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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第四章 「少女の逆襲、舞台の裏側」
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第20話 月下のラストダンス

 フィオナとのダンスを終え、シモンは静かに一礼し、舞踏フロアを離れた。


 重ねられる拍手と、抑えた歓声が背に注がれる。彼はそれに誇示することなく、わずかに頭を下げて応えるに留めた。

 視線を巡らせ、人垣の向こうにジュリアの姿を捉える。

 その表情に、胸の奥がかすかにざわめいた。


 沈んでいる――。

 理由はわからないが、明らかにいつもの彼女とは違う。

 足早になりかける衝動を抑え、礼節を外さぬぎりぎりの速度で、人々の合間を縫って近づいた。


「……大丈夫か?」


 声をかけると、ジュリアが顔を上げる。

 一瞬、視線が絡んだ。

 だが次の瞬間、彼女はふっと目を逸らし、俯いてしまう。


 胸に小さな違和感を覚え、もう一度声をかけようとした、その時だった。

 ジュリアが、ゆっくりと顔を上げる。

 曇っていた瞳に、少しずつ光が戻り、やがて芯の通った意志が宿っていく。


 ――知っている。

 シモンは、その眼差しに覚えがあった。


 初めて手合わせをした日。

 魔法が一切通じず、折れたと思われた瞬間。

 それでも歯を食いしばり、無謀とも言えるほど真っ直ぐに食らいついてきた。


 ――あの時と、同じ瞳だ。

 ジュリアはひとつ息を整え、静かに、だが揺るぎない声音で告げた。


「行くわよ。着いてきて」


 何に沈み、何を乗り越えたのかは分からない。

 それでも、シモンは何も問わず、彼女の背に従った。


 向かった先は、どうやらエルゲール侯爵の元らしい。

 手前で立ち止まり、振り返る。


「ここで待ってて」


 短く言い残し、ジュリアは一人、侯爵の前へ進み出た。

 言葉は届かないが、侯爵は穏やかな笑みを浮かべて頷き、ジュリアもまた丁寧に頭を下げて戻ってくる。

 その瞳には、もはや迷いはなく、力強さの中に一途な光が宿っていた。


「来て」


 それだけ告げると、返事を待つことなく踵を返す。

 明確な目的を持った足取りで、一直線に歩き出すその背を、シモンは無言で追った。




 ラストダンスを前に、ジュリアは会場を抜け出し、迷いのない足取りでシモンを庭園へと導いた。

 ――エルゲール侯爵に、事前に話していた用件。

 どうやら、それはこの場所のことだったらしい。


 夜の庭園は、ひっそりと静まり返っている。

 月光と魔工灯が織りなす淡い光が石畳に影と文様を落とし、開け放たれた窓の向こうからは、舞踏会の余韻を宿した旋律が、風に乗って微かに届いていた。


「……ここなら、いいわよね」


 ジュリアがくるりと振り返り、迷いのない手を差し出す。


「さあ、私と踊りなさい。今夜のラストを飾るのは――この私よ」


 唐突な言葉だった。

 だが、その声音にも、差し出された手にも、気まぐれや迷いは感じられない。

 まっすぐにこちらを射抜く瞳が、何より雄弁だった。


(……ああ、そういうことか)

 彼女が突然、エルゲール侯のもとへ向かった理由が、ようやく腑に落ちる。

 大人になりすぎたシモンには、思いもつかなかった発想だ。

 ジュリアは最初から、この舞台に立つ覚悟でいたのだ――自分自身の誇りを賭けて。


 ラストダンスの意味を、シモンは理解している。

 社交界において、それがどれほど象徴的な行為であり、どれほど多くの視線と憶測を集めるか。


 そして、自分のような立場の者が、その位置に立つべきではないことも――痛いほど、わかっていた。

 それでも、ジュリアは迷いなく手を差し出している。

 これは、貴族の儀礼としての「ラストダンス」ではない。

 挑むような瞳が、それを否定していた。


 この舞台は、彼女自身が選び取った挑戦だ。

 ならば――その手を取らない理由など、どこにもない。

 微かに届く音楽が、夜の帳に溶けていく。

 月明かりと魔工灯に照らされた石畳の上、花々だけが見守る、静謐な舞台。


「光栄です、レディ」


 シモンは小さく笑みを浮かべ、静かにその手を取った。

 そして二人は音楽に身を委ね、静かに――しかし確かな意志をもって、ステップを刻み始めた。


 ジュリアのステップは、気品と情熱を併せ持つ、実に堂々たるものだった。

 だが――それに応じるシモン自身も、驚くほど滑らかで、しなやかな動きを見せている。

 意識せずとも身体が反応し、その足取りは、彼女の想像を軽やかに越えていた。


「……うそ、あなた……上手すぎない?」

「君ほどじゃないさ」

「なによそれ、負けてられないじゃない……っ」


 挑むように踏み込むジュリア。その攻めは鋭く、技術も確かだ。

 額にじんわりと汗が滲み、勝気な笑顔には高揚の色が、いよいよ濃くなっていた。


 だがシモンは、一歩も引かない。

 むしろ余裕を保ったまま、自然と彼女を導いていく。

 ステップが速まる。

 揺れるドレス、きらめく髪飾り、交差する視線。

 月明かりの下、ふたりの影は幾度も重なり、また離れていった。


 気づけば、リードしていたはずのシモン自身が、ジュリアの勢いに巻き込まれている。

 その表情には、いつしか彼女と同じ――挑むような、そして心から楽しむ笑みが浮かび、熱を帯びた眼差しが宿っていた。

 やがて音楽は、静かに――最後の一拍を刻む。


 ジュリアはくるりと一回転し、その流れのまま、自然にシモンの腕の中へと収まった。

 その瞳には自信と誇りが宿り、唇には、勝ち誇るような微笑が浮かんでいる。


「私の勝ちね」


 挑戦的な一言に、シモンは小さく笑い、そして素直に頷いた。


「……参りました」


 今回は、認めざるを得ない。

 貴族社会という閉じられた、不自由な世界。

 若さゆえのまっすぐな願いを、誰よりも情熱的に、自らの意志で貫き――この舞台を現実に引き寄せた。


 言い訳の余地など、どこにもない。

 心からの、完敗だった。


 大広間の喧騒は、もう遠い。

 ここにあるのは、穏やかな月の光と、ひんやりとした夜の風だけ。

 敗北を認めたはずなのに、胸の内には不思議なほどの清々しさが満ちている。

 高鳴る鼓動の余韻が、いつまでも身体の奥に残り続けていた。

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