことは言えないのだが、今まで耳にしたこともないような……王の宮廷からは遥か遠くの異邦の地なのであろう。宮廷には跳ね蛙とほとんど変わらぬほどの小さな乙女(これは素晴らしい均整美を兼ね備えた、美しい踊り子であった)がいて、跳ね蛙とその乙女の故郷は互いに隣り合った国にあったと云う。だが、王に仕える常勝将軍が彼らを各々の故郷から無理やり連れ去って、献上品として王の手元に送り届けたのであった。
このような境遇では、この小さな俘虜二人の間に非常に深い情が芽生える、というのは不思議なことではあるまい。実際、両人ともすぐに心から誓い合った親友となったのである。
跳ね蛙は冗談や滑稽事に力を入れていたのだが、決して評判の良いものでは無く、踊り子トリペッタを労ってやるなぞこの道化の力ではほとんど出来なかった。だが、トリペッタの方は(侏儒ではあったものの)その優美さと美しさのために、広く賛美と寵愛を受けていたのである。それゆえ彼女にはかなりの発言力があり、跳ね蛙の助けになると思って、その影響力が使える時を見計らっては事あるごとに鶴の一声を上げていたのである。
さて、国を挙げての或る大規模な式典の折……それが何だったのかもう忘れてしまったが……王は仮面舞踏会を催すと決めたのであった。
仮面舞踏会やその手のことが宮廷で開かれるとなるといつも、芸達者な跳ね蛙やトリペッタたちが呼び出され、手を貸すことになっていたらしい。とりわけ跳ね蛙は、仮装劇の準備となると非常に工夫をする男で、仮装舞踏会のために奇抜な役柄を提案したり、衣装を用意したりもした。それはもう跳ね蛙の手助けが無くては事が進まぬというほどである。
そして、祭典の夜がとうとう訪れる。トリペッタの眼下には、豪奢な大広間が広がっており、仮面舞踏会に華やかさを添えてくれるであろう様々な趣向が用意されていた。宮廷の人々も皆、期待に熱く胸を膨らませている。衣装や役柄に関しては、皆もう決め終わったらしかったし、それは当然だと言えば当然なことだった。何しろ、一週間、いや一ヶ月も前から、多くの人が(自分が仮装をする役柄について)個々の思いを固めていたのだから。実際、決めかねているなどという声は何処からも上がっていなかった。……だが、それも王と七大臣の処を除いての話である。
何故、王たちが躊躇っていたのかについては、どうしても分からない。もう冗談のつもりだったとしか思えないくらいだが、おそらくは酷く太っていたせいで決心が付けられなかったのだろう。
いずれにしろ、時は過ぎ去り、とうとう王たちは最後の頼みの綱だと云って、トリペッタと跳ね蛙を呼びつけることとなったのだった。
仲の良い小さな二人は王の呼び付けに応じたのだが、そこで二人が目にしたのは、葡萄酒を飲みながら腰を掛けている王の姿とその閣議に集う七人の面々である。それに、どうにも国王陛下は機嫌を悪くしているらしかった。
王は跳ね蛙が酒の飲めぬことを知っていた。この哀れで不具な男は酒を飲むとのぼせ上がり、まるで狂ったかのようになってしまうのである。そういった乱痴気騒ぎは実に不快なものであるのだが、王は悪ふざけが大好きであるから、跳ね蛙に無理やり酒を飲ませて面白がっていたのである。(王に謂わせれば)これは「実に愉快なこと」らしい。
「跳ね蛙よ、近う寄れ」と王が告げ告げると、道化とその連れは部屋の中へと入っていった。
「まずはこの並々と注がれた杯を飲み干せ、ここには居らぬ貴様の友の健康を祝ってな。(このとき、跳ね蛙は溜息を漏らした。)それから、貴様の思いつくような良い知恵を貸してくれ。役が思いつかずに困っているのだ……ああ、役柄のことだ。何か奇抜な……風変わりな役どころをやりたいのだよ。相も変わらずいつも同じ格好では、もううんざりしてしまったのだ。さあ、飲め! 飲めば貴様の頓知頭も良く回るであろうよ」
