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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第九章 「ジュリア」
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第37話 孤独と悔恨と小さな灯

 冷たい石壁に囲まれた、狭い小部屋。

 外界から切り離された牢獄のようなその空間に、ジュリアはひとり閉じ込められていた。


 どうやらここは、塔の一室らしい。

 天井近くに穿たれた小窓から、月明かりだけが細く差し込み、石床に淡い光の筋を描いている。

 その光を受けてもなお、吐く息は白くかすみ、すぐに闇へと溶けていった。


 鉄格子の内側。

 そこに座るのは、白金の髪を肩に垂らしたひとりの少女。

 うつむくその姿は、あまりにも儚げで――


 ジュリア・アーデルシア。

 彼女自身が、その囚われの身であった。


 手枷型の魔導拘束具に力と自由を封じられていたが、それでも意識は途切れてはいない。

 だが疲労の色は隠せず、まぶたの下には濃い影が滲み、息をつくたびに肩が小さく震えた。孤独と長時間の拘束が、容赦なく心身を蝕んでいたのだ。


 時折、石壁の向こうからかすかな嗚咽のような声が響いてくる。それは同じように囚われた者のものか、あるいは精神の疲弊がもたらす幻聴か。

 それを確かめる術はなく、ただ冷たい石壁が無情に沈黙を返すばかりだった。


 だが、それでも、完全に屈したわけではない。

 精気を失いがちな瞳の奥に、消えかけの焔のような光――アーデルシアの娘としての誇りだけは、かろうじて残されていた。


(……あの時)

 記憶の底から、ひとつの光景が鮮やかに浮かび上がる。

 血に濡れた男の手――シモンが差し伸べてくれた掌だ。

 守ってくれたのに。自分のために傷を負い、血を流し、それでも差し伸べてくれたのに――。


(どうして……どうして私は、あの手を取れなかったの……?)

 恐怖に駆られて、ただ拒んでしまった。

 あの温もりに触れるのが怖かった。血の匂いに、剣の残酷さに、自分の小さな心が耐えきれなかった。

 何度も思い出してしまう。


 痛みを伴い、何度も――後悔の棘が胸を刺すように。

 囚われてからの時間、その記憶は彼女を苛み続けた。まぶたを閉じれば、必ず浮かぶ。拒んでしまったあの手。取り損ねた救いの掌。


(それなのに……今は助けを望んでいる。あの人に……シモン)

 その矛盾が、胸の奥でじりじりと焼け付く。

 自分の都合で拒絶し、自分の都合で求めてしまう。

 気丈であろうとした自分の仮面を、容易く剥ぎ取ってしまう。


(結局、私は甘えてばかりじゃない。強くなるって誓ったのに……何一つ変われていない。口先だけ……)

 吐き出した心の声を、冷たい石壁だけがじっと見つめている。


 答えは返らない。

 ただ沈黙だけが残り、重苦しく彼女の心にのしかかってきた。


 自分への嫌悪が喉を締めつける。

 守られることに慣れ、庇護の中で育った自分。

 強がっても、その実は弱さから逃げ続けてきただけなのではないか――そんな思いが胸を重くする。


 だが、記憶は否応なくよみがえる。

 迷いもなく自分を庇い、血を流しながらも戦った男の背中。


(……それでも。あの人は、私を守るために、傷を負ってでも戦ってくれた)

 胸の奥に熱が広がる。

 嫌悪だけではない。

 そこには確かに、憧れと誇りがあった。


(今からでも……遅くない…………かな?)

 逃げてしまった自分から目を逸らさず、受け止め、今からでも立ち向かわなければと思った。


(なら……私も。震えていても、怖くても……)

 小さく、彼女は唇を噛んだ。


 その瞳には、まだかすかな揺らぎが残っていた。

 自身の弱さを認めても、逡巡から抜け出せない。

 それでも――暗闇の中で確かに、小さな光が芽吹き始めていた。


 今はまだ冷たい恐怖が胸を支配している。

 けれど奥底では、諦めに抗うように何かが燃えていた。

 それは「覚悟」という名の小さな灯。

 頼りなく揺れながらも、確かに彼女の心を温めていた。


 ――その時だった。

 塔の外から、突如として喧騒が押し寄せてきた。

 爆ぜる音、駆ける足音、警笛の音――戦いの気配。

 今まで閉ざされていた外界が、一気に現実味を持って彼女の耳へ飛び込んでくる。


(……まさか)

 期待か、それとも幻か。

 張り詰めた心を押さえ込むように、ジュリアは目を閉じる。

 ほんの一瞬だけ、胸に甘い想像が広がった。けれど、すぐに掻き消す。

 あらぬ希望に縋るのは、弱さの証だからだ。



 ――どれほど時間が経っただろうか。

 やがて部屋に戻ってきたのは、またも冷えた沈黙。

 まるで自分だけが取り残されたように、石壁がじわりと迫ってくる錯覚さえ覚える。


 時折、遠くから獣のような咆哮が響いた。

 しかし、それ以外はただ、月光と静寂が支配する世界だった。


 数分か、あるいは一瞬だったのか。

 時間の感覚は曖昧で、ただ胸の奥で不安と覚悟だけが膨らんでいく。


 その時だった。

 がちゃり、と鉄の錠が回る音が響いた。

 続いて、重い扉が軋みを上げて開かれる。

 外気が冷たく流れ込み、部屋の空気がわずかに揺れる。

 ジュリアは咄嗟に顔を上げた。


 そこに立っていたのは、期待してしまった優しい男ではなかった。

 無機質な白い仮面をかぶった黒装束の男。

 無言のまま、じっと彼女を見下ろしている。


 心臓が跳ねる。足先が凍るように強張る。

 それでもジュリアは、視線を逸らさなかった。

 恐怖を抑え込むように指先に力を込め、背筋を伸ばす。

(怖い……でも、負けない。私は……屈しない)

 その小さな灯を胸に抱え、彼女は毅然と男を睨み返した。


 まだ震えは残っていた。

 けれど、その瞳に宿る光は確かに――未来へと繋がる、決意の色だった。

(こんなところでは終われない……まだ死にたくない)


 仮面の男が、静かに一歩を踏み出す。

 冷たい足音が石床に響いた瞬間、張り詰めた空気が弦のように軋み、胸を締め付ける。

 それでも、未来へ繋がるこの一瞬を諦めはしない。


 恐怖に抗いながらも、ジュリアの世界は大きく揺れ、変わろうとしていた。

 ――停滞していた彼女の運命が、いま再び動き出そうとしていた。


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