第13話 “変わらぬ日々”と“変わりゆく少女”
今日も変わらない訓練の日々が続き、いつのまにか訓練開始から三週間が経過していた。
訓練を始める際に新調したジュリアの靴は、すでに擦り切れ、縫い目のほつれが目立ち始めている。
相変わらず、黙々と走り続け、心を無にする毎日だ。
シモンは、一度くらいは反発を覚悟していたが、ジュリアはそれを堪え、自分と向き合い続けていた。
ジュリアは乾いた唇を噛みしめても、足を止めることはなかった。
だが――無自覚なジュリアとは裏腹に、彼女の身体は少しずつ、しかし確実に変わり始めていた。
呼吸は深く、安定して続くようになり、走るフォームにも無駄がなくなっている。
かつては、ただ走るだけで息が上がっていたはずなのに、今では余裕をもって走り切れる。
そのぶん、心を静める“瞑想”に割ける時間も増えていた。
身体は、確かに応えていたのだ。気づかぬうちに、着実に――前へと進んでいる。
その様子を見つめるシモンは、ふと目を細めた。
(……間違いなく順応している。若いってのは、本当にすごい)
三週間という時間は、答えを求めるジュリアにとって、決して短くはなかったはずだ。
それでも彼女は、焦りを抱えながらも言い訳せず、ひたむきに走り、黙々と瞑想を重ねてきた。
口には出さずとも、その気持ちはシモンに痛いほど伝わっていた。
だからこそ――わずかな変化すら、決して見落とさぬよう、見守り続けていた。
訓練場に戻ってきたジュリアは、額に汗を光らせながら整理体操をしていた。
その様子を静かに眺め、シモンは自嘲気味に、ひとつため息をついた。
(……やっぱり、あのデザインはどう見ても破廉恥だろ)
そうぼやきつつも、心の奥でそっと言葉を添える。
(でも――これが、今の若い連中のセンスなんだろうな。“理解”はできなくても……“納得”は、してやらなきゃな)
翌日、朝の冷気がまだ色濃く残る訓練場。
シモンはひとり、木製の訓練用人形が並ぶ一角で体をほぐしていた。
空は淡く染まり始め、地面には靄が静かに薄く広がっている。
その静寂をほどくように、背後から穏やかな声が届いた。
「おはようございます、シモン様」
振り返ると、そこに立っていたのは燕尾服の老紳士――アーデルシア家の執事、ヴァレリオ・グランツだった。
整えられた口髭に、皺ひとつ乱れのない立ち姿。
早朝だというのに、その装いと気配は寸分も崩れていない。
「おはようございます、執事殿。こんな朝早くにお会いするとは、珍しいですね」
シモンが微笑みかけると、ヴァレリオも静かに頷いた。
「少々、お時間をいただければと。初日はご挨拶だけでしたから……こうしてゆっくり言葉を交わすのは、これが初めてですね」
「ええ、私も光栄です。何か、ご用件でも?」
ヴァレリオは一歩、静かに歩み寄り、目を細めて言った。
「お嬢様の訓練の様子を、少しお聞きしたくてまいりました。進捗のほどは……いかがでしょうか?」
その問いに、シモンは肩をすくめ、苦笑めいた笑みを浮かべた。
「ええ、感心していますよ。正直なところ、貴族の子女というものを、もっと甘く見ていた節がありまして……」
そこで一度言葉を切り、静かに瞑想を続けるジュリアへと目を向ける。
「愚直で、ひたむきで、実に健気です。あの年齢で、自分に厳しく、不安や焦燥にすら正面から向き合おうとしている――それだけで、大したものです」
ヴァレリオは一瞬だけ目を伏せ、低く沈んだ声で応じた。
「……そう仰っていただけると、安心いたします。ただ、お嬢様は今、努力してもなお『手応え』が得られないことに、戸惑っているようでして」
シモンは驚いた様子も見せず、静かに頷いた。
「ええ、わかっています。不安はあるでしょう。それでも……続けている。投げ出さずに。それだけで、十分だと思いますよ」
ヴァレリオは目を細め、ゆるやかな笑みを浮かべた。
「シモン様のご指導に、救われているのでしょう」
「いや――俺の力じゃありません。あれは、本人の意思です」
言いながら、ふと言葉を切る。そして、少し間を置いてから、シモンは静かに呟いた。
「……そろそろ、頃合いかもしれません」
その含みを持たせた一言に、ヴァレリオは眉をひそめ、小さく首をかしげた。
「頃合い、とは……?」
瞑想を終え、朝露に湿る土を踏みしめながら、こちらへ向かってくるジュリアの姿を目にしたとき、シモンはわずかに顔を上げた。
その瞳には、静かな確信と――どこか試すような光が宿り、抑えきれない期待の色がにじんでいた。
(この三週間、よく頑張ったな)
彼女が積み重ねてきた努力と、その中で見せた小さな変化。
その一つひとつが、確かに意味を持ち始めている――そう感じられるだけの歩みが、そこにはあった。
その事実が、静かにシモンの胸を高ぶらせていた。
(さて……どこまで、やれるか)
この先にジュリアが見せてくれる“答え”を思うと、自然と胸の奥が熱を帯びる。
やがて足を止めたジュリアに向かって、シモンは声をかけた。
「ジュリア。今日の学院が終わったら、久しぶりに――手合わせをしよう」
その言葉に、ジュリアの眉がわずかに動く。
言葉こそ返さなかったが、静かに頷いたその表情には、ほんのかすかな不安の影が見て取れた。
だが、それでも逃げなかった。
不安も、恐れも、焦燥も。すべてを抱えたまま、なお歩みを止めないジュリアに、シモンは静かに敬意を覚えた。
静かに流れる空気のなか、ジュリアは唇を噛み、心を落ち着けるように、胸に手を当てた。
あの日の手合わせが始まりだったのなら――この再戦は、二人にとっての最初の答えになる。
シモンは、そんなふうに感じていた。
(見せてくれ――お前の努力と成長を)
ヴァレリオはシモンとジュリアを交互に見つめると、感慨深げに、そっと目を閉じた。