言い寄る王に応じるべく、跳ね蛙はいつものように冗談をい言ってしまおうと知恵を振り絞ったのだが、その奮闘にも限界が訪れた。その日はたまたまこの哀れな侏儒の誕生日でもあり、「ここには居ない故郷の友人」のために酒を飲めという王の命令に、どうしても涙を浮かべずにはいられなかったのである。脅えたまま、道化が暴君の手から酒杯を受け取ると、苦々しい大粒の涙が杯の中に落ち込んでいった。
「フハッ! ハハハッ!」
侏儒が嫌々大杯を飲み干すと、王は大笑いを始めるのだった……。
「よく味わえよ、良い酒の効き目とやらをな! そら、もう目がギラギラと光っておるぞ!」
何と不憫な男であろうか! 道化の大きな目は輝いていたのではない、ぼんやりとした光を湛えていたのだ。葡萄酒のせいで快活だった道化の思考は精彩を欠き始め、すっかりと鈍ってしまった。杯を神経質そうに洋卓の上に置くと、道化はその場に居た人たちをぐるりと見渡した。それも、多少……狂気を孕んだ眼差しで。その場に居た人々は皆、王の「悪ふざけ」が成功したことで大いに面白がっているようだった。
「さて、それでは本題に戻りましょうぞ」と言い出したのは宰相で、この男はかなり肥えていた。
「ああ、そうだな」王はこう答え、次のように続けた。
「これこれ、貴様の力を貸してくれ。役だぞ、我が佳き下僕よ。わしらは皆……役柄が欲しいのだよ……アハハハッ!」
するとこれが酷く滑稽だったらしく、王につられ七大臣も揃って笑い出した。
跳ね蛙も笑っていたが、それは儚げでどこかぼんやりとした笑い声だった。
王はもどかしくなって「さあ、ほら。何か意見は無いのか?」と急き立てた。
「ただ今、何か奇抜なことは無いかと思い巡らしているところでございます」
ぼんやりしたまま侏儒は答えたのだが、どうにも酒のせいで酷く混乱しているらしかった。
「『思い巡らしているところでございます』だと! どうしたのだ? おお、そうか。貴様、拗ねておるのだな。もっと酒が欲しいのだろう。ならば、飲め、飲め!」
王は荒々しく叫ぶと、また酒を別の杯に並々と注ぎ、この足の悪い道化に突き付けた。道化は息苦しそうに喘いだまま、その杯をただじっと見つめるだけであった。
「飲めと言っておるだろうが! どうしても飲まぬというのなら、貴様の仲間にでも……」
陛下が大きく怒鳴り上げたため、侏儒は口ごもってしまった。憤怒が王の顔を深紅に染め上げ、ご機嫌取りの廷臣たちはニタニタと作り笑いを浮かべ始めるのであった。
すると、死人のように青ざめたトリペッタが王座に歩み寄り、王の前で跪いた。親友をどうか赦してくれるように、と王に必死で懇願したのである。
乙女のその大胆さに唖然となって、暴君はしばらくその娘をじっと凝視していた。その姿は……この憤りを言い表わすには如何なる言葉、如何なる振る舞いが相応しいのか……と思い悩み、ひたすら途方に暮れているようであった。そして、とうとう一言も発すること無く、娘を乱暴に突き飛ばし、かと思えば、溢れんばかりに注がれていた酒杯を娘の顔にぶちまけたのであった。
可哀想なこの乙女はなんとか身を起こしたものの、先ほどの思い切りはもう息を潜めてしまい、溜息さえもつけないでいた。そして、そのまま元居た処に戻るように、洋卓の脚に身を寄せたのである。
ほんのしばらくの間だけだが、そこには死んだような沈黙が流れていた。その間、木葉や羽毛が落ちる音を耳にしたかもしれぬ、そんな静けさである。だが、そのような沈黙も、恐ろしく鈍重な音によって打ち破られてしまうのだった。それも、まるで部屋の四隅から一斉に鳴り響いているかのような、耳障りで間延びした騒めきによって。
