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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第四章 「少女の逆襲、舞台の裏側」
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第21話 戸惑う少女と彷徨う飛燕

 帰路の馬車の中、ジュリアはどこか満ち足りた様子で、窓の外を眺めていた。

 淡い月光がその頬を照らし、舞踏会の余韻を静かに瞳へと宿している。


 目を閉じてラストダンスを思い返しているのだろうか。

 高揚の残滓が、頬の紅潮に現れている気がした。

 視線を重ね、想いを胸に、ぴたりと足並みを揃えて踊った――シモンにとっても、かけがえのない時間だった。


 そんな思いの一方、シモンは長期の依頼を終えたとき以上に、肩にじわじわと疲労が滲んでいるのを自覚していた。

 “ラストダンス”はともかく、一日じゅう正装で過ごし、慣れぬ礼儀作法に身を置くのは、さすがに骨が折れる。

 心中でぼやきつつも――その表情は、どこか穏やかだった。


「ありがとう」


 ふいに、ジュリアがぽつりと呟く。

 シモンはわずかに首を傾げた。


「……何に対してだ?」


 ジュリアは一瞬だけ言葉を探すように視線を揺らし、それからそっと首を振る。


「……やっぱり、なんでもない」


 それでもシモンは、胸の奥に小さなくすぐったさを覚えたまま、静かに頷いた。


「そうか」


(……まあ、こういうのも、たまには悪くない)

 しばらくのあいだ、二人の間には言葉のない静寂が流れる。

 馬車の車輪が石畳を刻む音だけが、かすかに耳へと届いていた。


 ――!?


 そのとき、不意にシモンの背筋がこわばる。

(――来る)


 街路の一角に差しかかった、その瞬間だった。

 仕立て屋で外から向けられたときと同じ――いや、それ以上に濃密な悪意が、肌を刺すように押し寄せてくる。


 ただの視線ではない。

 これは紛れもない敵意――殺気と呼ぶべき、純粋な“害意”だった。


 刹那。

 シモンはジュリアの肩を強く引き寄せると、走行中の馬車の扉を、躊躇なく蹴り抜いた。


「ちょ、待って、シモン!――ッ!?」


 ジュリアの悲鳴が夜気を裂く。

 次の瞬間、シモンは彼女の頭を胸に抱え込んだまま、馬車の外へと跳び出した。


 ふわりと着地し、間を置かず視線を巡らせる。

 状況確認は一瞬で済ませた。

 ジュリア――異常なし。

 敵影――未確認。ただし、確実に迫っている。

 御者は――すまん、間に合わない……死んでくれるなよ。


 その直後だった。

 馬車を牽く馬へ向けて、前方から炎の魔法が撃ち込まれる。

 御者は反射的に魔防障壁の魔導具を作動させたが、火球は容赦なくそれを貫通し、馬を呑み込んだ。


 轟音。

 馬ごと車体が横転し、闇の中へ爆煙が巻き上がる。


 そして――

 煙の帳の向こうから、白い仮面の男たちが音もなく姿を現した。

 地を滑るように距離を詰め、月明かりの下、抜き放たれた刃が一瞬だけ鋭くきらめく。

(……一、二……いや、五人。連携の取り方が異常だ。物盗りの動きじゃない――手練れ)

 シモンの目が細まり、思考と身体が即座に戦闘態勢へと切り替わる。


 個々の動きに無駄はなく、集団での挟撃に最適化された布陣。

 これは、ただの奇襲ではない。

 そう判断するに足るだけの、手際と精度だった。

 警戒をさらに一段階引き上げ、剣に手をかける。

 だが――ジュリアの存在が、抜かせることを躊躇わせた。

(血を見せることになるかもしれん……だが……)


 構える間もなく、左右から一気に挟み込まれる。

 瞬く間に動きが制限され、二手先、三手先の選択肢を塞がれていく。

 連携の速さも、動きの無駄のなさも――まるで訓練された小隊のようだった。

 シモンはジュリアを背に庇うように立ち、正面を睨み据えながら、片手を静かに後ろへ伸ばす。


「ジュリア。動くな。俺から離れるな」


 短く、低い声音。

 だが、揺るぎのない指示だった。

 その声に、ジュリアはびくりと肩を震わせる。

 月明かりに浮かぶ横顔は、はっきりと青ざめていた。

 状況を呑み込めないまま、咄嗟に魔力を掌へ集めようとするが、指先は小刻みに震えている。


「な、なんで……どうして、襲われて……っ?」

「大丈夫だ」


 シモンは前から視線を外さず、短く言い切った。

 そして、そっと彼女の手に触れる。

 指先から伝わる震えと、微かな熱。

 そのすべてを受け止めながら、溢れかけた魔力を鎮めるように、静かに押し返した。


 “ラストダンス”の余韻が、まだ胸の奥に微かに残っているというのに。

 その高揚は過去へと押し流され――世界は牙を剥き、冷たい現実が容赦なく迫ってくる。


 白仮面のひとりが、低く踏み込みながら鋭い突きを放った。

 シモンはそれを紙一重で受け流し、即座に位置をずらしてジュリアを庇う。

 二人目が死角を狙い、背後へ回り込む。

 気づいた瞬間、シモンは足払いを放ち、体勢を崩させると同時に、ジュリアの腕を引き寄せた。

 背中から、決して離さない。


 ジュリアは恐怖に怯えながら、ただ必死にシモンの背へとしがみつくことしかできなかった。

 シモンもまた、彼女を離さぬよう、左手を確かに添えている。


 ――間合いが悪い。

 この状況で、ジュリアを庇いながら攻勢に転じるのは不可能に近い。

 冷静に戦況を分析するが、立て直す余裕はほとんどない。

(まずいな……このままじゃ、ジリ貧だ)

