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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第五章 「回り始めた毒」
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閑話 誇りの代償と、その痛み

 門前に立ち尽くしたまま、ヴァレリオ・グランツは駆けだしていく男の背を見送っていた。

 夕陽に照らされた石畳を蹴り、振り返ることなく遠ざかるその姿は、冒険者として、ひとりの男として――あまりにも真っ直ぐだった。


 やがてその背が人波に紛れ、完全に見えなくなっても、老執事はすぐには動かなかった。

 胸の奥に残った余韻が、言葉にならぬ重さを伴って沈み込み、静かに思考を引き戻していく。


 ――すべては、あの夜から始まっている。




 夜明け前。

 ヴァレリオはすでに、事の一端を把握していた。

 シモンが負傷した御者を背負い、屋敷へ戻ってきたからだ。

 血に濡れた衣と、簡潔すぎる報告。

 それだけで、状況は察するに余りあった。


 彼は即座に当主テラノスへと事態を伝え、判断を仰ぐ。

 同時に、冒険者ギルド宛の通達を準備した。

 根回しに追われることは分かっていた。


 だからこそ、屋敷付きの男性使用人――キャビンを呼びつけ、急ぎ文書を作成させた。

 事情は伏せたまま。

 急かした結果、文面は粗雑なものとなった。


 だが、それでもよかった。

 誤解を招こうと、泥をかぶろうと構わない。

 それでジュリアが守られるのならば――執事として、他に選ぶ道はない。

 この判断に、迷いはなかった。

 それが職責であり、己が長年積み重ねてきた矜持に反しないと、確信していたからだ。




 翌朝。

 彼はさらに一つ、命を下す。

 ジュリアとシモンの接触を、一時的に禁ずる。

 理由は告げない。告げられない。

 使用人たちは戸惑いながらも従った。

 その視線に混じる疑念や不安も、老執事には痛いほど分かっていた。

 それでも――言わなかった。


 登校のため玄関ホールを抜けていくジュリアの背に、声をかけることもなく。

 彼女が浮かべる、どこか張りつめた笑みを、見なかったことにして。

 あれは、芝居だった。

 そして、自分もまた、その舞台の一員だった。


 貴族の娘が、人前で弱さを晒さぬための芝居。

 それを壊さぬために、執事は沈黙を選ぶ。


 ――それが、正しいと信じてきた。

 信じてはいる。

 今もなお、その判断が「執事として誤りであった」とは思っていない。

 だが――それが正解であったかと問われれば、答えることはできなかった。


 一つ一つの選択には、確かな苦しみと痛みが伴っていた。

 それを承知の上で、切り捨て、押し殺し、目を背けてきたのだ。

 それでも選ぶ。

 それでも全うする。

 それが、執事という生き方なのだと、己に言い聞かせながら。




 現実へと意識が戻る。

 門前に残るのは、夕暮れと、重たい沈黙だけだ。

 先ほどまで、ここに立っていた男はもういない。


 止めなかった。

 追わなかった。

 呼び止めもしなかった。


 それが正しかったのかどうかは、分からない。

 だが、確かなことが一つだけある。

 彼は、選んだのだ。

 己の意思で、己の足で。


 ヴァレリオは静かに背筋を伸ばす。

 そして――駆けだしていった男の背中が消えた方角へ、深く、深く頭を垂れた。

 それは、冒険者に向けた礼だった。

 そして同時に、己が選び続けてきた生き方への、黙した肯定でもあった。


 守るとは何か。

 黙るとは何か。

 答えは、まだ出ない。


 それでも老執事は、今日も立つ。

 理と情の狭間で、痛みを引き受けながら――己の職責を、全うするために。


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