「なんだ……なんなのだ……この騒音は、貴様のせいなのか?」
怒り狂った様子で侏儒の方を振り向くと、王は激しく問い詰め始めた。
すっかり酔いも醒めてきたらしく、物静かではあるものの跳ね蛙はしっかりとした眼差しを暴君の顔に向けていた。
「私が……私めがでございますか? この私めに、何が出来るというのですか!」
だが、何をし出すのかと思えば、跳ね蛙はいきなり叫び声を上げただけであった。
すると廷臣の一人が「あの音は何処からともなく聞こえてきたのですぞ。もしやあの窓辺に居る鸚鵡やもしれませぬ。あやつは籠の柵で嘴を研いでおるようですから」と告げたのであった。
王はその言葉に胸を撫で下ろしたらしく、「そうかもしれぬな」と返した後にこう続けた。
「いやしかし、騎士の面目もある。かの怪音はこのならず者の歯軋りであった、などと言い放ってしまうところだったぞ」
この時、侏儒の口からは笑みがこぼれた(というのも、この時の王はどう見ても冗談を飛ばしており、誰かが笑うのを叱り付けるようには見えなかったからである)。跳ね蛙は力強く、大きな歯を剥き出しにして笑っていたのだが、その並んだ歯はどうにも不気味で仕方がなかった。その上すっかり上機嫌になったらしく、お酒ならいくらでも喜んで頂戴いたしましょう、などと言い出すほどであった。陛下が平静を取り戻すと、跳ね蛙は並々と注がれた酒杯を喉に流し込んだのである。だが、今度はほとんど悪酔いすることも無く、意気込んでみればすぐに仮面舞踏会の案が思い浮かんだらしかった。
「頭の中で思い描いていることをまるまる全てお話しすることは出来ませんが……」
道化はとても静かに、それも生まれてから葡萄酒など一度も口にしたことが無いというような様子で語り始めた。
「これも偏に陛下のおかげでございます。あの娘を打ち据え、その顔に葡萄酒を浴びせかける……陛下がかようなことをなさったすぐ後、窓の向こうで鸚鵡があの奇怪な音を立てました。その時、とても素晴らしい趣向が私の頭へと舞い込んで来たのです。私の故郷の遊戯の一つにございますが……私の国では仮装舞踏会となると、事あるごとにこの遊戯をやってまいりました。それでも、この国の方々にとっては全く初めてのことにございましょう。ですが、残念なことに、これには演者が八人揃わなければなりませんし、それに……」
すると、大声で吼える者がいた。王である。
「ここにいるではないか! 八人それぞれいるだろう……わしと七人の大臣たちが。さあ! 一体何なのだ、その趣向とやらは?」
この偶然の一致にすぐさま気付いてみせると、王はそのまま大声で笑い出したので、足の悪い道化もそれにこう答えた。
「私どもは『鎖縛りの八猩々』と呼んでおったのですが、巧く演じればまことに面白い遊戯なのでございます」
「その趣向とやらをやってみようではないか」
王は目を細め、背筋を伸ばしながらそう告げた。すると、跳ね蛙は次のように続けたのである。
「この遊戯の妙味というのは、恐怖にあるのです。それもご婦人方を怖がらせることにあるのでございます」
その時、陛下と大臣は皆、声を揃えて「何と、素晴らしい!」と叫んだが、侏儒はまたそのまま話を続けるのであった。
「皆様方には猩々の仮装をしていただきましょう。私めに全てお任せ下さい。とても人目を惹く良く出来た仮装になりましょうし、舞踏会に招かれた方々はきっと皆様方のことを本物の獣と見誤ってしまうことでしょう。……それにもちろん、飛び上がってしまうほどに、ご婦人方も怖がってくれるはずでございます」
「おお、素晴らしい、素晴らしいぞ! 跳ね蛙よ、貴様には褒美を取らせてやろう!」
そう言って金切り声を上げたのは他でも無い王であった。
