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アラサー冒険者のaimless odyssey  作者: 久遠堂 鍵介
第三章 「今はまだ、微かな光でも」
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第15話 愚直と焦燥の果てに

 沈みゆく陽が、訓練場の壁を朱に染めていた。


 ジュリアは高鳴る鼓動を感じながら、敢えてゆっくりと歩みを進める。

 先に立っていたシモンは、訓練着姿のジュリアに目を留め、小さく感心したように口元を緩めた。


 張りつめた緊張と、それを押しのける覚悟が交じりあった眼差し――今のジュリアは、確かに戦いに臨む者の目をしていた。


「準備はいいか?」

「いつでも」


 二人は距離を取る。

 張り詰めた空気を、最初に破ったのはジュリアだった。


「ファイア・ボルト!」


 詠唱とともに、炎矢が高速で放たれる。

 だが、シモンは軽やかに身をひねり、それをいとも容易くかわした。

 二発目。三発目。

 炎矢は正確に飛ぶが、シモンは無駄のない動きで、すべてを回避してみせる。


(……やっぱり、届かない。前と――同じ?)

 悔しさが胸をかすめる。

 しかし、不思議と焦りはなかった。

 自分が、かつての自分とは違うことに、ジュリア自身が気づいていたからだ。


(……違う。落ち着いてる、私。それに……)

 呼吸は安定し、視界は澄んでいる。

 思考も、驚くほど明瞭だった。

 撃ち、呼吸し、また撃つ――

 その流れが、頭の中で静かに整っていく。


(タイミングは……今!)

 ジュリアは、あえて速度を落とした炎矢を一発、放った。

 囮――その直後、すかさず身を翻し、角度を変えて、もう一発を高速で撃ち出す。

 二つの炎矢は、わずかな時差をもって、シモンに迫った。


 シモンの瞳が、わずかに見開かれる。

 速いほうを木剣で弾く――火花が弾けた。

 その直後、遅れて飛んだ炎矢が、無傷のままシモンの背後で爆ぜる。


 決定打にはならなかった。

 けれど、ジュリアの胸には、確かな実感が芽生えていた。

(――届いた)



 その様子を、訓練場の陰から静かに見守る二つの影があった。

 メイドのミーナと、執事ヴァレリオである。


「……お嬢様の、あの姿」


 ミーナが、ぽつりと呟いた。


「ええ。――お嬢様の真っ直ぐさには、胸を打たれますな」


 ヴァレリオは細めた目で戦況を見つめ、かすかに頷く。



(……前回と違う。全部、避けられてはいない!)

 ジュリアの瞳に、熱が灯る。

 そこに宿っていたのは闘志――ただ、勝ちたいという真剣な意志だった。


 動きながら撃ち、撃ちながら狙いをずらす。

 詠唱の隙を削り、わずかな呼吸の合間にも、一歩でも前に出るための術を探る。

(体が、ついてくる。魔法が、思い描いた通りに撃てる……!)

 ここにきて、自分が“変わった”ことに、ジュリア自身がはっきりと気づく。


(ありがとう、シモン。でも……全部が掌の上だったなんて――なんか、むかつく)

 唇を引き結び、魔力を込めて叫んだ。


「――覚悟しなさい!」


 ジュリアの言葉に、シモンの口元がわずかに緩む。

 その反応に、ジュリアも思わず微笑みそうになるが、慌てて顔を引き締め、代わりに戦意を漲らせた。

 シモンは場に留まることなく、右へ左へと細かくステップを刻みながら、次々に飛んでくる炎矢を躱し、あるいは木剣で打ち払い続ける。


 ジュリアがシモンを見つめるたび、視線がぶつかり合う。

(楽しんでいる? いや、喜んでいるの? ――どっちでもいい。今の私は、全力で戦うだけよ)


 時間にすれば、わずか数十分。

 だが、その数十分は――二人にとって、果てしなく長く、そして濃密だった。

 ジュリアは止まることなく走り続け、魔法を撃ち続ける。

 炎矢がシモンを捉えられなくとも、止まる理由にはならなかった。むしろ“次”を試したく、集中はさらに高まっていく。


 ここまで戦えるようになった自分の身体と、戦えるようにしてくれたシモンに、ふと想いを馳せる。

 感謝の気持ちは魔法に乗せる。――だから……。

(ありがたく、当たりなさい!)

