第36話 託す想いと果たす使命
塔の入口に辿り着いたハルカは、そっとドアノブに手を掛けた。
回してみるが、やはり動かない。
(……鍵、ね)
見張りのどちらかが持っていたのだろう。
だが、鍵穴を一瞥しただけで、彼女は小さく息を吐いた。
(この程度なら……)
腰に提げた巾着袋から、髪留め用の細いピンを二本取り出す。
指先でそれを伸ばし、鍵穴へと差し込んだ。
呼吸を止め、感覚を研ぎ澄ます。
わずかな抵抗を探り当て、力をかける。
――カチン。
小さな手応えとともに、錠が外れた。
軋む音を殺すように、ハルカは扉をゆっくりと開ける。
中から漂ってきたのは、かすかな――人の気配。
(……いる)
塔は四層構造だろう。
一階にあるのは、二つの部屋だけ。
気配は、そのうちの一つからだ。
足音を忍ばせ、ハルカはそっと扉の隙間から中を覗いた。
月光に照らされ、淡い紫の髪をした幼い少女が、床に横たわっていた。
眠っているようだが、その頬には、幾筋もの涙の跡が残っている。
(……ジュリア、じゃない)
シモンから聞いていた特徴とは一致しない。
だが、連れ去られたのは、きっとこの子も同じだ。
助けたい。
その思いが、胸を締めつける。
けれど――。
(……今の私に、この子を守りきれる?)
これから決戦に向かう身で、幼い少女を連れて動くことはできない。
その現実が、容赦なく突きつけられる。
ハルカは唇を噛みしめ、懐から羊皮紙を取り出した。
短く、だが確実に伝わるよう、場所と状況を書き記す。
(ごめんね……でも、シモンさんなら……)
少女の安らかな眠りを、最後にもう一度だけ見つめてから、ハルカはそっとこの場を離れた。
――次だ。
二階、三階。
足音もなく探索するが、そこに人影はない。
そして、最上階。
四階には、部屋が一つだけあった。
その奥から、静かな人の気配が伝わってくる。
ハルカは壁に身を寄せ、慎重に中を覗き込んだ。
プラチナブロンドの髪。
制服姿の少女が、部屋の隅に座り込んでいる。
少し憔悴した表情。
だが、唇を真一文字に結び、必死に耐えているその姿。
(……間違いない)
ジュリア・アーデルシア。
シモンが探している少女だ。
声を掛けようとして――やめる。
(……私じゃないほうがいい)
ハルカはすぐさま、先ほどの羊皮紙に追記した。
この場所を、確実に示すために。
シモンとジュリアの関係は、詳しくは知らない。
だが、救いに来てくれた喜びを分かち合う相手は、
素性の知れぬ自分より、きっとシモンのほうがいい。
ハルカは音もなくその場を離れ、塔を後にした。
外壁には、まだいくつかのアラート・ノードが残っている。
シモンなら突破できるだろうが――念のためだ。
一つ、また一つと、死角から苦無を走らせ、無力化していく。
遠くで、喧騒が鳴り響いていた。
戦いは、まだ続いている。
ハルカは礼拝堂のテラスへと向かった。
そこには、もう誰もいない。
さきほどまで待機していたはずの信者たちは、すべて前庭へと引きずり出されている。
(……時間、稼いでくれてる)
ハルカは懐から羊皮紙を取り出し、苦無に括りつけた。
ジュリアと、紫髪の少女の位置――すべてを託して。
狙いを定め、前庭の後方に立つ木へ向けて放つ。
風を切り、苦無は闇を裂いた。
その直後――。
前庭で戦う男が、ふと動きを変えた。
敵から距離を取り、木に刺さった苦無へと目を向ける。
――気づいた。
ハルカの胸が、わずかに熱を帯びる。
一瞬だけ、視線が合った気がした。
距離を考えれば、あり得ないはずなのに。
それでも――。
(……伝わった)
ふっと、心が軽くなる。
(これで……協力は果たせた)
ハルカは小さく息を吐いた。
だが、まだ終わりではない。
彼女は顔を上げ、礼拝堂の屋上を見据える。
やがて行われるであろう、儀式の場。
復讐と決着が交差する場所へ。
ハルカは、再び影の中を駆け出した。
――その歩みに、もう迷いはなかった。