「鎖縛りというのはジャラジャラと音を鳴らせて、観客の狼狽や困惑を煽り立てるためのものでございます。皆一斉に、狩猟番の手元から逃げてしまった、ということになっておりますので。仮面舞踏会の場では、来賓客のほとんどが、その鎖に繋がれた八匹の猩猩を本物だと思い込むことでしょう。いくらご威光高き陛下と言えども、それが巻き起こす衝撃なぞは想像もつかぬことと思います。繊細で華美な衣装に身を包んだ殿方やご婦人方が沢山いる中に、獣達が獰猛な叫び声を上げながら飛び込むのでございます。その取り合わせといったら、まさしく天下無類のものにございましょう!」
「成る程、そうに違いあるまい」
王が口を開いてそう言うと、(もう夜も更けてしまっていたので)大急ぎで審議が執り行われた。もちろん、跳ね蛙の案を実行に移すために、である。
そして、跳ね蛙は王たちを猩猩らしく装い立て始めた。そのやり方は極めて簡素であったものの、それでも目的を満たすには十分すぎるほどであった。それにこの物語の時代では、件の獣というのは文明国においては非常に稀少なものであり、何処に脚を運ぼうとも目にすることなど出来なかったのである。侏儒の仕立てたその仮装は恐ろしいだけでは無く極めて獣らしかったため、真に迫ったその姿は間違いもなく野生の獣のものに思われた。
王と大臣はまずピッチリとしたメリヤス地の肌着と股引に身を包み、それから身体中にタールを塗りたくることとなった。このとき、羽根飾りをつけてはどうか、と言い出す者が居たのだが、それもすぐに取り下げられた。猩々のような獣の毛を表すには亜麻こそが相応しいのでございます、と言って侏儒が実物を見せながら八人を説得したのである。それゆえ、タールで覆った上から、亜麻で作った毛皮を厚く貼り込んでいったのだった。
そして長い鎖がちょうど一条手元に届くと、まず初めにと、その鎖を王の腰回りにきつく巻き付けた。それから他の一人を縛り、同じようにして次々と皆を固く縛り上げていく。こうした鎖飾りの仕上げが終わり、互いの間隔が出来るだけ開くように立ってみると、王たちは一つの輪を作り上げていた。そこで、全体を自然に見せるため、その輪の上を横切るように鎖の余りを渡し、それがつくる二つの線が輪の中で直角に交わるようにしてみた。これは黒猩々や大猿などを獲るボルネオ人を真似たもので、現代でも用いられている方法である。
さて、仮面舞踏会が開かれる豪壮な大広間は聳えるように天井の高い円形の部屋であり、屋根に嵌められた一枚窓から差し込む天の光だけを受け入れていたのである。(この部屋は夜の候を惹き立てるべく造られており)夜になると、天窓の中央から伸びる鎖に提げられた大きな装飾灯が室内を明るく照らすのだった。いつもその装飾灯の上げ下げに同じ重さの錘を用いているのだが、その錘は(見栄えが悪くなってはいけないため)屋根越しに丸天井の外に出されていた。
室内の装飾はトリペッタの指揮に任せていたのだが、彼女自身、他人の判断に従っていたのでは、という点もいくつか見受けられる。そう、友人である侏儒の冷静な意見にである。この時の道化の提案というのは、装飾灯を取り払ってしまおう、といったものだった。というのも、装飾灯から蝋が滴り落ち(とても暖かな気候であったので、これは極めて避けがたいことであった)、その蝋が来賓客の高価な召し物を酷く汚してしまうかもしれなかったのである。大広間は来賓で溢れ返っていたため、皆に部屋の中央から距離を……つまり装飾灯の下から離れてもらう、というのはどうにも出来そうも無かった。
だから、邪魔にならぬよう、広間のあちらこちらに壁掛けの燭台が改めて取り付けられ、女像柱の右隣には甘い香りの漂う大燭台を置いていったのだった。それも、壁面に聳え立つ……五十、いや六十体の女像柱の全てにである。