 ジュリアが一際大きな炎矢を放つと、シモンは打ち払うのを諦め、身を翻して躱した。


 魔法障壁にぶつかった炎矢は大爆発を起こし、二人の姿を紅く照らす。

 互いに視線をそらさぬまま見つめ合い、ふと、同じタイミングで微笑んでいた。



 やがて――。

(くっ……体が重い)

 ジュリアの呼吸が荒くなる。全身が、鉛のように重く感じられた。

(シモンに、付け焼刃が通じるわけない。……だったら、フレイム・バーストで勝負するしかない)

 これが、最後の一撃になる。

 そう悟ったからこそ、ジュリアは賭けに出た。


 まず、遅いファイア・ボルトを一発、上空へと撃ち放つ。

 続けて、その軌道をわずかにずらしたもう一発を、さらにゆっくりと追わせる。

 そして――最後に、最速の炎矢を、シモンの足元手前に撃ち込んだ。

 狙いはただ一つ。詠唱のための時間稼ぎ。

(……ファイア・ボルトの成否は関係ない。全部、囮)

 その間に、ジュリアは即座に詠唱へと入る。


「──我が魂に宿るは赤き灼熱、呼応せよ、地の脈動、重ねる鼓動──」


 拳を握りしめる。

 膝の震えは力ずくで抑え込み、視線は逸らさない。

 まっすぐに、ただ一人――シモンを見据えていた。


「熱よ集え、怒りの炎よ、爆ぜろ……フレイム・バー……」


 その瞬間、ジュリアの声が空に満ちるより早く、シモンの足が動いた。

 上空から迫る二発の炎矢。足元へと疾駆する炎矢。

 シモンは一つ一つの着弾を待たず、自ら前へと踏み込み――炎矢を紙一重でかわしながら、一直線にジュリアへと迫った。


 ジュリアの中で、時間が止まったようだった。

 二人の距離が急激に、いや、瞬間的に詰まる。


「っ!!」


 気づけば、シモンの木剣が、音もなくジュリアの喉元に突きつけられていた。


 ──沈黙。

 ジュリアの体が、ぴくりと震える。

 その刹那、二人の視線が交差した。

 唇を噛みしめ、視線を落とす。

 悔しさが、胸を満たす。

 けれど――


「……参りました」


 絞り出すような声。それでも、はっきりとした響きを持っていた。

 ジュリアは、苦い悔しさを正面から受け入れた。

 今よりも、強くなるために。

 それは――ジュリアの、敗者としての矜持だったのかもしれない。


「強くなったな、ジュリア。……これからお前は、もっと強くなる」


 そう告げて、シモンは木剣を収め、一礼して背を向ける。


 ジュリアは、その言葉を胸に刻んだ。

(……もっと、もっと強くなりたい……)


 ミーナが小走りで駆け寄り、無言でジュリアの肩を支える。

 その優しさに、ジュリアは小さく頷いた。


 一方で、シモンは荷物置き場へと足を向ける。

 その傍らに、音もなく立つ影があった。

 影の主――それは、やはり執事ヴァレリオであった。


「お嬢様を……どうか、お願いいたします、シモン殿」


 丁寧な言葉に込められた信頼に、シモンは自然な笑みを浮かべ、頷いた。


「ええ、任せてください」


 ヴァレリオの礼は、見惚れるほどに美しい。

 シモンはそれに、小さく頷くことで応える。


 模擬戦の結末に、シモンは笑みを浮かべていた。

 ジュリアにはそれが満足そうに見えて、何故か複雑な気持ちになった。


 疲弊した身体を支えられたまま、ジュリアはふと空を見上げる。

 いつの間にか、星がまたたいていた。


 今はまだ小さな光でも――これから、もっと輝いていける。

 視線を戻せば、慌てながら唇を震わせる、心配そうなミーナの瞳。

 この瞳が、自分を見守ってくれていたのだ。


 自分を導く人、自分を支える人。

 そのすべてに、応えたい。

(……私は、もっと強くなる)

 ジュリアはそっと、夜空の星に誓った。


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