第7話 レディーとメイドと揺れる想い
春の陽差しの中、シモンはテラノス邸の重厚な門前で足を止めた。
鋳鉄の門扉の脇には、私兵が直立不動の姿勢で控えている。
昨日とは異なる顔ぶれだが、鍛え抜かれた体躯と無駄のない所作から、この屋敷の格式がうかがえた。
「冒険者ギルドから来た、シモン・マックイーンだ。お嬢様に呼ばれてる」
名乗ると、私兵はすっと一礼し、門扉を開けた。
「お待ちしておりました。どうぞ、お入りください」
通された庭は、隅々まで手入れの行き届いた見事なものだった。芽吹いたばかりの若葉が、朝の陽光を受けて柔らかにきらめいている。
小道に咲く白い花の傍らで、一人の老人がしゃがみ込んでいた。
背筋はぴんと伸び、動作に無駄がない。働き者の庭師のようでありながら、どこか只者ではない気配を漂わせていた。
「よう、爺さん。今日も土と話してるのか?」
「ふぉっふぉ。土は正直だからのう。お主と違ってな」
返ってきたのは、昨日と変わらぬ軽口だった。謎めいた笑みを浮かべたまま、老人は花鋏を動かし続ける。
「昨日はお愉しみだったようじゃないか。……ふぉっふぉ」
「……見てたのかよ、って変な言い回しは勘弁してくれ」
肩をすくめるシモンに、爺さんは何も言わない。ただ、いやらしい笑みを浮かべたまま、手を動かし続けていた。
軽く手を挙げて玄関へと進むと、屋内の扉が音もなく開いた。出迎えたのは一人のメイドだった。優しく波打つ明るい茶髪に眼鏡をかけた、柔らかな印象の女性だ。――が、次の瞬間、彼女は目をまん丸に見開いた。
「し、シモン様っ!? は、初めまして、わた、私、テラノス様にお仕えしております、ミーナと申しますっ!」
頭を下げた勢いで眼鏡が落ちかけ、レースのついたヘッドドレスがずれた。リボンがふわりと揺れるのを、ミーナは慌てて両手で押さえ、わたわたと軽く跳ねるように動き回った。
その拍子に、メイド服の上からでもはっきり分かるほどの豊かな胸元が弾み、シモンの視線が反射的にそちらへ引き寄せられた。
(……むっ。……なるほど)
一瞬、視線がその軌跡を追う。
だがシモンはすぐに咳払いし、わずかに顔を背けた。
その横顔を見た瞬間、ミーナは小さく息を呑んだ。視線を逸らすようにうつむき、またずり落ちかけた眼鏡を慌てて押し上げる。
そんな様子を見て、シモンはふと口元を緩める。
(おもしろい娘だな。それに……なかなかに凄いな)
顔から火が出そうな様子で、それでも職務を思い出したのか、ミーナは何度か小さく瞬きをして気持ちを落ち着かせようとしていた。
「き、昨日のうちに、お嬢様の……ご、ご様子はお伺いしたのですが、まさか今日、本当にいらっしゃるとは……ああ、そのっ、こちらへどうぞ!」
「そんなに慌てなくていい。こちらがお邪魔している立場なんだし」
シモンが苦笑しつつ声をかけると、ミーナは頬を赤らめつつも扉を押さえ、案内しようとした。
だが、その瞬間、意を決したように振り向き口を開く。
「あのっ、シモン様。……お嬢様は、昨日の訓練でとてもお疲れのようでして……今日一日は、できればお休みに――」
――その言葉を遮るように、階段の上から凛としたジュリアの声が飛んできた。
「ミーナ、余計なことしないで。私は行くわ」
声にはわずかに硬さがあった。言葉の端々に、感情を押し殺しているような響きが滲んでいる。視線は静かで鋭く、弱さを見せまいとしているようにも見えた。
動きは丁寧で、姿勢も乱れていない。貴族の令嬢として身につけた所作が、滞りなく繰り出されていく。
――けれど、その一つ一つが、どこか微かに噛み合っていないように、シモンには見えた。無理をして整えているような優雅さが、不協和音めいた違和感として残る。