あの八匹の猩々はと言えば、跳ね蛙の言いつけを守って、深夜まで(この時分には大広間は仮装客でほとんど一杯になっていた)辛抱強く会場に顔を出さずに待っていたのであった。そして、真夜中を告げる鐘が鳴り終えた途端、猩々たちは勢いよく飛び込んでいったのである。いや、一斉に転がり込んだ、と言う方が良いかもしれない……何しろ、邪魔な鎖のせいで大半が転んでしまい、全員が全員、躓きながら部屋に入っていったのだから。
さて、仮装客の動揺といったら並外れて素晴らしいもので、王の心中は歓喜で満たされていった。それに、期待していた通り、来客は残らず皆、この獰猛な姿の生き物を本物の野獣か何かだと思い込んでいたらしかった。もちろん、猩猩だと言い当てる者こそ居なかったのだが、それでもご婦人がたの多くは恐怖のために気を失い、そのまま倒れ込んでしまっていた。もし、大広間から凶器を取り除くといった用心を王がしていなければ、すぐさま猩々たちはその血で以てこの浮かれ騒ぎの罪を償っていたかもしれない。
実際、来客は皆一様に扉の方へと駆け込んでいったのだが、大広間に王が入るや否や戸口には錠が下ろされたのだった。これは王の命令であり、跳ね蛙の提案に従って鍵は跳ね蛙に預けてしまっていた。
そして動乱は最高潮に達し、仮装客は皆各々の身を守ることだけに気を配っていた(実際、興奮した群衆の切迫感というのは、非常に真に迫った危険を孕んでいたのである)。そんな中でも、徐々に徐々に降りてきていたあの鎖は、多くの人の目に止まったかもしれない。いつも装飾灯を吊り下げていたあの鎖である。それは装飾灯を取り去った際に引き上げておいたはずなのだが、その鎖の先についた鉤はもう床から三尺ほどの処まで届いていた。
そこまで鎖が降りてくるとすぐに、王たちは気付いたのであった。大広間のあちこちをよろよろと歩き廻っていた王と七人の仲間は、とうとう気が付いたのである。自分たちがその部屋の中央に居ることに。もちろん、すぐに鎖が触れたことにも気付いていた。
かの侏儒はずっと王たちの後ろに静かに付き従い、騒動を続けさせるべく猩々を煽り立てていた。だが、王たちがこのような状況に置かれると、すぐに猩々たちを縛っていた鎖を掴み取ったのだった。それも、猩々の円をまっすぐ直角に横切っていた、あの二本の鎖が交差している処をである。そして目まぐるしいほどの素早さで、そこに鉤を挿し込んだ。いつもは装飾灯を引き提げているはずの、あの鉤を差し込んだのである。
するとすぐに、何か目には見えない力によって、装飾灯の鎖は鉤を外すことの出来ぬほどの高さまで引き上げられていった。そして当然の帰結として、鎖に密接に繋がった猩々たちも一緒に吊り上げられ、互いに顔と顔を見合わせたのである。
この時までに仮装客は恐怖から多少は立ち直っていたらしく、目の前で起きていることを全て手の込んだ冗談だと思い始めたのか、苦境に立たされている猿どもを見るなり大きな笑い声を巻き起こしていた。
すると、跳ね蛙が「彼奴らのことは、私めにお任せ下され!」と叫んだのである。その甲高い声は全く騒がしい中にあっても、それと聞き取れるほどであった。
「お任せ下さい。見知った者かもしれぬと、何となくそのような気がいたします。彼奴らの顔を眺めさえすれば、すぐに彼奴らが誰であるかお教え出来ることでしょう」
この時、跳ね蛙は群衆の頭上を飛び越えるようにして壁際まで辿り着いたところであった。そして女像柱から燭台を一つ掴み取るなり、また元来た道を引き返したのである。部屋の中央まで来ると、猿のような軽快さで王の頭上へ跳び乗り、それから数尺ほど鎖をよじ登っていった。それも猩々の調べるために明かりを手に持ったままで、相も変わらず「誰なのか、すぐに正体を明かして差し上げましょう!」と叫び続けているのである。
