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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第五章 「回り始めた毒」
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第22話 示された理と残された報酬

 朝露の残る石畳の道を、シモンはいつになく早足で歩いていた。

 まだ日が昇る前――街の喧騒が始まるよりも早い時間帯だ。彼はそのまま、ギルドの扉を押し開ける。

 カウンターでは、すでにカリナが帳簿を開いていた。当直だったはずだが、日中と変わらぬ緊張感を保ち、気の緩みは一切見せていない。


「……ずいぶんと早いのですね。マスターに御用ですか?」

「ああ。話がある。ダンカンは?」

「二階にいます。呼んできます」


 シモンの来訪に驚く様子もなく、カリナは奥へと駆けていった。やがて、階段の向こうから重い足音が響く。ほどなくして、ダンカンが姿を現した。

 業務前らしく、シャツに黒いズボンという軽装。袖は無造作にまくり上げられ、首元も無防備に開け放たれている。どこか寝起きの気配を残しながらも、その姿には、いつもとは異なる威圧感が漂っていた。


「おう。やっぱり来たか――」

「……執務室で話したい」


 その声音と表情に何かを察したのか、ダンカンは眉をひそめ、無言のまま頷くと執務室へと促した。

 二人は並んで廊下を進み、奥の重厚な扉をくぐる。執務室には、窓から朝の光が静かに差し込んでいた。整然と書類の並ぶ机。その前に腰を下ろしたシモンは、ひと息ついてから口を開く。

 夜道での襲撃。複数の敵。明らかに手練れ――そして、ジュリアが怯えていたこと。


「……嬢ちゃんは、無事か?」


 聞きにくいはずの問いだったが、ダンカンは率直に切り込んだ。ギルドマスターとして、知っておかねばならぬことだ。すでに仕事の顔へと切り替わった彼に、ためらいはない。

 シモンは一瞬だけ言葉を探すように黙し、やがて静かに答えた。


「体には、傷ひとつない。……だが、心は……どうか分からない」


 言葉の端に滲んだ苦味に、シモンは唇を軽く噛んだ。


「なるほど。こいつは――そういう意味か」


 ぽつりと呟いたダンカンの表情に、かすかな翳りが走る。

 しばしの沈黙の後、彼は引き出しから一枚の文書を取り出し、机の上に差し出した。


「……ちょうど、お前に渡そうと思っていた。こんな時間に俺がギルドに呼び出されたのも、そのためだ」


 文書には、アーデルシア家からの正式な通達が記されていた。


 ――本件、冒険者指導については、当面の間中止とする。理由は体調不良によるものであり、療養を要するとの診断を受けている。指導に対する謝意をここに表すとともに、報酬は全額支払うものとする。なお、本書について、責任の所在を問うものではない。


 シモンは黙って文書を受け取り、視線を落とした。文面は形式として十分に整っている。言葉遣いにも乱れはなく、公的な通達として必要な要素は過不足なく揃っていた。


「……どう思う?」


 ダンカンの声には、答えを誘導するような含みがあった。

 シモンは黙って文書を読み返す。


 責任の否定。報酬の全額支払い。形式的とはいえ、謝意の文言も添えられている。配慮も、確かに感じられた。


 ――だからこそ、胸の内に微かな引っかかりが残る。

 思い返すのは、アーデルシア家から預かった身上書のことだ。

 細部まで整えられた文字は、まるで儀礼の一部のように端正で、誤解の余地も情緒の揺らぎも許さぬ構成だった。書き手の姿勢が、文面そのものから滲み出ていた。


 あれがヴァレリオの文書だったなら――この文書は、明らかに違う。

 筆致はやや甘く、構成にもどこか迷いがある。礼節の形をなぞってはいるが、内に込められた意志や重みが感じられない。

 整えられた筆致、隙のない構成。書状ひとつで家の格を示す――それこそが、ヴァレリオという執事の矜持だ。


 今回の文書には、その魂が宿っていない。その“らしくなさ”が、どうにも引っかかり、わずかな違和感となって胸に残る。


「急ごしらえの文面だな」

「だろう? 俺もそう思った。……まぁ、さもありなん……ってところか」


 シモンの見立てにダンカンも同意した。

 この不自然な書状と、昨日の襲撃。アーデルシア家が襲撃の事実そのものを隠そうとしている――そう推測するのが自然だった。


(貴族にとって、家の名誉と安全が最優先。それを選んだとしても、不思議ではない。文書には俺の責任を問わぬと明記され、謝意まで添えられている)


 シモンは一般的な世間の……否、貴族の常識を思い浮かべた。


(ただ、昨夜の件が世間に知られれば、それはアーデルシア家が隙を見せたと取られる。それは家の名に傷が付き、俺自身にも火の粉が降りかねない。……そんな配慮の末なのかもしれない)

 そんな仮定が、自然と頭に浮かんだ。


(守るための“断絶”か。家と俺、両方を守るには――そう判断するしかなかったのだろう。今ごろ執事殿は、その根回しに動いている可能性もある。この書状も、おそらく誰かに書かせたものだ)

 嬉しくもないが、その推察は的を射ているように思えた。


 自分の身一つなら、悪評も甘んじて受け入れられる。

 だが、アーデルシアの家名を持ち出されると、口を閉ざさざるを得ない。

 シモンは苦虫を噛み潰したような顔で、己の中で結論付けた。


 ダンカンは腕を組み、目を閉じたまま思案していた。

 その表情がシモンと酷似している以上、恐らく同じような、もしくは類似する結論に辿り着いたのだろう。

 だが、互いにあえて口に出すことはなかった。


 重い沈黙が流れる。

 シモンの指が、無意識のうちに書簡の端を強く握りしめた。

 やがてダンカンは目を細め、静かに口を開く。


「……しばらくは、以前の生活に戻れ。今は、無理に追いかけるな」


 その言葉が、胸の奥に沈んでいた何かを揺さぶる。


「分かっている……俺は……俺は…………くっ」


 机を叩くこともなく、ただ低く押し殺した呻きが、部屋の空気を重くした。

 ダンカンは何も言わず、そっと机に報酬の入った封筒を置く。

 シモンはそれを一瞥し、一言だけ呟いて執務室を後にした。


「……すまん」


 その背を見送り、ひとり執務室に残ったダンカンは、机に置かれたままの封筒を見つめ、何とも言えない表情で息をつく。


 ――冒険者にとって、報酬とは成果に対する対価だ。

 成果がなければ、対価は存在しない。

 それは、現役冒険者のシモンと、元冒険者のダンカンが共有する認識であり、矜持でもある。

 シモンが報酬に手を付けないのは、恐らく――そういう理由なのだろう。


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