階段を下りてきたのは、昨日と打って変わって私服姿のジュリアだった。
ツーサイドアップに結ばれた髪がふわりと揺れ、結び目には深紅のリボンがひときわ目を引く。
ラフながらも洗練された白いカットソーに、質の良さが一目で分かる濃紺のミニスカートを合わせている。
脚元には、上品なレースアップブーツが静かな存在感を放ち、全体の印象を一段引き締めていた。
スレンダーな体型が、服のラインを際立たせているように見えた。
その姿を目にして、シモンは素直に言葉を洩らした。
「いいな、その服。カジュアルなのに上品で、落ち着いてる。……それに、そのリボン、いい色だ。君らしい、気の強さが滲んでる。よく似合ってるよ」
ジュリアは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにそっぽを向き、ほんのりと頬を染めながら、口をとがらせた。
「べ、別に……褒められるまでもないわ。モデルがいいんだから当然でしょ」
その言葉とは裏腹に、指先がわずかにスカートの裾をつまむ仕草が、どこか居心地悪そうで、それでも悪い気はしていないように見えた。
シモンはその横顔をちらりと見ながら、歩き出す少女の足取りに自然と目を向けた。やや慎重な歩幅。昨日の疲労は抜けつつあるようだが、完調とは言いがたいだろう。
(回復が早いのは、若さか……)
わずかに目を細めて思う。かつての自分にもあり、今の自分にはないものだ。羨ましさと、わずかな寂しさ、そしてどこか温かなものが胸の内で入り混じる。
「……これからは訓練のために、しばらくお爺様のお屋敷で生活するわ」
普段は学院に近いテラノスの市内の別邸、通称ジュリア邸を拠点にしていた彼女の口から、初めてそんな言葉が洩れた。
唐突な宣言に、ミーナの肩が小さく震えた。有無を言わせぬ声音に、ジュリアは間髪を入れず立ち上がる。
「えっ……お嬢様、こちらのお屋敷で……? そ、それでは別邸はどうなさるのですか?」
「学院にも――そう、こちらの本邸から通うわ」
きっぱりと告げるその横顔には、迷いがないように見えた。
ミーナは慌てて一歩踏み出し、必死に声を上げる。
「で、ですが……さっきも少し、ふらついておられましたし……」
躊躇いがちなミーナの言葉に、ジュリアの眉がピクリと揺れる。
「……だから何? それくらいで訓練をやめろとでも言うの?」
「ち、違います! 私はただ……お嬢様のお身体が心配で……倒れられたら、どうすれば……」
ジュリアは顔を紅潮させ、むきになって言い返す。ミーナは両手を胸の前でわたわたと振ったが、次第に声も仕草も小さくなっていった。
「お爺様にも伝えておいて。それと……別邸にも通達を。細かいことは任せるわ」
返事を待たず、必要な伝言だけ告げると、ジュリアは踵を返した。
レースアップブーツの硬い音が廊下に響き、張り詰めた空気をさらに強める。
「お、お嬢様っ!? シモン様! 今日はせめてお休みに……ああ、もう……!」
ミーナは半ば泣きそうな顔で助けを求めるようにシモンへと視線を向ける。
「大丈夫。無理はさせないさ」
シモンは苦笑を浮かべ、声を和らげるように添えた。
「今日は軽めに、な?」
シモンもそれに続き、ふたり並んで屋敷の外へと歩き出す。
その途中、ふと背後を振り返り、ミーナに向けて片目を細めてウィンクをした。ひょいと片手を顔の前に立てる。申し訳なさと遊び心が混じった、無言の仕草だった。
ミーナはその背中を追いかけるように玄関口まで駆け寄ったが、言葉をかけることもできずに立ち尽くす。
「お嬢様ぁぁぁ~~っ!」
ミーナの叫びはジュリアには届かず、玄関の扉が閉まる音だけが応えた。




