第17話 正装と悪意の仮縫い
陽が傾きかけた午後、ワイアース魔法学院の高い尖塔が、石畳の上へ長い影を落としていた。
石造りの校舎と整えられた庭園を背景に、生徒たちは三々五々、正門から下校していく。
正門近くの広場には送迎馬車のためのスペースが設けられ、付き添いの従者たちが静かに控えていた。
その一角――街道寄りの石塀の陰で、シモン・マックイーンは腕を組んだまま立っている。
気だるげな表情に、すっかりおなじみとなった冒険者の装い。場違いでありながらも、その姿は否応なく周囲の目を引いていた。
そこへ、巡回中の学院警備員が、怪訝そうな視線を向ける。
「すみません、どちらにご用ですか?」
シモンは黙って懐から一通の書状を取り出した。
アーデルシア家の印が押された、身元保証の正式な書状である。
それを一瞥した警備員は瞬時に表情を改め、慌てて頭を下げた。
シモンは軽く頷くと、それ以上は何も言わず、再び正門の先へと視線を戻す。
いまだ現れぬ少女を待ちながら、下校していく貴族の子弟たちを、ただ黙って見送っていた。
(貴族か……。できれば、こういう集まりには関わりたくなかったんだがな)
胸の内で、懸念交じりに呟く。
とはいえ、ここは異国の地だ。過去を知る者など、いるはずもない。
(おそらく問題はないだろう。だが――念のため、警戒だけはしておこう)
シモンは静かに目を細めた。学院の門前には、緩やかな時間が流れている。
そこへ、数人の女子生徒が談笑しながら門をくぐってきた。屈託のない笑い声が響く中、そのうちの一人がふと足を止める。
「……え、誰、あの人?」
指さされた先には、石塀の陰で腕を組む、異質な男の姿があった。
「家庭教師? それとも護衛の冒険者とか……?」
「ちょっと素敵じゃない……?」
小声のつもりの囁きは、無遠慮に空気を伝ってくる。
だが当の本人は、何も聞こえないふりをして、足元に落ちる影と、ゆっくりと傾く陽を見つめていた。
そんなとき――。
「お待たせ」
すっと差し込んだ澄んだ声に、影の主が顔を上げる。
門の内側から姿を現したのは、ジュリア・アーデルシアだった。
白いブラウスに深紅のリボン、膝上のプリーツスカート。今日はその上にジャケットを羽織っている。丁寧に束ねられたプラチナブロンドの髪が、陽光を受けてきらめいた。
堂々とした足取りでシモンのもとへ向かうその姿に、女子生徒たちの思わず息を呑む気配が伝わってきた。
やがて二人が並び立つと、周囲のざわめきは、別の意味を帯び始めた。
「え、あの二人って……?」
「アーデルシア家のジュリア様と?」
「すご……似合ってるっていうか、絵になる……」
背後で飛び交う声に、ジュリアは目を細め、にっこりと微笑んだ。
どこか誇らしげな表情でシモンを見上げ、軽やかに言う。
「さ、行きましょ。お目当てのお店、ちゃんと予約してあるから」
シモンは額に手をやり、仕方ないといった様子で、苦笑を浮かべた。
「……行くか。お手柔らかに頼む」
「わかってるわ。今日は、あなたが主役なんだから」
ジュリアは上機嫌な様子で、制服のスカートをひるがえし、まるで遠足のような勢いで歩き出す。
(どうしてこうなる……)
呆れと諦めが入り混じった視線を向けながら、シモンはゆっくりとその後を追った。
石畳の路地裏、その奥にひっそりと構える老舗の仕立て屋、ヴェルノ・ドレス工房。
風格ある木扉を押し開けると、カラン、と上品な鈴の音が鳴り、魔布の香ばしい匂いがふわりと漂ってきた。
「おや、ジュリア様。お久しゅうございます。お待ちしておりました。……そして、そちらが本日の主役で?」
出迎えた店主は、柔和な笑みを浮かべながら、シモンへと視線を向ける。
「ええ。明日のパーティーの同行者よ。シモン・マックイーン。サイズ、お願いできる?」
「もちろんですとも。どうぞ、こちらへ」
促されるまま、シモンは無言で試着室へ向かった。
採寸が始まると、彼は無駄のない動作で腕を広げ、職人の作業に淡々と応じる。
柔らかな布と巻き尺が身体を滑るたび、店主の目が鋭く細められた。
ひと目で、その体つきを見抜いたようだった。
「……ほう。細身に見えて、実に鍛えられておいでですね。肩幅と背中のラインが絶妙です。これは、服が映えますよ」