そこで、その場に居た皆が(もちろん、この猿たちも)笑いに身悶えていると、突如として道化が口笛をけたたましく鳴らしたのである。すると、鎖が五十尺ほど上方に荒々しく飛び上がったかと思いきや、それと同時にあの猩々たちも狼狽えつつ暴れつつ鎖に引っ張られていったのだった。そして宙吊りのまま、天窓と床の間にぶらりとぶら下がってしまった。
鎖が引き上げらたとき、跳ね蛙はそれにじっとしがみ付いていたため、道化と八人の仮装役者との位置は依然として変わらず、先程と同じように道化は明かりを下に居る連中に翳し続けていた。あたかも連中の正体を見破ろうと苦心しているように。
吊り上げられた連中が声も出せないほど酷い驚愕に呑まれてしまうと、死の如き静寂が一分ほど続いた、続いたのである。しかし、この沈黙もまた耳障りで不快な低音によって破られるのであった。それはトリペッタの顔に酒杯を投げつけたときに、王とその側近たちの注意を惹きつけた音によく似ていた。
だがしかし、この時ばかりは、その音の出処について疑念など浮かぶはずが無かった。なぜなら、それは侏儒の歯牙だったのである。口に泡を溜めながら、その牙のような歯を擦り合わせ、歯軋りを上げているのであった。狂ったような憤怒を剥き出して、王とその七人の仲間の困惑した顔を酷く睨みつけていたのだった。
「ふふ、ハハッ!」
激高した道化は漸く口を開いた。
「ああ、そうか! 彼奴らが誰なのか、今、分かってきましたぞ!」
すると跳ね蛙は、もっとよく調べなければなりませんな、などと宣いながら王に近付くと、その亜麻の毛に灯火を押し付けたのである。すると男の身を包む亜麻の毛皮はすぐさま火を上げ、そのまま明々とした炎に包まれていった。それを見上げていた多くの人々も悲鳴を上げるばかりで、少しでも救いの手を差し伸べるといった力も無かったため、猛火が八匹の猩々を全て包み込むのには一分も掛からなかった。
そして遂に、炎が悪意を持ったかのように唐突にその勢いを増すと、道化は押し遣られるようにして、火の手の届かないくらい高い所まで鎖を登っていった。道化がこんなことをしたため、またも群衆は束の間の静寂へと沈み込んでいったのである。
いや、だからこそ侏儒は、今一度、話をする機会を手にしたのだろう。
「今、ハッキリと分かりましたぞ。仮装している彼奴らが、何者であるのか。彼奴らは、偉大なる国王陛下と七人の諮問官殿でございます……無力な小娘を容赦も無く打ち据えた王様と、かような悪行を陛下に焚き付けた七大臣殿にございます。そして、この私めは跳ね蛙……ただの道化にござりまする。……さてさて、私めの座興も、これにて終わりでござい」
貼り付いていた亜麻やタールといった酷く燃えやすいものばかりであったから、侏儒がこの簡潔な挨拶を言い終えるか終えないかのうちに、この復讐という作品は申し分も無く出来上がっていたのである。
どれが誰だか見分けもつかぬほど黒く醜い塊となって、酷い異臭を放つ八体の死骸がぶらりと鎖から垂れ下がる。
足の悪い道化はそれに灯火を投げつけると、天井に向かってゆっくりと鎖をよじ登り、天窓から姿を消したのである。
大広間の屋根の上にはトリペッタがいて、この友と共謀してこの苛烈な復讐を執り行っていたのである。そして伴に、故郷への逃走劇を成し遂げたのだろう。何故なら、それからこの二人を見た者は居ないのだから。
原著:「Hop-Frog」(1849)
原著者:Edgar Alln Poe (1809-1849)
(E. A. Poeの著作権保護期間が満了していることをここに書き添えておきます。)
翻訳者:着地した鶏