 剣を抜く暇すら、与えてもらえない。

 白仮面たちは四人で間隙を突き、絶え間なく挟撃を仕掛けてくる。

 今はただ、背後を取らせず、ジュリアを守るので精一杯だった。


(後ろの奴……こいつが指揮官か)

 白仮面のひとりが、再び斬りかかってくる。

 シモンはあえて前に踏み込み、虚を突くように――強烈な前蹴りを叩き込んだ。

 相手がたたらを踏んだ隙に、強引に剣を抜く。


 だがその瞬間、指揮官格と思しき男が、氷の礫を足元へと放った。

 ジュリアを背後に庇っている以上、後退するしかない。


 魔法に呼応するように、左右の白仮面がフェイントを入れて牽制し、前の二人が同時に動く。

 右からの刃を剣で弾き、左の刃は身をひねって避ける。

 ――だが、一撃。肩を浅く切られた。

(狙いは……俺じゃない。殺しなら、馬を狙う必要はない。……目的は――ジュリアか)

 確証はない。

 だが、その確信めいた予感が、シモンの思考を研ぎ澄ませていく。


(……ちっ。見せたくなかったのに――生き死にの戦いも、本当の俺も)

 シモンは、わずかに場違いな笑みをこぼした。

 そして静かに、ジュリアの耳元へ囁く。


「……できれば、見なかったことにしてくれ」


 次の瞬間。

 シモンの表情から、余分な感情が消える。

 同時に、その気配が、ふっと薄れた。


 ジュリアを庇ったままの、不十分な体勢。

 だが、シモンは右手側の襲撃者へ向けて、迷いなく剣を振るった。

 漏れ出す月光を刃が拾い、次の瞬間――それは閃きとなって、闇へと放たれる。

 刃は届いていない。

 にもかかわらず、仮面の胸元から、一文字に血が噴き出した。


飛燕ひえん


 シモンは、小さく呟いた。

 致命傷には至らない。

 だが、見えぬ斬撃が仲間を襲った事実に、仮面の集団は明らかな動揺を見せる。

 シモンは一歩も動かず、ジュリアを背後に庇ったまま、わずかな“気の揺れ”を見逃さなかった。


 ――刹那。

 再び前方へ向けて、剣を振る。

 今度は二度、鈍い光が夜を裂いた。

 対峙していたふたりの襲撃者が、片や太腿、片や腹部に赤い斬痕を刻まれ、呻き声を漏らす。

 一拍遅れて、闇を裂くように、ふた筋の鮮紅が宙に弧を描いた。


「飛燕・ひえん・つがい


 その言葉が、夜気に溶けるように低く響く。

 後方に控えていた指揮官格の男は、瞬時に戦況を把握し、即断した。


「……退くぞ」


 短く告げると同時に、魔法が放たれる。

 氷の槍が轟音とともにシモンの足元へ突き立ち、地面を穿った。

 それが合図だった。

 仮面の集団は一斉に後方へ跳び退き、闇に紛れるように姿を消していく。

 シモンはジュリアを庇ったまま、慎重に周囲を見守った。

 氷の槍が砕け散り、魔素の光となって霧散するのを確認して――ようやく、息を吐く。


 敵は、去った。

 だが静けさの中に残されたのは、斬られた傷口の熱と、背後から伝わるジュリアの震えだった。

 しばらく気配を探り、敵影が完全に消えたことを確かめる。


 シモンは、わずかに息を整えた。

(奴らの狙いがジュリアだとしたら――目的はなんだ? 金目当ての誘拐……その線は薄い。あんな手練れを使う理由がない)

 思考を巡らせるうち、雲が流れ、月が姿を現す。

 雲間から零れた柔らかな光が、ふたりの肩をそっと撫でた。


 剣を収め、張り詰めていた身体をわずかに解きながら、シモンはジュリアへと視線を向ける。

 少女は地面に座り込み、肩を小さく震わせていた。


「……大丈夫か」


 低く、しかし柔らかな声で問いかけながら、シモンは手を差し出す。

 ジュリアは、その手を黙って見つめていた。


 月光に照らされた掌は――あのときと、同じだった。

 唯一、違っていたのは。

 肩口から滲む血が、掌へと滴り落ちていたことだ。


 舞踏会のラストダンス。

 同じこの手で繋がり、ステップを踏んだ。

 熱く、満ち足りた時間だった。

 だが今、その手は、紅の飛沫を咲かせている。

 月下に咲く一輪の花のように、美しく――そして、残酷に。


 命を奪うこともできる、この手。

 守るために振るったとしても――この手に触れるものはいない。

 ジュリアは、何も言わず、ただその手を見つめていた。

 行き場を失った掌は、宙をさまよい――やがて、静かに降ろされる。


(……当然か)

 その手に残ったのは、ひとひらの虚しさだけだった。


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