第19話 届かぬ想いと絡まぬ指
なぜ、あそこで手を取られているのが自分ではないのか――そんな思いが、ジュリアの胸をかすめた。
(……本当は、シモンと踊るつもりだったのに。なのに、あの人、全然気づいてくれない)
サプライズのつもりで、ダンス勝負を仕掛けるはずだった。
だが、言葉にはしなかった。
それでも、なんとなく伝わると思っていた。
いや――伝わってほしいと、願っていた。
(……言わなくても察してほしいなんて、きっと、それが甘えなんだろうな)
わかっていたはずだ。
護衛という立場をきちんとわきまえる彼が、貴族の令嬢に先んじて手を差し出すはずがないことくらい――
それも、よりによってフィオナと。
しかも、あんなにも息の合った、見事な舞を披露するなんて。
(……なんで、私じゃないのよ)
その思いを呑み込んでも、胸の奥では、消えない火種のように、静かにくすぶり続けていた。
いつの間にか曲は終わり、次の旋律が始まっていた。
けれどジュリアの耳には、その音がほとんど届いていない。
見上げた天井のシャンデリアが、虹色の光をふわりと散らす。そのきらめきが、涙のように、静かに瞳へと降りてくる。
気づかれない気持ち。
届かない想い。
それでも舞踏会は、何事もなかったかのように、優雅に続いていく。
――彼女の心が沈んでいくのとは、まるで無関係に。
そして、いよいよ――ラストダンスの時が迫っていた。
小休止の後、宴の締めくくりに奏でられる、最も意味深い一曲。
その瞬間、自分は、誰と踊るのか。
ラストダンスは、ただの余興ではない。
誰の手を取るかによって、その夜の“立ち位置”が定まり、時には社交界における評判や噂すら、大きく左右されてしまう。
貴族にとってそれは、個人の趣味嗜好ではなく――家の未来を暗に示す、極めて象徴的な選択だった。
アーデルシア家の令嬢たる自分が、護衛という立場にすぎない彼を選べば――
その意味を、他の誰もが、ただの偶然や気まぐれとは受け取らないだろう。
(だから……その前に、誘ってほしかったのに)
心の奥で、小さな声がかすかに響く。
けれど、その想いは言葉にすることもできず、静かに胸の底へと沈んでいった。
(……私、詰めが甘い)
再び、同じ想いが胸を揺らす。悔しさがじわじわと満ちていくのを、唇を噛み、ただ黙って受け止めていた。
踊りの輪から、そっと身を引こうとした、そのとき――
いつの間にか戻ってきていたシモンが、心配そうにこちらをうかがい、ふいに視線が合った。
「大丈夫か?」
ぶっきらぼうだが、どこか温かな声。
こちらの気持ちも知らずに、そんな優しい目を向けられて――自分でも整理のつかない感情が、頭の中をぐちゃぐちゃに掻き乱す。
その瞬間、胸の奥で、何かが灯り、何かが弾けた。
言葉にならない気持ちは、かすかな火花にすぎなかった。
だが、それは種火へと変わり、悔しさと未練と誇りを糧に、次第に勢いを増して燃え上がっていく。
負けたくない。
逃げたくない。
こんなところで、めそめそと背を向けるなんて――「ジュリア・アーデルシア」がすることじゃない。
何より、私自身が、それを許せないし、認めたくない。
ふいに顔を上げたジュリアの瞳からは、もはや迷いの色が消えていた。
胸の奥に灯った小さな火は、羞恥も逡巡も焼き払い、凛とした意志の炎へと姿を変える。
(――このまま終われるわけ、ないでしょ……!)
ラストダンス前の小休止を彩る楽曲が、やわらかな余韻を残して終わりを迎える。
場に静けさが広がり、空気が次の幕を待つように張りつめる中――
ジュリアは、ひと呼吸だけ間を置いてから、静かに、だが確かな決意を宿した足取りで歩き出した。
「行くわよ。着いてきて」
有無を言わせぬその一言を残し、シモンの返答を待つことなく、ジュリアは堂々と歩を進める。
向かう先は、この場の主――エルゲール侯爵。
その背中には、もはや一片のためらいもなかった。
沈んでいた心を振り払い、意志という名の炎を纏いながら、彼女はただ、真っ直ぐに進んでいく。




