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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第五章 「回り始めた毒」
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第24話 惑う風と忠義の鎧

 依頼は、あっさりと打ち切られた。

 アーデルシア家からの通達は、簡潔に言えばこうだ。


 ――アーデルシア家の都合により、体調不良につき契約中止。

 本当の事情を問いただしたい思いはあった。だが――それを問う資格が、自分にあるのかどうかは分からなかった。


 シモンは、今までのように簡単な依頼へ手を伸ばしかけて……やめた。

 掲示板に並ぶ文字の一つひとつが、ひどく他人事に見える。ただの紙切れだ。情熱も、熱意も、賭けるに足らない。

 気づけば、力の抜けた足取りのまま、冒険者ギルドから離れていた。


 シモンは《黄昏燕》の席に腰を下ろし、パンをちぎる手を止めた。

 スープから立ちのぼる湯気の向こうで、スプーンを取ることもなく、ただ黙っている。


 終わった――そう思いたくはなかった。

 胸の奥では、ざわめきと、燻ぶった何かの熱が消えずに残っている。

 まるで背中を押されているかのような、落ち着かない鼓動だけが続いていた。


 ふと、ジュリアの顔が浮かぶ。

 気丈な笑み。意地っ張りな言葉。そして、どうしても隠し切れなかった不安。


「……チッ」


 低く舌打ちした拍子に、思わず立ち上がり、椅子が軋んだ。

 スープ皿の水面には、湯気に歪んだ自分の顔がぼんやりと揺れている。

(酷い顔だ。まるで不貞腐れた子供じゃないか)


 何ができるわけでもない。

 何がしたいわけでもない。――いや、せめてジュリアの安否だけでも確かめたい。


 だが、アーデルシア家の意向はすでに決まっている。

 貴族の常識からすれば、当然の処置だ。

 それが分からない、子供ではない。


(子供……か)

 いつの間にか、昨夜のラストダンスを思い返していた。

 貴族の常識を理解しながらも、自らの願いを諦めず、子供のように自由な発想と一途な行動力で、あの舞台を実現した少女の姿を。


 気づけばスープの湯気は晴れ、午後の柔らかな光が差し込んでいた。

 澄んだ水面に映る自分の顔を見つめ、わざとらしく挑戦的な、不敵な笑みを作る。

 そこに映っていたのは、ぎこちなさを残しつつも、先ほどよりはずっとマシな、少年のような男だった。


 椅子に座り直したシモンは、スープとパンを平らげ、手早く勘定を済ませて店を出る。

 ――気づけば、その足は郊外のアーデルシア邸へと向かっていた。




 夕陽が石畳を金色に染めるころ、シモンはアーデルシア邸の門前に立っていた。

 鋳鉄の門の向こうに広がる庭の静けさも、荘厳な邸の佇まいも、いつもと変わらぬはずだった。

 だが今日のそれは、ひどく遠く感じられた。

 まるで無言のまま、彼の存在を拒んでいるかのように。


「申し訳ありません。……これは屋敷の命でして、お通しするわけにはいきません」


 門番の私兵は顔見知りの男だった。

 困惑を隠しきれない表情のまま、それでも職務に忠実に頭を下げる。


「……そうか。無理を言うつもりはない」


 静かな声音。

 だが、その奥には抑えきれぬ何かが、確かに滲んでいた。


「……それでも、一言だけ。無事かどうか――それだけでも……」


 言葉を探すように震える声。感情を押し殺していることは、誰の目にも明らかだった。

 そのとき、石畳の奥から重く整った足音が近づく。

 白銀混じりの髪を撫でつけた、屋敷の執事ヴァレリオ・グランツが姿を現した。


「その必要はございません、シモン様」


 落ち着いた口調でありながら、どこか硬質な響きを帯びている。


「依頼の中止も、面会の制限も、すべて私の指示によるもの。……お嬢様の名誉とご身分を守るため、必要と判断いたしました」


 その視線は正面からシモンを捉えつつも、どこか曇っていた。

 まるで、彼自身に言い聞かせるようでもある。

 シモンは、微かに目を細めた。


「……それは分かります。分かりますが……彼女が無事なのかだけは教えてください。お願いします」


 丁寧な言い回しの奥に、焦りと苛立ちが滲む。

 それは彼にしては珍しく、感情の揺れを隠しきれていない証だった。

 ヴァレリオは小さく目を伏せ、静かに言葉を返す。


「……そのご心配に、お応えできぬことを……心より、お詫び申し上げます」


 その声は、かすかに掠れていた。

 理と情が、彼の内でせめぎ合っているかのようだった。

 一瞬、何かを言いかけるように表情が動いたが、結局その言葉が口を出ることはなかった。


 そのとき、邸の奥から駆け足で現れた私兵が、ヴァレリオのもとへ耳打ちをする。

 内容までは聞き取れない。

 だが、老執事の表情に、はっきりと動揺が走った。

 眉間に深い皺が刻まれ、次の瞬間、感情を押し隠すように顔を整える。

 ――しかし、その目の奥には、青ざめたような冷たい光が宿っていた。


「……『お嬢様が失踪。私兵三名が重傷』。最後に目撃されたのは、公園広場北の路地――それで間違いないな?」


 静かに、だが門外のシモンにも届く声音で問い返す。

 報告を受けた私兵が戸惑いながらも深く頷いた、その瞬間――


 シモンは一言も発さず、駆け出していた。

(ジュリア、今行く!)

 門を背に、迷いなく。

 彼女の残した手がかりを追って。


 誰も、彼を止めようとはしなかった。

 ――いや、一陣の風となった男を、止められる者など、最初からいなかった。


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