シモンは、居心地の悪さを極力表に出さぬよう努めていた。
一方、店主は熟練の職人らしく、挑むような笑みを浮かべつつ寸法を記していく。
極上の仕立て台を前にしたかのような、無駄のない動きと手つきには、静かな熱意が滲んでいた。
やがて調子を変え、自然と話題を切り替える。
「ジュリア様、裏地のご指定は?」
「ええ。アーデルシア家の紋章を、胸の内側に。見えない位置でいいわ」
「かしこまりました。丁寧に仕上げさせていただきます」
やがて採寸と仮縫いを終え、シモンが静かに試着室から姿を現す。
艶のある黒を基調とした、飾り気のない礼装。
だが、上質な生地と精緻な仕立てが織りなす陰影は、静かな気品を纏わせていた。
その佇まいと相まって、上級貴族を思わせる風格がある。
店主はその姿を一瞥すると、目を細め、小さくうなずいた。
職人ならではの、静かな満足の色が滲む。
ジュリアは一瞬、目を見開いた。
シモンが気づき目が合うと、慌ててそっぽを向き、ちらりと視線を戻して言葉を取り繕う。
「ふ、ふ~ん……まあまあ、さまになってるじゃない! ほら、自分でも確認しなさいよ!」
なぜか責めるような口調で鏡を勧めると、ジュリアはぷいと顔を背けた。
そのまま誤魔化すようにアクセサリーの棚へ向かい、わざとらしく声を上げながら手を伸ばす。
だが、そのはしゃぎぶりとは裏腹に、視線は何度もシモンの姿を盗み見ている。
(……まったく、仕掛けたのはそっちだろ)
思わず小さく笑った、そのときだった。
――見られている。
背筋に、冷たいものが走る。
どこだ……外か。
店の外、通りのどこかに潜む視線。気配は、確かにそこにあった。
だが今は、ジュリアを一人にするわけにはいかない。
警戒を保ったまま、氷のような視線の主を探る。
しかし気配は街の喧騒に紛れ――やがて、溶けるように消えた。
それでも胸の不安だけは消えず、ざらついた残滓が、波紋のように静かに広がっていく。
(……気のせい、ならいいが)
だが、己の勘――とりわけ敵意や害意に類する直感が、外れたことはなかった。
手が出せぬ状況に、シモンは静かに歯噛みする。
ジュリアは案内係の女性が差し出す品を、一つひとつ吟味するふりをしていた。
だがその実、意識はずっと後ろにいるシモンへと向いている。
視線を合わせまいとしながらも、ちらちらと様子を盗み見ていたが、シモンは気づかぬふりをした。
やがて、髪にひとつ、胸元にひとつ飾りをつけ、さりげなさを装って振り返る。
「ねぇ、どう? 似合う?」
問いかけに、シモンは柔らかく微笑み、穏やかな声で答えた。
その佇まいには、不安も苛立ちも、影ひとつ落ちていない。
「ああ。とても綺麗だ。髪飾りも、君の髪色によく映えてる。上品だけど華やかで……その、ジュリアらしくて良いと思う」
ジュリアは一瞬、驚いたように目を瞬かせ、すぐにそっぽを向いて小さく言った。
「別に褒めて欲しいとは……言ってないんだから」
(……自分から聞いておいて、ほんとに)
シモンはやれやれと首を振りながらも、胸のざらつきが宥められていることを、はっきりと自覚していた。
ヴェルノ・ドレス工房を後にした頃には、すでに空には夜の帳が降り、魔工灯に照らされた石畳の上へ、二人の影が長く伸びていた。
すっかり満足したジュリアの足取りは、どこまでも軽やかだった。
「ふふん、明日が楽しみね」
その声に、荷物を持ったシモンはちらりと隣を見やる。
疲労が足に滲む自身とは対照的に、ジュリアの頬はほんのりと紅潮し、晴れやかな笑みを浮かべていた。
パーティーの前哨戦は、彼女の完勝だった。
だが、シモンの意識は別のところにも向いている。
あの店内で感じた、冷たい視線。
具体的な行動こそ無かったが、刺すような気配。明確に敵意と判断するに充分なものだった。
そして――それが一つではなかったことに、彼は気づいている。
数は多くはない。
だが、明らかに複数の方向から、異なる“目”がこちらを見ていた。
(……気のせい、で済ませるほど、平和ボケしてはいない)
不安は胸の奥に、しつこく残り続けている。
だが、それをジュリアに悟らせるわけにはいかなかった。
何もなかったかのように歩きながら、シモンは静かに思考を巡らせる。
警戒の火は、静かに、しかし確実に――その芯を熱くし続けていた。




